101 クラン『冬景色」その3です。
「例えば、滝の大地の命の木の実、炎庭のトテン草、闇の迷宮のガリオスの書、どれも、人類を発展させる重要な物だ。だが、どの品も、そこにたどり着くまでが長すぎる。途中、強大な魔物もいる。今まではとてもじゃないが、安定供給など不可能だった。だが、『転移』があれば、不可能が可能になる。それにより大勢の人が助かるだろう。そんな可能性を秘めた空間術師を、一個人が独占するなど人類の損失だよ」
俺はヴァイスのどうでもいい話を聞き流しながら、いかにこの場を切り抜けるかを考えていた。
ヴァイスを含めて10人以上の冒険者。それも、おそらくは全員が上級……正直、厳しい。
何が厳しいって、互いの距離が一歩の間合いにあるのが、厳しい。
もう少し離れていたら、亜空間ボックスに籠城出来ていた。相手も、それを間違いなく警戒している。だから、露骨なまでに距離を縮めているんだろう。
じゃ、どうするか?
『転移』で逃げる。……無理だ。『転移』は亜空間ボックスを開くことの何倍も時間がかかる。
分身を召喚して時間を稼ぐ。……無理だ。武具も秘薬もない。右手の封印を解くのも、意識を集中して魔力を流さなきゃならないから、かなりの手間がかかる。
上級相手にそんな余裕はない。更に、分身を召喚するという事は、攻撃魔法を使うことと同義で即、開戦となるだろう。今の状況では無謀だ。
むしろ、こいつらはそれを待っているような気すらする。
それに、この至近距離で俺が素早く分身を召喚できるかという懸念もある。
俺は分身召喚だけに限ったら、そうとう速い。詠唱もなく一瞬で何人も召喚できる。
だが、それは後方で、差し迫った危機がない時の話。この状況で冷静に召喚できる自信がない。
少なくとも、少し前に、厄災で俺本人が剣を握ったときはそうだった。剣を振るか、召喚するか、どちらか一つしか出来なかった。どちらも出来るのはたわわちゃんぐらいのものだ。
(やべえ……詰んでるか、これ?)
非常にまずい。少なくとも絶対に安全な策が思い当たらない。
だが、同時に一度亜空間ボックスに逃げ込めばなんとでもなるという気がする。
こいつらが火龍より強い気がしない。
隙を作ればなんとかなる。それなら手がない訳じゃない。
今の状況では、分身を召喚することは難しい。だが、俺は既に分身を何人か召喚しているのだ。それを使えばいい。
別に、不測の事態に備えてあらかじめ召喚していたのだ! という訳じゃない。部屋の掃除だったり、紫煙花の世話だったりで召喚していたんだ。それを使う。まずは亜空間ボックスの中にいる、畑の世話をしている4人を武装させ、右手の封印をいつでも解けるように準備させた。また、部屋の中を移動する為の紋章を通して、フルルに伝言を使えることもできる。
これで、まったく言葉や仕草を介さずにフルルと意思疎通ができる。
そして、部屋の掃除をしていた分身の動きが肝心だ。部屋を出て、素早く準備を……。
「別に、奪い取ろうという訳じゃない。適正な対価をキッチリ支払おう。なんだったら、今からでも、君をクランに加入させても構わ…………おい! 聞いているのか⁉︎」
「あ? ……ああ、聞いてる聞いてる」
俺は嘘をついた。準備が整うまでは話し合いを続けなきゃいけない。
「それで、なんだっけ? …………えーと、フルルがクランに所属しないのは人類の損失だってか?」
「ああ、そうだ」
「んなこたねーだろ? 今だって人類に貢献してるよ。ちゃんとエリアから魔石を取ってきてるよ?」
「クランに所属すれば、より貢献できる筈だ」
「……まあ、現時点ではそうかもな、でも将来的に考えたら、そうでもない」
「それは、どういう意味だい?」
ヴァイスの質問に、俺は俺自身を指差して答えた。
「ん、クランに所属するより、後の『天位の9番』と一緒にいる方がより貢献できるってこと」
俺の答えは、目の前のヴァイスも周囲の奴らも、不快にさせたらしい。
「……そんな、夢想を私達の前で言わないでくれ」
なんだそれ?
