135 天空迷宮、その6です。
「消えろおおおっ!」
怒れる精霊が振り回す槌が、まるで逃げるように距離をとる俺の分身に向けて振るわれた。
まだ距離があり、その打撃部分はかすりともしなかったが、振るわれた軌跡に沿って雷火がほとばしり、狙った分身をその周囲の奴らごと黒こげにする。
しかし、黒こげにされた分身の陰に重なっていた幾人かは生き延びて、それぞれ別の方向に逃げていく。
「ああ! もう鬱陶しい! 戦う気がないなら消えなさいよ!」
彼女の怒声に俺は心の中でだけ反論した。
──そうは言っても俺だって必死だから⁉︎
わざわざ口にはしない。そんな事を言って俺本人の居場所をご丁寧に教えても構わない、なんていう余裕は一切ない。
教えなくても常に分身を作り続けているので、遅かれ早かれ居場所はバレるのだが……少しでも時間を稼ぎたい。
今の俺は、何というか、普通とはかけ離れた戦い方をしている。
テェルネのことを攻撃出来ない俺に出来ることは分身を呼び出すことだけだが、彼女の持つ攻撃力と攻撃範囲の前では、それすら容易とは言えなかった。
固まっていたら一撃で潰される。
だから、いつしか俺は召喚した分身を即座に散らばせる様になっていた。
とにかく広く、屋上に満遍なく分身を配置することで、分身の全滅を避けるつもりだったし、事実それは成功していた。
魔力切れの心配もないので、テェルネが何かとてつもない切り札でも持っていない限り、理屈の上では負けはない。
俺が戦場をコントロールしていると言ってもいい。
けれど、テェルネの圧倒的なパワーに陰りはない。
「見つけた」
突如、耳元でとても綺麗な、けれど死を予感させる声が響いた。
咄嗟にそちらを振り向くと、例のアレで瞬間移動してきたテェルネが雷神の槌を振り下ろすところだった。
たぶん上級冒険者でも回避不能な代物。俺に防げる筈もなく、肩口から入ったハンマーは、皮膚、骨、肉、内臓まで、通り道に存在していた全てを抉り取った上に、雷が全身を駆け巡る。
当然、即死だ。
俺の魂は、あらかじめ決めていた分身へと移動し、その体は最初から存在しなかったかのように虚空へと還っていく。
これも予定通りというか想定通りなんだが、新しい分身へ魂を移した俺は、一瞬、激しい嘔吐感に苛まれて膝をつく。
「おえっ……!」
もし胃の中に何か入っていたら嘔吐していた。
頭の冷めた所では、即座に分身の召喚を始めるべきだ、と考えているが本能がついていかなかった。
一瞬とはいえ、胴体を抉られた途方も無い痛みが、新しい体に移ってなお幻のように残っている。
ようやく立ち上がった俺は胸に手を当てながら呼吸を整えた。いや整えるなどという理性的なものじゃなくて、只々落ち着くのを待ってるだけだ。
その間にも、テェルネは凄まじい猛威を奮っている。
「どれだけやっても無駄だ! 諦めてお姫様の体を返してくれ!」
「戦うだけが物事を解決する訳じゃない! 話し合いで決めよう!」
「人と精霊だって分かり合える!」
「うっさいわ!」
彼女の近くで説得を試みる分身たちに向かって、容赦なくハンマーをぶん回している。
その威力は絶大で只の打撃に留まらずに雷の嵐が巻き起こる程だ。
巻き込まれて、ぐしゃりと跡形もなく潰れていく分身たちを見て背筋が冷える。
──あれを……あと何回喰らえばいいんだ?
先のことを考えて意気消沈しかけたが、慌てて首を振って否定した。
無理にでも立ち上って分身を呼び出し始めた。
瞬く間に分身の数が増えていく。
10人、20人、30人……遂には100を超えるかという所で、テェルネがこちらに気付いた。
「そこかーーっ⁉︎」
吼えるやいなや猪突猛進。間に立ち塞がる分身たちをなぎ倒しながら俺の元へと迫ってくる。
間にいる分身たちも何もしていないで訳でもなく、なんとか抑えつけようとしたり時間を稼ごうと頑張ってはいるのだが、いかんせん単体では能力に差がありすぎる。
そもそも雷を纏っている彼女に触れるだけで致命傷なのだ。結局、大した時間も稼げずにテェルネの振りかざす雷神の槌が目前へと迫った。
「せいっ! ……あれっ?」
間一髪『魂の転移』の発動が間に合い、俺は槌に潰されることなく遠くの分身へと避難した。
先程までの俺の体は、俺という依り代を失い虚空に消える。
キョロキョロと次の俺を探す彼女を遠目に見ながら俺は安堵の溜息を漏らした。
──ふーーっ……。
今回は電撃の痛みも叩き潰される痛みも感じずに済んだ。
ただ、何千何万と繰り返した『分身召喚』に比べて『魂の転移』は自分で発動させようとすると、どうしてもワンテンポ落ちる。それに加えて彼女の攻撃スピードと攻撃範囲を考慮するといつまで無傷で済むとは……──
「ん?」
考え込む間にも分身はどんどん呼び出し続けていたのだが、そんな俺をテェルネは目ざとく見つけ出したらしく目が合った。
早い。
しかし距離があるのでまだ大丈夫だと思っていたら、彼女は手を掲げて虚空に浮かぶ雷の刃を作り出した。たわわちゃんが時々愛用していた『ライト二ングエッジ』だ。
別にたわわちゃんじゃなくても、雷系の魔法を習得している中級冒険者クラスなら使えるスキルだが……数が多い。パッと見、50本以上。
「それ、そんな風に使えるスキルじゃなくねえ? ……り──」
──理不尽だろう。と言い切る間もなく雷の剣が群れを成して飛んできた。
途中、盾やマジックシールドで防ごうとした分身もいたが、多少威力を軽減するのが精一杯だった。
あるいは中途半端に軽減したのがまずかったのか、俺の右腕に刺さった刃から電撃が伝ってきたが即死はしなかった。
しなかったが、刃から伝わってきた電撃が……それ以上に右腕が半ばから切断されて皮だけ繋がっている光景が俺の精神を狂乱の淵へと追い込んだ。
「〜〜〜〜〜〜!」
絶叫しようとしたが体中が──喉も舌も痺れていて言葉が出てこない。
それでいて痛覚はこれ以上なく正常に機能していて刃で斬られた痛みを十二分に伝えてくる。
咄嗟に『魂の転移』で他の体へ逃げようと試みたが、慣れない肉体の痛みの方が完全に上回っていて、スキルを発動させることが出来なかった。
死ぬことも転移することもできず地面でのたうち回っている俺のことを見るに見かねて、近くにいた分身が機転を利かせた。
これまで使う機会が全くなく、もはや地面に放置してある氷青鋼の剣を拾い上げて、あろうことか俺に向かって振り下ろした。
「隊長、ごめん!」
原材料の採取から製造まで全て自前で作り上げた自慢の剣は俺の首をあっさりと切りとばす。
同時に『魂の転移』が自動で発動し、俺は新たな分身へと乗り移った。これで腕が斬られたことも全身の痺れもリセットされた訳だが、心の方はそうはいかなかった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
みっともなく悲鳴を上げ、崩れ落ちるように地面に転がってさた。
これまでの冒険者生活のほとんどをフルルと協力して安全な場所で過ごしていた俺には、今の痛みに冷静に対処するなんて無理だ。
最早プライドも何もなく、無様に地面をのたうちまわっていると、そんな俺の頭上から嬉々とした声が降り注いだ。
「あらぁ、もしかして死ななくても苦痛は感じているのかしら?」
どうやら自動発動の転移はテェルネの側にしてしまったらしい。
俺は痙攣しつつも声に引っ張られて、うつ伏せから仰向けの状態になった。
そのまま頭上を見上げると、彼女はハンマーを天高く振りかざして、爛々とした瞳でこちらを見下ろしていた。
「ねえ、いい加減に諦めないと、これから延々と死の痛みを味わうことになるわよ」
その警告に俺は心底震えた。テェルネからは何か譲れないものを感じる。だからきっと、彼女は本当に俺が諦めるまで延々と殺し続けるだろう。
そんな拷問のような状況にいつまでも耐えられる自信はない。苦痛の果てに根を上げるかもしれないし、精神が壊れるかも……とか悪い妄想が頭の中を駆け巡る。
それでも、意地を張るしかなかった。
「諦めねえよ? たわわちゃんを取り戻す為ならドンと来いだ」
震えながらも、笑みを浮かべて俺は言った。
俺が笑ったのは半分くらい……いや8割方は只の痩せ我慢だが、同時に希望があるからでもあった。
本当に馬鹿みたいな強さを誇るテェルネだが、いつまでもこのパワーを維持できるものなのだろうか?
