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末っ子王子と寂しいお嬢様

作者: 袋小路 どうして

テンプレ婚約破棄芸が書きたかっただけなので、設定はガバです。


※感想・レビュー欄を閉じておりますが、ブックマーク・評価など有難く確認しております。何卒、御容赦ください。

 「すまぬな、リリアレット。おまえには別に良い相手を見繕う故、許しておくれ」


 国王は、申し訳なさそうにそう言いながら首をゆるりと振った。その声にはまだ迷いがあったが、穏便に済みそうな雰囲気に安堵しているようでもあった。

 抗うすべも持たぬちっぽけな辺境伯の娘が、頭を垂れたまま『感謝致します』とだけ言った。何も無い白い大理石の床を見つめ、リリアレット=ウォードは落ちそうになる涙をどう隠そうか考えた。『良い相手』など要らない、とそう言えたらどんなに良いだろう。そうするには、彼女は真面目すぎた。

「顔を上げておくれ」

国王が、気まずそうに言う。それは一方的な婚約の破棄を頼み込む側である自分に、相手の娘が頭を下げていることへの気まずさから出た言葉だろうか。リリアレット──リリアと呼ばれる彼女が顔をそろりと上げると、複雑な表情の国王と、涼しい顔を装いながらも頬を染める歓喜を隠しきれない公爵の娘、それから今日までずっと婚約者だった同い年の青年の姿がある。

 その青年、第四王子セオドア=アーレン=ヴィオカークは、眉根に少しの皺を寄せてリリアを見下ろしていた。リリアは、その整った顔を今は見ていられなくて、目を逸らして国王の顔をじっと見た。

 国王の横で、そわそわしている娘が嫌でも目に入る。きっと、彼女が自分の後に彼の婚約者になるのだろう。ドレープたっぷりのドレスが良く似合う可愛らしい彼女は、国王の仲の良い従兄の娘シャーロットだ。セオドアに想いを寄せていると、噂を聞いたことがある。いまも内心嬉しくて堪らないといった様子で、ひとつ隣りの彼の顔をしきりに盗み見ていた。そしてそんな彼女や側室の王女たちを、正妃との間に息子しか生まれなかった王は溺愛していた。


 セオドアとリリアの結婚は、生まれて直ぐに決められた政略的なものだ。リリアは王子に相応しい妃となるため、血のにじむ様な努力をしてきた。ダンスの練習で毎日靴擦れを作っても、王子と共に社交に出るため王都に一人残されても、文句一つ言わなかった。大好きなセオドアの隣に立つ妻として祝福されるため、愛されるために。その努力がいま、呆気なく水の泡になろうとしている。

 何年も前に、書面で固く交わされた政略結婚の約束も、王家の血を引く公爵家の娘が望めば、簡単になかったことになってしまう。その事実を身をもって知って、リリアはとてつもない虚しさを感じた。


 「では、我が息子セオドアとリリアレット=ウォードの婚約は、白紙とする」

そう言って国王が指先だけで合図すると、直ぐに一枚の紙が差し出された。『以下の者は、婚約の解消に同意する』と誰かの筆跡で書かれていて、その下に署名欄がある。王家との婚姻は、婚約の時点で契約書が交わされる。白紙に戻すときも、相応の手続きをということだろう。

 シャーロットの頬が、ついに薔薇色に染る。一応は此方に気を遣っていたが、もう堪えきれないといった様子だ。呆然とそれを見てから、リリアは宮仕えの者が差し出すペンを手に取った。こちらも悲しみを堪えきれずに、その手が震えてしまった。これでは、まともに字など書けないと他人事のように思った。

 必死に心を抑え、その紙に署名をしようとした時、視線の端でセオドアが口を開くのを見た。


 「やだ」


 それは、ひとつの恋が無念に終わろうというこの場に、余りにそぐわない稚拙な言葉だった。しかし絶対的な否定の意志を持って、謁見の間の隅から隅まで響いたその声は、憮然とした青年のものだ。

 国王もシャーロットも、端に控えていた宮仕えに至るまで、全員表情を凍らせて一点を見つめていた。ただ、リリアレット=ウォードだけが、賢そうな顔をくしゃりと歪めてその青年の童顔を見ている。

