お継母様の再婚相手は私の嫌いな騎士様でした
「お継母様は、騙されています」
私がそう言うと、お継母様は紅茶のカップを置いた。
「まだ相手の名前も言っていないわ」
「アルノルト様でしょう」
お継母様の耳が赤くなった。
やっぱり、と私は思った。昨日あの方が帰る時、お継母様は玄関でやけに長く話していたのだ。
再婚しようと思っている、と今朝切り出された瞬間から、嫌な予感がしていた。
「なぜ、よりによってあの方なんですか」
「ルチア。あなたには、よくしてくださっているでしょう」
「口うるさいだけです」
夜会から帰れば夜更かしを叱る。馬に乗れば飛ばしすぎだと叱る。お継母様に襟飾りを縫っていただいていた時など、私に裁縫箱を押しつけた。
『残りの二針くらい、自分で縫ったらどうだ』
あの二針のおかげで、襟の端が少し曲がってしまった。
お継母様はそれも可愛いと言ってくださったけれど、私は忘れていない。
「お継母様は、お断りになるのでしょう?」
返事の前に、細い指がカップの取っ手を撫でた。
「受けようと思っているの」
胸の奥が、すうっと冷たくなった。
お継母様がこの家へ来た時、私は九歳だった。
実の母は幼い頃に亡くなっていて、父の後ろから現れた二十歳の花嫁を、私は玄関でじろじろ眺めた。
エレーヌという名前が似合う、ほっそりした人だった。子供のいる男性と結婚するくらいだから厳しい女性に違いないと思っていたのに、最初の晩餐でパンを床へ落としたのはお継母様の方だった。
『緊張してしまって』
そう言って頬を赤らめるのが面白くて、私は自分のパンを半分あげた。
それ以来、お継母様は私の味方になった。
熱を出せば寝台の横で本を読んでくださり、初めての舞踏会では髪のリボンを何度も結び直してくださった。私が踊っている間、ご自分はほとんど踊らずに。
父が亡くなったのは七年前だ。
私が十二歳、お継母様が二十三歳の時だった。
葬儀の翌朝、いつものように髪を結ってくれた手が震えていた。鏡越しに見てしまったけれど、何も言えず、ただ膝の上で拳を握っていた。
それからは、ずっと二人で暮らしてきた。
私は十九歳になり、お継母様は三十歳になった。
私の婚約が決まっても、ここへ帰ればお継母様がいる。それは何も変わらないはずだった。
「再婚したら、ここをお出になるの?」
「ええ。アルノルト様のお宅へ」
「私の結婚式までは、いてくださる?」
「もちろん。あなたのお支度を最後まで手伝うわ」
その後は、いないのだ。
私がいない食卓で、あの騎士と向かい合ってお茶を飲む。
私が新しいドレスを見せに帰っても、お継母様はここにいない。
「まだ、正式にはお返事をしていないのでしょう」
「あなたに先に話しておきたかったの」
だったら、間に合う。
私は膝の上で指を組んだ。
「一度、皆でお食事をいたしませんか。バスティアン様もお招きして」
お継母様の表情が明るくなった。
私が喜んでいると思われたのだろう。その顔を見ると少し胸が痛んだけれど、笑っておいた。
「ええ。私もその方が嬉しいわ」
食事の相談を始めたお継母様の袖口から、青いリボンがのぞいた。
昨日アルノルト様と話した時も、手首に巻いていたものだ。
私はそれを見て、ますます決心を固めた。
◇
バスティアン様が来たのは、その日の午後だった。
婚約者の彼は、私のお願いを聞くとしばらく黙り、それから包んできた菓子を卓上へ置いた。
「つまり、昼食に招いて居心地を悪くする手伝いを?」
「そのような言い方はしておりません」
「もう少し柔らかく言った方がよかったかな」
穏やかな声が、時々腹立たしい。
彼は私より五歳上なのに、お継母様にもアルノルト様にも丁寧で、誰とでも楽しそうに話す。
少しくらい私の肩を持ってくれてもいいのに。