精霊のあり方や霊力については専門外だが、魔術師が魔力を枯渇すれば昏倒する様に、霊力を使い果たしてしまえば戦うことも、それどころかたわわちゃんの体に居続けることも無理なんじゃなかろうか?
確証はないが……もしそうなら。そこまで耐えれば俺の勝ちだ。
そんな、不確定だがそれなりに妥当性のある希望を胸に、俺は不退転の決意で彼女を見つめた。
すると、彼女は見るからに不機嫌と化した。
「そう……なら、とことん殺し尽くしてあげるわ」
その言葉が終わるやいなやドンと、雷神の槌が頭上に振り下ろされた。
当然即死だ。オーバーキルにも程がある。
一瞬の意識の空白の後、今度はかなり離れた分身に魂が乗り移った。
痛い。体中そこかしこから幻痛が巻き起こっている。
ただ、今回は痛みに耐える覚悟は出来ていた。
「おいやぁ……っ!」
自分でもよくわからない奇声と共に痛みを乗り越えると、
──大丈夫! 長引けば長引く程、俺が有利なんだ。
折れるな、折れるな。──と、自分に言い聞かせることで、痛みに怯える臆病な気持ちを振り払い分身を生み出し続けた。
そこから俺は、如何に死の苦痛を受けずにテェルネを消耗させるか? という戦いを始めたのだが……そうそう上手くいったりはしなかった。
なんせテェルネのパワーと攻撃範囲、それにスピードは俺の知る中でピカイチだ。ダントツだ。
その力は俺の小細工を、そんなの関係ねえ! とばかりに押し潰すだけの圧倒的さがあった。
素早く魂の転移で逃げようとするとそれ以上のスピードで叩き潰され、分身たちを盾に時間を稼ごうとしても盾ごと雷の槍に貫かれ、ならば木を隠すなら森の中とばかりに何の変哲も無い分身を装ってみても、彼女は構わずに破壊の槌を振り回して分身たちを減らし、補充の為に分身を生み出した所を狙われて死んだ。
結局、どんな細工をしようとも分身が増えていく光景が非常に目立って誤魔化し様がなく、俺は何回も何回も死に続けた。
今だってそうだ。
「撃てーーーっ!」
「撃て、撃て!」
勇ましい号令と共に四方八方から無数の炎弾を放つ分身たち。狙っているのはテェルネではなく彼女の周辺だ。
そうやって彼女をファイヤーボールを使って──いわば炎の壁を作り出して彼女の身動きを制限することが目的だ。
無論、いつまでも通用するとは思ってはいないが、一時の時間稼ぎにはなる……と思ったものの、
「当てる気もないくせにーっ⁉︎ こんなもん効かないわよ!」
炎の中から電磁波が吹き荒れたと思うや否や、雷が津波の様に唸りながらテェルネを中心に全方位に広がって行った。更にあろうことか、彼女の周囲に張り巡らせた炎の弾幕も津波に巻き込まれる様に進む方向を変え、彼女を囲んでいた分身たちを燃やした。炎と雷のダブルパンチだ。
「うへえ……っ」
凄絶な同士討ちに度肝を抜かれていると、晴れた視界の中でキョロキョロと俺を探しているテェルネと目があった。
「げっ!」
いや、正確には彼女の方は俺本人を特定した訳ではないだろう。全く同じ顔がそこかしこに散らばっているこの状況、俺個人の特定は不可能だ。ただ、分身が増えて固まっている状況を鑑みれば、俺本人がこの一団の中のどれかであることは馬鹿でも分かる。
そして彼女は本物の俺を探し出すような回りくどい真似はしなかった。
「まとめて死んじゃえ!」
熱烈な死刑宣告と共に手に持つハンマーを全力で地面に叩きつけた。
──なんだなんだ?
俺でもなく分身でもなく地面を叩くという彼女の行為に疑問が湧いたが、その答えは直ぐに──身を持って悟った。
一瞬の間のあと俺の、俺たちの足元から間欠泉が吹き上がる様に稲妻が這い上がってきて、足元から頭の天辺までを電熱で焼き尽くした
もう何度目かもわからない浮遊感が、今の一撃が致命傷だったことを俺に教えてくれた。
「まだまだ……だ!」
新しい体に移った俺は、自分の戦意を繋げる為に勇ましい言葉を吐いたが、両眼からぼろぼろと涙が溢れることを抑える事は不可能だった。
いや、本当にきっつい。ここまで致命傷の痛みを何度も何度も体感する人間なんて、きっと後にも先にも俺だけだ。
はっきり言って、今すぐにでも逃げ去りたいし、帰ったら冒険者を辞めて安穏に暮らしたいとすら思う。
それでも辛うじて、たわわちゃんの事だけを考えてこの場に留まっている。
──だ、大丈夫だ。これだけ派手にやってるんだから、そろそろ限界の筈なんだ。
自分に言い聞かせながら再び分身を生み出し始めた。
そうしながらもテェルネの様子を探ると、まだ俺本人を見つけてないのか、自分の近くにいる分身を手当たり次第に襲っている。
振り回されるハンマーも生み出される雷も、その威力に衰えは無い。消耗戦を仕掛けた当初と変わらぬ勢いだ。
──……そろそろ限界だよな?
もちろんその筈だ。あんなドラゴンクラスのモンスターをあっさりと殺せる様な馬鹿げた威力の技を既に何百回と繰り返しているのだ。
ましてや、俺と戦う前にはサリエルと戦い天空迷宮を登って来たのだ。どう考えても限界が近くない訳がない。
であるのにテェルネからは、霊力が底を尽きそうだから温存しよう、とか、霊力が尽きる前に俺を倒さなければ、とか、神と戦う力を残しておかなければ、という焦りや不安が一切見受けられない。
ただひたすらに前だけを向いて容赦なく分身どもを撲殺している。
はたしてこれを、己の限界を省みない無茶な蛮勇、で片付けて良いものなのか……そんな不安が心の隅っこの方に根付いた瞬間、俺は上から蹴飛ばされて地面をゴロゴロと転がった。
「いっ……たぁ……っ!」
硬質の床に勢い良く叩きつけられた痛みに悶えていると、ドンと胸に何かが乗って来た。
驚いた俺が見上げるとテェルネだった。彼女は俺を足で押さえつけると忌々しげな表情で言った。
「あんた、いい加減に無駄だって気付きなさいよ。私が倒したいのは神よ、神。あんたじゃないの。それなのに戦う気もないくせに増えるだけ増えて、もうウンザリだわ! あんたがどんだけ邪魔しようとも私は引かないわよ! あんたがやってることは意味のない時間稼ぎだってことが何でわかんないのよ⁉︎」
俺を説得したいのか罵倒したいのか、いずれにせよ彼女の抱える怒りは明確に伝わって来て気圧された。
無言の俺に彼女は続ける。
「ねえ、私気付いたんだけどさ……あんたって即死するより中途半端に生殺しにされる方が辛いんじゃない? なら、これから先、死なないように殺してあげる。あんたが、諦めて逃げ出すまで延々と死なないように殺すわ」
「うっ……」
──酷えな、それ……。
テェルネの脅しを聞いてまずそう思った。今でも本当に辛いのに、そんな拷問まがいのことをやられたら耐えられる自信がない。
気がつけば俺の体は俺の意思とは無関係に震えていた。
俺は咄嗟に震えを止めようと歯をくいしばるように体に力を入れたが、いささかの効果もなかった。完全に痛みと恐怖に負けている。
そんな情け無い俺の様子は目の前の彼女にも一目瞭然だった。
「ほらぁ! あんたの体は認めているじゃない。わかっているのよ限界だって。あんたもとっとと認めて諦めなさいな。もう十分頑張ったでしょう?」
あらかさまな猫撫で声で逃げるように唆してくるテェルネ。その優しげな言葉の裏には、とっとと消えて欲しい、という本音がある事がありありとわかる。
わかるのに、今の俺にはその言葉が魅力的に響いた。
──くっそ! もうちょっとだろうが⁉︎ 震えてんじゃねえよ俺!
