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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ゆんづるとむらじ

 左右対称のものをつくってはならない。


 人形師において特に師よりきつく口伝されるものでございます。

 私は齢十二の折、人形師の八姓はっせいの名門が内、むらじの当主の直弟子となりました。

 師はすでに老齢にさしかかり、これを伝えることも落日の斜光のようなものよ、と常々私に言い聞かせていたものです。

 連はすでに直系が絶え、このままではほぼおとり潰しは免れえぬかばねでございました。

 ですが最期のあがきに、他家に何度も頭を下げ、特に優れたるところもない私を弟子に引き取ったのでございます。


 歳をとって、ひとり心が弱くなったのであろう。()いては騏驎(きりん)駑馬(どば)に劣る。


 そう私は最初軽蔑さえしておりました。

 お察しのとおり、私は幼心にも、ひねくれて卑屈の塊のような子どもでした。いらぬと捨てられたことを恨みに思い、長兄でありながら、才がないと落日の連にさしだされたものかよ、と惨めに思ったのでありました。

 私の一つ下になります弟は天に愛されるとはまことこのことかと思う様な才の塊でございました。

 稚拙な私にも、その才はまぶしく、尋常なものではなく感じられ、なにかにつけ、あたりをうちはらうような才の違いを、幼心にも痛いほどにはっきり理解させられてしまったのでございます。

 両親は弟に夢中になり、私の存在は文字通り忘れられたものとなりました。

 私はうまく喋ることも、文字を書くことも、一つとしてうまくできないままに、十二になるまで放っておかれたのでございます。

 両親はけっして情のないものではありませんでした。しかし、私のことにはうっかり、そう、うっかり忘れてしまうことがとても多いのでした。

 父は母が私の面倒を見ていると思い、母は父が私の面倒をみているものと思い込んでおりました。二人は二人ともに人形師でありました。

 人形師はうつくしさに盲目なところがございます。その他のことは頭からちりあくたのごとくふきとんで、うつくしいものにたまから夢中になってしまうのでございます。

 ですから、両親が天賦の才をもつ弟に関心を全てさらわれたとて、仕方のないことだったのでしょう。

 弟は私の年になるまでには、いくたいもの美しい人形をつくりだしました。

 梨花に雨のうつがごとき美姫、絹でしばりつけてもあとがついてしまうのではと恐れさせるような肌理、匂い立つような花のごときあでやかさ。呑み尽くせぬあまやかさ。その所作は、鈴をふるようで、歩くたびに水面にりいんと波紋が幾重にも広がるかのようでございました。


 ああ、うつくしさとは。

 うつくしいとは、暴力でございます。

 私は師に連れられて、弟の人形の披露目にて、何度も心を殺されました。

 私という自尊心は粉々に打ち砕かれ、何度も地べたに打ち捨てられ、踏みしだかれました。

 才とは。

 なんとまぶしくかがやかしく惨いものでしょうか。

 これほどまでにくっきりと明暗分かたれてしまうものでしょうか。

 披露目の間、じっと自分のかのぐつの先をにらみつけていた私に、師は帰路の道で尋ねました。


「くやしいかね」


 披露目ではこらえていた私は、師に手を引かれて嗚咽を噛み殺しました。ぼとぼとと黒土が濡れていきます。そして師の手をぎゅっと握り返し、悔しいとうめきました。


「そのきもちを、忘れてはいけないよ」


 師は、私の惨めを、悲しみを、肯定してくださいました。師は立派な方です。師はうつくしいを生み出される方です。

 それなのに、ご家族の縁にめぐまれず、老齢にさしかかろうとも、子も孫も皆絶えてしまいました。

 そうして、何の縁もない私の手などを引いてくださいます。

 私は皆大嫌いでした。私を捨てたもの、私をゆびさすもの、私を惨めにさせるもの、私を取るに足らぬとしてしまうもの、何より私自身が大嫌いでございました。

 でも、師は、そんな私をいつくしんでくださいました。

 この師の顔に泥をぬってはいけない。師の名を、私が貶めるようになってしまってはいけない。私の人形をみて、人は笑うだろう。弟子を見て、その師をあざ笑うだろう。そんなことはあってはならぬ。