「…セオドア殿下…」

 コツと小気味よい足音を立て、その王子は階段を下った。輝くような金の髪に、明るい翡翠色の大きな瞳を持った、大人びていつつもほのかに可愛らしさを感じる甘い顔立ち。細長い脚が迷いなく進む様は、誰がどう見ても高貴な美青年である。誰もが溜息をつくようなそれを、しかしリリアは半分以上苦しい心地で見守った。

 この期に及んで傍にいたいと思ってしまうのを、煽るようなことをしないで欲しかった。セオドアは、リリアの初恋の相手である。昔から、聡明で優しい心根を持ち、それでいて末っ子気質の甘え上手な性格で、少しだけ我儘で狡賢い男の子だ。いつもうまいことを言って、生真面目なリリアを丸め込んでしまう。そんな彼が、リリアは好きだった。だからこそ、黙って去ってしまいたかったのだ。必要以上にここにいたら、許されないことを言いそうで。

 「殿下」

「いやだ」

心を読んだかのように、セオドアは即答した。憮然とした眉根のしわが、彼の意志が固いことをリリアに伝える。リリアは、ちらりとシャーロットを窺った。彼女は信じられないといった顔で、固まったまま此方を呆然と見ていた。リリアは、必死にご機嫌斜めの婚約者を宥める。国王と、彼が溺愛する親戚の機嫌を損ねては、何があるか分からない。

「しかし、わたくしよりもシャーロット様とご結婚なさる方が、殿下にとっては宜しいことです。より相応しい方に望まれたのですわ、殿下」

「リリアは、俺が夫じゃ嫌なの?」

セオドアが、リリアの顔を覗き込んでそう尋ねた。

 リリアはついに、胸が詰まるような心地を覚えた。そんな訳、ないではないか。彼が居たから、リリアは辛い教育にも耐えられた。王家に嫁ぐ者の教育は、流行の小説に書かれるような、そんな優雅なものばかりではない。それでも努力を続けてこられたのは、セオドアの妻になりたかったからだ。

 その結果が、この別れ。辛くないわけが無い。

「…それを、今ここで申し上げよと、そう仰るのですか」

手に、額に、公爵令嬢の視線が刺さる。少なくともこの場では、彼女に比べたら蟻のごとく矮小な自分に、そんなことが言える訳がない。いま本心を彼に語り、その意思と王命に背くことなど出来ようもない。国王が、哀れなものを見るような表情をしていた。

 一瞬目を瞠ったセオドアが、リリアの手に触れた。

「ごめん、リリア」

鼻の奥がつんとして、何も言えなかった。ただ青年のその手を解き、握ったままだったペンで殴り書きのように自分の名前を紙に書き、後ずさるように数歩下がって、頭を下げる。不規則な波模様を描く大理石が、涙に滲んだ。

「…失礼致します」

これ以上、ここに居られない。許可なく国王の下を去るのは、不敬だと知っていた。それでも、セオドアの顔を見ていられなかった。覚束無い足取りで走り去る少女を止めるものは、残された青年が婚約者の名を叫ぶ遠い声だけだった。


 背後で無情に閉じる扉の音が、これで終わりだと告げるようにリリアレットの胸に響いた。



 あの日から、数日が経った。リリアは、自分の他には最低限の使用人しか居ない屋敷で、自分の机の上を眺めている。本当は、新たな婚約者を探すために社交界に出るべきなのかもしれない。しかしリリアはもうずっと何日も、眠り、起きてはずっとこうしていた。

 机の上には、これ迄セオドアが多忙な中を縫って送ってくれた手紙やプレゼントがまとめて置いてあった。あの日王宮から帰って、持っていると辛くなるから処分してしまおうと出したきり、どうにも出来ないでいるのである。

