129 放浪の魔王、その10です
雷を司る精霊テェルネは愉快で愉快で仕方がなかった。意味もなく、笑ったり、地面を転げ回ったり、ステップしたり、手を開いたり閉じたりしながら、このタワワ=リンゴレッドの体が自分の意思で動かせる事を実感していた。
普通はこんな事は出来ない。
召喚者を助けるのが正しい精霊の在り方で、自分の様に、召喚者の体を乗っとろう、などと考えるのが異端であるし、何より、体を乗っとれる程に深く重なったら、あっという間に──それこそ10秒も持たずに召喚者の体が壊れていくのがオチだ。
これまで、テェルネを呼び出す人間は何人かいたが、才能だけで言えば問答無用で突出している。
──これなら、やれる!
長年、思い描いた夢が、この体なら果たせるだろう。そう確信して、また笑った。
「でも、その前に……やらなきゃいけないことがあるのよね」
と、そこで、改めて目の前のサリエルに視線を向けた。
先程、殺害宣言を突きつけたので酷く警戒しているが、テェルネの方は特に警戒する必要は無かった。
天位に到達していようが、魔王と呼ばれていようが、何百年と生きていようが、多少精霊の扱いが上手かろうが、所詮は人間だ。
「さあ、始めましょうか?」
笑いながら言って、歩を進めた。
この男は、タワワを追い詰めて、こうなった原因を作った存在で、テェルネからすれば、ある意味感謝すらしているのだが、それはそれとして容赦する気は無かった。
矛盾しているが、こんなことになってもこの男を許せない、と思うタワワの気持ちがわからない訳でもないし、共感する気持ちもある。
テェルネ個人としても、好きになれない男だ。
──死刑でいいでしょ。
そう思いながら、サリエルの……というより巨人の間合いに入ったテェルネに、頭上から拳を振り下ろされた。先程、ヒビキをぺちゃんこにした一撃だ。
「タワワ様⁉︎」
ヒビキが亡くなった事で攻撃手段がなく、傍観者となったアストリアが悲鳴を上げた。
けれど余計な心配だ。
彼女はふっと姿を消し、巨人の拳は地面を抉るだけだった。
「あはは、こっちこっち!」
サリエルの背後に移動したテェルネが、からかうように居場所を告げると、振り向きざまの一撃が降ってきたが、テェルネは再び姿を消した。
「違うよー」
「残念、後ろなんだなー」
「はーずーれー! こっちだし!」
まるで、おちょくる様に居場所を告げながら瞬間移動を繰り返すテェルネ。
時に遠くへ、時に近くで、時に巨人の肩の上へと、縦横無尽に移動を繰り返す様は、遊んでいるようにも見える。
当然、遊ばれているサリエルは面白くはないが、かといって、いつまでも冷静さを失ったりはしなかった。
彼女が何であれ敵対者には違いない。したたかに、その戦い方を観察して、対策を練っていく。
──これは縮地ではない……身体の精霊化と再構成か。
先程の戦いでも、何回か見た代物だ。ただ、以前は奇襲や緊急回避といった、ここぞと場面でしか使ってこなかった。
ところが、今は大した意味もなく、遊び半分で使用している。そんな使い方が出来るくらいに霊力が増加している。
嫌な予感が頭をよぎりながらも、最善の策を講じた。
「舞え!」
再び黒鳥が生み出された。その数は、今までで、一番数が多く、テェルネを包囲するように距離を詰めていく。
しかし、雷の速度で移動できるテェルネには、なんら脅威にはなりえない。
黒鳥が触れる直前、彼女の姿がかき消えた。
「遅い、遅い ……ん?」
サリエルの側面に回り込んだテェルネの背後から黒鳥が飛び込んで来る。
再び、移動するテェルネだが、そこでも黒鳥がいる。どうやら、鳥どもをサリエルを中心に広く展開する事で、常に波状攻撃を仕掛けるつもりらしい。
「流石に場数を踏んでいるのかしら? 長く生きているだけはあるわねー」
なかなかに面白い攻撃だ。これだけの数で多角的に来られると、瞬間移動の合間のタイムラグを捕まえられる可能性は無くもない。更に巨人も連動して攻撃してくるとなればなおさらだ。
とはいえ、それは、このまま逃げ続けた場合の話だ。
