雨濡れの女
「もう来ないで」
君が私に想いを告白しようとしたとき、そういったって聞くはずは無いことは知ってた。あんたは涙目になって言葉をまったけど私は無惨にもこう返した。
「あんたは優しすぎる。私なんかには不釣合いだし、私はあんたに好きだっていわれたくない。好きになっちゃいけない、私のことなんて。だからもう来ないで」
でも私はあんたに好きになって欲しい。私を。だって私はあんたのことが好きだから。好きだからもう来ないで欲しい、陰でひっそりと私のことを思い出してくれればそれでいい。なのに。
あんたはやっぱり今日も来た。いつものv字路、いつもの電柱の前、いつもの服を着た私がいつもいるところ。いまいましいはずなのに思い出せない記憶がずっと眠るこの場所に。あんたはいつも信用することになんのためらいもなくて、他人の話になんの疑問も抱かず、無警戒で無防備でどうしようもない。私はそれにまんまと引き込まれた。いつもおどおどしてほうっておけないくせに、変なときだけ強くでて私の話を聞こうともしない。昨日もそう。いくらもう来ないでといってもやだの一点張り。でもやっぱり意思は弱いのか、あとで間違いに気づいてどもりながら謝るんだあんたは。今日だってそうでしょう、もう明日からは来ないでくれるんでしょう? 昨日の態度を改めて、私にちゃんと別れを告げに来たんでしょう? そうであってよ。そうしてよ。
あんたはむすっとしていた。私は気まずくて顔を下に向けた。できるならこの場から、あんたから逃げたいよ。でもできないんだ。私の居場所はここしかない。ここにしかいれないんだ。あんたはそれをよくわかってる、だから卑怯だ。知ってて来るなら私に回避する方法なんてない。ああ、ここでこんなに逃げたいと思ったのはいつぶりなんだろう。
「やっぱり納得できないよ。いっつもは僕が間違ってることが多かったけど今日こそは、いや昨日こそは君は間違ってた」
私は何も言わなかった。私のできる唯一の抵抗だ。
「いきなりもう来ないでなんていわれても僕は何もわからないよ。優しすぎるとかどうとか、よくわかんないけど何か悪いことがあるならちゃんと言ってよ。僕だってそうしたじゃないか。君がそうしないのはおかしいよ。それに昨日は言いそびれちゃったけど、僕は遊びとかじゃなくて、興味本位とかそういうのじゃなくて本気で君のことが」
「もうやめて」
遮ってわざと低くいった。あんたを突き放したいのにあんたはちっともわかってくれない。突き放す理由は話さないんじゃない、話せないんだって、そう伝えることさえもできない。
「あんたなんかもううんざり。愛想が尽きたのよ。早く帰って」
こうするしかない。せめて心の中でごめんって言わせてよ。私はあんたのことが好きだよ。それと同じくらいあんたに好きって言われたくないんだよ。わかんないよね。あんたバカだもん。私も不器用だもん。でも言えないの、しかたがないでしょう?
「じゃあ、最後に一言だけ言わせてよ。それでももう来ないでって言うなら来ないから」
あんたは、やけに決心したようだった。やめてよ。それ以上何も言わないでよ。私はそれを望んでいないの。望んでいるけどだめなの。だめなんだって。
「僕は、君が好きだ」
ああ。私はその場に崩れ落ちた。あんたも崩れ落ちた。ああ。ばかばかばかばかばかばかばかばか。ほんとうにばか。どうしようもないおおばか。ばかばか。そんなの言えないじゃない「私に告白したら魂を抜き取られる」なんて。「私はそれを糧にしてる地縛霊だ」って。どうして疑ってくれなかったの。私が晴れの日も雨の日もここでずっと濡れたままの同じ服を着て、ずっとずっと誰かを待ってるなんて普通に考えておかしいじゃない。あんたはなんで笑って受け入れてくれたのよ。ばかばかばか。死人に優しさみせたってしょうがないでしょう。私のばか。死人が恋したって実らないでしょうに。ああ。逃げたい、逃げたいよ。あんたがいなくなったここから逃げたいよ。思い出したよ。なんでこんなになってるのか。私はここで溺れて死んだんだよ。好きだ好きだって言われながら、水を張った洗面器の中に頭をおさえつけられて。そんなに好きなら私のために死んでよってずっと思ってたんだよ。でもそれはあんたじゃないのに。そんなのおかしいよ……私も一緒に死にたいよ……もう死んでるってば……ばか。
好きだよばか。どうしていっちゃったのよばか。
「ばかばかって、ひどいよ。全部言ってくれればよかったのに。信じたのに」
もう遅いよばか。あっちいけ。成仏してろ。
「君をおいてけないよ。一緒に行こう?」
だから地縛霊なんだってば。私はこの恨みが晴れるまでここから動けないんだってば。
「じゃあ、僕もここに未練があるから地縛霊になれるね」
ばか。うれしくない。あっちいけ。
「いや?」
ばか。断れないの知ってるくせに。
「じゃあ。これからもずっと一緒だね」
ばか。どうしようもないばか。あきれた。
***
電柱には二輪の花が舗装の隙間から咲いていた。夏に、その花の前で告白する男女を見ると必ず恋がかなうとうわさが立ち、ささやかだが人は訪れた。実際に見たものは少ないというが、見た人はみんな女性の髪や服の上部が雨にでもあたったようにずぶぬれだったと言う。そのなかで一人、タオルを渡そうとした人がいて、渡そうと近づいたところ二人は消えてしまったという。それが別に心霊体験談として広まることもなく、今日も電柱の二輪の花は水も与えられていないのに枯れる気配すら見せなかった。