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雨と陽の、華紋師  作者: 長谷川 海月
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第十七話 人形の勿忘神 (6)

 暗い隧道(ずいどう)のような道を抜けると、広々とした空間に出た。

 そこは、二十畳以上ありそうな立派な居室だった。

 淡い緑の壁紙に包まれているせいか、それとも二重折上(にじゅぅおりあ)げ天井のためか、部屋全体が明るく、優しい光に満ちていた。正面に背の高い窓がある。懸崖(けんがい)飾りのついた、スミレ色の窓掛けがその縁を彩っていた。一階で見たものと同じだが、ここのは――破れやほつれがない。

 そう思って、周りを見渡してみると、寝台や脚の長い机、椅子、照明器具など、揃えられた西洋家具や調度はどれも新品同様だった。

 いまにもこの部屋の住人が入ってきそうな、その窓掛けの隅に佇んでいそうな――そんな雰囲気だった。それは、フリルが愛らしい青緑色のドレスを着た少女の姿で――なんで、そう思ったのだろう。新太(あらた)は眉を寄せる。

 思った、のではなく、その映像は自然に浮かんできたものだった。

 気が付くと、少女の姿を見た部屋の隅には花台があった。その上に、両足を投げ出すように西洋人形が座っていた。新太の脳裏に浮かんだ、ドレス姿――そのままの人形だった。

 栗色の髪に、ドレスと同じ色のリボン、その白い肌は陶磁器で出来ているような艶めきを持っていた。ガラスが埋め込まれたような、大きな瞳もまた緑で――いまはそれが、新太の方をしっかり見据えていた。

 新太は、金縛りに遭ったかのように身動きがとれなくなった。

 淋しい。悲しい。怖い。欲しい。まるで飢えと渇きが一緒くたになったような感情が、無防備な心をむさぼって、空っぽにしていく。そんな感じだった。自分の存在が希薄になっていくような――虚無感。

 「飲み込まれんな、新太!」

 傍らにいるはずの九狼(くろう)の声がどこか遠い。耳鳴りがする。

 「お前は、ここにいる。いなくなったりしない!」

 そうだ、俺は――

 視界の端で、何かが飛び出した。

 駆けて、開いた扇子を人形に向けて、

「『竜宮玉取(りゅうぐうぎょくしゅ)』の曲」

 闘具(とうぐ)(まと)った気を、叩きつける。その間際――

 花台に座った西洋人形を守るように、どこからか別の人形が現れた。西洋人形より、ひとまわり大きい日本人形だった。赤い着物、その振袖を広げるように立ちはだかり、ヒナギの攻撃を代わりに受けたのだ。

 くだけ、散る。

 その赤い破片は、しかし床に散らばることなく、元の形へ戻っていった。赤い、日本人形が再び形作られる。

 ヒナギが後方に跳び退(すさ)った。

 そこへ、わらわらと――黒、白、黄、赤、色彩も形も様々な人形が湧いて出てきた。親に(すが)る子供のように、いや、獲物に群がる虫のように大群で、ヒナギに押し寄せる。

 ヒナギはそれを扇子で薙ぎ払っていたが、その傍からすぐに人形の形は戻っていく。

 「ヒナギさん!」

 新太も飛び出した。九狼のおかげか、なんとか身体は動いた。

 目の前の、黄色い紙人形を木刀で切り伏せ、次の、藤色の娘人形(むすめにんぎょう)を見て。

 そのとき、ピタッと。

 なにかが腹に貼りつく感覚があった。

 なんだと思って俯くと、白無垢(しろむく)の日本人形が、小さな手を自分の腹に当てていた。そして、新太はその両手が、ずぶりと、己の腹に吸い込まれていくのを確かに見た。

 まるで柔らかい粘土に突き刺すように、いとも簡単に、人形が手を――

 「うっ、ぐぅうっ――――」

 刹那。

 腹の中を乱暴にかき混ぜられるような、内臓を鷲掴みにされるような――ものすごい、痛み。

 痛み、痛みで、頭が、くらくらする。

 身体の内側が爆ぜる、その恐怖が襲う

 寸前。

 「新太っ!」

 九狼が、白無垢の首元に食らいついた。

 痛みから解放される。床に手をつき、痙攣を繰り返す気道で、なんとか息を吐く。視界の隅で、九狼が己の牙と爪で、白無垢をずたずたに引き裂いているのが見えた。

 「九狼、ありが――」

 礼など言っている暇はなかった。

 先ほど倒したばかりの紙人形が、こちらに向かってくるのが分かった。

 木刀を握り直し、それを思いっきり薙ぐ。刃先に当たって、紙人形が真っ二つになるが、切った箇所はすぐに元通り。見れば、白無垢も立ち上がっている。

 キリがなかった。

 新太は後ろへ下がりながら、ちらりとヒナギの方を見る。

 ヒナギも防戦一方のようで、今や両手で扇子を持って戦っていた。扇子が舞うと、風が立ち、人形の欠片が飛ぶ。しかし、それもすぐに戻ってしまい――と、ヒナギの背後から、一体のからくり人形が近づいているのに気が付いた。青色の衣装をつけた、からくり人形が節くれだった手を伸ばしていて、

