天使の伝説が残る町、フィラン。
気候の話はなんとなくです。
科学的根拠とかはないです。
天使の伝説が残る町、フィラン。小高い丘の上にあるこの町は、北東と北西にも丘がある。日差しは強いが、気温はあまり高くない。日の出ている時間が短いからだろう。町の周囲は一面草原で、牛や羊が放し飼いにされている。草原のあちこちに黒と白の点が見えた。基本晴れているが、季節によっては雨が大量に降るらしい。砂漠になっていない理由はそれだろう。
過ごしやすい町だ。ファイは馬車を降りた時にそう思った。伸びをして大きく息を吸うと新鮮な空気が入って来て気持ちいい。今回は当たりだ。ゆくっりしようと思ったその時だった。隣から大きな溜息が聞こえてきた。もちろん発生源はロストファントムである。
「町に入ってすぐに溜息はやめてよ。」
「町に入ると憂鬱になるから仕方ない。慣れて。」
なんとも理不尽な要求だが、ロストファントムが憂鬱になる理由がファイには理解できるので我慢してもいいか、とも思った。
ロストファントムは聖騎士隊に挨拶に行かなければならない。というのも、ロストファントムは聖騎士隊所属の錬金術師だからだ。
聖教会は大きく分けると二つの組織によって成り立っている。武を担う聖騎士隊と知を担う聖書隊の二つだ。魔道士隊は聖騎士隊に、聖歌隊は聖書隊に所属していると言える。錬金術師は厄介なもので、兵器開発を行う錬金術師は聖騎士隊、暮らしの発展のために開発を行う錬金術師は聖書隊に所属している。
誰でも上司への挨拶は嫌だろう。少なくとも好きな人間はいないと思う。
「挨拶をするくらいなら一人で敵陣の中に置いて行かれた方が良い。」
「そこまで言うのは珍しいね。」
「この町にいるのは、第一部隊なんだよ。」
「……最悪だね。」
ファイは部隊長と副部隊長の名前を思い出して、ロストファントムに同情した。
部隊長アレクサンダー・ブレヴェット。見た目はとっても良い人だ。普段は近所の頼れるお兄ちゃんのようで、戦場では威厳溢れる聖騎士である。それだけなら別に良い。問題は、それらが全部計算されたもので、実際は腹黒い野心家であると言うことだ。話しているだけで胃が痛くなり、話し終わると猛烈な疲労に襲われる。
副部隊長ユリエラ・スカラコッド。いつも聖騎士であるということに誇りを持っている聖騎士で、お姉様というあだ名がある。怒ると怖いし、訓練中は厳しいがとても頼りになる、というのが彼女の部下の証言だ。が、アレクサンダーの右腕になれる人間がそんな良い人なわけがない。ユリエラが優しければ優しいほど成果を求められているということで、錬金術師からしてみれば、いつも顔色を伺わなければいけない相手だ。
動物は部隊長の執務室には入れない。けれど、ファイは人間の姿でも入れない。何せ、大罪人で指名手配犯だ。町でも人相書きをよく見かけるほどである。ゆえに、ロストファントムは一人でこの二人と対峙しなければならない。
「……帰ってきたら工房を見に行こうね。俺は町で情報収集して来るから楽しみにしててね。」
「頑張るよ。これも研究予算のためだしね。いい素材くれるし。」
「うん。神の為がカケラもないことが引っかかるけど、無事を祈ってるよ。」
ロストファントムの後ろ姿は死地に行かなければならない騎士のようで、退魔士だったとき一人で千の騎士と戦い勝った人間とは思えなかった。ちなみに、一人で千の騎士と戦ったというのは事実で、聖教会内部で語り継がれる伝説となっている。
聖騎士隊の仮設基地の前で、ロストファントムは早くも心が折れそうになっていた。
「ユリエラ・スカラコッド副部隊長。なぜ外に? 」
「貴方を待っていたからに決まっているでしょう。ロストファントム。」
聖騎士隊の制服をきっちりと着こなし、背筋を伸ばして入口の前で立っていたユリエラ。その顔には笑顔が貼り付けられていて、恐ろしい。ロストファントムが思わず一歩後退りしたのも仕方ないだろう。
「行きますよ。ブレヴェット部隊長が待ってます。」
「僕は期日に間に合っているはずなんだけど。」
「前の町から一ヶ月も余裕がありました。なのに、今日は期日当日です。今後は三日前には着くようにしなさい。」
「……はい。」
後にロストファントムは語った。あの時のユリエラ副部隊長ほど怖いものは後にも先にもない、と。
ユリエラに連れられて入った執務室。満面の笑みで佇むアレクサンダー・ブレヴェット部隊長ともう既に疲れ切っているロストファントム。誰が勝つかなど目に見えていた。
