128 放浪の魔王、その9です。
「……あんまり効いてねえ」
分身の目を通して、無数の炎弾に包まれているサリエルを観察しているが、効いているとは思えない。涼しい顔で周囲を群がる分身たちを叩き潰している。
そして、更に危険な事が一つ。サリエルの手の平から生み出されている黒い鳥だ。あれはきっと俺本人を探し出す為に放ったものだ。
俺たちはそう遠くない場所にいる。ましてや、何百人という集団だ。めちゃくちゃ目立つ。きっと空からなら、すぐに見つかるだろう。
俺は隣の相棒に相談した。
「フルル、魔王の使い魔が空からやってくるんだけど、どうしよう?」
「え? えええええっ⁉︎」
それまでも決っして良かったとは言えなかったフルルの顔色が、見事に蒼白になった。
「なら、亜空間ボックスに逃げ込む……訳にはいかないよね……」
「いかないよなあ、詰んじまう……」
亜空間ボックスを利用した戦い方は、これまで俺たちの必勝法と言ってもいいくらいの戦法だったが、あれはモンスター相手だったから有効だった訳で、これが対人戦となるとそうでもない。亜空間ボックスの入り口で待ち構えられるからだ。世間では、箱の中のネズミたちと呼ばれている。無論、亜空間ボックスの中には籠城出来るだけの備蓄が、これでもかって程、用意してあるが、俺たちが大丈夫でもたわわちゃんが連れ去られてしまう。
避難は無しだ。
じゃあ転移で逃げればいいかと思うが、それも、あんまり上手くない。
これ以上距離を取ると、分身をサリエルの元へと届けるルートが『転移』だけになる。
そして、『転移』には回数制限がある。
フルルはそう魔力が多い訳ではないし、『転移』はかなり魔力を使う。現時点で最高5回、既にこれまでに4回使っている。無論、マナポーションも備えてあるが、統計的に、体格の小さな人間は耐性も弱い。小柄なフルルがマナポーションをがぶ飲み出来るとは思えない。
貴重な転移は攻撃に使うべきだし、そもそもが、カテュハさんとたわわちゃんを撃破している魔王相手に、そんな逃げ腰で勝てるとは思えない。
大丈夫だ。新しい力を手に入れた俺なら、もっと攻撃的に行っていい筈だ。
──最悪、フルルさえ無事ならいい。
俺は決断した。
「フルル。転移で逃げる心の準備だけはしといて。危なくなったら逃げるから」
フルルにそう伝える内にも、俺の周りでは、俺の分身たちが3手に分かれた。一つはサリエルを倒す為に進軍して、もう一つは転移を使い、サリエルの背後に回らせる。そして最後の一つは、黒い鳥を迎え撃つ為に陣形を整えている。
流石、俺の集まりというか、以心伝心、素早く迎撃態勢が整った所で、サリエルの黒い鳥が俺たちを発見して向かって来た。
「撃てぇえええ!」
俺の号令とともに幾多の火球が発射され、次々と黒鳥を撃ち落としていく。幸いと言っていいのか黒鳥は頑強な訳ではなく、ファイヤーボールが1発当たれば霧散した。
時々、ヒュン! ──と、弾幕を抜けてくる奴も偶にいたが、マジックシールドの壁に引っかかり、剣で撃退していく。
「よし! とりあえず凌いだ」
サリエルの攻撃を凌いだ事で思わず安堵したが、そうそう楽観もしてられない。
あっちでは、俺の兵隊がサリエルの巨人に手も足も出ていない。出しては潰され出しては潰されのイタチごっこになっている。ファイヤーボールの一点集中も効いてない。
となると、俺の攻撃手段の中で最も威力のある自爆を試したいんだけど、あの巨人が背後に控えていると近寄るのも困難だ。
「やっぱ、あのデカいのからやるか!」
その言葉と同時に、サリエル目掛けて発射していた炎弾の標的をサリエルから巨人の頭に切り替えた。
「〜〜〜〜〜〜!」
巨人が声なき咆哮を上げた。一瞬、効いたか⁉︎ と期待したが、腕をブンと振り回して兵隊を吹き飛ばしていく猛威は、全然衰えない。
「厄介だな!」
ドラゴン相手でも、もうちょっと効果があると言うのに巨人には効いている気がしない。まるで、影を踏み付けているかのような徒労感がある。マナポーションを飲んで魔力を回復させつつ、次の作戦に切り替えた!