 「ヒナギさんっ、後ろ! 人形に、」

 声を張ると胃液がせり上がって来た。それでも、なんとか、「人形に、触られちゃ――ダメです!」

 叫べた。

 ヒナギが床を蹴って、高く跳び――宙返りをする。一回転して、着地に移るのと同時に、

 「『紙蝴蝶飛(しこちょうひ)』の曲」

 扇子を大きく仰いだ。紙片が吹雪のように、人形たちに降り注ぐ。貫かれ、崩れる。

 紙の散弾――

 ヒナギが軽やかに着地を決める。後には、人形が折り重なって、山となっていた。

 それでも、ひとつ、ふたつ――バラバラになった手足がくっつく。頭が持ち上がる。

 「新太くん、こちらへ!」

 懐から、紙を取り出しながら、ヒナギが言った。

 何をするつもりか察して、新太がそちらに走った。間に飛び込んできた、黒いこけしを両断して、転げるように彼女の後ろへ。実際、顔面から盛大にこけた。

 ヒナギはそれを確認して、大階段で見せたように、素早く透明の膜を張った。

 間一髪――人形たちが押し寄せてきたが、その膜に触れた数体が消し飛んだ。それでどうなるのか分かったらしく、人形の動きが止まった。遠巻きにして、こちらの様子を伺う。

 あまり気持ちのいい状況ではなかったが――ひとまずの安息を得ることはできた。

 「お前、大丈夫か? なんか、気持ちいいくらいに見事なコケっぷりだったが」

 「うん、なんとか。九狼、さっきは、ありが――」

 「おう、お前っ、鼻血!」

 鼻の下を触るとぬめった。指先が赤く染まっている。(はな)をすすると、血の臭いと鉄の味で、気持ちが悪くなった。

 「これを使ってください」少し身体を捻って、ヒナギが手ぬぐいを差し出してくれた。「それで押さえて、……あ、上は向かいないようにして、止まるまで押さえていてください」

 言われた通りにする。ちょっと恥ずかしいので、顔をそらしながら。

 すると透明な膜越しに、白無垢の人形と目が合った。

 「あそぼー」

 可愛らしい声でそう言った。

 「あそぼー」「遊んでー」「あそぼうよぉ」――たちまち、周りの人形も騒ぎ始める。こちらに手を差し出してくる。あどけない手。頬が緩む。ほんとうに可愛らしくて――つい、新太もそっと手を伸ばす。膜を、内側から開けようとして、

 「おい、バカ――しっかりしろ!」

 その手に、九狼が噛み付いた。甘噛みとかそんな優しいものではなく、牙が手の甲に深々と食い込む。

 「いっ、てぇ――――っ! なにすんだよ、九狼⁉」

 「それはこっちの台詞だ。お前、いまここから出ようとしたんだぞ!」

 「え?」

 新太は凍りついた。ここから、この安全地帯から、出ようとした、俺が?

 全く記憶にないが、九狼の必死な形相と、ヒナギの青ざめた顔が、それが真実だと告げていた。

 「あの人形たちと、……目を合わせないようにしましょう」

 ヒナギが低く呟いた。新太は俯き気味に、

 「わかりました。でも、……これからどうしたら」

 周りには、目を合わせたら終いの人形がわんさかいる。倒しても、復活して、すぐに襲ってくる。大元の勿忘神(わすれがみ)は、相変わらず花台の上にいるが、人形に行く手を遮られて、そこへたどり着くことも難しいだろう。

 「そうだ、このまま……膜で防御したまま、勿忘神に近づいて行けば――」

 「それは、……無理です。『吹紙鶏卵(すいしけいらん)』の曲で作り出した膜は、わたしがここを動いた時点で消えてしまいます。……勿忘神に近づきつつ、膜を展開する方法もありますが、……いずれにせよ、勿忘神の呪紋(しゅもん)を採取するためには、これを解除しないといけません」