「錬金術師ロストファントム、ただいま着きました。」
「遅かったね。もう工房の手配は済んでるし、必要だと言っていた物は全て届いて工房に運び終わってるよ。」
「ありがとうございます。」
「なぜ遅かったのか、言えるよね? 」
震え上がるほどの威圧感がロストファントムを襲った。それに抵抗する気すら起こらなかったロストファントムは、あっさりと白状した。
「途中で遺跡を見つけたので、寄りました。」
「へぇ。聖騎士隊の司令でこの町に辿り着くよりも遺跡に寄り道することの方が重要だったのか。それで? 」
深まる笑み。さらに痛む胃。工房を見る前に胃薬を飲んだ方がいいかもしれない。
「瓦礫が多くすぐに使えそうな発見はありませんでした。」
「成果無しってこと? せっかく寄り道して期日ギリギリまで聖騎士を待たせたのにね。」
「いくつか面白い跡がありました。それ一つでは何にもなりませんが、何らかの根拠になる物と考えています。」
「君はこの町に何かあると思っているのか。」
「はい。確信しています。」
ロストファントムが二人の前ではじめて笑った。
聖騎士にとってこの町は草原の先にある国を攻めるための足がかりでしかない。それはそれで重要だが、聖騎士隊はいざとなれば草原に新しく砦を築いてもいいと思っているので、最悪無くてもいい。しかし、錬金術師にとってこの町は、喉から手が出るほど欲しいものだ。正確にいうと、この町はどうでもいい。この町に残る光の天使の伝説が重要なのだ。
考えれば考えるほど、ロストファントムの笑みは深まる。退魔士だった頃は戦うことが楽しかったが、今は新たな発見や実験をする方が楽しい。おそらくこの地の天使を暴くのはとても面白いだろう。
「光の天使ですよ。ブレヴェット部隊長。僕は、あの伝説に何かあると思っています。」
「光の天使の伝説か。確か報告書にもあったね。」
「その伝説がどうしたというのですか? 」
ユリエラの言葉を聞いたロストファントムは、ぞっとするような笑みを浮かべた。それは、目の前に肉を置かれた猛獣のようで、アレクサンダーは思わず笑みを消した。自らの下にいて、戦えないはずの錬金術師に恐れを抱き、そして、恐れを抱いたことに驚いたのだ。
「僕は光の天使を見つけ出す。そして、そんな美しい生き物は存在しないと証明しましょう。」
ロストファントムは満面の笑みを浮かべて出て行った。入ってきた時の小さく固まった姿を想像できないくらいに堂々と。
ロストファントムの出て行った部屋は静まり返っていた。そこにアレクサンダーの笑い声が響いたことに、ユリエラは目を見開いた。声をあげて笑うなんて滅多にないことだからだ。
「はじめて知ったよ。稀代の錬金術師ロストファントムを。」
誰もが震え上がるなんて馬鹿げていると思っていた。あんな小さなか弱そうに見える存在に震えるなんて、と。稀代の錬金術師と言われても、所詮は戦えない人間だと下に見ていた。
今ならわかる。欲を丸出しにしたからこそ壮絶なまでに美しく、それ故に恐ろしい笑み。視線はアレクサンダーを見ていた筈なのに、あの瞳に映っていたのは、羽をもがれた天使だろうか。全身から漂わせていた天使への殺気は、戦う者の殺気だ。
「ロストファントムの噂を知っているだろう? 」
「真の姿を見た者は生きては帰れない、ですか? 」
「あの噂、案外本当なのかもしれないね。」
あの殺気は人を殺していないと出せない殺気だ。今までの思い込みが覆されていく。その感覚をアレクサンダーは面白いと思った。
ユリエラがふと疑問に思ったことを口にした。
「ロストファントムは何者なんでしょうか? 」
その疑問は最もだろう。ある日突然現れ、まるでそれが当然かのように最前線にいるのだ。新しい物を生み出しては順調に評価を上げていく。さらに、ロストファントムの後方支援は的確で聖騎士達に人気だ。まるで、聖騎士隊の戦い方をよく知っているかのようだったと部下が言っていたのだ。
アレクサンダーは思い出した。何故、今思い出したのか分からないが思い出した。
「……死神フェナ・ムーンシュトリ。」
かの者の歩いた後に生者はいないと言われ、聖教会を作った者の中で最も恐れられた十代の少女。突如として姿を消した人物。
「まさかね。」
年齢は同じくらいかもしれないが、性別が違うし。苦笑いをして、その考えを頭の隅に追いやった。
アレクサンダーは知らない。ロストファントムは少年ではなく少女だということを。そして、自分が答えにたどり着いていることを。