「えーい! 死なば諸共! 突っ込めオメーら!」
四方からサリエルと巨人目掛けて突撃を仕掛けた。当然、巨人が、たわわちゃんを捕まえている腕、以外の腕を存分に生かして近寄る分身どもをミンチにする。
が、しかし、いかに強力だろうと、たかだか5本の腕で俺の分身たちを潰しきる事も不可能だ。
「うおおおっ!」
腕を掻い潜った生き残りたちが、サリエルに飛び付いた。
腕や足にしがみつくと同時に、タイミングを合わせて自爆して、耳をつんざく衝撃音が辺りに響いた。
「やったか?」「どうなの?」
自爆の衝撃で埃が舞って視界が遮られた。
効いたのか? 効いてないのか?
答えは巨人が炎を吐き、分身たちを火だるまにした事で分かった。全然、効いてねえ。
「熱っ!」
「熱っちっちっちっ!」
一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図が展開された。中には盾で防ごうと頑張る分身もいたが、その、炎に強い氷青鋼で作った盾そのものがドロッと溶けていった。
そして、粉塵の中からサリエルが、まるで埃を嫌うかの様に服をはたきながら歩いてきた。やはりというか何というか、かすり傷一つ無く、再び黒鳥を生み出している。
「ちくしょう! 負けるか!」
俺は、減った分の補充を急ぎながらも、天位の4番の強さを認めざるを得なかった。
かつて、ここまでハイペースで分身を生み出し続けながらも、まるで効果が見えない敵はいなかった。最強と呼ばれるのも納得だ。
だが、降参する気はさらさら無いし、打つ手がなくなった訳でもない。
確かに、俺の最強の攻撃力を持つ自爆でもサリエルの絶対防御は突破出来なかったが、巨人の方は無傷でもない。胴体に穴が開いている。それもジワジワと塞がっているが、自爆ならダメージを与えられるのだ。
そして、最初の奇襲で頭を吹き飛ばした時は、頭が復元するまでは巨人の動きが止まっていた。
なら頭を吹き飛ばし続ければ、巨人は無力化できるし、そのまま持久戦に持ち込めば、今の俺なら負けない……筈だ。たぶん。
なんにせよ、頭狙い……なのだが、
「背が高えよ」
巨人は足がなく、地面から胴体が生えているのだが、それでも、10メートルは優に超えている。下で自爆しても頭までは吹き飛ばせないだろう。
かといって、よじ登るのも不可能だ。
「うーん……」
頭を吹き飛ばす方法が全くないわけではない。というか一つだけある。最初の奇襲の様に転移を使って上から攻めればいい。
──だけど、それには……。
と、躊躇していると頭上から声をかけられた。
「ヒビキさん、何やってるんですか⁉︎ 速く、あのナメクジストーカー男を、叩き潰してすり潰してミンチにして下さいよ!」
エグい事を言いながら、俺たちの隣に降り立ったのは、俺の中で株が爆裂急上昇中のメガネガール、アストリアさんだ。たわわちゃんのピンチを知らせに来てくれた事には本当に感謝している。チャイムも鳴らさず、玄関もくぐらず、俺の部屋の窓ガラスをぶち破って訪れたという暴挙も笑って許せるくらいだ。
そんな彼女は身を隠しながら、たわわちゃんの身を案じていたのだが、サリエルに傷一つ負わせられない、今の状況に業を煮やしてやって来たのだろう。
「アストリアさん。なんて、ちょうどいいタイミングで……」
「なんでしょうか、ヒビキさん? ……あ! もう一度、ヒビキさん落としをやるんですか?」
「あー、それなんだけど……」
俺は言葉を濁した。彼女の言う『ヒビキさん落とし』とは最初に巨人からたわわちゃんを取り戻したアレだ。具体的にはアストリアの持つ浮遊板にフルルの転移をつけて、かつ、彼女の持つスキルで大気を屈折させ、姿を隠した上で飛んで貰い、敵の頭上から生きる爆弾とも言える俺の分身をスカイダイビングさせる技だ。
さっき考えたばかりの即席コンビネーションだが、隠密性と破壊力は抜群で、たぶん大概の相手は一方的に圧殺できるし、あれなら巨人の頭を直に狙える。
だが、最初の奇襲と違い空には黒鳥が舞っているし、反撃され、巨人の吐く炎に焼かれたらひとたまりもないだろう。
そう躊躇していたら、アストリアさんの方が強く言った。
「やりましょう、ヒビキさん! やって、タワワ様を解放しましょう!」
「いや、でも、アストリアさんが危ないよ?」
俺がそう言うと、彼女は人差し指を立てて、ちっちっちっと左右に振った。そして言う。
「タワワ様ファンクラブのナンバー2ともあろうヒビキさんが、一体、何を言っているのですか? タワワ様の為なら、私やヒビキさんの命など遠慮なく使い潰せばいいんです」
「アストリアさん、凄いね…………じゃあ、よろしく頼む」
真顔で言い切った彼女に本気で感心した俺は、素直にお願いすることにした。
そして、フルルがアストリアの持つ浮遊板に転移の印を付けると、彼女は、先程からひっきりなしに襲いかかってくる黒鳥を避ける為に、大きく迂回するルートで飛び立っていった。