──そろそろ、こっちから行きましょうか……。
そう決めた。まずは、
「とう!」
テェルネは再び跳んだ。次に現れたのは上空でプカプカと浮いているアストリアの浮遊板の上だった。
「え⁉︎ タワワ様⁉︎」
驚きの声を上げるアストリアに律儀にも正確を告げた。
「違うわ。テェルネよ。ところで貴女、ここにいられると邪魔なの」
言い終えると同時に人差し指を彼女の額に添えた。
バチッ! と、人差し指から紫電が走り、悲鳴を上げる間も無くアストリアは気を失った。
そのまま、気を失った彼女の襟首を掴んで彼女だけを瞬間移動、この場から引き離した。
「ま、こんなとこで大丈夫でしょう。私って優しいわ」
今から行う攻撃の巻き添えにならないように配慮した自分の優しさを褒め称えながら、眼下に見えるサリエルと黒鳥の群れに狙いを定めた。
「雷雨散々」
稲妻が、まるで雨の様に降り注ぐ。一つ一つは、初心者が使うライトニングスピアより数段威力が低いが数が数、まず周囲に散らばっていた黒鳥が残らず落ちた。
そして、雷雨の中心に位置するサリエルにも避ける術はないが、彼は自分の作り出した巨人が傘になった。
その巨人も頭部を守る為に、1番上の腕を頭の上で交差させた。
「しつこいわね」
黒鳥と腕2本が使えなくなったとはいえ、サリエルの戦闘力はまだまだ健在だ。とはいえ、その状況でテェルネを捉えることなど出来はしない。
テェルネはアストリアが残した浮遊板の上から下を眺めていたが、けりをつける為に、自らの生み出した雷雨の中へと飛び込んだ。
サリエルのまっすぐ正面に立つと、その右腕でぶん殴った。
何の技術もないただのぶん殴り。
もしこれが仮に上級冒険者が相手だったとしたら、精霊化による瞬間移動で意表をついたことを差し引いても、容易にかわすことが出来ただろう。
しかし、これまで精霊石のスキルで傷という傷を負った事のないサリエルには回避することは出来なかった。
そして、ただのぶん殴りであっても、その拳に込められた力は強大だった。
胸に当たった拳から雷火がほとばしる。
「ぐっ……!」
サリエルはうめいた。痛みはない。精霊石の防御は変わらずサリエルを守っている。
ただ、このまま殴られ続けられると、それほど遠くない内に耐えきれなくなるであろうことは直感した。
とっさに、振り払うように殴り返した。目の前の少女と同じように精霊の力を乗せた一撃。
だが、近接戦闘の心得のないサリエルと、同じく、近接戦闘の心得はないが、鍛えられ俊敏に動くタワワの体を使っているテェルネでは後者に軍配が上がった。
「ほら! ほら! あははっ!」
サリエルの攻撃は空を切り、テェルネの攻撃だけが、一方的に通っていく。
無論、サリエルとて無策で殴られ、蹴られているわけではない。
殴られ、蹴られつつも術式を組み上げた。
「ブラッドチェーン」
サリエルの両手から漆黒の鎖が生み出された。
直接狙うのではなく、一度、テェルネの周りを囲むように広がってから、彼女を中心に収束していく。まるで漁師の投げ打つ投網のような動きで、これにはテェルネも避けられずに捕まった。
「あら」
鎖に絡まる事でテェルネの動きが止まった。
更には、巨人の拳を振りおろす。
サリエルの危機感を暗に示すが如く、容赦の無い一撃だったが、その拳が触れるよりも、テェルネが闇の精霊の力によって作られた鎖を雷の精霊たるテェルネ自身の力で相殺し、消し飛ばす方が早かった。続けて、身体の精霊化を使い距離を置き、巨人の拳は地面を揺らしただけだった。
「ふふふっ! 残念でした」
「………………」
からかう様に笑うテェルネにサリエルは無言を貫いた。
貫いたが、内心は冷静ではいられなかった。
今までの攻防で、特にブラッドチェーンをあっさりと打ち消されたことで、目の前の少女の形をした何かが、サリエルよりも、精霊使いとして格上だと悟ったからだ。
「ありえない……」
今まで、戦闘技術においてサリエルよりも優れた存在は幾人もいた。賢帝ハウゼルや、先程、合間見えたカテュハといった天位クラスだけではなく、上級冒険者の中でも優れた者は、サリエルを相手に上手く立ち回った者がいる。