「あの方とお継母様は、合いません」
「君のお母様は、そうおっしゃっている?」
「お継母様は優しいから、気づいていないのです」
バスティアン様は菓子の箱を開けた。
私の好きな、杏の砂糖漬けが載った小さな焼き菓子だった。
「これを選んでいる時は、今日は君と二人でお茶を飲めると思っていたんだけれど」
私は口を閉じた。
彼が一つ皿に載せてくれる。その手元を見て、やっと今朝の約束を思い出した。
結婚式の後、どこへ旅行するか。今日は二人で地図を見るはずだった。
「……地図も、見ます」
「それならよかった」
彼は笑った。
私は菓子を食べた。杏が甘酸っぱく、いつもより喉を通りにくかった。
夕方、アルノルト様が訪ねてきた。
父の旧友でもある彼は、父が亡くなってからも時折顔を出していた。屋根の修理の相談や、庭の大きな木が倒れた時など、困ったことがあると決まってこの方が現れた。
昔はそれでよかった。私の椅子の脚を直して帰る人が、母を連れていく人になるなんて聞いていない。
「明日の昼食にお招きしたいのです」
私が言うと、アルノルト様は向かいの肘掛け椅子を見た。
父の席だった。大きくて、右の肘掛けに細い傷がある。
彼はそこには座らず、別の椅子を引いてお継母様の隣へ置いた。
「都合はつく。ありがとう」
私はお礼を言われたいわけではなかった。
「お忙しいのでしたら、ご無理なさらず。騎士団のお仕事もおありでしょう」
「明日は休みだ」
「急にお呼びがかかることも」
「かかったら、その時に考える」
追い払うための言葉がなくなった。
お継母様がお茶を用意している間、私は彼の手袋を見た。革に小さな傷がある。こんな手で、お継母様の細い指を握るのかしら。
「お継母様は、遠出がお好きではありませんの」
「そうなのか」
「お体も、疲れやすいし。お屋敷もこちらとは勝手が違うでしょうし」
お継母様の手が少し止まった。
「ルチア。先月、あなたと三軒のお店を回った時は、私の方が元気だったわ」
「お店のお話ではなくて」
私は口ごもり、卓上の裁縫籠に目を向けた。
手首の青いリボンは、端に小さな銀の模様が入っている。昨年の誕生日にアルノルト様が贈った品だった。
「そのリボン、しまっていらしたのでは?」
「ええ。でも、こうして使えば」
「髪に結ぶには若すぎると、おっしゃっていましたわね」
言った後で、部屋が少し静かになった。
アルノルト様は私を見たが、叱りはしなかった。
お継母様は手首に目を落とし、リボンの端を袖の中へしまった。
私は勝った気になれなかった。
けれどここで止めれば、明日の昼食はただのお祝いになる。
「明日は東屋でいただきませんか。お父様がお好きだった場所ですから」
お継母様の目が上がった。
私は壁の肖像画へ視線を向け、なるべく懐かしそうに笑った。
「あの時の銀の杯も出しましょう。お父様と、お継母様のお名前が彫ってあるもの」
両親の結婚祝いの杯だった。
父が生きていた頃は二つ並べて使っていたけれど、亡くなってからは食器棚の奥にしまわれている。
「久しぶりに、ご夫婦のものを揃えて。お父様もお喜びになりますわね」
お継母様は返事をしなかった。
カップを置く小さな音がして、それきりだった。
アルノルト様が私を見た。私はその目を見返せず、膝の上のスカートの皺を伸ばした。
「……杯は、私が出しておくわ」
やがてお継母様が言った。
その声がいつもより静かなことに、気づかないふりをした。
◇
翌日の昼、東屋の卓には白いクロスが掛けられた。
銀の杯は二つ。布で磨かれ、名前の彫られた側をこちらへ向けて並んでいた。
父の席は庭が一番よく見える奥側だった。私はそこへ一つ、もう一つをお継母様の席へ置いた。
アルノルト様には反対の端へ座っていただくつもりだった。