 言われて、この膜を作り出してから、ヒナギが一歩も動いていないことに気が付いた。

 「あの、取り巻きの人形を……なんとかしないことには――」

 呻くように、ヒナギが言った。その頬は血の気が失せていて、首筋には汗が浮かんでいた。おくれ毛が、その白い肌に貼りついている。小さな肩が、苦し気に上下していて。

 まだ、瘴気(しょうき)から回復しきっていないんだ。

 それに気が付いた途端、新太は不甲斐なさで胸がいっぱいになった。湧き上がってくるのは、自分に対する怒りだ。なんて、情けないんだと。無力さに、叫び出したくなる。

 結局、安全なこの場所で、鼻血なんか悠長に拭けているのも、ぜんぶヒナギのおかげだった。

 新太は、血の付いた手ぬぐいを握り締めた。

 いつだって、自分を守ろうとしてくれたその背中が、華奢(きゃしゃ)な、いかにも女の子って感じなのに、いまさら気が付く。

 今度は、自分が守りたいと――そう思った。

 そのためには、この状況を打開する(すべ)を、なんとか考えるしかない。

 考えろ、考えるんだ。しかし、集中しようとする傍から、

 「あそぼー」

 「遊んでよ」

 「あそぼう」

 人形がうるさく喚きたてる。気が削がれる。

 「あそぼー」「ねぇ、あそぼー」「遊んで、遊んで」本当に、うるさい。

 さっきから、バカのひとつ覚えみたいに、遊ぼう、遊ぼう――と。

 思わず怒鳴りそうになって――なにかが引っかかった。

 大階段の人形も、ヒナギに合流するまで戦ってきた人形も、どれも同じように、遊びや玩具にちなんだ仕掛けで襲ってきた。もしかしたら、これも何かの遊びで、そこには厳然とした規則があるのかもしれない。そうだとしたら、それを守って――遊んであげれば……石けりのときのように、攻撃はしてこないのではないだろうか。

 しかし、そうだとして、これが何の遊びなのか皆目見当がつかない。

 石けりや双六(すごろく)のように、分かりやすい目印があるわけでもないのだ。人形に追いかけまわされ、捕まって、内臓を引っ張られるなんて――そんな遊びがあってたまるか!

 いや、冷静に――考えるんだ。

 いま何か掴みかけた、と思う。追いかけまわされて――そう、捕まる。もしかして、これは――

 「鬼ごっこ……?」

 新太が呟いた。思い付きにすぎないが、なかなかいい線じゃないか。しかし、まだなにか足りない。人形が全部、鬼だとして、それに捕まらないようにするだけなら――つまらない。

 ヒナギがそう言って、挑発したのを思い出す。

 最後に、勿忘神が仕掛けてくるなら、もうひとひねりありそうだと直感が告げる。

 そう思って、改めて――人形を眺めてみる。目を合わせないように、ざっと全体を見渡す。

 まず、気が付いたのは、鮮やかな色彩だった。赤、白、黄色、青――それぞれの人形に、ひとつの色。わざとらしいくらいに、色が目立っている。

 そして、違和感――同じ色の人形が二、三体いるというのに、なぜか不自然なまでに、そこに含まれていない色があった。もう一度、眺めまわして、確信する。

 取り巻きの人形の中に、緑色がなかったのだ。

 それは、勿忘神の――西洋人形のドレスの色だった。

 つまり、これは、

 「ヒナギさん……分かったかも」

 「え?」ヒナギが横顔で振り向く。

 「これ、たぶん――色鬼(いろおに)です」

 そう言ったとき、四鸞(しらん)霊殻(れいかく)が、飛び出してきた。

 「ああ、色鬼かぁ。……でもさでもさ、あれって、言われた色を触るんだよね? 人形が鬼なのに、おかしくない?」

 「うん、だからこれは変則的な色鬼だと思うんだ。鬼はたぶん、俺たちの方で、親が言った色の人形を捕まえるんじゃないかな」

 「おー、なるほど。じゃあ、子とろかな、色子とろ。あたしもさ、これって何かの遊びかもって考えてたんだけど、ぜんぜん、わかんなかったんだ。あーちゃん、お手柄だよ!」

 四鸞が翼でパタパタと拍手を打ってくれる。その隣で、

 「えっと……ごめんなさい。なんの話ですか? イロオニって言うのは……?」

 「え、知らない? ヒナギさん、子供の頃に遊んだことないですか?」

 ヒナギが困ったように首を振ったので、新太は色鬼について簡単に説明をした。

 色鬼とは、鬼ごっこの一種で、「鬼」は好きな色をひとつ指定してから、「子」を追いかける。「子」は、「鬼」が言った色を見つけ、それに触っている間は、「鬼」に捕まらない。「鬼」は色に触れていない「子」を捕まえることで交代ができ、また、途中で指定する色を変えることもできる。

 これが本来の色鬼である。

 新太はここまで話してから、ここからは俺の推測なんですけど、と付け足した。

 「勿忘神は、俺たちに「鬼」役をやらせています。勿忘神は「親」で、あの人形たちは「子」。普通は「子」が指定された色を触るんですけど、こっちは――「鬼」が言われた色の「子」を捕まえる規則なんだと思います。色を決めるのは、「親」で、指定した色以外の「子」は捕まえられないし、攻撃が効かない。だから、闇雲に人形を壊しても、すぐに復活するんです」

 「ちょっと待ってください。……それは新太くんの推測ですよね? 勿忘神が、何かの遊びになぞらえているのは分かりますが、でも――」

 「根拠は……あります。こいつら――」言って、膜を取り巻いている人形を示した。「どれも、緑色がないんです。萌黄色(もえぎいろ)とか、鴬色(うぐいすいろ)とか、黄緑とか、ありそうな色なのに、ひとつも」