 セオドアが、リリアの為にと用意してくれたもの。どれも本当に嬉しくて、大事なものだった。お礼を考えるのに、いつも悩んでいた。

 彼が、最後にリリアを呼んだのに返事をせずに来てしまった。きっと、気を悪くしただろう。机の上から溢れんばかりの贈り物が語るように、彼はたくさんの愛と優しさをくれたのに、自分はそれに背いてしまった。もう手紙も小包も来ないのを、自分勝手に嘆く権利などないと、リリアは自分に言い聞かせてばかりいる。これで正しかったのだと。今更会いたいなどと、願う資格などないと。

 シャーロットは、可愛らしい娘だ。明るく、愛想もよく、美しい。理窟っぽいとか可愛げがないとか、影でそんなことをよく言われるリリアレットよりも、きっとセオドアにお似合いだ。彼女といる方が、きっと彼も幸せになる。そう、思うしかない。

 自分で捨てると決めたのに、一つ一つ机の上に出す度にどうしようもなく悲しくなって、遂にどうすることも出来なくなってしまった。そうして、いまも何をするでもなく机の上を見て、思い出と別れの痛みに無意味に浸っているだけだ。空虚で、進みの遅い一分一秒を過ごしながら、リリアは振り払うように先日送った手紙の事を考えた。

 あれから、リリアは辺境にいる父へ婚約が破棄になったことを伝える手紙を書いたのだ。王都から馬車で四日ほどもかかる遠い領地へは、手紙が届くのは遅いし、もちろん返事もすぐには来ない。しかしそろそろ、返事か遣いか、何かしらがある頃だ。


 リリアレットは、領地の辺境を守る軍人の娘である。隣国との国境に近い要である領地を任されて以降、ウォード辺境伯家の男児は代々優秀な軍人を排出し、王家に仕えてきた。この国では、女性は従軍することはない。あの家で、女児であるリリアにできることは、良い婚姻関係を結ぶ事くらいである。

 生まれて直ぐに第四王子との婚約が決まり、物心着く前から妃教育を施され、十三になると社交界に出た。セオドアの婚約者として恥ずかしくない振る舞いをと、尽くしてきた。

 今代の辺境伯である父と嫡男の弟は、辺境から離れることは殆ど無い。夏を終えると、王子の婚約者としての役割のためにと、リリアは一人でタウンハウスに戻される。しかし、それももう終わりだ。

 リリアは、領地に帰っても良いかと手紙に書いた。両親が、長子であるリリアを男の子だったら良かったのにと思っている事は知っている。だから、彼らはリリアに対して明るく接してはくれない。手紙のやり取りも、たまに報告しなければいけないことを書くくらいで、返事も素っ気ないものだ。ただ、王家のとの婚姻関係を結ぶ存在として、育てられてきた。それを失った今、もしかしたら冷たくされてしまうかもしれない。

 しかし、セオドアという心の拠り所を奪われたリリアはもう、王都では一人ぼっちだった。使用人は、主人でもない自分とは、積極的には話したがらない。ずっと、そうだ。それでも、面倒を見てくれたことに感謝はしている。だから領地に帰る前に、もっと良い家へ紹介状を書こうとリリアは思っていた。

 領地に行けば、仲のいい女中がいる。毎年、夏に帰ると甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、リリアの話し相手になってくれる女の子だ。彼女に、会いたかった。


 「お嬢様。お客様がお見えです」

侍女が、ノックをしてそう言った。変わらずに茫然としていたリリアだったが、手紙ではなく来客だという侍女の言葉に、我に買って首を傾げる。

 この家で来客と言ったら、それはつまりセオドアのことを意味する。父への客人は、父に手紙をよこして直接父の元へ出向くか、王都なり自分の領地なりに呼び出すのだ。ここを尋ねるのは、リリア本人に用のある人間だけ。そんな人間は、彼以外にいなかった。リリアは、自ら茶会などを催すような性格でもなければ、立場でもない。

 「何方なの?」

リリアが聞くと、侍女は些か気まずそうに答えた。


 「…セオドア殿下です」



 なんの間違いかと、侍女に通してと伝えながらもリリアは思った。彼女はもう、セオドアの婚約者ではなくなってしまったのだ。頼りない紙、たった一枚へのサインで。だから、彼がこの家を訪れる理由など、もう無い。