「あとは、時間稼ぎだ……」
彼女が巨人の頭上を取るまで、そして、万が一にも上空に注意を向けないよう、地上に意識を引きつけておく必要がある。黒鳥を生み出す余裕を無くせれば、なお良しだ。
「という訳で死んで来い!」
俺は身もふたもない命令を分身たちに伝えた。
それから分身たちは、突撃しては潰されて、背後に回り込んでは払われ、炎弾を放てば逆に燃やされたりと、これまでと変わらぬ蹂躙を受けつつも、逆に、こちらに向かって来る鳥は全て叩き落す、そんな一進一退の攻防を続ける内に、アストリアさんが巨人の頭上にたどり着いたので、フルルが転移のゲートを開けた。
「よし! 出番だムササビ部隊!」
「「「おーーーー!」」」
分身たちは、威勢のいい掛け声と共に転移のゲートをくぐって大空へと飛び出した。
狙うは頭だ。
まるで、巨人の頭上だけ雨が降っている様なありさまで、頭と言わず、巨人の全身にまとわりついた所で一斉に自爆した。
ドドン! という音というよりも、衝撃が辺りを駆け巡った。巨人も、虫食いだらけの古紙の様なありさまで動きが止まった。
「よしっ!」
手ごたえを感じつつも、即座に追撃のムササビ部隊を投入した。
勢いよく落下するムササビ部隊は、巨人が復元するより先に、再度巨人にまとわりつき、自爆で傷跡を広げていく。
2度の連続自爆で、巨人はほぼ原型を留めていない。
それでも手を緩めることなく、次から次へと分身を落としていく。
巨人に復元する暇は与えないし、その下にいるサリエルもこうなったら手も足も出ない筈だ。
見れば、仰向けの形で半ば地面に埋まっている。未だに傷一つ負ってないが、俺は、このムササビ部隊を理屈の上では半永久的に続けられる筈なので、このままタワワちゃんが解放されるまで延々と続けるつもりだ。
「勝った!」
思わず喝采を上げ、拳を掲げようとした。
が、体が万力で固定された様に動かなかった。
──あれ?
そうなった原因に俺より先にフルルが気付いた。蒼白な顔で悲鳴を上げた。
「た、隊長⁉︎ それ!」
「それ?」
促されて視線を下げると、俺の体は黒い影の様なもので覆われていた。
「……………………もしかして、闇の勾玉って奴か?」
相手を束縛するサリエルの18番、『精霊石』と同じくらい有名なスキルだが、今の今まで、一切使ってこなかったので、完全に失念していた。
──これだけ離れてんのに、射程距離内なのか? ……つーか、鳥は囮か……。
影の拘束を振り解こうと、体を揺らしてみたが首から下はピクリとも動かない。
噂によれば上級冒険者でもどうにもならない代物だ。
──まずいな……。
焦る俺は、打開策を考えたが、策を思いつく前にふわりと体が浮いた。
そのまま、戦場であるカテュハさんの屋敷の跡地まで一直線に引っ張られた。
「この! 離せ!」
もがいても、ビクともしない。
そんな無駄な努力をしている間に目的地に着いたらしく、ズザザっと乱雑に転がされた。まるで地面に転がるみの虫だ。
ゴロゴロと転がる俺に、上から声がかかった。
「中々に強かったよ。君が次の天位と噂されるのも納得だ」
土まみれになりながらも見上げれば、自爆地獄から解放されたサリエルが立っていた。その背後で影の巨人も復元しつつある。
身の危険をひしひしと感じる。この状況はほとんど生殺与奪を握られている状況だ。
そんな中でサリエルが言う。
「どうだい? 彼女に僕のものになるよう頼んでくれないか? もし成功したなら、君のことを生かしてやっても──」
「うるせえ! ば〜か〜! 死ね!」
俺は間髪入れずに、そう返した。
「勝手に勝った気になってんじゃねーぞ! 勝負はこれからだつーの!」
首から下は指一本動かせないが、分身には命令できる。俺は覚悟を決めて命令を出した。遠巻きに俺たちを囲っていた分身が武器を構えて突撃を開始した。
サリエルはそれを見て、煩わしそうに言った。
「なら、仕方がない……君は、新しい天位になれたかも知れないのに……残念だね」
言い終えると同時に巨人の腕が、俺めがけて降ってきた。
「ヒビキ! 駄目! 止めて!」
最後に、たわわちゃんの悲鳴が聞こえた。
……。
……。
タワワは巨人の腕に掴まれたまま、ヒビキ本人が潰されるのを見てしまった。
それと同時に、周囲の分身たちが幻のように消えていき、身につけていた武具が地面に落ち、ガシャリと音を立てた。
──本当に……ヒビキ本人だったんだ。
もしかしたら、サリエルが捕まえたのは、実は身代わりの分身だったんじゃないか、という願いは愚かな現実逃避に過ぎなかった。
「うぅ……ぅぁぁぁっ……」
嗚咽を漏らした所で、ヒビキは返ってこない。
タワワを守る為に戦って、そして死んだ。
真っ先に、自分を責めた。
──私のせいで……。
──私のせいで! 私のせいで! 私のせいで!