 ヒナギが先ほど新太がやったように、ざっと人形たちを眺めまわした。

 「緑は、「親」の――勿忘神の色だからです。「親」が指定するのは「子」の色だけで、……だから、自分と被る色は、人形に使わなかった、と思うんです、けど」

 言っていて、根拠と言い切るには、あまりに薄弱な気がして最後の方は弱々しくなる。

 現に、納得がいっていないのか、ヒナギは少し俯いて、口元に手を当てて何やら考えているようで。

 「やってみようよ! こうしていても、(らち)が明かないし、……それに、ヒナちゃんの身体だって……」

 四鸞が泣きそうな声で言った。

 新太は不安気な顔で、それを見やる。

 ヒナギは肩に乗った四鸞の小さな頭を撫でて、少し微笑んでから――頷いた。

 「わかりました。……ですが、肝心の……色はどうやったらわかるのですか?」

 「……うん、あのね。掛け声があるの」

 洟を啜る声でそう言って、四鸞は花台に居る西洋人形の方を真っ直ぐに見た。付喪神(つくもがみ)は、アレと目を合わせても問題ないらしい。

 「いくよ? 色々ぼうや、色ぼうや、こんどの色はなに色だー?」

 まるで、(さえず)るような、歌うような声。

 それに反応するように、西洋人形が、にぃと笑った。そのままの口の形で、

 「き、い、ろ」

 はっきりと、聞こえた。黄色だ。

 新太は人形の群れに素早く視線を走らせる。まず右手前に、例の紙人形。そして左奥に、二体。

 ヒナギの緊張を含んだ声が響く。

 「『吹紙鶏卵』を解除したら、彼らは一斉に襲ってきます。その攻撃を避けながら、まずは黄色の人形を倒しましょう。わたしは左、新太くんは――」

 「右は任せて下さい。それで、倒し終わったら――」

 「あたしが次の色を訊くよ。目を合わせても大丈夫そうだし。そいで、次の色がわかったら――」

 「左右に分かれたまま、次の指定された人形を倒していきましょう。あとは、その繰り返しです。指定されていない人形は、念のため攻撃しない方がいいと思います。勿忘神が決めた規則に沿った行動を――いいですか?」

 「うん」

 「はい!」

 「あれれ、九狼はー?」

 「お、……はいっ!」

 「では、行き――」

 「ちょ、ちょっと待って。手が滑って、木刀が……」

 「もう、あーちゃん!」

 「新太!」

 「ご、ごめん。……大丈夫。ちゃんと持った」

 ヒナギがすっ、と息を吸い、

 「では――行きます!」

 瞬間。

 膜が――幕が下りた。

 若干の沈黙があって、それから一斉に人形が動き出す。

 襲い掛かってくる、伸ばしてくる手を避けて、前へ。

 走る。

 前の、黄色しか見ていなかった。目標を捉えて、木刀は腰だめに。

 左右から、白と藤色が同時に飛び掛かって来た。

 後ろへ逃げるか――いや、まだ間に合う。

 人形の隙間に、新太は飛び込む。間合いを詰めて。

 逃げようとしていた黄色を、下から薙ぎ払った。

 思った通り、いつもはすぐに復活していたのに、切られた紙人形は塵のように消えた。

 それを確認して、「一体、完了です!」

 「こちらも完了です。四鸞!」

 「りょーかい!」

 四鸞が歌う。次の色は――黒色だった。

 こちら側に、こけしが一体。新太の視線に気が付いたのか、こけしはどこが肩か分からないそれをびくりと震わせて、宙を飛んで逃げた。

 逃がすか。

 新太も跳ぶ。追いかけてきている白と藤色の気配を背中に感じながら。

 そのとき。

 茶色のからくり人形が、足元を狙って、手を伸ばしてきた。文字通り、手が伸びたのだ。機械機構が音を立て、歯車が回り、茶色の木製の腕は四倍に伸びる――そして節立つ手に、仕込み刀が現れた。

 それで足の腱を狙ってきて、

 「――っ、あっぶね」

 ぎりぎりで避けた。刃物が、ざがしっ、と床を傷つける、すごい音。

 悪意に満ちたそれを背中で聞いて、新太は全力で跳躍した。

 目測――一間(いっけん)