「そ、そんなことじゃ負けないぜ! むしろ限界なのはそっちの方だろ⁉︎」
「限界? ……何が限界なのよ?」
確信をついた言葉……だった筈だが、テェルネは本当に不思議そうな顔をした。
──あれ? と内心で思うもののここで引くわけにもいかないので俺は話を続けた。
「これまで、ずっと戦いっぱなし! しかも、あんな大技ばっかり放っているんだから、いい加減魔力なり霊力なりが底を尽くだろう⁉︎ そしたら戦いを続けることなんて出来ない……ぞ?」
最後、語尾が疑問形になったのは、テェルネが話している内に段々と愉快そうに肩を震わせて行ったからだ。
そして遂には笑いだした。
「あはははははっ! ふふふふふっ!」
声だけでなく、顔だけでなく、全身を使って彼女は笑った。俺から離れると体をくの字に折り曲げながら、体全体を震わせている。今にも地面を転がりそうな勢いだ。
押さえの取れた俺は上半身を起こすと呆然とテェルネを見つめた。
テェルネが笑う理由がわからず、何を言えばいいのかもわからない。なので見ていることしか出来ないのだが、彼女はだいぶ長いあいだ笑い続けたのち、唐突に、一見関係ないような事を俺に向けて切り出した。
「あんたさぁ、精霊が何を食べるか知ってる?」
知らない。声には出さなかったが顔に出ていたのだろう。テェルネはそれを正確に読み取ると答えを教えてくれた。
「あんたたちが霊力って呼ぶあれよ。あれを食べるというか取り入れることで存在を維持してるのだけど、あれは呼べば、い〜〜〜〜っくらでも湧いて出てくるもんなのよ、精霊にとってはね。ついでに言うとあれを取り入れるのに、人間と違って食べて消化する必要なんてないわ、即よ即」
「えーと、つまり……」
そこで俺は言葉に詰まった。彼女の話が理解出来なかったからではなく、ちゃんと理解して結論まで想像出来たが故の沈黙だった。
押し黙った俺の続きをテェルネが引き取った。
「つ・ま・り、私の力が底を突くなんて有り得ないって事よ!」
その言葉と共に、俺に見せつけるかの様に彼女周りに雷が集いだした。相変わらずとんでもない力だ。そして彼女の話からすると、この集った力は彼女を回復させてもいる。
何? これ攻撃だけじゃなく回復も兼ねてんの? それどういうチートなの?
俺は理不尽に対して叫ぶしかなかった。
「ずっりぃぃいいっっ! なんだその反則技⁉︎ そんな馬鹿な話があるか⁉︎」
「あんたみたいな、死んでも死なない奴に言われたくはないわよ」
俺の心の底からの叫びを、テェルネはすげなく切り捨てる。
そして、
「じゃあ、あんたが現実を理解した所で……この終わりのない戦いを終わらせましょうか」
そう宣告すると同時に生み出された雷の刃が俺の右腕を貫いた。
「いっ……つぁ!」
激痛に悶えていると今度は左腕に刃が刺さる。どうやら本当に生殺しにするつもりらしい。
「私は何があっても、何をしてでも神を殺すわ。その為にこの体は絶対に手放さない。だから……あんたが引くか壊れるまでやるわ」
地面を這い回っている俺に、テェルネの断固とした決意を感じさせる声が降りてきて、俺は逃げる様に魂を移した。
その後の展開は一緒だ。俺は増えるし、テェルネはなぎ払う。もう何度繰り返したもわからないが、差は少しずつ……だけど確実に現れていた。
テェルネは変わらない。どれだけ経ってもその力に陰りは無い。
しいて言うなら当初よりも技の威力が減ったが、それは疲労によるものではなく、俺を即死させない為であることは明らかだ。
一方で俺の方は、魂の転移を繰り返す事に動きが悪くなっていった。
「とりゃ!」
俺を見つけたテェルネが雷の速度で俺の横に回り込むと、その手に持つ槌を地面と水平に振り回した。
俺はそれを避けることが出来ず、右腕の手首から先がちぎれ飛んで悶絶した。
「〜〜〜〜っ、つっ!」
テェルネの槌は、本気で振るえば俺の分身を何人も……密集密度にもよるが、下手に固まっているなら軽く十人以上を殺して余りある威力がある。それを食らって全身が一瞬壊され尽くしたことも幾度となくある。
それに比べれば、たかだか手首一つ消し飛ぶ程度というのは随分と控えめな被害……といえるかもしれない。
ただ、俺の体感的には一瞬で即死するよりはっきりと辛い。まるで焼ける様な痛みも、手首の先から勢いよく流れ出す血液も、その全てが俺の心を刻んでくる。
それでも、新たに『魂の転移』を発動させようともがくが、それより先にテェルネに蹴り飛ばされた。
「ほんと、あんたは鬱陶しいわね! こういうの、私の趣味じゃないのよ! いつまでこんなことやらせるのよ⁉︎」
自分でやっておきながらこの言い草。あまりにもあんまりすぎるが、俺は何ら言い返さずに只々『魂の転移』を発動させる。
これが、もはや戦う為ではなく只の逃避だってことは自分でもわかっていた。
新しい体に移ってからも、即座に分身を召喚し始めることが出来ず停滞した。
「うっ……」
──何やってんだこの馬鹿⁉︎ とっとと動け!
俺の頭の理性がそう警鐘を鳴らすが、動けばまた狙われるという現実の前に体が萎縮していた。そうこうする間にもテェルネの放つ広範囲攻撃が分身たちを減らしていく。
結局、3テンポほど遅れてやっと分身を生み出し始めた。
当然、テェルネもその動きに気付いて俺を痛め付けにくる。
そんな、一方的な鬼ごっこ……みたいな戦いを繰り返す内に、気が付けば俺たちの均衡が崩れていた。
俺の分身を召喚する速度を、テェルネの分身を潰していく速度が上回った。
いや、逆だ。俺の分身を生み出すスピードが衰えたんだ。
「やっべえな……」
俺は力なく呟いたがマジでヤバイ。
このままじゃ、いずれ分身をことごとく潰されて転移する分身が居なくなってしまう。
そして、それがわかっているのに、なお奮い立てないのが一番ヤバイ。もしかしたら俺はテェルネの目論見通り壊れてしまったのかもしれない。
対するテェルネは先程、自分で言っていたように底無しの体力を誇っていて、元気一杯に分身たちを叩き潰していてる。結果、少しずつ俺の分身たちは数を減らしていった。
当初は2000人近い分身が天空迷宮の屋上を埋め尽くしていたのに、増減を繰り返す内に1800人に。
更に戦いを繰り返す内に1600人、1400人と数を減らし……遂には1000人を下回った。
そのことに気付いたテェルネが、
「ん? んんんっ⁉︎ ……あんたら、大分数が減ってない?」
と、それはそれは嬉しそうな顔をし、決着をつけるべく、ますますと張り切って得物を振るうようになった。
一振り一振りごとに雷の嵐が荒れ狂い、加速度的に分身が減っていく様を見て、将来的な全滅が垣間見えた。
そしてその危機的状況でも俺は奮い立たずに、むしろ、
──ここまでか……。
と、諦めモードに入っていた。
それでも一応ノロノロと分身を生み出しはしているか、そんなことではテェルネの勢いに対抗できる筈も無く800、600、400人と数が減っていく。
そして遂には200人を切ったところで、テェルネは俺を前にしてハンマーを一度降ろした。
ああ、また潰されてる。と諦観していた俺はポカンと彼女を見つめた。そんな俺に向かって嬉々とした表情で言った。
「もう勝負は決まったでしょう。私の勝ち。あんたの負け」
「………………」
勝ち誇るテェルネに何も言い返せずにいると彼女はますます調子に乗った。
「まあ、最初から分かり切っていたことよね。雑魚が幾ら増えても私に叶いっこないってことは。仮にあんたが本気で向かって来ても、やっぱり私が勝ったわよ。なんせ根本的にパワーが違うもの、パワーが!」
そういって、俺に見せつけるかの様に雷を遊ばせる彼女の姿を見て、やはり何も言い返せなかった。
言い返すだけの力が無い……筈だった。だから、
「それで? 最後にもう一回だけ聞いてあげる。あんた、このまま帰りなさいな。そっちの方が面倒がなくて楽でいいわ。それとも、このまま続ける? それでもいいけど、この先あんたにとって地獄しかないわよ?」
「………………なあ、テェルネ」
口を開くことすら億劫だった俺が彼女に対してようやく口を開いたのは、彼女の降伏勧告に応じる為でも跳ね除ける為でもなかった。そうではなく、目の前の彼女の姿に疑問を持ったからだ。
先程まで嬉々として俺を叩きのめして、今、意気揚々と勝ち誇る彼女は……何故か泣いていた。
一筋の涙が頬を伝い地面へと吸い込まれていく。
気が付くと問いかけていた。
「なんで……なんで泣いているんだ?」
「えっ?」
自覚がなかったのだろうか? テェルネは惚けた顔で自らの目尻を手で拭った。そして指で拭き取った涙の雫を見て戸惑い声を上げた。
「えっ? ええっ⁉︎ なんで……」
信じられない……といった表情を浮かべる彼女。
場違いかも知れないが、そんな表情すら超かわいいと思う。
そう思うのも当たり前だ。彼女が使っている体はたわわちゃんの──俺が好きな人の体なんだから。
「そっか……」
俺はテェルネが泣いている理由を悟った。
あれはテェルネが流した涙じゃない。たわわちゃんが泣いているんだ。
例え今、たわわちゃんの体をテェルネが使っていたとしても、たわわちゃんは変わらずにそこにいるんだ。
そして今の状況。
たわわちゃんが好きな俺と、俺のことが好きであろうたわわちゃん(はっきり言われた事はないけど、でもなんだかんだいっても俺が側に行くのは受け入れてくれたし、この前なんか手を握ったりもしたし)が争いを繰り広げている。
つまり……例えるなら今の俺たちはロミオとジュリエット! 愛し合う同士が理不尽な因果で争いを繰り広げている。そりゃ辛いし泣くだろう。
幻聴が聞こえた気がした。
『ヒビキ、助けて』
「たわわちゃん⁉︎」
俺はたわわちゃんの助けを求める声が聞こえた気がして、たわわちゃんををまじまじと見つめたが、まだ彼女の体はテェルネが支配している。
──気のせいか? ……いや。
そうじゃない。今のはきっとたわわちゃんの心の声が俺に伝わったんだ。彼女は俺に助けを求めている。
「それなのに俺って奴は……!」
目の前に好きな人がいて辛い思いをしているのに、痛いのが嫌だとか、死ぬのが辛いとか、挙句、ここまでか……なんて手前勝手に諦めるとか、死ねよお前って感じだ。
──死ね! たわわちゃんの為なら何万回だって死ね!