 リリアを呼ぶ声を無視をして、無理やり出てきてしまったことを、責められるのだろうか。逢いに来てくれたのだろうかという、否定しようの無い期待の裏で、不安が疼いた。リリアはあの日、彼から逃げたのだ。自分の感情を優先し、彼の立場など少しも考えていなかった。責められるだけの咎が、リリアにはあった。


 ノックして客間の扉を開けると、セオドア=アーレン=ヴィオカークは傾けていたカップを置き、いつものように人当たりの良い笑みを浮かべた。二人がけのソファの空いた席に、可愛らしい花束と小洒落た箱が置いてある。まるで、手渡されるのを待っているかのようにも見えた。

 つい、勘違いして舞い上がってしまいそうになるのを振り切って、リリアはカーテシーを取った。ふっと笑うような息の後、彼は朗らかに彼女の名を呼んだ。

「やあリリア、久しぶりだね。先触れもなく押しかけて、悪かった。顔を上げて欲しいな」

「セオドア殿下…」

躊躇いながら、リリアは面を上げた。するとセオドアは嬉しそうに整った顔を綻ばせ、脇の花束を持って立ち上がった。

「この花束、どうかな?小さいけど、リリアはこういうのの方が好きだと思って。あっちは焼き菓子。王都の外れにある店なんだけど、最近人気らしくて」

リリアは彼が差し出す花束を、恐る恐る受け取った。たった数日前の出来事が、まるで夢だったんじゃないかと言うほど、目の前の男はいつも通りだ。

 「…ありがとうございます、殿下。とても素敵ですわ」

小さな声でそう言ったリリアを見て、セオドアは目を細めた。澄んだ翡翠が、寂しげに揺らぐ。

「そんな顔をしないで、リリア。俺のこと、もう嫌いになった?」

「いいえ。いいえ、そうではありません。わたくしは、貴方様にお会いしたかった…。でもそれは、殿下、わたくしは──」

「リリア」

落ち着かせるように、彼が名前を呼んだ。

 優しい声で語りかける彼に、感情の箍が外れてしまう。何を言うのが正解か、考えれば考えるほどぐちゃぐちゃになっていく。いつの間にかまぶたに溜まっていた涙を、青年の指が拭う。

「俺も会いたかったよ」

セオドアは嬉しそうにそう言いながら、リリアの指先に甘えるようなキスをする。そうしてから、棒のように立つリリアを向かいのソファに座らせた。


 セオドアはソファに座り直すと、リリアの顔を大きな瞳で見ていた。リリアはまだ困惑を隠しきれないまま、王子の視線を避けも出来ずに見返した。

 彼は、何を伝えにここに来たのだろう。もう、婚約者ですらないリリアレットに。咎めるために来たのではないとすれば、戯れか。

「何の連絡もなくてごめんね、リリア。手紙を出せたら良かったんだけど、辺境に行ってて忙しくてさ。今日はその帰りなんだ」

「いいえ、殿下…。それよりも、お聞きしたいことがあるのです」

「勿論、いいよ」

セオドアは、躊躇いもせずそう頷いた。

「…何故、此処へ?シャーロット様の元へ、お戻りになるべきです。辺境へ行かれていた帰りなので御座いましょう?きっと、心配されて──」

「嫌だよ」

遮るように、セオドアが言った。あの日と同じ、短くも確固たる否定だった。

 セオドアは、末っ子だからか元々少し我儘な所がある。しかし、それは他愛もない可愛らしいと言える範囲に留まっていたはずで、婚姻のような、国に関わる重大な案件に対して意固地になることは今まで一度もなかったというのに。

「殿下…なりませんわ。わたくしは、もう貴方様の婚約者では──」

「婚約者だよ。だって俺、同意書にサインしてないし」

「…え…?」

あっけらかんと、セオドアは言った。リリアは、思わず目を瞠る。

 彼は、何を言っているのだろう。確かに、リリアは婚約解消の同意書にサインをした筈だ。あのあと、国王の目の前でセオドアも同じようにしたのでは無いのか。この婚約解消は王命で、尚且つ国王の承認が必要なのだから、それが普通だ。

