量子猫の憂鬱
猫にもいろいろ種類がいる。路地裏の喫茶店を自由気ままに闊歩する傲慢な野良猫もいれば、豪邸で毛皮の絨毯に寝転ぶ傲慢な猫もいる。
とかく猫とは傲慢な生き物だ。己の可愛さにかこつけて世界制服を目論む毛むくじゃらの生き物にして、水が苦手なプリティーでチャーミングな耳を有する生き物だ。
こんな可愛い生き物を嫌いな人間はいないだろう。路地裏で『にゃん』と一鳴きしてみれば、エサの一つや二つは与えられる。そうして可愛さの叩き売りをしていると変な人間に拾われたりするから実に不毛である。
吾輩はとある科学者によって拾われたのだが、その出会いはまさに不運と呼ぶ以外にほかない。
彼の名前は忘れてしまった。容姿も特に覚えていない。猫の記憶をあてにしてはならない。
その科学者は吾輩を拾った後、鮭や牛乳と馳走を振る舞ってくれたのだが、正直どれも口には合わなかった。
余談だが、猫にマグロを与えると「うみゃあ」と鳴くのは本当の話で、吾輩自身が身をもって証言しよう。
そうして月日は馬車馬の如くかけ、吾輩の毛が高級シャンプーの匂いが漂いだすようになって。ようやく事件は起きた。
それはちょうど吾輩の不遜なる毛が生え変わる時期だったかもしれない。とかく吾輩は科学者につれられるままある箱の中に閉じ込められた。
「にゃッ!」と一鳴きした時には時すでに遅し、ガチっと戸が閉まる音を最後に吾輩の景色は黒一色へと塗り替えられた。
「いいかい猫君。私は今までさんざん君を可愛がった。あの路地裏で、君が私に嚙みついたあの瞬間から私は君を可愛がる運命にあったのやもしれない」
一体何を言っているのか。姿見えぬ今、私は科学者の姿を幻視しながら、あの頃の事を薄ぼんやりと思い始めた。
そう、それはもう遥か遠き日の思い出。思い起こしてみると全てが懐かしいように感じられる路地裏での出来事だ。
夕暮れ時であった。眩しいオレンジが地平線に沈んでいく様を肌で感じながら、吾輩は路地裏での決闘を胸躍らせながら待ち望んでいた。
路地裏での決闘とは吾輩たち野良猫にとっては必須行事、生死の一戦と呼んでも過言ではない。
現れ出でるは歴戦の野良猫たち。そして当然、吾輩も黄金に輝く路地裏へと姿を現した。
風が吹く。西部劇でよくみるコロコロしたアレが野良猫たちの前を通り過ぎた。そしていよいよ訪れる邂逅の瞬間、一触即発の空気が秋空へと漂い始める頃、少し様子がおかしいことに気が付いた。
さて、吾輩たち野良猫たちが一体何をしているのかというと、簡単に言えば残飯争いであった。
しかしその時、吾輩たちの目の間に待ち望んだ残飯の姿はなく、黄金に輝く路地裏に不穏な影が差し込んだ。
「やぁやぁ、猫君たち。元気にしているかい」
ぬるっと現れた”そいつ”は、眼鏡をキラリと輝かせながら、路地裏へと侵入してくる。
『にゃあっ』とたちまち野良猫たちは逃げだした。まさにねこまっしぐらといった様子だ。普段から威張り散らしている猫といえど、自分より体格がデカいものは怖いのだ。
不遜なる毛がぞわぞわと逆立った。そして黄金に輝く路地裏で、吾輩とそいつは出会ったのだ。
「あの時の事は今でも覚えているよ。あの黄金に輝く路地裏で、他の猫が逃げていく最中、君だけは私に牙を立てたんだ」
確かにそんなこともあった。あの時の心情を表すならば、窮鼠猫を噛むならぬ、窮猫人を嚙むといったところだろう。よくよく考えれば何とも皮肉な喩えだろうか、我ながらセンスの奇抜さに髭を撫でる勢いである。
そうこう自画自賛しているうちに、何やら外では不穏な音がしていた。
「君との別れは本当に惜しいよ。だが、これも実験の一つだからしょうがないね」
そういって科学者はカチッとスイッチを入れた。そのスイッチが何かは分からない。しかし箱の中には何かガスのようなものが充満し始めた。
吾輩の半生において、これほど思考を巡らせたことがあったであろうか。これは生死を分けた実験だ。そして吾輩はその贄になろうとしている。
まったくもってくだらない。何故に吾輩がそのような人間の実験に付き合わなくてはならないのか、いやはやまったく量子猫の憂鬱とは苦難に満ちている。
さて、吾輩は生きて箱をでたのか。それとも死んでしまったのか。その結果は語るよりも歴史を紐解いてほしい。
何故ここで語らないのかって?吾輩にその結末を語る資格はない。何故なら吾輩は生と死の稜線で留まる量子猫に過ぎないのだから。