「うおおおおりゃああああっっ!」
俺は雄叫びと共に猛然と分身を召喚し始めた。
素早く大量に、これまでノロノロやっていた分を取り戻す勢いで分身を生み出していく。
「あっ、お前⁉︎」
いきなり復活を遂げた俺に、テェルネは咄嗟に攻撃を加えた。
虚空に生み出された雷の刃が俺の手足を貫き、激痛が全身を走る。めっちゃ痛い。
が、血を流しながら地面に膝をつきながらも、
「いったっ……くねえ! 全然、痛くねえし! こんなもん、かすり傷だし!」
と、痩せ我慢を押し通した。
分身を召喚し続ける事は辞めない。
「はぁ? 思いっきり痛そうにしてるじゃない?」
「それでも痛くねえの! ……ふっふっふっ。テェルネ、俺には、もうそんな手は通用しないぜ。なんせ思い出しちゃったからな、俺には無敵の力があるって!」
「無敵の力? 何それ? その死なないスキルのこと?」
「違う! 愛の力だ!」
俺は強く即答した。
「俺とたわわちゃんにはなぁ! こう……切っても切れない繋がりがあるんだ! 俺はあの子の応援があれば何だって出来る!」
「あの子の応援? この体は私が使ってるんだから、そんなの無いでしょ?」
「いーや、あるね! 思いっきりあるね!」
俺の言葉にテェルネは困惑した顔を浮かべた。きっとテェルネにはたわわちゃんの声は聞こえていないんだろう。
だが、俺にははっきりと聞こえる。
「テェルネ。君には聞こえないのか? 助けて欲しい。止めて欲しい……って、訴えているたわわちゃんの声が?」
「……聞こえないわよ! ただの空耳じゃないの⁉︎」
「違うね。愛があれば言葉なんてなくても心は通じるんだ
! ──だから、俺はもう痛みなんかに負けたりはしない!」
俺は、痛みに負けない──その言葉を証明する為に、更に更に分身を召喚する速度を上げていく。
「ああ、もう! いい加減に……!」
テェルネは苛立ちの声と共に雷神の槌を振り上げると、俺に向かって勢いよく振り下ろした。防ぐ手段の無い俺は当たり前のように死んだ。
その後、すこし離れた所にいる分身に乗り移った俺は即座に召喚を始めた。
わらわら、わらわらと分身が増えていく様子に、当然テェルネも気付いて攻撃を仕掛けてくる。
雷の精霊による圧殺と逃げるだけの俺。これまでと変わらない展開だ。
だが、たわわちゃんとの絆を自覚した俺は一味違った。
さっきまでの痛みに負け、陰鬱とした俺は何処にもいない。
だが、
「たわわちゃん! 俺は負け無いぜ!」
俺が彼女に、彼女の中にいるたわわちゃんに向かって宣言すれば、返事が返ってくる。
『うん。ヒビキなら勝てるよ』
『でも、あんまり無理はしないでね』
『大好きだよ、ヒビキ』
「たわわちゃん! たわわちゃんの声援があれば、俺は無敵だーーーっ!」
その言葉通り、次々と溢れんばかりの勢いで分身を生み出す俺。完全に調子を取り戻した。いや、今までにない勢いだ。
「だから、そんなの聞こえないわよ!」
そう言って死なないように手加減した攻撃を繰り出すテェルネ。雷の刃で肘から下が切断される。
これまでの俺には有効だった攻撃だ。なんせ1度は生きるのを諦めた。
だけど今の俺の覚悟は痛みを完全に上回っていて、死んでないことをこれ幸いと、更に分身を召喚し続けた。
血をダバダバと流しながらも不適な笑みを浮かべてテェルネに言う。
「無駄だテェルネ。そんな攻撃は、もう俺には効かない。俺はこれから先、何千、何万回と死ぬ覚悟は出来ている。君がたわわちゃんを返してくれるまで俺は引かない。だから……君の方が諦めろ」
「なっ、なっ⁉︎ ふざけんな!」
激昂したテェルネが俺のもう片方の腕も刺し貫く……が尚も言い募った。
「だいたい! たわわちゃんの体を使って神殺しなんて最初から無理があるんだ! 身も心も天使なたわわちゃんがそんなことを望む筈もないし、いっちゃあなんだがテェルネ! 君だって向いてないぞ!」
今ならわかる。俺の分身が10分の1まで減ったあの時、チャンスとばかりに容赦なく殲滅すれば良かったのに、わざわざ降伏を進めるんだから本当に向いてない。
「うるさい! うるさい!」
俺の言葉をかき消すが如く大音響の雷が上空から降り注ぎ、俺と彼女の周りにいた分身が消し飛んだ。
けれど、離れた所に転移した俺は、即座に減った分の分身を生み出す。
「うおおおっ! たわわちゃーーん!」
「うわ! キモい! 死ね!」
俺は死んでは魂を移す終わらない戦いを、たわわちゃんのことだけを考えて戦い続けた。
肉が裂けて骨が割れる痛みも、全身を駆け巡る稲妻も痛くて痛くて堪らないが、たわわちゃんと心が通じ合っている今は、その全てを乗り越えられる。
そうやって戦いを続けて続けて続ける内に、いつしかテェルネの方の動きが鈍くなっていた。
「ん? あれ?」
気づけば明らかにパワーダウンしている。槌を振るう勢いも、大規模な精霊魔術も勢いがない。これはもしや、
「テェルネ、疲れてる?」
当初、目論んでいた持久戦に持ち込んでのスタミナ切れ、テェルネの無限回復力に一度は諦めたそれが今起きているのだろうか? だけど何で?