 それではあまりにも――あまりにも、師が報われぬではないか。子も孫も直系ことごとく絶え、その技を伝えし者が私で、その私が何もかも全て台無しにしてしまうでは、あまりにもあんまりではないか。

 私の勝手な思いです。

 私は、私で、勝手に救われたがっていたにすぎません。

 師は年経ており、次第に体力が喪われ、小さくなっていきます。私を引き取られる前、最後の血族を亡くされたことで、そもそもごっそり生気を失ってられたのです。

 落日の斜光は、最後にひときわまぶしく光るそうでございます。

 師は、己が一門の最後の技を、私に託したいといのち削るようにして、教えてくださいました。

 私は必死にいったいの人形をつくっておりました。今の私のすべてを、魂魄すらも注いで、師に教わったなにもかもを注ぎつくして、己が最高傑作をつくろうとしておりました。

 滝のように汗が流れ、気づくと指さきの爪は剥がれ、臓腑は見えぬ手でこねくり回されたように熱く痛みを訴えておりました。

 間に合わないかもしれない。

 その恐怖で一日一日が絶望との対話でした。

 師はあまりにも小さくなってしまい、用意した膳にも、ほんの一口二口手をつけるだけで、困ったように、申し訳なさそうに笑うのでした。

 ああ、間に合わないかもしれない。

 胃が捩じ切れるような恐怖にみまわれました。

 どうか師に。

 どうか師にみていただきたい。

 このとるにたらぬと忘れられた人形師の最高傑作を。

 師よ、どうかまだ彼岸へ旅立たれぬように。

 まだ、まだ、私は未熟者です。

 まだ、まだ、教えていただきたいのです。

 気がつくと私の頬は濡れておりました。汗でしょうか。

 鬼の舞う刻限、手元の灯りすらなくとも、一心に切削の道具をふるいます。

 私にはすでに形が見えておりました。有るべき姿、それをこの世に写し取ることのみ、私がつくるのではない、私はつくらされている。

 ああ、もう少しで、つかめる……

 お堂に朝告げ鳥の鳴き声が響きました。明け六つでしょうか、朝焼けに空はしらみはじめております。夜が明けておりました。

 

「完成、した……」


 放心したのも一瞬、お堂の大戸を開け放ち、私は転げるようにして師の元へ走りました。

 師は背を丸めて机に向かっておられました。とてもとても小さいせなでございました。

 私の足元にほとほとと大粒の滴が零れました。

 

「お、おとお……さん」


 背中は二度と応えることはありませんでした。

 無駄な意地などはるのではなかった。私は初めて師を父と呼びました。無駄な意地をはるのではなかった。おこがましいとずっとそう呼ぶことをためらっておりました。ああ、どうして意地など、見事なうつくしき人形を認めていただけたら、私は師をお父さん、と呼ぼうと決めていたのです。

 許さぬのは私だけだったのに。私は私の自尊心を納得させるだけの何かがほしかっただけなのでした。私は私がかわいいばかりだけだったのでした。

 人に認められたい。

 承認欲求の塊が、二度ととりかえしのつかない結末で幕をしめてしまったのでした。

 私は父の背にすがりました。


「おとうさん、とてもうつくしい人形ができました。真人まひとにも負けません。おとうさん、俺を褒めてくださいますか?」


 この期におよんで、私は褒めてください、とねだるあさましさでした。

 その後、私は父を弔い、人形と生活を始めました。息をひそめるように暮らしていたはずなのに、いつの間にか周囲が騒がしくあじきないことになっておりました。

 

むらじの若当主のところに、この世のものとも思えぬうつくしい人形があるらしい」


 なぜどうしてでしょうか。私は吹聴した覚えもないのに、噂は千里を駆けました。意識がぼんやりとしていた間に、父の弔いで訪れた人々の誰かが開け放したお堂の中をのぞいたのかもしれません。