「ルチア。僕はどちらへ?」
バスティアン様に聞かれて、私は自分の隣を示した。
昨日の地図は、結局途中までしか見なかった。海辺と山のどちらがいいか聞かれた時、お継母様は海風がお嫌いかしらと考えてしまったからだ。
彼はそれ以上何も言わず、今日も菓子を持ってきてくれた。
アルノルト様は東屋の入口で立ち止まった。
父の席と、私が用意した席を見る。それから脇にあった椅子を持ってきて、お継母様の隣へ置いた。
「ここで構わないか」
「ええ。どうぞ」
お継母様が少し椅子を寄せた。
私は、そのわずかな動きを見ていた。
アルノルト様は父の席を奪おうとはしない。空けたまま、ちゃっかり別の場所へ座るのだ。
昼食は魚の包み焼きだった。
父の好物を頼んでおいた。葉を開くと香草の匂いがして、私は予定どおりの話を切り出した。
「お父様は、川魚がお好きでしたね」
「ええ。ご自分で釣った時は、なおさら」
お継母様は柔らかく笑った。
私は銀の杯へ目をやった。
「あの頃は、よく三人でここで食べました。覚えていらっしゃる? 大きな魚を一匹、お父様が持って帰ってきて」
「ああ。市場の魚か」
アルノルト様が言った。
私は顔を上げた。
「市場?」
「このくらいの大きさで、籠から尾がはみ出していた。あれだろう」
彼は両手を広げた。
確かに、そのくらいの魚だった。
「お父様が釣った魚です」
「釣れなかったんだ。私と二人で半日粘ったが、帰り道に買ってきた」
隣で、お継母様の肩が揺れた。
「やっぱり、そうだったのね」
「ご存じだったのですか」
「おかしいと思っていたの。川に行ったのに、海の魚を持って帰っていらしたから」
私は二人を交互に見た。
「お父様は、釣り上げるのに苦労したとおっしゃっていました。大きすぎて、腕が痛くなったって」
「苦労したのは本当だ。市場から、ずっと自分で持って帰った」
アルノルト様は続けた。
「ルチアに見せるのだから寄越せ、と言ってね。家に着くまでに三度、籠を持ち替えていた」
お継母様が声を上げて笑った。
口元を手で隠していたけれど、隠しきれていなかった。
「まあ。帰ってきてからも、ルチアの目の前で魚の籠を持ち上げていたのよ」
「それは腕も痛くなる」
「夕食の時、ナイフを持つ手まで重たそうで」
父の顔が浮かんだ。
籠からはみ出した尾を、私の目の前で揺らしてみせた顔。大きな口が怖くて、私は父の背へ回り、上着をつかんだ。
思い出すと少し笑いそうになり、唇を噛んだ。
「黙っていてほしかったでしょうね、あの人」
お継母様が言うと、アルノルト様は空いた父の席へ目を向けた。
「十分黙っていたよ。もう時効だ」
そんなふうに言える人が、私の他にもいたのだ。
しかも私の知らない父を知っている。
私は魚を小さく切り、口へ運んだ。昨日磨かれた銀の杯に、四人分の顔が細く歪んで映っていた。
食後、お継母様が冷たい果実酒を注いだ。
自分の杯へ少しだけ入れ、アルノルト様へ瓶を渡す。
「もう少しいただいてもいいかしら」
「私に許しを求めるな。好きなだけ注げばいい」
「あなたはいつも、酔うと同じ話をするとおっしゃるから」
「同じ話を聞くのは嫌いではない」
お継母様の頬が赤くなった。
昨日は袖に隠した青いリボンが、今日はついていなかった。
私は自分の杯を両手で持った。中は果実水だったけれど、飲むと少しむせた。
「アルノルト様は、お継母様がお酔いになるところもご存じなの」
「君が夜会で踊り続けていた時、控室で一緒になった」
「ルチアのお相手が途切れなくて、何度も帰り支度をやり直した夜よ」
お継母様が言った。
私は覚えていた。とても楽しい夜だった。お継母様には、すぐ帰ると三回くらい言った気がする。