『ヒビキ、私も頑張るから』
「たわわちゃん? …………はっ、そうか!」
俺は悟った。きっと、たわわちゃんが自分を取り戻そうと頑張っているんだ。きっとそうだ。
そして、彼女が頑張っている事を知った事で自分が増えること以外にもやれる事があると気付いて前に出た。
「頑張れ、たわわちゃん! 俺も手伝うから!」
基本俺は後方で分身を生み出すだけの存在なんだけど、今は前に出るべきだと俺の直感か何かが告げていた。
「テェルネ、もう止めるんだ!」
「うらあっ!」
「へぶっ⁉︎」
俺の突進は、テェルネの振るう一撃であっさりと返り討ちにされた。多少動きが悪かろうが、テェルネの力は未だ絶大だ。人ひとりなんてひとたまりも無い。
だけど、
「まだまだーーっ!」
新しい体に移った俺は再度彼女へ向かっていく。
当然、それだって返り討ちにされるが、諦めずに何回だって行く。
『ヒビキ、私も頑張るからヒビキも頑張って。愛してるよ』
「しゃあっ! 任せろたわわちゃん!」
たわわちゃんとの愛の以心伝心にあと押されながら俺はつき進んだ。
つき進みながら、思い通りに動けず、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるテェルネに強く言う。
「テェルネ! 自分でもわかっているんだろう⁉︎ さっきまでの強さはなくなっているんだ! そんな今の君が、神様に挑んだって勝てるわけが無い! だから、もう、お開きにしよう!」
「うるさい! 黙れ黙れ!」
俺の説得に、癇癪を起こしながらもハンマーを振るうテェルネだったが、ますますと動きがぎこちなくなっている。一撃の威力は変わらずとも、動作と動作の合間がぎこちない。隙がある。
そして、
「うおおおっ!」
数十回の失敗の果てに、俺はその合間を突いて雷神の鎚を潜り抜けた。
皮膚がチリチリと焼かれる様な雷の余波の中、遂にテェルネの懐に潜り込んだ俺は、そのまま殴る訳でもなく、ファイヤーボールをぶつけるでもなく、ただ抱きしめた。
たわわちゃんの小柄な体躯は、本当に簡単に俺の腕の中に収まったが、でも俺は知っている。
「たわわちゃんは誰よりも強くて真っ直ぐな娘だから。ちゃんと自分で自分を取り戻せるって信じてる」
そう言って、それ以上のことは何もしなかった。
もしかしたら1秒後には雷で焼かれているかもしれない。それでも今の行動に後悔はなかった。
……。
……。
テェルネは体の自由が効かなくなって来ていることに歯噛みした。
先程までの、何でも出来るという全能感は何処にも無い。いや、それどころか近接戦闘能力の低い無限術師に捕まえられる始末だ。
──ちっくしょう!
苛立ちと共に自分を抱きしめて離さないうざ男を焼き殺そうと試みたが、何故か魔法が発動しない。
いや、何故か、ではない。ちゃんと理由はわかっている。それは……、
『もう戦いはお終いにしよう、テェルネ』
唐突に幻聴が聞こえた。聴覚を使わない、けれどはっきりとした声が自分の内側から伝わった。
気がつけば、この体の中の、自分の居座っていた場所に、自分では無い何かが存在していた。
『あんた……』
タワワ=リンゴレッド。この体の本当の持ち主。今まで、押し込めて眠っていた筈の少女がその意識を取り戻していた。
そして自らの体を取り戻すべく、テェルネを押しのけようとしてくる。
咄嗟に否定した。
『渡さないわよ!』
ここまで……、ずっと願っていた天空迷宮の頂上、神と合間見えるところまで来たというのに、ここでこの体を明け渡せはしない。
『もっかい眠ってなさいよ!』
テェルネはここはもう自分の場合だと主張するように自分の魂を燃え滾らせた。もう一度、タワワの魂を奥の奥まで追いやり、もう少しの邪魔もさせないつもりだった。
が、しかし、テェルネが全力で押し潰そうとしても、タワワの魂は揺らぐことなくその場に留まり続けていた。
『なっ……⁉︎』
『凄い力だね』
驚愕するテェルネに、タワワの感心するといった感情が伝わって来た。同じ場所にいるが故に、互いの感情が直に伝わる。嘘は無い。タワワは本当にそう思っているし、事実そうだ。
精霊の力は人と比べれば遥かに強い。それこそ桁が違う。
精霊使いが精霊を使役しているのは、あくまで精霊側が力を貸してやっているだけで、精霊側が暴れようとすれば人の体なんて簡単に壊れてしまう。
頭抜けた才能をもつタワワだって、いつぞやの様に事前に檻を用意して、入念に準備を整えでもしない限りテェルネと渡り合える筈が無い……筈なのに今、現実にタワワは自分と渡り合っている。
『なんで⁉︎』
もう一度、更にもう一回と攻撃を仕掛けるが無駄だった。
自分より圧倒的に弱い筈で、事実発せられる力はテェルネより弱い。にもかかわらず押し出せず、あまつさえ此方の方が押されていく。道理に合わない。
歯噛みするテェルネにタワワが言う。
『テェルネ。私に2度、同じ手は通じない。この場所での……魂での戦い方は理解した。理解してしまえばあなたがどれだけ大きな力を誇っていても関係ない。受け流せるし、利用できる。……子供の頃から、ずっとそればかりやってきたから』
そう、タワワは子供の頃から……それこそ産まれた時から戦う為の様々な訓練を積んできた。その訓練の中には実戦形式の組み手なども当然含まれており、戦う相手は父やリンゴレッドの門下生、いわゆる成人男性だった。
常に自分より大きく力のある誰かと戦い、それでも勝てと言われ、相手の力をいなす戦い方を身につけた。身につけざるを得なかったとも言える。
だからテェルネの力がタワワを大きく上回っていても、戦い方を知らない力押しだけではタワワには勝てない。
受け流し、呼吸を合わせて逆にテェルネを押し出す。
今やタワワの中から押し出されようとしているのはテェルネの方だった。
『ううぅううっ! この化け物がっ⁉︎』
『よく言われる』
テェルネの罵倒も涼しい顔で受け流した。
それがテェルネの癇に障った。
『なんで今更、私を止めようとするのよ⁉︎ 私が暴れることがわかっていて私を呼んだんでしょうが⁉︎』
そう、こいつは自分が暴れることをわかっていた。知っていた上でサリエルを殺す為に私を召喚したのだ。自分の復讐を優先するという点でテェルネとタワワは同類だ。なのに今更になって、さも正義の味方面して、戦いを止めよう、などとほざくのは道理に合わない。
『私とあんたは同じ穴のムジナじゃない⁉︎ あんたの復讐は私がしてあげたのよ⁉︎ なら私の復讐に付き合いなさいよ! あんたばっかりずるいじゃない⁉︎』
『そうだね……ずるいね私は』
ずるい、という言葉にタワワは頷いた。自覚はある。サリエルが許せなくてテェルネを呼んだ自分が、神様を許せなくて戦いを挑むテェルネを止めるのは理に反しているだろう。先程までの、テェルネに押し込まれ、夢を見ているようにまどろんでいた自分がテェルネを止めなかったのは、根っこの所でテェルネに共感したからだ。
でも、それでも、
『きっとヒビキは諦めないから』
このままだと、延々と際限なくヒビキを傷つける事になる。それは嫌だ。
テェルネの強大な力を受け流しつつ、するりと距離を詰めた。タワワとテェルネの魂がぶつかり合って激しく揺さぶられる。
──テェルネ……、
互いの魂が間近でぶつかり合う事で、テェルネの記憶や思いが直に伝わってくる。大切な人を失った怒りや悲しみ、やるせなさが我が事のように感じられる。そしてテェルネの中にある矛盾した思いも。
──テェルネ、あなたは……、
意外、と言っていいのだろうか、彼女はそこまで自分の行いが正しいと信じてはいない。
今の世界を壊して新しい世界を作っても、より良い世界が作れるという確信は持っていないし、むしろ無駄な犠牲が生まれるのではという不安を抱えている。
犠牲が生まれることを悲しいと思えるのだ。
なにより、大切な人の死も自らが望んで命を懸けた戦いに挑んだ結果であり、神を恨むのは筋違い、そういう理性的な判断がテェルネの中に確かにある。
ただ、それをテェルネが認めてしまったら、もう誰もその夢を引き継ぐ者が居ないくて、夢を失えば彼が命を懸けた意味すらなくなるようで、たとえ失ったとしても彼が生きていた証を何でもいいから残したくて……。
──ずっと、苦しんでいたんだね。
彼女が抱いているのは怒りと憎しみだと思っていた。世界が憎いから壊したいのだと。馬鹿だ。馬鹿にも程がある。
こんなにも馬鹿なタワワには、もうこの先、誰のことも馬鹿にする資格なんてないだろう。
テェルネに何かしてあげたい……と、タワワは心の底からそう思った。もう体を貸すことは出来ないが、このまま体を取り戻してこれっきりにはしたくない。彼女の苦しみを例え消せなくても、せめて和らげることぐらいはしてあげたいと思う。
しかし、そうは言っても、そうそう都合良く彼女の苦しみを癒す手段を思いつく筈も…………、
『タワワ! 今日は私に付き合え! 男に振られた私の愚痴を聞いてくれ!』
あった。タワワは2月程前のカテュハとのやりとりを思い出した。
──うん。あれなら……。
そう決意しながら、改めてテェルネと向かい合った。