 やや右手を落とした、上段の構え。

 黒こけしの頭上から、一気に振り下ろす。

 ちらりと左を見る。

 紙吹雪が舞っていて――ヒナギも同じように、黒の、浄瑠璃(じょうるり)人形を倒したところだった。

 次は――茶色。

 それを聞いて、新太は振り返る。

 さっきはよくもやってくれたな、と、睨んでやる。

 だというのに。

 からくり人形は、片手だけではなくて、両手から仕込み刀を伸ばす。更には背中から、かたかたと音を立てて、二本の腕が出現した。四本の刃。

 「おう、こいつヤル気だぞ」

 九狼が鼻息を荒くする。

 「大丈夫、なんか楽しくなってきた」

 新太はにやりと笑ってやる。

 人形と睨み合って――先に、新太が動いた。

 仕込み刀がこちらに繰り出されることを予想して、巻き上げにも受け流しにも対応できるように、柔らかく柄を握る。木刀の刃先は、やや下に。猛進する。

 人形は、四本を同時に、突き出してきた。質量だけの、単純な攻撃。

 真横に(かわ)して、八相(はっそう)に構える。

 (たば)になった人形の腕を同時に切り落とし、返す刀で――胴を、

 「ええっ――」

 目の前に、白無垢が飛び込んできた。

 ダメだ、勢いは――止まらない。

 木刀は茶色に届く前に、白を薙ぎ払った。

 そして――そして、

 視界の外で、背中で。

 今まで倒した人形が再び姿を現すのが分かった。

 指定された色以外を捕まえると、こうなるのだと、分かった。

 「ごめ、……ごめんなさい!」

 喉が塞いで、声が上ずった。

 「大丈夫です。……最初から、今度は……慎重に――」

 ヒナギが言ってくれた。その声が苦しそうに掠れていたのは、気のせいだろうか。

 新太は唇を噛む。

 群がる人形から、距離を取って。

 さっきは――調子に乗って油断した。目標物しか、見ていなかった。

 新太は自らの肉に、歯を立てるのを止めた。

 一度、深呼吸をして。

 今度は、全体に広く視野を取って。

 今一度――

 「し、ろ」

 西洋人形の声だ。

 再開。

 白無垢を、見つめ、周りを眺め。

 息をつめて。

 駆ける。

 白を、斬る。

 次は――黄色。

 紙人形。

 ひらひらと、踊るそいつにめがけて。

 息が上がった。

 止めていたことに気が付き、吸う。胸が膨らむ感覚。

 しかし、手先が痺れている。

 血が、酸素を届けていない。

 黄色を両断した。

 頭がふらつく。

 今度は、藤色。

 ふじいろ、なんだそれはどんないろ――

 紫だ。

 単純な言葉に置き換える。また、息を止めていた。

 喘ぐ。

 「新太?」

 隣で、名前を呼ぶ声。握る手に血がにじむ。

 ちゃんと届けてくれよ。たぶん――おそらくだけど、ずっと自分の身体から流れ続けていた赤い液体に呟く。ちゃんとしてくれよ、と文句も言ってやる。

 足りない。酸素も、血も、時間も。欲しい。

 紫を睨む。

 その視界を、黒や青、茶色、赤色が埋めていく。隠していく。

 そいつがそんなに大切かよ。

 藤の花を持った、お姫様だもんな。

 夢を見ているようで。

 「新太っ!」

 強い声に、目覚める。

 群がる人形――その隙間から、ちらりと藤色が覗く。

 あそこを突破するのは、無理だ、いったん退こうと冷静な判断。

 いや、いまここでやらないと! どうするんだよ! と情熱な叱咤。

 その端境(はざかい)で――新太は決める。

 すっ、と上段に。

 構え。

 身体は無理でも、この木刀――闘具の気なら、すり抜けて届くかもしれない。

 疲労と出血で、おかしなことを思っているかもしれない。

 でも、と思う。確信が新太にはあった。闘具は、想いに応えるのだ。

 たとえば――ヒナギの手妻(てづま)のように。

 たとえば――ヒナギの紙吹雪のように。

 吹雪。

 氷。

 連想(れんそう)――故郷の、厳しい冬が突然、脳裏に浮かんだ。凍てつく、空気。

 練想(れんそう)――肌で感じたそれを、形にしていく。

 疾想(しっそう)――出来たそれを、ぶつける。

 振り、下げる。

 透明な、鋭さを持った何かが、人形の隙間を縫って。

 藤色を貫通した。

 見えた。

 できた?