 私はかつてどれほどか欲しかった賞賛の声も、もはや最も欲しい人からもらえぬ今となってはむなしいばかりのものとなっておりました。

 さても人の口に戸は立てられぬと申します。

 次第にかしましいそれは、ほとんど暴風雨となって私を襲いました。


「是非に拝見したい」


 このように殿上の方が使いを寄越されるのです。人形師というのは呪禁寮じゅごんりょうに属しております。実態としては、官位いただけども、俗世のことわりと少し離れたところにおります。殿上の方といえども、無理強いはできないものです。しかし、人形師も無下に鑑賞を断れるものではありません。

 人形を使役つかう武人が我が邸を訪ねておいでになりました。一条武瑠いちじょうたける様とおっしゃり、寡黙な方です。おつきの腹心である校尉のいうことには、千人長でいらっしゃるとのことでした。体躯も立派で、立ち居振る舞いも優雅、美丈夫と言うのはこのような方のことをいうのかもしれません。

 私も人形師であれば、人の造形にこそ観察し心奪われずにはいられません。

 さりとて、この方々も、噂を聞きつけてとのことで、

 

「是非にも」


 とどうしても譲られず、私はあまり気が進みませんでしたが、お堂へご案内いたしました。

 人形はある意味未完成で、上手にまだ動くことができません。しゃべることばもたよりがございません。鑑賞にたえるものでは、まして戦事いくさごとには――とひつこく言い募る私に、校尉が「そうもったいぶるでない」とおっしゃいます。

 私はためらいつつ、「少々おまちください」と断ったうえで、先にお堂へ入らせてもらい、人形に話しかけました。


弓弦ゆんづるよ」


 人形には、父の名をとって名づけました。まだ精神がおさなく、貴人に礼を尽くせるような仕上がりにはなっていません。

 人形はきらきらとした夜空に星が浮かぶがごとき目でこちらを見上げます。


「いい子にしていたら、あとで飴玉を買ってやる。できるか?」


 人形はしゅた! と音がしそうな勢いで右手をあげました。


「いいこ!」


 主張しておるようです。なんともいえぬ不安が私の胸の内をおおってゆきます。


「いいこだぞ、いいこ、わかっているな?」

「いいこぉ!!」


 だめかもしれぬ、と思った矢先です。お堂の大戸が勝手に開かれていきました。

 あ、と思ったときには、日の光が差し込み、人形は化粧してやった切れ長の目をまぶしそうに細めました。

 武人でいらっしゃる一条様は、戸に手をかけたまま呆然としたお顔で立ち尽くしておられます。その目は一秒数えるごとに水底に堕ちていくようでした。底なしの水底です。きょとんとした顔の人形を食い入らんばかり見つめ、その吐息は煉獄にあぶられたかのように熱を帯びて吐き出されました。


「うつくしい……」


 私は喜ぶべきだったのでしょうか。

 いいえ、私はその時、恐ろしいものが我が邸をおおいつくしていくのを感じておりました。

 人が美に膝折れる瞬間をまのあたりにしたから?

 いいえ、いいえ。

 人が堕ちる瞬間を自ら招いてしまったことを、本能的に悟って私は心底怯えたのです。

 私は震える態で、よろけるように人形と一条様との間に割って入りました。

 一瞬です。一条様は私のことを射殺さんばかりににらみつけましたが、すぐに冷静さにとってかわられました。かくしてしまわれたのです。

 人形は、親ともいえる私の怯えを察したのでしょうか、私の袖を握って不安げにこちらを見上げました。

 心は幼いものですが、その容貌は訪ねて来られた方々に「傾国傾城」とまで賞賛を受けたものです。私も今となってはどうしてこれほどまでにうつくしきものを写しとれたのか分かりません。

 必死になっていた私はこの世と幽世かくりよの境もあわきものとなり果て、大神霊を降ろしてしまったのかもしれません。

 弓なりの眉に、うるむような目、ほてりを帯びたように目元は朱に染まり、震える白い指が私の袖口をひっしと握っています。はく打ちの氷襲こおりのかさねの衣はそのたまもあわせていかにも無垢に見えました。