彼女との主導権争いはいよいよ山場を迎えつつあった。
『このおっ……!』
これまでで最大の輝きを放つテェルネの魂はまるで燃え盛る太陽のようだ。いかに戦い方を覚えたとはいえ楽観できる状況ではない。
しかし、それでもなおタワワの技量が上回った。
──ごめんね……。
心中で謝りつつも、テェルネの魂を弾き飛ばし、ついに自分の中心を取り戻した。
同時に起動し続けていた精霊召喚のスキルを解除する。
『くっ! ……ちくしょう!』
少しずつテェルネの存在がタワワから離れていく。元の精霊の住処へ戻ろうとしているのだ。
『まだよ! まだ終わった訳じゃないわ!』
それでもテェルネは足掻こうとしている。もう勝敗が決していることがわからない程テェルネは馬鹿じゃない。ただ、それでも諦めたくないのだろう。
そんなテェルネにタワワは告げた。
『テェルネ、もう止めよう。そんな事をしてもきっと彼は、ラクレス=ロロイは喜ばない。喜ばないんだよ』
タワワの言葉にテェルネは、一瞬、動きを止めた。もやしが死んで100年以上。時の流れに押し流され、誰からも忘れ去られた筈の名前がタワワの口から出たことは、テェルネを呆然とさせた。
だが、それも一瞬、すぐに我に返ったテェルネは怒号を発した。
『お前に何がわかるって言うのよ⁉︎』
至極もっともな意見だが、タワワも引かなかった。
『わかるよ。彼が貴女の事を妹みたいに大切に思っていたってことは……。そんな彼が今の貴女を見たら、きっと悲しむよ』
だって……とタワワは続けた。
『だって、私ですら悲しく思うんだよ。怒りと憎しみと苦しみと後悔。そんな感情に支配されて生きている貴女の事を。なら、彼が今の貴女のあり方を望む筈が無い。きっと『もう苦しまなくていい。笑って前を向いて生きて欲しい』……ってそう言う筈だよ』
『別に苦しくなんてないわよ!』
『嘘。苦しくなかったら……辛くなかったら、貴女は泣いたりしないでしょう』
『え?』
『さっきヒビキの前で泣いていたのは私じゃないよ。テェルネ、貴女が泣いていたんだよ』
ヒビキはタワワが泣いていると誤解したが、それは間違いだ。あの時体の主導権は間違いなくテェルネにあった。
その後、タワワと心が繋がっていると主張してもいたが、タワワにはそんな能力は無いので、たぶんヒビキの妄想だ。ヒビキは思い込みが強く、よく勘違いする。
『う……嘘だよ……嘘ついてんじゃないわよ⁉︎』
タワワの指摘に、テェルネは認められないとばかりに激昂した。
その気持ちは良くわかる。タワワだって迷宮都市に来る前はひたすらに強くあろうとした。自分は強いんだって、弱くなんてないんだって、ずっと気を張っていた。
それが変わったのは、自分の弱い所を受け止めてくれる人たちがいる事を知ったからだ。だからきっと……今度は私の番なのだ。
『テェルネ。街に戻ったらラクレスの様に貴女の事を呼び出すよ。そうしたら……一緒にお茶を飲みに出かけよう』
『は……? はぁっ、何よそれ⁉︎ 私とあんたが一緒に出かけて一体何すんのよ⁉︎』
『なんでも。貴女の話ならなんでも聞くよ。ラクレスとの思い出や、彼が居なくなった後のことも、楽しかった事も辛かった事も……女子会って言うらしいよ。女の子には、友達とそういう事をする時間が必要なんだって』
『だ、誰も友達なんかじゃないわよ⁉︎』
『なら、これから友達になろう!』
『っ……!』
『テェルネ、貴女に私の友達になって欲しい』
直球すぎてあまり上手い誘い方ではなかったかもしれない。ただ、そういう事に慣れていないタワワにはそれが精一杯だった。
そして、そんな不器用だが真剣な誘い文句に、テェルネは沈黙した。
『………………』
『………………』
精霊召喚のスキルを切って二人の繋がりが薄れつつある今では、テェルネが何を思っているのかは伝わって来ない。
自分の思いが伝わっているのか、いないのか……不安に胸を揺らしながらも続きを待った。
そして長い沈黙の後、テェルネは、
『わ……私は神を殺すの! 諦めてたまるもんですか! 今回は駄目でもまたいつかあんたの体を奪ってみせるわ!』
と、最後までタワワの言葉を拒絶しながら、タワワの中から姿を消した。
──むう、ダメだった……。
──これはキツイ……。
拒絶されたタワワはかなり深く気を落とした。
タワワにして見れば、生まれて初めて誰かに向かって友達になって下さいと願い出たのだ。かなり勇気が、それこそモンスターに向かって行くことの何倍もの勇気を振り絞る必要があった。
なのに、手酷く跳ね除けられたらショックも受ける。
──でも……諦めないから。
例え何回失敗しても、いつか彼女と笑い合えるような日が来ることを心に誓った。
そして気がつけば……、タワワは自分の心と体が一致していた。
これまでの、薄皮一枚隔てて他人の行動を俯瞰しているような疎外感がなくなり、目や耳が仕事をし始める。軽く手を握ろうとし、実際にその通りに動いたことで、ようやく自分の体である事の実感が戻ってきた。
同時に、自分が今ヒビキに抱きしめられている事も。
──あー、あのね……。
タワワは何か口を開こうとして、でも実行はしなかった。
もう少しだけこのままでもいいかな……と、そんな事を思てしまったからだ。
そのままヒビキに身を任せて、ゆっくりと時間が経過していく様は、存外、心地よく感じた。
ずっとこの時間が続けばいいと思う。なんなら、このまま時間が止まってしまっても構わないくらいだ。
──でも、そういう訳にはいかないよね。
今の時間は心地よいが、ヒビキは今も自分を取り戻す為に頑張っている。なら、終わった事を伝えなければならない。ヒビキの胸に手を当てて距離を取り、預けていた自分の体重を取り戻した。
自らの足で立ち、名前を呼ぶ。
「ヒビキ」
「た、たわわちゃん⁉︎」
名前を呼んだら10倍の勢いで返された。その勢いに思わず苦笑がもれる。
「うん、私。……その……色々と迷惑かけてごめん。それと、助けてくれてありがとう」
タワワがそう伝えると、ヒビキは感極まったように目尻から涙を流しながらも満面の笑みを浮かべた。
そして、話の途中で気絶した。
「たわわちゃん! 良かった! 本当に良かっ……」
「ヒビキ⁉︎」
崩れ落ちるヒビキを咄嗟に受け止めたが、見れば完全に気を失っているが大事はなさそうだ。おそらく緊張の糸が切れただけだろうと思うが……気を失ったにしては周囲を取り囲んでいるヒビキの分身が消えていない。
1番近くにいる分身に問いかけた。
「ヒビキが気を失ったのに、あなた達は消えないの?」
もしやただ気を失ったんじゃなく、何か別の深刻な事態が起こったのでは? と疑ったタワワだったがこれは杞憂に過ぎなかった。
「あ、いや。代行権ってスキルがあって、隊長が気を失っても代行権を持つ奴が残っている限り俺らは消えないっす」
「そう」
ほっと安堵の吐息を漏らしたタワワは気を失ったヒビキを横に寝かせようとしたが、硬い地面にそのまま寝かせるのは気が引けたので、少し悩んだあと自分のひざを枕替わりにした。
いつだったかヒビキは、
「あれだ。たわわちゃんに膝枕とかしてもらったら死ぬね。嬉しすぎて死ぬ」
とか何とか言っていたが、実際にはそんな事で死んだりはしないだろう。
そのままヒビキの寝顔を眺めていたら、すぐそこに大きな、しかし調和の取れている力が現れた。神だ。
一瞬で体が戦闘モードに切り替わろうとしたが止めた。
「どうやら、終わったようだな」
「うん」
言い伝えでは天空迷宮の頂上で神、フィアと武を交えるそうだが、彼女からは戦意を感じなかった。
「うむ、よき戦いだった。見事、君を助けだしたそこの男も、精霊に打ち勝って自分を取り戻した君も、敗れたとはいえ堂々と戦い抜いた彼女も、三者全てに賞賛を送ろう。……それで、この場所に来たからには私に挑む権利があるのだが……どうする?」
「ううん。いい」
一応、聞いてみた……という感じのフィアの問いかけに、タワワは首を横に振る事で答えた。ヒビキはもう戦える状態ではないし、タワワはテェルネと違ってフィアに対して含む所は無い。
というかそもそも、
「天空迷宮を踏破したのは私じゃないから……」
それを成し得たのはテェルネであり、自分には挑む資格は無いというのがタワワの考えだ。
だが、そんな考えをフィアは笑いとばした。
「ははっ。そんな事を言えば精霊使いは皆資格が無い事になるぞ。だがレイアスもサリエルも間違い無く踏破者であり天位だ。卑下することは無い」
「……………」
迷宮都市を作ったとされる初代の天位や、先ほど戦った魔王を例に出されるとタワワは何も返せなった。サリエルには個人的に思う所はあるが、あの男が天位であったことは間違い無い。
「まあ、戦う気が無いのであればそれはそれで良い。挑むことは大切だが、和もまた大切だ。……では、君たちには天空迷宮の踏破者である証として天位の紋を与える」
フィアのさらりとした物言いにハッとした時には、既に自分の左肩に天位の紋が刻まれていた。
「次は君も」
そういってヒビキにも手をかざしたフィア。