 「おう! い、いまの……なんだよ、氷⁉」

 「わかんない……けど、」

 できた。

 姫を倒された人形たちが、新太を目掛けて襲ってくる。息を吐いて、跳び退りながら、次の指示を待つ。

 あどけない、子供のような手が頬を掠める。それだけで、骨の奥が痛んだ。

 黒。

 次は、黒。

 遠くにそれ――こけしを見つける。臆病なやつだから、見つかったことに気が付いて、早くも逃げを決め込んでいる。

 応用だ。

 再び、上段に構えを取り、気合一閃――振り下げる。

 しかし、何も起こらない。

 なんで。

 「横っ、来てる!」

 からくり人形の、突きが迫る。受け流して、躱し。

 こけしを目指して、走る。

 足がもつれたが、それすらも勢いに変えて、走った。

 同時に、酸素の足りない頭で考える。

 なぜ、闘具の気は発射されなかったのか。

 さっきと今で、なにが違うのか。

 さっきやって、今やらなかったこと。

 ――連想、だ。

 吹雪。そして、凍てつく空気。

 懐かしさで胸がいっぱいになる、故郷の山。雪山。

 描いて、思い出した寒さに、肌が粟立った。

 まるで木刀に引っ張られるかのように、新太は腰だめに構えていた。

 立ち止まる。

 導かれるように、木刀を――薙ぎ、払う。

 冷気をまとった氷片が、ふたつ。

 まず、こけしを貫き。

 そして、もうひとつが奥――ヒナギが戦っていた浄瑠璃人形の頭を吹き飛ばした。

 弾かれたように、ヒナギがこちらを見て、驚いた表情に変わる。

 だが、すぐに気を引き締め、頭を失ってふらつく人形を、扇子で裁断した。

 「よーし、次いくよ。……色々ぼうや、色ぼうや、こんどの色は何色だっ?」

 漂う緊張感にそぐわない四鸞の歌声にも、もう慣れた。

 西洋人形の返答を待つ。

 そのガラスの瞳が、少し陰って。

 花びらのような、赤い、小ぶりな唇が動く。

 「み、ど、り」

 言った。

 「え⁉」

 驚いた声を上げたのは、九狼だったか、四鸞だったか、それとも自分だったか。

 とにかく、緑と――勿忘神は自分の色を告げた。

 辺りには、まだ人形がうごめいている。幾分、数は減ったが、それでも正面の花台への道を遮ってくるには充分すぎるほどだ。そして、その中には緑色は無い。

 この状況で、それを指定する底意地の悪さ。

 まだまだ、遊んでいたいと駄々をこねる子供の姿が浮かぶ。

 そう、まるで子供じゃないか。

 そう思って――ふっと気が緩みそうになるが。

 優しくなれそうな気もするが。

 手は痺れていて。

 頭は、靄ががったように働いてくれなくて。

 いまだに身体からは血が流れ続けている。

 遊んでいられる、時間はないんだよ。

 咲くら屋で見た、寅福(とらふく)のボロボロな姿を思い出し。

 ヒナギの苦しそうな、青ざめた顔を思い出す。

 ここで。

 「終わらせる」

 決然と顔を上げ――そう言った。

 一歩踏み出して、しかし、それに反応した人形が手を伸ばしてくる。

 思い切って反撃したいが、それをやったら今までの苦労が無に帰すことになる。

 ここは隙を伺って、あの氷片を叩きこむしかないか。

 新太は、戦術的撤退を決める。

 その反対に。

 入れ違うように、ヒナギが前へ飛び出した。

 速い――が。

 人形が一斉に群がっていく。新太が撤退したせいで、こちら側にいた人形も彼女に向かっていった。

 今からでも前に出て――違う、それでは遅い。

 間に合わない。

 いくらヒナギの身体能力が優れていても、この量は躱しきれない。

 なんとか、人形の動きを止める方法を。

 動きを――止める。

 止める。

 なにで。

 なにって、それは――

 新太は、木刀を強く握りしめる。

 こいつは、冷気を、操れる――と思う。

 それならば。

 新太は、斗南(となみ)の冬山を連想する。

 そう、山だ。故郷の、極寒極貧生活を思い出すとき、決まって、その山が浮かぶ。

 寒風にさらされたボロ屋じゃなくて、(たきぎ)や、食べられるような物を必死で探した、裏山。ときには動物も狩った。うさぎの肉の柔らかさ。思わず、腹が鳴りそうになる。

 集中しろ――と、叱咤。

 そういえば、この木刀も――その山から切り出した木を削って、父が作ってくれたのだった。

 ほんとは薪か炭にするつもりだったのを、一本、父が選んだのだ。運命か。薪にならなくて、よかったな、おまえ。

 柄を優しく握る。

 瞬間。

 刃先の纏う気が――変わった。

 凍てつくような空気と、懐かしい匂い。父の、丸めた背中の、優しい気配。

 薄い壁を隔てただけの向こうは、すべてが静止したようにみえる景色が広がっている。

 すべてが凍て散りそうな、厳しい自然の中で。

 必死で生きてきたんだ。

 見せてやる。

 防御をすべてかなぐり捨てて、十全で攻めの姿勢をとる。

 大きく、息を吸って――吐く、その息が白く煙った。

 寒いが、上々。