「私も少し疲れてしまって。靴が痛いとこぼしたら、この方が馬車の中から替えの靴を持ってきてくださったの」
「君は履き替えてから、もう一曲くらい踊れそうだと言った」
「だって、本当に楽になったんですもの」
お継母様は軽く彼の腕を叩いた。
私は目を見開いた。
注意する時でも、何かを頼む時でもない。可笑しい時にそうしたくなっただけ、という手つきだった。
「だから私は、踊ろうと申し込んだ」
アルノルト様が続けた。
「断られたが」
「ルチアが帰りたくなった時に見つからなかったら、困るでしょう」
「三度帰りそびれた後でも、そう言ったな」
彼は私を見なかった。
お継母様だけを見ていた。お継母様もそちらを見て、笑っていた。
「今度は、踊っていただけるかしら」
「何曲でも」
小さな声だった。
私はナプキンを畳み直した。
隣でバスティアン様が何かを言いかけたけれど、やめた。
聞こえなかったふりをしてくれているのだと分かり、それも少し悔しかった。
父の杯は、思ったような役には立たなかった。
けれど、お継母様は久しぶりにそれを使った。父の失敗に笑い、時々名前の彫られたところを撫でながら、最後まで空の椅子を片づけなかった。
その隣には、アルノルト様が座っていた。
◇
昼食の後は、バスティアン様と花を見に行く約束をしていた。
私たちの結婚式に使う花を選ぶのだ。
東屋から離れる時に振り返ると、お継母様は片づけをする侍女へ何かを頼んでいた。アルノルト様はその横で、銀の杯を盆へ戻している。
二人を残して出かけるのは嫌だった。
けれど、今日の花の話まで後回しにしたら、バスティアン様はさすがに怒るだろう。
庭を抜けるまで、彼は私を急かさなかった。
私が振り返るたびに足を止め、前を向いたらまた歩き始めた。
「首が痛くならない?」
また振り返ろうとしたところで、そう聞かれた。
「なりません」
「それならいいけれど」
私は彼の腕を取った。
逃がさないように、というより、後ろを見ないようにするためだった。
「あの方は、嫌いです」
「うん」
「父の失敗をあんなに楽しそうに話して」
「君も、少し笑っていた」
「笑っていません」
バスティアン様は頷いただけだった。
腹が立たないわけではないのに、もっと話していたくなる。私がお継母様ばかり見ている間も、彼は隣にいたのだ。
「お継母様は、私の前ではあんなふうになさらないの」
「どんなふうに?」
「大声で笑ったり。人の腕を叩いたり。靴が痛いとおっしゃったり」
綺麗に笑い、大丈夫と言い、私が困る前に気づいてくださる。
それがお継母様だった。
さっきの人は同じ顔で、少し幼く見えた。父が生きていた頃にも見たことのない、照れた笑い方をしていた。
「あんなお顔も、なさるのね」
呟くと、バスティアン様は私の歩幅に合わせてくれた。
「僕も、初めて見たよ」
「私は、十年一緒に暮らしているんです」
それだけ言って、黙った。
年数で勝てるなら、昨日も今日も悔しくはなかった。
馬車に乗ってから、私はもう一つ尋ねた。
「結婚しても、毎日実家へ帰ってよろしい?」
「毎日?」
「ええ。お継母様のお引っ越し先へも。朝食を済ませたら行って、お茶を飲んで、お散歩をして、それから」
バスティアン様が窓の外を見た。
道端のパン屋の前を通り過ぎてから、私へ顔を戻す。
「僕も一緒に行っていいのかな」
「お仕事があるでしょう」
「休みの日は?」
「それは……」
彼が私の指先を取った。
「君と結婚したら、休日は二人で遠出ができると思っていたんだ。朝もゆっくりできるし、行き先を途中で変えてもいい」
膝の上に、彼の手があった。
昨日の菓子の箱と、途中で閉じた地図を思い出した。
「僕と過ごす時間も、少し空けておいてくれる?」
困ったように笑っている。