長袖で隠れているが、ヒビキにも天位の紋が刻まれたのだろう……が、タワワとしては複雑な心境だ。
「………………」
天空迷宮を踏破すれば天位の座を得る。それは子どもでも知っている常識で、言い伝え通りの事が真っ当に起こっただけだ。だが、これはあまりにも……、
「浮かない顔をしてどうした、天位の9番?」
タワワの心境を知ってか知らないのか、フィアがタワワの事を天位の9番と呼んだ。
思わず問い返さずにはいられない。
「私が天位の9番なの?」
「ああ」
「ヒビキが10番?」
「そうだが……それがどうかしたのか?」
不思議そうにタワワを見つめるフィアの顔が、どちらが先でも良かった事を伝えていた。
きっと神フィアは、タワワとヒビキがどちらが先に天位へとたどり着くのか……という勝負をしていたことを知らないのだろう。
教会のおしえに、神は全知でも全能でも無い、という記述がある事を踏まえれば、自分達の個人的な約束など、むしろ知らなくて当然だ。文句を言う筋合いでも無い。
ただちょっとだけ、あっけないというか、しまらない決着のつき方だったというだけの話。
「ふぅ……」
自分の中のわだかまりをため息一つで押し流し、気持ちの整理をつけていると、そんなタワワに神が言った。
「では、試練も継承も終わったし、若い二人の時間を邪魔するのも気が引けるので、私はそろそろ失礼しよう」
その言葉に驚いてフィアを見上げた。
「え?」
「どうした?」
「ここが貴方の居場所ではないの?」
タワワの問いかけにフィアは瓦礫の残骸を指差して言った。
「そうは言っても、私の家は見ての通り、あのざまなものでな……」
「……ごめん」
「何、君が謝る事じゃない。せっかくだから久しぶりに街へ降りるのもよかろう」
そう言って、手を差し出した先に門が生まれていた。
「この門は地上に繋がっている。そちらの天位の10番が目を覚ましたら君たちも帰りたまえ」
タワワにそう言い残すとフィアは自分が生み出した門へ足を向けたが、タワワは咄嗟にフィアを引き止めた。
「待って!」
「うん? 何かな?」
「……一つだけ聞きたいことがあるの」
「よいぞ。私に答えられる質問だったら何でも答えよう」
了承を得られたタワワは慎重に問いかけた。これだけは聞いておきたい。
「貴女が神になる前の世界は、争いが無く平和な世界だったの? なら、貴女は何故その世界を変えたの?」
タワワにはテェルネやラクレスと違い世界を変える気はない。が、テェルネやラクレスがああいう結末を迎えた原因は知っておきたいと思った。
いや、今のテェルネの契約者として知らなくてはならない。
「雷の精霊にも言ったが、争いの無い世界というのも、それはそれで歪んでいるものなのだ……といってもピンとこないか。なら私が人であった時の話を少ししよう」
「うん」
「私が生まれた世界というのは確かに人と人が争う、という事がなかった。それを神が禁じていたからだ……どう思う?」
フィアからの質問にタワワは率直に答えた。
「人が争わないなら良い事だと思う」
「まあ、それだけ聞けばそうだろう。だが人は争うものだ。好きな異性を射止める為に競い争い、大事なものを守る為に戦い、時に一欠片のパンを奪い合う為に殺し合うものだろう? そもそも子どもの喧嘩に大した理屈なんてないし、実は大人でも似たようなものだ。それを全て失くすには全てを神が支配しなくてはならない。つまり、友人や結婚相手は神が決め、働く先も神が決め、食べる物も神が決め、眠る時間すら神が決める。……どう思う?」
「………………」
2度目の質問にタワワは答えられなかった。しいて言うなら沈黙が答えだ。
フィアは続けた。
「私にはそれが人の幸せだとは思えなくてな……そして色々あった末に神を殺して自分が神に成り代わったワケだ。そうやって私が作ったこの世界が楽園だとは思わないが、前の世界よりはマシだとは思ってる、というのが本音だ。……君は新たな世界を望むか?」
さらりとした問いかけは、しかし重く聞こえた。
タワワは慎重に言葉を選んで答えた。
「ううん。今の私は、それを望むほど世界を知らない……と思う」
その答えがフィアにとって望ましいものだったのか、それとも稚拙だったのか、何にせよフィアは微笑んだ。
「そうだな、君やそこの彼はまだ若い。若すぎるぐらいだ。……世界を見て回るといい、良い事も悪い事も経験して、その先世界を変えたいと思うなら、再び、私に挑むといい。その時は……」
と、そこでフィアの空気がガラリと変わった。それまで感じていた人間臭さが消え、荘厳な雰囲気が辺りに張り詰める。紛れもない神の威厳を備えて彼女は続けた。
「その時は、この世界の創世者として、全力で相対しよう」
最後の最後でタワワを圧倒したフィア。彼女が門をくぐって居なくなるまで、タワワはまばたきや呼吸すら出来なかった。
──なるほど、あれが神……創世者。
タワワは知らずに膝の上に乗せていたヒビキの額を撫でていた。ヒビキを案ずるというより自分が落ち着く為のものだ。
タワワが頭を撫でても起きる気配はない。締まりなく、のほほんとした寝顔を浮かべている。
思わず言う。
「自分だけ寝ているなんて……ずるいよ」
タワワの愚痴にヒビキからの返事はなかった。その代わり……という訳でもないだろうが、少し離れた場所にいたヒビキの分身の一人が、タワワに声をかけてきた。
「いやー、おっかなかったですね〜。……ところでタワワさん。二人のお邪魔はいけないねって、あの神さまも言ってましたけど、俺らもちょっとお邪魔っぽいんで能力を解除しますね。……なので隊長のこと、お願いします」
言うやいなや端の方から次々と分身が虚空へと消えていく。
分身が居なくなった後に何かあった時は、タワワがヒビキを守ることと、その守る力があると見込まれているのだろうが、それでも本人が気絶しているのに勝手に動いて勝手に能力が解除されるのだからおかしな能力だと思う。
「貴方達も、助けてくれてありがとう」
タワワが誰ともなしに言うと、分身達は笑顔で消えていった。
「……静かになったね」
テェルネも神さまも分身たちも消えた後、天空迷宮の屋上は驚くほどの静寂に包まれた。僅かに聞こえる風の音が無ければ世界が止まったかと錯覚する程だ。
ヒビキは相変わらずスヤスヤと寝息をたてている。
膝枕の状態では動く訳にもいかないので、今のタワワに出来る事は、時折、ヒビキの頭を撫でることと、これからの事に対しての考え事の二つだけだった。
──これからどうしようかな……。
今日だけで大分タワワを取り巻く環境が変わった。今のタワワは奴隷ではなくなった。住んでいる家は木っ端微塵。魔王と呼ばれるサリエルを殺した事で良くも悪くもタワワは注目されるだろうし、何より天位に着いた事だ。
天位の座はずっとタワワの目標だったから夢を叶えたと言っていい。
だがそれは、今までの天位の座を得る為に努力する生活からの脱却でもある。
必然、これからは違う生き方をしなくてはならないのだが、じゃあ何をすればいいのかというと、まだピンとこない。
タワワは自由という存在にまだ慣れていなかった。戸惑いもする。
ただ、慣れず戸惑いつつも悲壮感はない。ちゃんと……というのもおかしな表現かもしれないが、でも、ちゃんと未来に希望は持っている。
「いっそ、神さまの言う通り、世界を回るのもいいかも……ねえ、ヒビキ。そのときは付いて来てくれる?」
眠りこけているヒビキからの返事はなかった。
でも、仮に起きていたとして、断るヒビキというのも想像出来ない。むしろ「タワワちゃんの為なら、地獄の底まで付いていくよ!」ぐらいは言いそうである。
自分の想像したヒビキにクスッと来たタワワは、クスクスと笑いながら未来に思いを馳せていった。
……。
……。
俺は、ふっとまどろみの中から意識が浮かび上がることを自覚した。
──あ〜〜……気絶したんだっけ。
俺の寝起きは結構悪い方で、普段なかなか思考がまとまらないものだが、寝入ったのではなく気絶だった為か、思考が冴えていて気絶する前の記憶もはっきりと思い出せた。
たわわちゃんが戻ったことも、その事に安堵した途端に、今までの死に続けた反動がどっと押し寄せて来て、意識を持ってかれた事もちゃんと覚えている。
──どれっくらいの間、気絶していたのかね。
と、冷静な思考を保っていた俺だが、冷静だったのも目を開けて、自分を見下ろしているたわわちゃんと視線が合うまでだった。
「おはよう、ヒビキ」
──……。
──……。
──…………………………えっ⁉︎ 俺、たわわちゃんに膝枕されてる⁉︎
そう自覚した途端に脱兎の如く飛び起きた。
「おっ、おはっ、およよよっ……って、て、て……え? 死んでる? 死んでるのか、俺⁉︎」
「ちゃんと生きてるよ」
しどろもどろな俺に、若干呆れるように返したたわわちゃん。
どうやら死んでない。紛れも無い現実の世界で俺はたわわちゃんに膝枕されていたらしい。
あれか、頑張った俺へのご褒美的なものだったのか? いや、でも気を失っていた俺はその事を全く覚えていない。
──というより、何で俺は飛び起きたんだ?