「わざと誤字して、逃げてきたんだよ」

「…そんな、どうして…」

リリアは、一瞬言葉を失ってしまった。今まで、そんな愚かなことをする人ではなかった。甘えたがりな末っ子と言われても、彼は優秀な人だった。何故、こんな事になってしまったのだろう。

「だってリリアとの結婚がなくなったら、シャーロットと結婚しなきゃいけないだろ?俺、無理だもん」

「そんな事、シャーロット様は納得されません!」

王族の結婚は、そんなに簡単ではない。受け止めきれないリリアの顔を見て、彼は苦笑した。

「嫌だな。何も考えず、ただ逃げてきたわけじゃないよ。そんな事をしたら、大事なリリアにまで余計な苦労を掛けるじゃないか」

「…」

不安そうに、リリアは押し黙る。セオドアは婚約者から目を逸らさぬまま、言葉を続けた。

「あれからすぐ公爵の所へ行って、チクったんだよ。お嬢さんが、権力を使って婚約者の居る王子に横槍入れて来ましたよってね。あの人はそういうの嫌いだって知ってたから、シャーロットも黙ってたんじゃないかな?驚いてるなと思ったら、物凄く怒って飛び出して行ったよ」

セオドアは、そう言いながらくすくすと笑った。

「公爵は父上と親しいから、堂々と物申せるよ。今頃、こってり絞られてるんじゃないかな?まあ、自業自得だね」

「…しかし殿下、わたくしと違って、シャーロット様は陛下の親族のお嬢様で…」

「関係ないよ。あのね、リリア。王家の血筋だろうが公爵令嬢は公爵令嬢だよ。こちらが望んだ訳でもないのに、王子の婚約を都合よく消そうとしたんだから、明らかに不敬だ。賢い君なら分かるだろう?当然の報いどころか、父親の説教程度で済むのだから感謝して欲しいくらいだよ」

背中を深くソファーに預け、やれやれといった様子でセオドアは溜息をついた。彼の言うことが理解できないリリアではないが、まだ体のあちこちに残る、あの視線が刺さる感覚が彼女を不安にさせる。

 「で、でも、公爵家と繋がりが深まる方が宜しいのでは?」

「いや、元々割と近い血縁で仲もいいし、そういう意味じゃ必要無いと思うよ?あの子の我儘という以上に、意味があるとは思えないね。ウォード辺境伯家との婚約の方こそ、優先されるべきだ」

「それ以外の意味も、きっとあるはずです」

「政治的な発言力とか?期待できないと思うよ。俺、王子と言っても四番目だもん。そもそも、公爵はもう結構な立場があるし。シャーロット自身に、そんな野心があるとは思えないなあ」

「…」

リリアは、遂に返す言葉をなくした。

 不安な気持ちに任せて次々と言い募るリリアから、セオドアは視線を逸らさない。

「…お父様に、もうお手紙を書いてしまいました」

蚊の鳴くような声でやっとそう言い、リリアは俯いた。そんな彼女を見てもセオドアは表情を崩さない。

「ウォード辺境伯にも会ってきたよ。君の手紙より、俺の方がちょっとだけ早かったみたい」

「…じゃあ、辺境へ赴かれたというのは」

「うん、ウォード領にね。横槍があったけど、俺は何がなんでもリリアをお嫁さんに貰うって、言いに行ったんだよ。辺境伯もビックリしてたけど」

そう言って、セオドアはまた笑った。

「俺が辺境伯の所にいる間に、丁度君の手紙が着いたから、返事の代わりに言伝を預かってるよ。俺と仲良くするようにってね」

ちょっと無理したけど行ってよかった、とセオドアは言った。

「でも、セオドア殿下。王命は絶対だと──」

「またテディって呼んで欲しいな」

セオドアは未だに不安で、今にも潰れてしまいそうなリリアの声を穏やかに遮り、愛称で呼んでくれと乞うた。

 テディと言うのが、彼の名の綴りからとった愛称だ。まるでぬいぐるみの様な可愛らしいそれは、元々彼の兄たちが末弟を揶揄う目的で使っていた物だが、セオドアはリリアレットにだけ使うのを許していた。と言うよりも、そう望んでいた。