だが、華麗な技術を相手に一時的に劣勢に立たされても、結局は、圧倒的な精霊の力で押しつぶしてきた。
だが、今、自分より更に圧倒的な力を持つ存在がいる。
知らず、手足が震えていた。
「あらぁ? 震えているのかしら?」
それに気付いたテェルネが、いやらしい笑みを浮かべなが問うてきたことで、サリエルは自分が震えていることに気付いた。
「くっ!」
咄嗟に、力一杯、拳を握り締めて震えを消す。
「私が怖いの? 怖くてしょうがないの? どうする? 泣いて謝ってみる? でも駄目ね。私、貴方のこと嫌いだから許してあげなーい」
「黙れ! ──ナラク!」
今までサリエルは、冒険者が当たり前に持ち得ている、俺の方が強い、弱い、という競争意識を持った事はなかった。
それは、比べるまでもなかったという事でもあるのだが、ならば今、サリエルは初めて、これまで自分が頂点に立っていた事を自覚し、なおかつ、これから蹴落とされるかもしれない恐怖を感じた。
忍び寄る恐怖に対して、サリエルは抗った。
自らの契約精霊の名を呼び、 サリエルは自分の扱える限界ギリギリまで力を振り絞る。
「あははっ、必死ね! いいわ、受けて立ちましょう!」
テェルネも、相手の望む土俵に乗った。
それは、すなわち、どちらがより強大な精霊魔法を扱えるかということだ。これまでとは違って飛び回ることを止め、サリエルを迎え撃った。
始まりは、『シャドウボール』という最初級の技から始まった。
初級の魔術だけに何の芸もないが、それ故に、簡単で早い。
一直線に向かってくるそれに、テェルネもまた初級の技『ライトニングスピア』で迎え撃った。
かたや、あらゆる力を吸い取る枯渇、かたや、莫大な力を秘める雷。
二人の間でぶつかり合ったそれらは、鈍い音を立てて相殺された。
ともぐらいの音が残る最中、テェルネめがけて地下から漆黒の槍が、そして上から巨人の腕が迫るが、これまで雨のように広範囲に降り注いでいた雷が、たった一条の雷に収束され、テェルネを襲う腕を襲った。一瞬の停滞もなく腕一本を消し去ったそれは、そのまま地面に落ちると、地下を進む『シャドウランス』の群れまでも焼き尽くした。
「今度はこっちの番ね、ライトニングエッジ!」
テェルネを取り巻く様に8本の刃が生まれ、サリエルめがけて飛びかかった。
それに対してサリエルは微動だにしなかった。
「あら?」
少なからず意外だった。てっきり影の巨人で防ぐと思っていたのだが…… 防御は精霊石に任せて攻撃に専念するらしい。
──来る!
理屈よりも先に直感した。
事実、影の巨人の輪郭はふた回りほと肥大していた。
雷の雨が晴れた事もあって全ての腕がテェルネに向けられている。
「上等じゃない……トールハンマー!」
テェルネの手の平から一振りの槌が生まれた。原理としてはサリエルの傀儡と同じだ。闇の精霊で影の巨人を形作っているように、雷の精霊で武器を作り上げている。
とはいえ、テェルネのハンマーは使用者の体格に合わせるように小ぶりで頼りない。サイズ感だけで言えば天と地ほどの違いがある。
だがテェルネは怯むことなく、クルクルとハンマーを振り回した。サリエルとて、この期に及んで侮ったりはしない。
そして、
「行け! 阿修羅よ!」
「あはっ! 行くよ!」
かたや。サリエルの号令により、死を振り撒く鉄拳が上から落ちてきた。
対するテェルネは下段に構えてたハンマーを振り上げた。
共に渾身の一撃は正面からぶつかり、一瞬の拮抗すら生ずに傀儡の腕が吹き飛んだ。
圧倒的な力の奔流が、接触面から伝わる事で腕そのものが燃え上がった。
「まだだ!」
それでも残る5本の腕が、次々と繰り出されるが、テェルネの振り回す槌が、そのことごとくをうち払う。
「〜〜〜〜〜〜!」
傀儡は、腕を失い、雷火に身を焼かれながらも、最強の一撃である暗影色の炎をテェルネに向けて放った……が、彼女はなんと、その手に握りしめたハンマーをぶん投げた。
「ぶっ飛べー!」