 「ヒナギさん! 今すぐに、上へ――飛んでください!」

 叫ぶ。冷気が気管を傷つけて、痛んだ。

 血を吐くように投げた声が――届く。

 ヒナギが上空へ、跳ぶ。

 それを見て。

 木刀を、力任せに振った。

 寄木張(よせぎば)りの床が、洒落(しゃれ)幾何学(きかがく)模様の絨毯(じゅうたん)が、瞬時に凍る。

 その上に居た人形たちも、冷気の波を受けて静止――端から凍りついた。

 ヒナギに向けて群がっていたのが奏功した。

 離れたところにいた数体を除けば、人形の殆どが氷に漬けられ、身動きが取れないでいる。

 ほうっ、と。

 白い息が流れる。

 ヒナギが静かに、着地。

 良し。

 あとは――勿忘神を倒すだけだ。

 睨み据え。

 身体を動かすが、

 「え――」

 足が、そして腕が鉛のように重たくなっていて、新太はその場に倒れ伏した。

 意識はある。

 だが、全く身体が言うことを聞かない。

 「新太くん⁉」

 ヒナギの声だ。

 叫んで、こちらに駆け寄ってくる――気配。

 床に密着した顔を、なんとか向けて、

 「ヒナ、ギさんっ……行って! 勿忘神を!」

 肺から空気を押し出した。

 ヒナギの足が止まり。

 駆ける――跳ぶ――いや、飛んだ。

 片手には扇子を握っていて。

 氷漬けを免れた数体が、慌てて彼女を遮ろうとするが、

 無駄だった。

 突破。

 花台の手前で、一度、着地をして踏み切る。

 西洋人形は、ふわりと浮いて、ヒナギから逃げようとする。

「『紙蝴蝶飛』の曲」

 紙が、生きた蝶のように、舞い。

 ふわふわと。はらはらと。

 それは、西洋人形が動きを止めて、思わず見惚れてしまうほどで。

 綺麗だ。

 ヒナギが扇を持ち上げて、稲妻が切るように。

 勿忘神の、身体を斬った。

 斬られた緑の欠片が靄となって、四鸞に吸い込まれていく。

 そのとき。

 勿忘神が、振り向いた。

 その姿は――人形ではなく、ドレスを着た、まだあどけない少女だった。

 緑色の、ドレス。

 ヒナギは四鸞から受け取った華紋(かもん)を、その輪郭を撫でるように、優しく彼女に渡してあげる。

 思い出しなさいと。

 それは言っているようで。

 綺麗だ。

 また思う。

 ほんとうにそれは――


 声がした。女の子の声だ。

 「――あたし、みどり色が大好き。このお部屋の色でしょ、それからこのおうちのまわりにある、葉っぱの色。それに、あなたのドレスの色。大きくなったら、あたし、パパにあなたとお揃いのドレスを買ってもらうの。だから――」

 声が消えていく、その間際。

 「だからずっと、お友達でいてね」


 終わった、のか?

 湿っていて黴臭(かびくさ)い臭いが鼻を刺す。冷たい床板に、ほっぺたを、べたっとくっつけたまま、新太は目だけを必死で動かしていた。

 相変わらず、身体はピクリとも言うことを聞いてくれない。

 唯一、分かるのは、勿忘神の気配が消えたことと、自分がうつ伏せに、しかもケツを思いっきり天頂に突き出した、間抜けそのものといった格好をしているということ。

 だが、身体が動かないのだから、どうすることもできなくて――さきほどから、しゃくとり虫状態、またの名をケツ富士山状態で、事態の動向を探っているのだ。

 「新太くん――」

 ヒナギに名前を呼ばれた。新太は頬と顎の筋肉を使って、なんとかそちらに頭を向ける。ささくれ立った床板が、ちくちくと頬を刺した。

 そこには心配そうに見下ろすヒナギの顔があった。長いまつ毛が影を作っている。

 「怪我は、……大丈夫、ですか――こふっ!」

 ヒナギが変な咳をして、顔をそむけた。口元を手で覆っていて、その肩が小刻みに震えている。あれ、これはひょっとして――新太は、寅福ばりのじと目を彼女に向け、

 「……いま、笑いました?」

 ヒナギが手を口に当てたまま、首を振る。

 「でも、俺のこと……笑いましたよね? しゃくとり虫とか、お尻富士山野郎とか、思ってますよね?」

 ヒナギが先ほどより強く、首を振った。その顔は真っ赤に染まり、結った後ろ髪が、犬の尻尾のごとく左右に振られる。

 「いいですよ、もう……自分でも分かってます。それより、早く起こしてもらってもいいですか?」

 「は、はい。でも、ちょっと待って、ください」

 いったい何が彼女の笑いのツボに入ってしまったのか――新太はヒナギが落ち着くまで、このままの姿で放置されることになった。

 五分後。

 深呼吸を二回して、やっと笑いから解放されたヒナギの手によって、新太は冷たい床とお別れすることができた。

 両肩を支えられて、何とか上体を起こす。

 「ありがとうございます。……なんか、出血のせいか、急に身体が動かなくなってしまって……面目ないです」

 「……闘具の気を使いすぎたのだと思います。闘具は、使用者の呪紋を吸って、それを気に変えています。注ぐ呪紋が多ければ、強大な力を発揮できますが、その分、使用者の気力や体力の減りも大きくなります」

