12.ミコトの記憶(5) 卒業式
もしかして、広瀬くんも、お母さんのこと……そう思い始めたとき、また、まゆの視界が、すぅーっと白くなった。
次の場面が現れたとき、まゆは、まぶしさで一瞬目を閉じた。目を開けると、今度は校舎の外だ。正面玄関前の広場から校門へと続く通路の、境目あたりに立っている。広場にも通路にも、大勢の生徒たちがたむろしていた。スーツ姿の大人たちもかなりの数混じっている。
そうか、今日は卒業式なんだ。生徒たちはみな、左胸に、花のついたピンクのリボンをつけ、卒業証書を入れた筒を手にしている。式を終えた後らしく、明るい春の日差しが降り注ぐ中、あちこちで、記念写真を撮る光景が繰り広げられている。
「ほら、広瀬くん、あそこにいる」
聞き覚えのある声が聞こえて、振り向くと、まゆのすぐ左横で、より子おばちゃんが、お母さんの耳元に口を近づけて、正面玄関の方を指さしていた。広瀬くんは、玄関前で、友だち七、八人と写真を撮りあっている。
「今日は、決めるよね」
「うん」
「第二ボタン、もらうよね」
「うん」
「手紙、渡すよね」
「うん」
キタ、キタ~、晴美ちゃん、ついに告白ですか。
「じゃ、行くよ」
「ちょっと待って。まだ、多すぎるよ。もう少し人が減ってから」
「みんな、今日は、なかなか帰らないよ」
「だけど、今はだめ。一人になったら」
「今日は、一人になんかなんないよ。ぐずぐずしてたら、ボタン取られちゃうよ」
「……」
「じゃ、あたしがどっかに呼び出してくるよ。渡り廊下でもいいよね。多少人いるかもしんないけど」
「……」
「じゃ、言ってくる」
「待って、自分で言う。あたしが、呼び出す」
「えっ、わ、わかった。じゃ……がんばって」
晴美ちゃん、広瀬くんのほうに、足を踏み出す。一歩、二歩……あと、五メートル、四メートル……ちょうどそのとき、広瀬くんたちの集団がばらけて、広瀬くんと、もう一人の二人だけになった。よし、今なら、話しかけやすいよ。あと、三メートル……
その時だ。
「広瀬せんぱい」
うっ、この声は……あの子だ、バレンタインのときのあの子だ。玄関の中から、広瀬くんの様子をうかがっていたに違いない。広瀬くんが二人になったとたん、スッと現れた。半歩後ろに、友だちを従えて。
「えーっと、あの、卒業おめでとうございます。えっと、あの、よかったら、記念にしたいので、第二ボタンください」
今度は、聞こえる。蚊の鳴くような小さな声でも聞こえる。と思ったら、まゆ、一瞬で、広瀬くんの真横に移動していた。ここからだと、広瀬くんと後輩女子の向こうに、晴美ちゃんの顔が見える。立ち止まって、あっけにとられている晴美ちゃんの顔が。より子おばちゃんが、あわててかけ寄っている。そして、広瀬くんも気づいた。晴美ちゃんがいることに気づいたのが、まゆにはわかった。
「えー、どうしようっかな」
「あの、あの、お願いします」
後輩女子は、必死だ。声が少し大きくなる。
「制服も、一応思い出あるしな」
「お願いしますっ」
後輩女子の黒目がうるんできた。
「うーん。そうだな……」
「あの……だめですか」
後輩女子の目から、ぽとりと、涙がこぼれた。まゆは、後輩女子をキッとにらみつける。さっきは、可憐に見えた少女が、今のまゆには、計算高い女にしか見えない。
「あ、泣くなって。いいよ。あげるよ」
広瀬くんはそう言うと、制服の、上から二番目のボタンをちぎりとった。なかなかボタンが取れなくて、ぐいぐい引っ張ている様子が、まゆには、なんだか怒っているようにも見えた。
「あ、ありがとうございました。秀英でも、野球がんばってください」
そう言うと、後輩女子は、友だちに付き添われて玄関のほうにもどっていった。
ふたりが去った直後、広瀬くんが、晴美ちゃんをちらっと見た。晴美ちゃん、あわてて目をそらして、二、三歩、後戻りをする。そのあと、広瀬くんは、一緒にいたもう一人の男子に、「おまえ、やっぱモテるな」とかなんとか言われていたけど、あとはよくわからない。まゆは、また、一瞬で、もとの場所にもどっていた。
そばには、晴美ちゃんと、より子おばちゃん。
「ボタンは先にとられたけど、手紙渡すでしょ」
「でも……」
「広瀬くん、あの子になんか興味ないって」
「そんなことないよ。あの子すごくかわいいし」
「はるちゃん、あんたバカなの。広瀬くんの態度見たでしょ。喜んでボタンあげているように見えた?」
「えっ……わかんない」
「んもうっ」んもうっ。
より子おばちゃんとまゆ、晴美ちゃんの態度に相当ジレてきた。
「今日で、最後なんだよ。高校だって別々だし」
「……」
「ダメ元で手紙渡すって言ったの、はるちゃんだよ。全然、覚悟できてないじゃない」
「……」
「ちょっと、はるちゃん」
晴美ちゃん、決心したように顔を上げる。
「……わかった。渡す」
その時だ。
「いたいた。吉岡さん、中井さん、探したよ。手芸部で、写真撮ろうって、みんな向こうで待ってるよ」
メガネをかけた小柄な女子が、ふたりに声をかけてきた。もしかして、お母さんとより子おばちゃん、手芸部だったの? 新情報に、まゆ、軽い驚き……って、今、それどころじゃないでしょ。
「え、あ、そうなの」
と、より子おばちゃん。戸惑っているのが手に取るようにわかるけど、メガネ女子は、気にしない。「こっち、こっち」と言いながら、ふたりを誘導する。ふたりは、一度広瀬くんの方を振り向いたけど、そのままついて行った。まゆも、ふたりについて移動する。というか、勝手にすべるようについていく。
「ほら、あそこ」
校門へと続く通路から、少し入った校舎の脇で、五、六人の女子が待っていた。
「ここ、人いないからゆっくり撮れるでしょ」
まゆは、こんな殺風景なところで撮るの、って思ったけど、たしかに他にはだれもいないので、ゆっくり撮れる。ああだこうだ、言いながら、メガネ女子を中心に写真撮影が始まった。
まゆは、通路の方を見ながら気が気ではない。校門の方に向かって歩く生徒の数が、増えてきたからだ。写真撮影をひと通り終え、別れのあいさつも済ませて、みんな、そろそろ帰っていく。
「じゃあ、撮るよ」
まゆの恐れていたことが起きた。広瀬くんが、さっきの男子とふたりで、並んで校門の方へ歩いていくのが見えたのだ。広瀬くんは、こちらに気づかない。でも、晴美ちゃんは、広瀬くんに気づいた。そのまま、半泣き、半笑いの顔でカメラに向かってピースをする。
「ハイ、チーズ」
広瀬くんはもう、校門の向こうに姿を消していた。