 私は人形師だからでしょうか。つくりだしたためでしょうか。見る者皆が「あたりをはらううつくしさじゃ」「この色香」とうめくように賞賛しても、飴玉をもらって喜ぶ人形に「はて?」と思うことの方が多いのでした。

 しかし、一条様はかつての方々とは一線を画す執着しゅうじゃくを私に感じさせました。

 ありていに申せば、よくないを感じたのでございます。

 私は適当に説明をして、「そろそろ」と一条様とおつきの方を追い出そうとしました。

 ですが、一条様は裾を払ってその場に座り、


むらじ殿」


 とこちらを真っ直ぐ見据えてこられました。私は胃の腑にずしりと石を置かれたかに思いました。


「この人形を我がつがいとしていただきたい」


 ああ、言うと思った。

 私は言う隙を与えてしまったと内心うめきました。人形使役いの武人からの正式な申し出です。おざなりに応えることはできません。


「もったいないお言葉ですが、まだこの弓弦は完成しておらず。このとおり、心が幼いのです」

「問題ない。私がこの手でお育て申し上げる」


 その目に宿る熱を見る限り、健全にお育ていただけるとはとうてい思えませんでした。

 このような男にやりとうない。

 私は心底嫌でした。

 後に聞き及べば、一条様は英雄ともいうべきお方でした。今上きんじょうは幼く、その陽の気が国を覆うことはいまだなりません。妖物ようぶつが我がもの顔に大路を跋扈し、怪異が御世みよを騒がせる中、破天の勢いでそれらを調伏ちょうぶくされる若武者であったのです。

 それでも嫌なものは嫌でした。

 いずれは弓弦も、ふさわしき人のもとへいくのかもしれません。

 しかし、私はなんともいえず、気味の悪さのようなものを感じていました。一言でいうなら、嫌悪を覚えていたのです。とうてい人形を一条様に差し上げることはできないとおもいました。

 お断りの言葉を口にしようとした時、


「弓弦殿にききます。私の番にはなっていただけませんか」


 直接に私の袖を握って離さない人形に射抜く眼差しを向けられました。

 びく、と弓弦が怯えたように肩を跳ねあげます。

 欲、だ。

 一条様は隠しきれぬ欲を向けておられる。私の凝っていた何かが、きん、と冷えて鋭く研ぎ澄まされて行きます。

 このままではいられぬ、と。


 武人が問うて、人形が是と応え、しゅを直接結んでしまえば、人形師といえども譲渡せざるを得ない。

 仮妻問かりつまどいの儀。

 これは仕方のないことです。しかし、私は思わざるを得ませんでした。

 なんと、卑劣な男であろうか。

 弓弦は幼い心を持っている。問われて、是とすることの意味も本当の意味でまだ分からないだろう。

 武功を幾つもたてている武人の気迫に、幼い心が気圧されてうなずきかねない。

 

「一条様、いくら貴方様といえどもあまりに無体が過ぎまする」


 私が怒気を込めて言えば、かくり、と人形の手が落ちました。私は人形を抱きとめ、きっと眦に力を込め静かに恫喝しました。


「お帰りください」


 私は次第に皮が破れていくのを感じました。柳のようにゆらゆらと揺れていた精神が、切っ先鋭くなっていくのを。

 戦わねば、理不尽に奪われる。一条様はほむらを閉じ込めたような薄暗い目で私を路傍の石のごとく眺めました。く、とその口元が笑みの形に持ち上がります。


「ひとまずは。今日のところは引こう」

「明日もあさってもございませぬ」

 