 新太は、脇に転がっていた、木刀を見た。先ほど、自分の思いに応えてくれたそれは、今は纏う気も、光も失っていた。

 「闘具は諸刃(もろは)の剣なのです。これほど大きく力を使うのは、二度と――」

 ヒナギはそこで言葉を切って、小さく首を振った。

 「いいえ、違いますね。……今日は、新太くんのおかげで、助かりました。わたしだけでは、あの勿忘神を鎮めることはできませんでしたから。ありがとうございます」

 ヒナギは微笑みかけてくれた。

 それを見て、新太はやっと張っていた肩の力を緩めることが出来た。

 「そっか、……終わったんですね」

 ため息とともにそう言って、ゆっくりと頭を巡らせて部屋の様子を眺める。

 間取りや家具の位置は変わっていなかったが、明るかった雰囲気が一変、部屋は薄闇に包まれたようになっていた。

 正面のガラスが割れ、窓掛けは朽ちて一部しか残っていない。雨風が吹き込んだのか、床板や絨毯は腐って嫌な臭いを発していた。

 西洋人形が座っていた花台も、脚が折れていて――新太は床に投げ出された、その人形を見つけた。足にまだ力が入らなかったので、匍匐(ほふく)前進で近づこうと藻掻く。

 見かねたヒナギが立って、その人形と、何か紙切れのようなものを持って来てくれた。

 紙切れは――写真だった。

 ひとりの女の子が、満面の笑みをこちらに向けている。その胸には、宝石の付いた装飾品。小さなあどけない腕で、ぎゅっと、西洋人形を抱きしめている。

 まるで宝物のように。一緒にいるのが当たり前の、友達のように――それを見て、目頭が熱くなった。

 新太は、勿忘神の正体である人形の胸に、その写真をそっと返した。そして、寅福から預かっていた装飾品を、人形に持たせるようして置いた。

 花びらのような人形の唇が、笑うように揺れたのは気のせいだろうか――

 新太は静かに目を閉じた。

 おまえのご主人は大切に、ほんとうに大切に、してくれたんだね。

 大好きだったんだ。

 ふたりは友達で、ずっと、遊んでいたかったんだよね。

 もういいよ。

 迷わずに、あの子のもとに、行くんだ。

 ほら。

 これからはずっと一緒だから。

 新太は目を開ける。

 薄暗かった部屋に、一筋の柔らかい光が差していた。

 館を囲む木々が、風で揺らいだのだろうか――気まぐれな自然のいたずらは、でも、本当に綺麗で。

 優しくて。

 いつまでも包まれていたいと、新太はそう思った。


 ――吾妻橋(あづまばし)

 その欄干に肘をかけ、男は眼下に流れる墨田川を見つめていた。

 師走(しわす)を迎え、街は賑わいの中にある。浅草の中心に近いこの橋も例外ではなく、人はもちろん、橋の真ん中を馬車や人力車が、絶えず行き交っていた。

 人々は忙しなく浅草を、そして反対側の向島(むこうじま)を目指すのだが、その途中――欄干に肘を掛けて、眼下に流れる墨田川を眺める男の存在に気が付くと、皆一様に目を丸くするのだった。

 その男は年の頃なら三十前後か、痩せた身体に、ぴったりとした洋服を着ている。それだけならどこにでもいそうな青年だったが、異彩を放っていたのは、彼の髪だった。

 混じりっけのない、雪のような白銀。

 白髪――とも思うが、彼の年恰好からして、そぐわない。それがどうしようもない違和感を産むのだ。男の目が、線のように細いこともあって、まるで狐の化身のようだと――人々は好奇の目を向けていくのだった。

 しかし、当の男はそんな視線に慣れているのか全く気にせず、ぽんぽんと音を立てて川を下る一銭蒸気(いっせんじょうき)を、楽しそうに眺めている。

 その背中へ、

 「(おどろ)――」

 背の高い、総髪の男性が声をかけた。怪我をしているのか、片目を包帯で覆っている。

 「どうかしましたでしょうか?」

 棘――と呼ばれた白髪の男が、平板な声でそう訊いて、振り返る。総髪の男は、やや顔を上げて、

 「今、二結(ふたゆい)に連絡が入った。黒煉瓦館(くろれんがかん)の勿忘神が、鎮められた」

 それだけ言った。

 「そうですか、琴柱(ことじ)が……。あの子は、力は強かったですが、いかんせん子供でした。もう少し人間を殺す経験を積ませてあげたかったのですが、まぁ、こればかりは仕方ありませんね。いずれこうなると思っておりました」

 白髪の男は、空を見上げた。まるで狐が風の音を聞いているような、そんな仕草だった。

 「それにしても、五年前に花筏(はないかだ)がやられて以来ですか……。こちらの子が華紋師(かもんし)の手に落ちますのは。なかなかどうして、あちら様もやりますねぇ」

 どこか楽し気な声。

 対して総髪の男は、不満も露わに、

 「潰すか?」

 低い声で呟いた。

 「いいえ、まだそのときではありません。それにですね、十器(じゅっき)を作るうえで、華紋師の存在は一概に邪魔になるとは限りません。鉄に(きた)える(つち)が必要なように、あの子たちにも自身に立ち向かってくる存在が必要なのです。いたずらに人間の血を吸っていればいいというものではありません。道具というのは、使い込まれ、風雪に晒されてこそ、その魅力が上がるのですよ。新島(にいじま)様もそうは思いませんか?」

 尋ねられて総髪の男――新島は、肩をすくめた。そんな与太話(よたばなし)に付き合ってはいられないとばかりに、黙って歩き出す。

 人ごみに紛れんとする刹那、片目に強い光を宿して言った。

 「水無瀬(みなせ)さまの邪魔になるようなら――」

 「華紋師を殺す、ですか? やはり、水無瀬様、なんですねぇ」

 白髪の男は、新島の目を見て言った。

 「わたくしとて、このまま彼らを見過ごすつもりは御座いません。十器製作のためでしたら、多少、手荒な手段も使わせていただきます。その点は、誤解なきよう」

 棘は笑いながらそう応えて、線の目をさらに細めた。

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