そのままでよかったのに、驚き過ぎて自分から退いてしまった。今更ながらに悔いが残る。
いっそ今からお願いしたら、膝枕を再開してはくれないだろうか? と、そんな事を真面目に考えたが、たわわちゃんは既に立ち上がっていて、そんな事を言える雰囲気ではなかった。
俺はがっくりきて肩を落とした。
そんな俺にたわわちゃんが大事な事を告げた。
「ヒビキ、私も貴方も天位の座に付いたよ」
そう言って自分の左肩を指差すたわわちゃん。
するとそこには、カテュハさんと同じ紋様が刻まれていた。
──たわわちゃん、天位にたどり着いたんだ。
まずそう思って、次の瞬間、ハッとして自分の左袖をまくった。
まくった先には、たわわちゃんと同じ紋様が刻まれていた。
咄嗟に天位を授けたであろう神さまを探したが、屋上には俺とたわわちゃんしか居なかった。
「あれ? 神さまは?」
「私たちに天位を与えたあと地上へ向かった。久しぶりに街を見て回るって」
「そうなんだ……」
まだほとんど話もしていないが、神さまなんだからこっちの都合に合わせてはくれないのだろう。そう納得し、もう一度自分の肩に視線を向けると、天位の紋章が揺るぎなく存在している。
思わず指で擦って見ても、当たり前だがペンキの様にかすれる筈もなく、そこでようやく実感が追いついてきた。
──そうか……俺はたどり着いたのか。
思わず迷宮都市での日々を、特に最初の頃の大変だった時のことを振り返った。
最初は聖騎士とか魔法剣士が良かった。でも、叶わなかった。それどころか使えないと言われる無限術師にしかなれなかった。
落ち込んだし、周りからは馬鹿にされた。パーティーを組むことも出来ずに、一人でハイエナの様にエリアをうろつく日々を過ごした。
フルルと出会えなかったら詰んでたし、たわわちゃんがいなかったら頑張れなかった。
「よ、よっしゃややあああああっ! 天位! 俺は天位だっ!」
感情のままに拳を掲げ、喜び、達成感を噛み締めた。
そんな俺を見て、
「ヒビキは素直でいいね」
と、微笑むたわわちゃんは超可愛かった。
そんな彼女を見ると、一種の感慨が湧いてくる。彼女は大分変わった。最初に出会った頃は全く笑わなかったのに、今では自然と笑みを浮かべるたわわちゃん。
もちろん俺は今のたわわちゃんの方が好きだ。結婚したい…………、
「あっ!」
脳内に浮かんだ結婚という単語で俺は大事な事を思い出した。サリエルやテェルネの件ですっかり忘れていたが、俺はたわわちゃんと結婚を賭けた勝負をしていた。俺がたわわちゃんより先に天位になったら、結婚してもいいという約束。
そして今、俺はめでたく天位になったけど、たわわちゃんの肩にも天位の証が刻まれている。
──え? どっち? これ、どっち?
いや……いやいやいや、もちろんあれだ。前にそんな約束をしたからといって、たわわちゃんの気持ちも考えずに結婚を強要したりはしないよ。しないともさ。
でも……でもですね、もしかしたらもしかして、俺とたわわちゃんの仲なら、たわわちゃんは全然嫌がらないかもしんないし、もし結婚という事になったら、全力を持ってして彼女を幸せにする事を神に誓うし……
「私が天位の9番。ヒビキが天位の10番」
「あ、うん……」
駄目だった! 普通に負けてた!
俺は、
──いや、これで良かったんだ……。
と、思いつつも、こう全身から力が抜けた。
そんな俺にたわわちゃんが言う。
「だから、ヒビキとの勝負は私の勝ち」
「うん。そうだね……」
「だから、ヒビキが勝ったら私を好きにして構わないって約束は白紙だよ」
「……もちろんさ」
「もう2度とあんな約束はしない」
「…………うん」
これでもかって言うほど念を押されてグサグサきている俺は、思わず俯いてしまった。
だから、次のたわわちゃんの行動に反応が遅れた。
彼女はいつの間に俺との距離を詰めていた。
「だからこれは、勝負とかじゃなくて、私がそうしたいからそうするんだよ」
頰に手を添えられ、軽く引かれた。逆にたわわちゃんは軽く背伸びして、そして…………。
「…………えっ?」
それは僅か数秒の出来事だったが、俺の時間を止めるには充分だった。
「ええっと……」
かすれた声でたわわちゃんの名前を呼ぼうとしたが、たわわちゃんは既に距離を置いて、くるっと向きを変えていた。俺の呼びかけにも反応しない。
でも、こう、凄く緊張しているのが背中ごしでも良くわかる。
──ええっと。
──ええっと、ええっと……。
──これはあれだよね。俺の妄想とか、願望とかじゃなくて本当のことだよね。だってたわわちゃん耳、真っ赤にしてるし。
──つまり俺たちは両想いってことだよね? だよね?
──結婚? プロポーズ?
──いやいや、ちょい待て。早い、まだ早い。今はもっと普通に、普通にお付き合いでいい。いいんじゃないでしょうか?
──なら、告白? 告白だよね? もう前みたいに断られたりしないよね? だって俺たち両想いだもんね?
全力でのぼせ上がっている俺の頭が、告白をしろ! という結論を出したので、たわわちゃんの名前を呼ぼうとしたが、
「カテュハのことが心配だから、私、先に行くね」
たわわちゃんは、背中を向けたまま裏返った声で俺にそう告げると、返事も待たずに門をくぐった。
1人残された俺は当初、
──ええ? そりゃないよ……。
と、思ったが、直ぐに、ああいう照れ隠しなたわわちゃんも可愛いなあ、という結論に行き着いた。
追いかけなきゃ、と思い、駆け足で門への向かった。
そして門を潜り抜ける瞬間ふと、これからの事について予感した。
俺はこの都市でたわわちゃんに出会ってから、たわわちゃんを目標にして追いかけて来たし、たわわちゃんが居なかったら天位にたどり着く事も無かった。
そうやって天位の座にたどり着くという一大目標を叶えたわけだが、きっとこの後も、俺は彼女の後を追いかける、という気がする。
具体的な理由があるわけじゃない。でも、これまでを振り返りながら未来を想像した時、そんな気がするのだ。
そしてそれは、すっごい楽しいと思う。
あんな可愛い優しいたわわちゃんを追いかけるなんて最高じゃん? そう思う。
我知らず笑顔を浮かべた俺は、
「待って! たわわちゃん、待ってーー!」
声を弾ませながら門を潜り抜けた。
そして誰も居なくなった天空迷宮の屋上……静寂の中、そよ風だけが遊んでいる。