回転しながら突き進むハンマーは、炎を吹き散らしながら、なおも勢いを弱めることなく突き進み、巨人の額を直撃した。
ぶつかった瞬間、ハンマーを構成していた雷が全て巨人へと流れた。
電熱で、巨人の頭部は蒸発した。のみならず首から下も雷が荒れ狂い霧散していく。
その様子をサリエルは呆然と見守っていた。
「………………」
その、無防備に頭上を見上げる様は隙だらけで、次の手を考えるところまで思考が追いつかない。
彼の長い人生はあまりにも無敵すぎて、刹那の戦闘思考力を培うには至らなかった。
その隙が致命傷だったのか? それとも、例えどう動こうとも関係なかったのか? 何にせよテェルネは容赦というものを知らなかった。
「これで、終いね!」
再び雷神の槌を作り出すと、サリエルへ狙いを定めた。
「じゃ、さようなら」
別れの言葉と共にハンマー、「えい、やぁ!」と放り投げた。
それをサリエルは避けられない。
ハンマーがぶつかると、一瞬、精霊石の防御がサリエルを守ったが、それは本当に一瞬のことだった。
パリン! ──と、ガラスが割れる様な音がした。
それが、サリエルの最後に聞いた音となった。
次の瞬間、全身を揺さぶる衝撃がサリエルを襲った。
痛いと思う時間すら無なかった。
……。
……。
「おぅ? 形が残ってる⁉︎ 」
ところどころ焦げながらも、死体が原型を残しているサリエルを見て、テェルネは驚きの声をあげた。
自分のトールハンマーを受ければ、人体など蒸発するのだとばかり思っていた。防ぎ切れなかったとはいえ、だいぶ精霊石のスキルで威力を相殺されたみたいだ。
──ま、流石は最強と呼ばれるだけのことはあったのかしら。
なんにせよ決着はついた。そして、今はテェルネが支配するこの体が最強だ。
「ふふふっ! うふふふふふっ!」
使ってみて、よりはっきりと分かった。この娘は才能がありすぎる上に、テェルネと相性が良すぎる。今後、何百年経とうとも今のテェルネを超える者など現れはしない。
現に今、長年にわたって最強と呼ばれたサリエルと一戦交えたばかりなのに、少しも疲弊していない。むしろ力が湧いてくるようだ。
「これなら、神さまだって殺せるわ」
テェルネは長年の望みを果たすべく、サリエルの死体を放置して歩き出した。
目指すのは天空迷宮の最上階、そして神殺しだ。
……。
……。
テェルネがサリエルと決着をつけた時間、フルルは、気を失っているヒビキの分身の頬を叩いて目覚めさせようとしていた。
「隊長! 起きて、隊長!」
その声は涙声だった。無理もない。
ヒビキはサリエルに捕まって、引き寄せられた。
その後はわからないが、絶望的な状況だ。
咄嗟に転移で飛ぼうと思った、分身たちに止められ、
「大丈夫、大丈夫ですから、多分」
と、物理的に止められたが、しばらくして隊長の分身たちは幻の様に消えていった。
その時フルルは、隊長が死んだのだと思った。他に考えようがなかった。
ところがだ、消え行く分身たちの中で一人だけ消えない分身がいて、その分身は気を失って地面に倒れた。
思わず駆け寄り、こうやって声をかけているが、フルルにも訳がわからない。
隊長と呼んではいるものの、果たして本当に隊長なのか? なら、サリエルに捕まった隊長は何だったのか? もしや、あっちの方が分身でサリエルを欺く為の芝居だったのか?
仮にそうだとしたら、何故、今、気を失っているのか? それとも、やっぱり、あっちが隊長が本物で、この分身は何らか理由で消えてないのか?
フルルには全く訳がわからない。ましてや戦う力を持たない自分には出来ることもない。せいぜいが、こうやって頬を叩いて、この隊長なのか分身なのかわからない存在を叩き起こすことぐらいしかできない。
「起きて! 起きてったら!」
ラチがあかないので叩く勢いがだんだんと強くなり、今では、思い切りのいい音がバチン! バチン! と辺りに響き渡っている。
「おい、坊主。もうやめといた方が良くないか?」
未だに立ち上がれない治安部隊の隊長がそう声をかけた時、
「う……んっ」
気を失っていた何者かが、意識を取り戻しつつあった。