 お引き取りを、と私は冷ややかに告げました。

 ふ、と日がかげります。

 私はどういうわけか、平衡感覚を失いました。

 その刹那、一条様はおそるべき早業で、人形の白い手を取り、その指先に口づけたのです。

 どれほどか私の頭は白く怒りに染まったことでしょう。


「我が姫、いずれお迎えに参る」


 誰が迎えさせるものか。

 私は扇で一条様――一条殿の手を打ち据えました。もはや全面戦争も辞さないと固く決意いたしました。


「おたわむれもほどほどに」


 今度こそ一条殿はす、と下がり、退去されました。

 人形は床にぺたりとすわりこみ、ぽかあんとしています。その姿もどこかあやしくたよりなく人の欲をかきたててしまうものか。私は悩ましく思いました。人形は泣きそうにきゅうっと目を細めます。口はへの字で、ふるふるとしているのです。


「むらじ、あのひと、ゆんづるのおててたべちゃったよ」

「ちくしょう、お前は本当にかわいいなあ!」


 私はやけくそ気味に叫びました。いずれは旅立つ子と距離を置こうとしていたのに、私の決意などはことごとく決壊していくのです。

 もろい堤防だったなあ、と私はひそかに嘆きました。

 もはや悪夢にたゆたうてはおれぬ。一方的に恨んで距離を置いていた弟の真人まひとに手を回すか。と密かに算段します。

 ただ、今一度たずねておかねばならないでしょう。


「弓弦や。お前にはまだ難しいかもしれないが、お前、一条殿と添い遂げたいか? ともに戦いたいか? 卑劣な手を使ってきたが、誠の武人と噂にうとい俺でも聞き及ぶ。お前が望むなら、俺も血の涙をのんでお前を送り出そう」


 片膝をついて、真正面から星辰の零れ落ちふりまくがごとき漆黒の瞳を見つめます。

 私は人形師です。星幽界より招いた大いなる神霊を人の形に宿らせ、あまりに広大過ぎる精神を相応に整える。そして送り出す。

 そこまでが私のお役目なのでございます。

 弓弦は大人の姿を持ちながら、その心はいまだ無垢で幼く。その弓弦に問います。私も鬼かもしれませぬ。

 弓弦はきょときょとと目を彷徨わせ、


「むらじもいっしょ?」

「俺は一緒ではない」


 私の言葉に、めだまが転げ落ちるのではないかというほど目を見開きます。みるみるその大きな目に薄い膜が張りました。いつの間にか、私の袖を皺ができるほどに固く強く弓弦は握りしめていました。弓弦は泣きだすかと思われましたたが、き、と顔をあげて、


「いいこ!」


 いきなり叫んだのです。私は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたことでしょう。

 何を言い出したのか。


「ゆんづる、いいこ!」

「お。おう」


 鬼気迫る勢いで「いいこ!!!!」と絶叫を繰り返します。なんなのだ。ひたすら魂切るように叫ぶ弓弦を抱き寄せ、私は濡れたようなその髪を何度も梳きました。


「ああ、いいこだとも。いいこだから、そのように叫ぶな。喉が破れてしまわんか心配になる」


 言葉が不自由なのだと分かっています。言いたいことが言葉にならぬのでしょう。

 弓弦はひーっと泣きだしました。心は子どもでも、大きな身体でぎゅうと抱きついてきます。私はふと遠い日を思い出しました。

 弓弦は人ではない。見栄もない。惨めな恨みの心もない。

 素直なのです。

 ぽんぽんとその背中を叩きました。

 私もかつて、このように叫んでしまいたかったのではなかったか。

 いいこだから。いいこにするから。

 捨てないで。

 うまく喋れない。

 文字も書けない。

 人形も上手に作れない。

 もっとがんばるから。

 夕日に真っ赤に染まって、師に――父に手を引かれて真人の邸をあとにしたあの日。

 本当は声を大にして叫びたかったのではないか。それを惨めさと高過ぎる矜持がうわまわって呑み込んだのだと。

 こちらもほとほと力が抜けていく気がします

 このままではいられぬのだがなあ、と私はひそかに苦笑いいたしました。

 いずれ人形はつくりての手元をはなれていくものです。

 だが今この時だけは。

 ゆるせよ、と私はいつまでも弓弦の背中を叩き続けました。



 


 


 

 

 

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