そう自分を責めたてていると、どこからともなくタワワを責める声が聞こえた。
『そうそう。ヒビキが死んだのはあんたのせいね』
タワワは否定しなかった。事実だからだ。
『だって、あの男に勝つ方法はあったじゃない? 貴女がその気になればあんなの敵じゃないわよ』
タワワは否定しなかった。事実だからだ。
『で? これからどうするの? あの男が貴女を従わせる為に、周りの人間を殺していくのを黙って見ているの? それとも、諦めて大人しく抱かれる? ヒビキを殺した、あの男に?』
どっちも嫌だ。絶対に嫌だ。
『なら、私の名を呼びなさいな』
タワワは、その呼びかけに応えることが自分の破滅だとわかっていて、そして自分だけで済まないであろうこともわかっていて、それでも、今、拒絶することは出来なかった。
いつぞやと違い、何の準備もなく、その名を呼んだ。
「来て、テェルネ」
その瞬間、タワワの中に途方もない力が入ってきた。
あまりにも強すぎて、タワワ自身の自我が押しのけられていくが構わなかった。
……。
……。
サリエルは一応、周囲を観察していたが、どうやらあの無限術師は本当に死んだようだ。
「勝負はこれからだ、なんて言うから分身かもと思いきや、ただの負け惜しみか……さて」
途中、邪魔が入ったが、親しき人間の死に様をみれば、諦めがついたかもしれない。もし、つかないのであれば次の生贄を持って来ればいい。
──次は、あの空を飛ぶ女かな。
内心でそんな事を考えながら、うなだれている彼女に近寄っていくと、バチッと小さな雷火が閃いて、サリエルは足を止めた。
たった一つの雷火は瞬く間に数を増やしていき、やがて周囲を満たした。
異常な光景だ。異常な光景だが、サリエルの目はタワワ=リンゴレッドから離れなかった。周囲の異常よりも彼女の異常の方がより顕著だからだ。周囲の異常はただの余波にすぎない。
彼女から、尋常ではない精霊の力が漏れ出ている。
「ば……馬鹿な……」
サリエルは呻いた。自分が卓越した、それこそ、歴史上最強と呼ぶに相応しい精霊使いだからこそわかる。まるで奈落の底のように、果ての見えない彼女の底なしを。
その時だ。うなだれていた筈の彼女が唐突に笑いだした。
「あははっ! あはははははふはははっ!」
親しき人を殺されたばかりとは思えない、楽しくて楽しくて仕方がないという感情が伝わってくる、底抜けの明るさを感じる笑い声。
そして次の瞬間、雷火がほとばしり、彼女を捕らえていた傀儡の腕が吹き飛んだ。
あっさりと自由になった彼女は、しかし、目の前にサリエルがいるというのに、まるで気にも止めずに子供の様に笑い転げた。
「あはははっ! 遂に! 遂に手に入れた、この体! うふふふふっ! 凄い! 力が溢れてくる! なんて才能なのかしら⁉︎」
自らを抱きしめながら、壊れた様に笑い転げる様は、まるで気が狂った様にも見える。少なくとも、これまでのタワワ=リンゴレッドの振る舞いとはかけ離れている。
「君は……一体、なんなんだ?」
サリエルの問いかけに、地面を転がっていた彼女──雷の精霊テェルネはひょいと立ち上り、無邪気な笑顔を浮かべて言った。
「私が何か? 馬鹿じゃないの? そんなこと、今から死ぬ貴方に何の関係もないじゃない?」