「俺は本気だよ。まあ、あんたらには夢物語かもしれないけどな!」
言ってから後悔した。時間を稼いでいるのに喧嘩を売ってどうする? 案の定、周囲の視線に敵意が混じった。
「何も知らないガキが調子に乗るなよ」
「確かに、まさかクランのサブリーダーがこんな下品な脅しをかけてくるなんて知らなかったなぁ」
売り言葉に買い言葉の応酬が止まらない。フルルが隣でオロオロしている。
どうにも……俺とこいつは悪い意味で歯車があっていて、困る。
せめて、あと5分は必要だぞ。そう思いつつもはっきりと宣言した。
「まあ、なんにせよ俺はクランには入らないし、フルルも売らない。人類への貢献は天位の座に就いてから貢献するよ。だから、諦めてくれ」
そんな俺の言葉は鼻で笑われた。
「天位の座か。何も知らずにずいぶんと調子に乗っているな。そもそも、現在では天空迷宮に挑むことは禁止されている」
「はあ?」
寝ぼけてんのか、この馬鹿は? そう思ったが、今の言葉には真実味がある様な気がする。
「そんな話、聞いたことないけど」
「だから、何も知らないガキだと言っている。上級である程度、経験を積めばその辺の事情は自然と耳に入ってくる」
ムカつく。……ムカつくけど、その辺の事情とやらを知らないのは事実だ。
「なんで、そんな事になっているんだ?」
俺の質問に、ヴァイスはまるで幼児園児に物を教える様な口調で話し始めた。
「いいだろう。教えてやるから良く聞け。かつては、上級冒険者がこぞって、天空迷宮に挑んだ。そして、挑んだほとんどが帰還出来なかった。その結果、上級冒険者の数が不足して、魔石の供給が滞ることがたびたびあった。そもそも、天空迷宮を踏破しても得る者は紋章一つ。なんら人類への貢献にならない。そんな個人の名誉な為に人々の暮らしが脅かされるなどあってはならない。故に現在では、竜種を単独で狩る力を持つ者のみが挑戦権を得るという。誰にも不可能な条件を課すことで、天空迷宮への渡航を禁止しているのだ」
「…………えっ?」
待った、待った……今、なんかおかしかった。
「えーと、……………………つまり、ドラゴンを独りで倒せば、天空迷宮へ挑めんだよな、今の話しからすると…………別に禁止されてねーだろ?」
「そんなセリフは、実際に竜種に挑んでから言え、馬鹿が!」
「えー…………」
いや、挑んだから、……つか倒したから言ってんだけどな、こっちは。
つまり、なんだ、普通の上級冒険者は独りで竜を狩れない訳か?
いや、前に話した『巨人の剣』のおっさんの話しでも、竜はクランでしか狩れないとか言ってた。
つーことは…………俺、めちゃくちゃ強くなってねぇ?
(グレイス博士、ありがとう。あんたは本当に凄いわ)
いや、火龍を狩ったとき、相当に強くなった気はしていたが、予想以上に凄かったらしい。
少なくとも、目の前のこいつに負ける気がしない。
(だいたい、俺の前世は日本人だぞ。人類への貢献より個人の権利だっつーの)
(そもそも、お前だって、建前に使っているだけだろ⁉︎)
罵倒は内心に秘めて、聞くべきことを聞く。
「そもそも、どうやってフルルの『転移』を知ったんだ? ガセネタだと思わない訳?」
「情報屋は信用が命だ、不確かな情報など売らない」
「情報屋」
「ああ、上級冒険者やその仲間のステータスを看破で調べて、売っている奴らがいる。そして今は口止め料を支払って黙らせているが、いずれは他のクランも知ることになるだろう。そうなれば、どの道、その空間術師は手放さなければならない事態に追い込まれる。遅かれ早かれだ。だから、今の内に穏便に手放す方が利口だぞ」
「これが、穏便な手口かよ……」
そうぼやきながらも、そろそろ準備が整った。
超高級レストランともなれば食事だけじゃなく装飾も凝っている。
特に窓ガラスの向こうの庭園は見事だ。派手さはあまりなく、ワビサビを感じる庭だ。特に中央の枯れ木が静けさと落ち着きを与えている。その塀に囲まれた小さな庭の隅に俺の分身は忍び込んでいた。その手には、途中の露店で買った煙玉のつまった籠を抱えている。
これから、こいつで火事を演出する。その隙に亜空間ボックスに逃げ込む。
そして、もし逃げ込む事に失敗しても、ひとたび煙が出れば野次馬がわんさかと現れる。
そんな衆目の中で、こんな圧迫面接は出来ないだろう。
(折角だから、煙玉だけじゃなくて、庭の真ん中の枯れ木もファイヤーボールで燃やすか……)
そう考えていると、ヴァイスが最後通告を渡してきた。
「これが、最後だ。大人しく譲るか、それとも痛い目に合って譲るか、好きな方を選びたまえ」
「どっちもごめんだ。バーカ!」
その言葉と同時に分身は右手の人差し指を伸ばして、煙玉を枯れ木の周りに転がし、ファイヤーボールを打ち込んだ。
そしてーーズガン!
枯れ木が爆発した。
えっ? と、不思議に思う間もなく木のそばの分身は即死した。
更に破裂した枯れ木がこちらにも飛んできて、ガラスを粉々にしつつ、室内を蹂躙した。
「きゃあああああ!」
「うわああああ!」
周囲の人間が悲鳴をあげた。俺も椅子から転げ落ちた。
気がついたら地面に寝転がっていた。
「なんなんだ一体? ……っ! フルル大丈夫か⁉︎」
物が散乱した地面に手をついてフルルを探すと、フルルも地面に転がっていた。でも、怪我はしていなかった。
(良かった!)
そう思うのと、
「隊長!」
フルルが悲鳴の様に俺を呼ぶのが同時だった。
一体何事だと、フルルの視線を追っていくと、俺の腹にガラスが突き刺さっていた。
(深いな、これ)
そう他人事の様に思いつつも、俺の意識は闇に飲まれて行った。
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『エリア百科事典』
爆裂木。主に70番台のエリアに見かけられる。木目が非常に美しいが火をつけると爆発する。この木のそばで戦う時は炎系、雷系、光系の魔術は厳禁である。