責められた方が楽だった気がした。
「……毎日でなくても、いいです」
「よかった」
「でも、会いには行きたいの」
「それはもちろん。僕だって、君のお母様にまた招いていただきたい」
私は彼の手を握り返した。
「あなたと二人のお休みも、作ります」
「旅行の行き先は?」
「海にしましょう。あなた、港を見たいとおっしゃっていたから」
彼の顔が明るくなった。
そうだった。こんな顔もする人だった。
私は少しだけ気分を持ち直し、彼の手を自分の方へ引いた。
「お継母様へのお祝いを選ぶのを、手伝ってくださる?」
バスティアン様は驚いて、私を見た。
「お祝い?」
「ええ。アルノルト様だけが、あの方を喜ばせるのは気に入りません」
彼が笑ったので、私はその手を軽くつねった。
花屋では、予定どおり私たちの式の花を選んだ。
お継母様ならどれがいいと言うだろう、と考えかけて、隣のバスティアン様へ尋ねた。
「白と薄紫なら、どちらがお好き?」
「君は?」
「先にお答えになって」
彼は薄紫を指した。
私も同じ色を選んでいたので、少し嬉しかった。
その帰りに布の店へ寄り、お茶の卓に敷く小さな布を買った。
縁は綺麗に始末されていて、刺繍をする場所だけ空いている。
そこへお継母様とアルノルト様の名前を入れるつもりだと話すと、バスティアン様は私の顔を確かめた。
「本当に、二人分?」
「私の名前も入れたいところですけれど、それは裏にします」
彼は笑わず、糸を選ぶのを手伝ってくれた。
青い糸を並べていたら、昨日お継母様がリボンを隠した仕草を思い出した。
私は一番明るい青を取った。
刺繍は三晩かかった。
お継母様の頭文字は見慣れているのに、自分で縫うと丸い部分が角張る。隣のアルノルト様の頭文字は、どうしても横へ傾いた。
ほどいてやり直したら、前より傾いた。
腹が立ったので、そのままにした。
最後の二針で糸が絡まり、私は廊下へ向かって声をかけそうになった。
やめて、灯りの下で針を持ち直す。
お継母様はいつも、私が呼ぶとすぐに来てくださった。今夜も同じだろう。
でも、これは出来上がってから見ていただきたかった。
翌朝、完成した布をバスティアン様に見せた。
彼は傾いた文字を眺め、慎重に言った。
「アルノルト様が、お母様の方へ寄っているね」
「縫い直します」
「せっかくできたのに」
私は布を奪い返そうとして、途中でやめた。
確かに、あの方はいつもお継母様の隣へ椅子を寄せていた。
「……これ以上は、近づけませんから」
バスティアン様はやっと笑い、布を畳むのを手伝ってくれた。
◇
お祝いの品を渡す日、お継母様は青いリボンを髪に結んでいた。
昨年の贈り物だ。銀の細い模様が髪の間で光り、首を動かすたび端が揺れた。
「おかしくないかしら」
私を見るなり、そう尋ねた。
あの昼食の前なら、若すぎるともう一度言えたかもしれない。
「とても、よくお似合いです」
今日はそう言った。
実際、きれいだった。初めてこの家へ来た時よりも、今の方がきれいかもしれない。
それをあの騎士に見せるのだと思うと面白くなかったが、リボンを取ってほしくはなかった。
応接間には、もうアルノルト様が来ていた。
私が両手で抱えている箱を見て、彼は少し身構えた。
「また何か、企んでいるのか」
「今日は普通の贈り物です。あまり疑わないでください」
バスティアン様が隣で咳払いをした。
私は知らないふりをして、お継母様へ箱を差し出した。
「お二人の、新しいお住まいで使ってくださいませ」
お継母様は箱を開き、布を広げた。
明るい青の文字を指でなぞる。アルノルト様の頭文字へ指が届くと、私を見上げた。
「あなたが縫ったの?」
「ええ。端の始末はお店の方ですけれど、文字は全部」
最後の二針も、と付け足したくなったが我慢した。
