6.ミコトと、晴美
まゆは、学校の花壇のわきに立っていた。ここしか、来るところがない。ここなら、ミコトに会える。
太陽はもうずいぶん傾いて、まゆの影が細長く伸びている。そんなに遅い時刻のはずはないけれど、今日はもう、野球部もいない。
まゆは、花壇のふちに腰かけて、じっとミコトを待っていた。ミコトは、きっと来る。ここにいても、いつもミコトに会えるわけではないけれど、今日は、きっと来てくれる。……ほらね。
「まゆちゃん、どうしたの?」
ミコトは、花壇のふちに立って、横からじっと、まゆを見上げていた。
「すごーく、浮かない顔しているよね」
ミコトの顔が心配そうに曇っている。
「泣いていたの?」
まゆは、まっすぐに前を向いて、花壇の向こうのフェンスにじっと目をすえる。
「うん」
「どうしたの?」
「泣きたいくらいイヤなことがあったの」
「ぼく、聞いてあげられる?」
「悔しくて、悲しくて、話すのもつらいこと」
「じゃ、だめなんだね」
違う、ミコトに聞いてもらいたくて、ここに来たんだよ。腹が立って、悲しくて、もうわけわかんないくらい苦しくて、この苦しさをぶちまけたくて、ここに来たんだよ。まゆは、ミコトのほうに向き直って、じっとミコトを見下ろした。
「ううん、聞いて。お願い、ミコト」
まゆは、ぶちまけた。一気にぶちまけた。お母さんが、勝手に部屋に入って、勝手に手紙読んだこと。そのくせ、読んでいないって、シラを切ること。それだけじゃ収まらなくて、お母さんのことで、いつも不満に思っていること、悪口、いっぱいいっぱい言ってやった。
ミコトは、うなずきながら、黙って聞いてくれていた。そして、まゆが、ひと通り話し終えて、ふぅと一息ついたとき、ミコトは、静かに口を開いた。
「まゆちゃん、まゆちゃんの気持ち、よくわかるよ。すごく腹が立つことも。……でもね、まゆちゃんのお母さんが、手紙読んでいないって言ってるのは、本当なんじゃないかな」
「え?!」
ミコトの口から出たのは、思いも寄らないことだった。
「読んではいないよ、きっと。それだけは違う」
「ど、どうして、ミコトにそんなことわかるの? まさか、ミコト、あたしの家にも来たりするの?」
「前にも言ったけど、まゆちゃんの家は、ぼくの見守る場所じゃない」
「だったら、どうして。いい加減なこと言わないで!」
言いたいことをぶちまけて、少しだけど、落ち着いてきたまゆの心が、再びざわめき出した。
「いい加減に言っているつもりじゃないんだ。ただ、ぼくは、吉岡晴美ちゃんを知っているから」
「ヨシオカハルミ……それ、お母さんの結婚する前の名前」
「まゆちゃんのお母さん、ここの生徒だったでしょ」
そうだ、そうだった。いや、お母さんがここの卒業生だってこと、忘れていたわけじゃない。ただ、三十年近く前にここの生徒だったお母さんと、今、まゆの目の前にいるミコトとを、結びつけてみたことがなかった。ミコトがお母さんのこと知っているのは、考えてみれば当然のことなのに。
「それなら、お母さんのこと、言ってくれてもよかったのに……」
「ごめんね。だけどぼく、人間の友だちができたの、まゆちゃんが初めてでしょ。だから、最初のころは、ぼく自身のこととか、ぼくの知っていることとか、どこまで話していいんだろうって、迷ってたんだ。それで、ちゃんと決めるまで、晴美ちゃんのことも、とりあえず黙っとこうと思って」
「そうなんだ。じゃ、しかたないね」
まゆ、やけに素直だ。ミコトには、ミコトの都合があるんだもの。まゆだって、そういう理解がないわけじゃない。
「で、今は? 今はもういいの、お母さんのこと、あたしに話しても」
「うん。晴美ちゃんのことで……あ、まゆちゃんのお母さんのこと、晴美ちゃんって言わせてもらうよ」
もう、さっきから、言ってますけど。
「秘密にしておかなきゃまずいってことは、ないよ」
「じゃあ、お母さん、どんな子だった? ミコト自信あるんでしょ、手紙読んでいないって。他人の手紙なんか絶対盗み見ない、清廉潔白な子だった?」
うっ、まゆの言葉にトゲがある。まゆの怒りの炎はまだ鎮火していない。ミコトは、おずおずと、まゆを見上げた。
「えっと、ひと言で言うと、まゆちゃんに似てる」
ミコト、地雷を踏んじゃった。たちまち、まゆの眉間にしわが刻まれる。今のまゆに、お母さんと似てる、なんて。
「あの、あの……」
うろたえるミコト。
「あの……晴美ちゃんて、かわいくて、面白い子だったから」
まゆ、ミコトをキッとにらみつける。お世辞でごまかすつもりなのっ。
「ほ、ほんとだよ。晴美ちゃん、感情が豊かで、それが顔に出て、表情も豊かで。笑ったり、泣いたり、怒ったり、表情がくるくる変わるところが面白くて、ぼくは、それがかわいいって、思ってた」
あっ、あたし、「怒った顔かわいい」って、言われた……
まゆの眉間のしわがなくなって、ほっとするミコト。まゆは、保に言われたことを、思い出していただけだけど。
「まゆちゃんだって、人の手紙、勝手に読んだりしないでしょ」
「それはそうだけど……」
言い返そうとしたまゆをミコトはさえぎった。
「それにね、晴美ちゃんにとっても、手紙は、意味のあるものなんだ。大切な思い出の印なんだよ。」
「……思い出?」
「ぼくね、晴美ちゃんが、そっと手紙燃やしているのを見たことがあるんだ」