「ねえリリア、俺、結構頑張ったんだよ」

細い脚に上半身を預けるようにして、セオドアは上目遣いにリリアを見上げた。甘えるようなその仕草が、リリアの心臓をきゅうと締め上げる。彼のこの表情を、無碍にできたことが一度もない。

「父上にはもう公爵から苦言が言ってる筈だし、俺だってとっくに書簡を出してる。巫山戯んなってね。あの人は元々身内の女の子に甘いけど、今回のは度が過ぎてる。その位、本人にも分かるだろうさ。腐っても国王だからね。何も心配いらないよ、リリア。俺は、全部万全にしてからここに来たんだから」

父親を散々に言う王子の言葉を、呆気に取られながらリリアは聞いた。

 「…この間は、傷つけちゃったね」

「テディ様?」

ふと陰った翡翠の瞳を、リリアは驚いて見詰めた。

「リリアが、俺の事を愛してくれてるのを知ってたのに、酷いことを訊いた。悪かった」

物憂げにリリアの手を取って紡がれたセオドアの言葉に、顔が熱くなる。異性など、彼の他には知らないリリアの好意は無垢で、わかり易い。

「謝らないで下さい、テディ様。わたくしの方が、失礼な態度をとりました。申し訳ございません…」

声が、みるみるうちに萎んだ。いつもは謙虚でありつつも誇り高いリリアレットが、すっかり縮こまっている。セオドアは、震える細い手を握る力を強くした。

 「君が悪いんじゃない」

婚約者の優しい声が、リリアの耳に届く。それは鼓膜の奥に暖かく残って、少女の顔を上げさせた。

「寂しかったよ、リリアレット。本当はすぐにでも会いに来たかったけど、安心できるようになってからじゃないと、君は納得しないと思って。…俺は未熟だけど、君だけはもう傷つけないって約束する」

両手でリリアのか弱い右手を包み、セオドアはひとつひとつゆっくりと言葉を紡いだ。

「だから、俺の婚約者で居てくれる?」


 大きな眼を揺るがせて見上げてくる、大きな犬のような彼の態度に、リリアは殆ど反射的に頷いていた。



 その後、セオドアに連れられて王宮の謁見の間を訪れると、国王は済まないと肩を落とし、婚約の解消を撤回した。シャーロットは連れ帰られたかその場にいなかったが、公爵が二人に頭を下げた。リリアは、未だ感情の整理がつかぬままそれを見ていた。

 前回来た時とは真反対に、セオドアはとても機嫌が良くて、リリアの傍にぴったりついたまま離れようとしなかった。それどころか、さらに数日経った今日まで、隙を見て毎日必ずリリアの家に顔を出す。セオドアは王子なのだから、本当はリリアの方から行くのが普通なのに、何度言っても聞かない。

 もうひとつ驚くべきことは、父から近況を問う内容の手紙が届いたことだ。放ったらかしにして済まなかった、これからはこまめに手紙を送ると、そう書いてあった。なんとか時間をとって、王都に戻るとも。

「ああ、彼なりにリリアを独りぼっちにしてたのは気に病んでたみたいだよ?男の子だったらって言ったのも、反省してたし。彼、軍人としては素晴らしいけど、そういう所は不器用だね」

セオドアに報告すると、彼はそう言って笑っていた。


 「辺境伯は、いつ頃来るのだろうね」

客間のソファに悠々と腰かけ、ティーカップを傾けながらセオドアが言った。

「どうでしょう。両親も弟も、忙しいでしょうから」

「そうだね。まあ、俺としては暫くこのままでもいいんだけど」

二人きりだしとおどけたように彼は言って、嬉しそうに笑う。リリアは少し恥ずかしくなって、まあとだけ言った。

「ねえリリア」

「はい」

律儀にカップを置いて返事をするリリアを愛おしげに見つめ、数拍の後にセオドアは言った。

「愛してるよ」


 リリアは困ったように少しだけ笑って、またはいと言った。

こういう王子は、特定の兄貴と滅茶苦茶仲悪いといいな!

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