その代わり、私は布から手を離して頭を下げた。
「お父様の杯のこと、ごめんなさい」
静かになった。
「皆で懐かしみたいと言いましたけれど、本当は、お継母様を困らせようとしていました。再婚のお話をやめていただきたくて」
バスティアン様の靴の先だけが見えていた。
誰かが代わりに何か言ってくれればいいのにと思ったが、彼は何も言わなかった。
「お父様のお名前まで使って、意地悪をしました」
お継母様の手が私の肩に触れた。
「少し、悲しかったわ」
顔を上げた。
怒っている顔ではなかった。けれど何でもなかったように笑ってもいなかった。
「私、あの杯を一人で出すと、いつも隣が寂しくなってしまって。皆で使おうと言ってくれたのは、嬉しかったの」
「……ごめんなさい」
「でも、あの日はちゃんと笑えたわ。ありがとうも言わせてね」
私は頷いた。
布を持つ手の上へ、自分の手を重ねた。細い指を包むと、お継母様が軽く握り返してくださった。
「それでも、離れて暮らすのは嫌です」
言ってしまった。
ここまで来て、もう一度邪魔をするつもりではなかったのに。
「結婚した後も、ここへ帰ればお継母様がいらっしゃると思っていたんです。勝手に、ずっと」
「ルチア」
「会いに行っても、よろしいでしょう」
お継母様の目が潤んだ。
私を抱き寄せてから、頬のそばで笑った。
「もちろんよ。私も、あなたに会いたいもの」
いつもの匂いがした。
子供の頃、夜中に目を覚ましてお部屋へ行くと、寝台へ入れてくださった。その時と同じように、背中を二度撫でられた。
私はもう少しだけ抱きつき、それから顔を上げた。
「水曜日は、お継母様とお茶を飲みます」
アルノルト様へ向けて言った。
彼は少し眉を上げた。
「毎週か」
「ええ。先に申し上げておきます。それから、お父様とは呼びませんから」
「それでいい」
返事はあっさりしていた。
「だが、泊まりに来る部屋は作っておく。遅くなったら無理に帰らなくていい」
私はお継母様の腕の中から、彼を見た。
「……窓は、庭の方がいいです」
「分かった」
「枕は柔らかいものを」
「そこは君のお母上と相談してくれ」
お継母様が笑った。
私は少し悔しかった。けれど、約束は取りつけた。
お継母様は私から離れると、刺繍の布を箱の上へ丁寧に置いた。
それからアルノルト様へ向き直った。
「お待たせして、ごめんなさい」
「待つのは慣れている」
「もう、待たせません」
小さく息を吸うのが見えた。
「あなたと結婚したいの。どうぞ、私を奥さんにしてください」
アルノルト様はすぐには答えなかった。
ただお継母様を見つめ、それから両手を取った。
「喜んで」
彼がお継母様の片手を持ち上げて口づける。
お継母様の頬が赤くなり、青いリボンが揺れた。
私は目を逸らすつもりだったのに、最後まで見てしまった。
「水曜日は忘れないでくださいね」
念を押すと、アルノルト様がこちらを見た。
「では、木曜日から火曜日までは私の妻だ」
「水曜日も、あなたの妻ですわよ」
お継母様がそう言って、彼の袖を引いた。
私はとうとう、何も言えなくなった。
バスティアン様が隣へ来て、私の手にそっと触れる。
「僕にも、日曜日をいただける?」
その言い方に、思わず笑ってしまった。
「日曜日だけでよろしいの?」
「欲を言っても?」
「ほどほどになさって」
私は彼の手を取った。
自分から指を絡めると、バスティアン様の笑顔が少し照れたものに変わった。
向こうではお継母様が、アルノルト様と布を広げていた。傾いた文字を見つけた彼が何か言い、お継母様がまた笑う。
やっぱり、少し気に入らない。
だから私は、お継母様の新居へ持っていく菓子を考えながら、今日は婚約者の腕を取った。




