工房は町の外れのあった。
ちょっと短めです。
夏休み後半って忙しいんですよね。
工房は町の外れにあった。すぐそばに水路が流れている。工房に水車が付いていて回っている。煙突が付いているということは、炉があるということだろう。建物も今まで与えられてきた物よりも大きく、中も広い。全てが要求通り。控えめに言って、最高だ。
「僕は、第一部隊は嫌いだけど、第一部隊のこういう所は好きだ。」
「別に聖教会に所属しているから第一部隊が嫌いなだけで、人としては部隊長も副部隊長も気に入ってるんでしょ?」
「まぁ、あの腹黒さも嫌いではないね。少なくとも、僕がまだ退魔士だったら、よく連む仲だっただろうな、とは思うよ。」
「それにしても、随分とロストファントムを評価してるんだね。アレクサンダーは。」
「評価ねぇ……。」
工房は最高だ。普通の錬金術師なら喜ぶだろうが、ロストファントムは素直に喜べない。なぜなら、あの男の中のロストファントムの評価が上がっていないことを知っているし、いつもなら要求通りの工房が用意されていることはないからだ。
「……これ、ユリエラの優しさじゃないかな。」
言って思った。それって最悪じゃないか、と。
玄関には、アレクサンダーの言った通りに素材が届いていた。箱を開ければ、要求したものが全て入っていた。それも、全て最高級品。かつて、要求したものが最高級品で、全て用意されていたことがあっただろうか? 無いと断言できるが故に、嫌な予感は高まっていった。
「さすがに、ユリエラの優しさでも、これは無いんじゃないかな。俺が思うに、ユリエラは要求以上のことをしてくれる人間じゃないと思うんだけど。」
「大丈夫だよ、ファイ。これは、アレクサンダーが用意した物だ。工房はユリエラ、素材はアレクサンダーが指示を出したんだろうね。」
ユリエラの優しさとアレクサンダーの最大限の思いやり。仮説基地の前で待っていたユリエラといつも以上に苛ついていたアレクサンダー。
「まずいね。」
ロストファントムが呟いた。
フィランは草原の真ん中にある町だ。そして、ここ以外に草原にある町は無い。聖教会と異教徒との間に唯一ある町を、異教徒はそうそう簡単に落とすだろうか。
「争った形跡はあまり無かったよ。ここで聖戦があったはずなのに、町はおそらく戦前と変わりない生活を送っている。町の住民も聖教会を悪く思っていない。はっきり言って、異常だ。」
ファイの報告は、ロストファントムの予測を確信へと変えた。
「聖教会史上、類を見ない展開だ。おそらく聖教会は、第一部隊を切り捨てるつもりだ。」
今まで色々あった。工房がしょぼかったり、成果を他の人間にとられたり、時には暗殺されそうになったり、最前線ということで敵に殺されたことにしようとされたり。けれど、第一部隊ごと切り捨てられそうになったことはなかった。
机の上に広げられたこの町の地図を見た。円形の町と二つの丘が描かれている。現在、南下中の第一部隊は、この町に北からやって来た。二つの丘の間からこの町に入ったと言える。
「……ロストファントム。」
「気づいたみたいだね。」
「……なんでこの町、北側にしか壁がないんだい?」
防御壁は普通、全方位を守れるように守りたいものをぐるりと囲むように作られる。しかし、フィランは北側のみ。しかも、丘の間だけ。南側は木の柵が立っているだけである。その方が放牧しやすい、予算の都合で作れなかったなどの理由が考えられるが……。
「罠だね。」
ロストファントムは言い切った。はっきりと、いい笑顔で。それはもうすっきりしたとでも言うかのように。それを見たファイは思った。こいつ分かってたな、と。
地図を見れば見る程分かってくる。まるで、川の下流に網を張り、上流から追い込む漁のような罠。この後やってくる出来事は、聖騎士隊のさらなる進軍ではなく、異教徒の軍勢による追い込み漁。
「聖教会からの援軍は?」
「期待できないだろうね。」
ファイの問いかけにあっさりと返したロストファントム。
「だって、聖教会にとって第一部隊は邪魔だろうから。」
「なんで?」
「聖教会を作った七人が、それぞれのお気に入りを集めて作った部隊だから。飲みの席で気分が上がって作った名簿を前教皇が面白がって採用したって感じかな。」
「……それ、ユリエラには言わない方が良いと思うよ。」
「……そうだね。」
容易に想像できてしまった。怒りに身を任せて笑顔で前教皇に剣を振り下ろすユリエラの姿を。そして、忘れることにした。実際、第一部隊は実力者が揃った部隊だ。たとえ、面白がって作られたとしても、かつての序列一桁台の人間のお気に入りの集団。作られた背景さえ忘れれば問題ない。
わざとかかった罠。第一部隊の人数は、聖騎士隊の中で最も少なく、約百人。その中で、魔道士は僅か十人のみ。援軍は見込めず、異教徒の軍は最低でも千に及ぶだろう。
「どうするんだい? ロストファントム。それとも、フェナ・ムーンシュトリと言った方がいいかな?」
ファイはロストファントムに鋭い視線を向けた。戦いにフェナが出るか出ないかで、結果は大きく左右されるだろう。それほどまでに、死神は強い。
「さぁね。今の僕は錬金術師ロストファントムだ。できれば、フェナにはなりたくない。」
ロストファントムだって分かっている。いくら精鋭揃いの第一部隊でも、今回の戦いは厳しいものがある。しかし、第一部隊と心中はごめんなので出来る限りではあるが、フェナ・ムーンシュトリは行方不明のままにしておきたい。
「アレクサンダーが泣いて縋ってきたら助けてあげようかな。」
「悪魔だ。」
「まぁ、僕は前教皇じゃないから冗談だよ。」
にこにこと笑うロストファントムと頰を引きつらせたファイ。
「前教皇って……。」
「僕はあの人と行動し始めた時、悪魔って実在するんだなって思ったよ。あれは、見てて引いたね。」
思い浮かぶのは、泣きながら前教皇に縋り付く異教徒の女とそれを見ながら満足そうに「助けてあげよう」と言う前教皇。元から助けるつもりだったのに、女が泣くまで待ったのだ。さすがに可哀想だったので、後でお菓子を持って行ってあげた事を覚えている。ちなみに、ロストファントムが笑っていられるのは、被害者ではないからだ。
素材を作業部屋に入れ、足りないものが無いかを確認し終わると、もう日が傾いていた。
「部屋は二つあるから、僕こっちね。ファイは左側。」
「了解。お風呂付きらしいから、ロストファントム先ね。あがったら呼んでね。」
てきぱきと動いていく。
「夜ご飯は……。」
「俺が作っておくよ。早く寝たいんでしょ、ロストファントム。」
「ファイも早く寝た方がいいよ。」
出来る限り早く寝て、明日の朝早くに起きたい。
「なにせ、明日から光の天使の伝説の本格的な調査に入るんだから。」
今までは、調査資料にあった「本当にちゃんと調べたのか」と言いたいほど雑な情報しかなかった。けれど、明日からは自分たちで調べることが出来るのだ。そして、この町の人間ですら知らない天使の正体を知ることが出来るかもしれないのだ。ロストファントムが、楽しみである事を隠せないのも無理はない。錬金術師でないファイですら気分がいいのだから。
結局、全てを早く終わらせてそれぞれの部屋に行ったのにもかかわらず、楽しみ過ぎて眠れなかったのはお互いに秘密である。そして、明日の朝になって二人して寝坊し、必死で言い訳を言い合うことになるのだった。