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オタク令嬢はとにかくやりたい  作者: 碧井ウタ


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8/8

08:これからについて……

 マンガ肉事件からしばらく経った、ある日の深夜。

 悩みごとがあるせいでなかなか寝つけないララノーラは、ベッドの中で寝返りを繰り返していた。


「うーん……。これから、どうしよう……」


 ポツリと呟いた言葉は彼女の心を表すように、悩ましげな色を帯びている。

 現在、いくつかの悩みを抱えているララノーラだが、その中で最も深刻なのが……


「暇、すぎる」


 そう。とにかく、暇なのだ。


 眠っている半年間の間に、学園の卒業式も終わっていた。

 卒業に必要な試験は終えているので、卒業式に出られなかったララノーラも卒業資格は得ている。


 なので、学園へ通う必要もなくなってしまった。


 貴族社会では、学園の卒業をもって大人と見なされる。

 ……というわけで、ララノーラは現在、家でダラダラしているだけの大人なのである。

 日本でいうところの、ニートってやつだ。


 前世では、「仕事辞めたい」「宝くじが当たったらFIREする」と、よく口にしていた。

 年に一、二回くらい、宝くじを買った時には、すっかり当たったつもりになって、FIRE後の妄想世界へ旅立っていた。


 それなのに、実際に公爵令嬢という働かなくてもいい立場になってみると、暇を持て余してしまう。

 なんとも、皮肉なものである。


 ——本当に、毎日、着替えしかしていない気がする……。


 貴族令嬢という生き物は、芸能人顔負けに着替えが多い。

 朝から晩まで、着替えばかりしているのだ。


 一日のほとんどの時間を着替えに費やしている、と言っても過言ではない。


 屋敷から一歩も外に出なくても。

 汗なんて一滴もかいてなくても。

 何か食べるたびに、着替えが必要な生き物なのである。


 最初のうちは綺麗なドレスを着て鏡に映る自分を見るたびに、「お姫様みたい」などと心の中ではしゃいでいた。

 しかし、何日も繰り返すうちに、嫌気がさしてきた。


「令嬢って、優雅に見えて結構大変だな」


 他人事のように呟きながら溜め息を吐いた時、ふと、前世の学生時代を思い出した。


 ——いや、いや、いや。待て、待て、待て。日本人も結構着替えてない?


 高校生の時の、とある一日を思い起こしてみる。


 パジャマから、当時の推しの影響で始めた早朝ランニングのためにジャージに着替えて、まず一着。

 シャワーを浴びて、制服に着替えて、二着。


 ここで、通学のために乗っていた満員電車を思い出して、ララノーラは顔をしかめた。


 学校では、体育の授業でジャージに着替えて、三着。

 放課後はバイトの制服に着替えて、四着。

 帰宅して部屋着に着替えて、五着。

 お風呂に入ってパジャマに着替えて、六着。


「六回も着替えてるっ!」


 ララノーラはだいたい一日に三、四着なので、日本人時代の方が圧倒的に多い! ほぼ、倍である。

 とはいえ、ドレスと普段着なので、一着の着替えにかかる時間は比較にならないのだが……。


 こんなくだらないことを、つらつらと考えてしまうほど、ララノーラは暇を持て余していた。


「社交でもできれば、また違うのだけど……」


 そう呟いた後に、胸の奥が少し重くなり、小さく息を吐いた。

 現在、ララノーラの置かれている立場は少し複雑なものだった。


 公には発表されていないが、ララノーラは王太子と婚約していた時期がある。

 神の遊戯に遭遇したことで半年ほど眠っている間に婚約は解消となったのだが、少し前に王太子は別の女性との婚約を発表したらしい。


 両親から聞いたところによると、相手はフリーマン侯爵家のアンジェリカ。

 ララノーラと一緒に十年間、婚約者候補として切磋琢磨した戦友のような令嬢だ。


 今回の婚約解消や新しい婚約について、ララノーラ自身もエヴァンズ家としても、特に思うところは無い。


 婚約解消の原因はララノーラの魔力量の増加に伴うものであることに加え、ララノーラは王太子へ特別な執着を持ち合わせていない。


 もちろん、幼少の頃から王太子と交流を重ねる中で、彼に対する尊敬の念は持っていた。

 しかし、それは恋や愛のような、甘さを帯びた感情ではなかった。


「それに……、冷静に考えると王族は無理よね」


 目覚めたばかりの頃は、婚約の解消や自分の境遇を憂いて落ち込む日の多かったララノーラだが、街に行ったことをきっかけに少しずつ変わっていった。

 公爵令嬢としての価値観も持ち合わせてはいるが、ここ最近の自分の中にある心の軸は、前世の小春のものに近い気がする。


 一般家庭に育ち、やや社畜寄りではあるものの普通の企業に勤めていた一般人の自分には、ひとつの国のトップに立つという重責を担えそうにない。

 そういう意味では、神の遊戯で魔力が増えたことをきっかけに円満な形で婚約解消できたことは、ララノーラにとって良かったことと言えるだろう。


 もしも、婚約が発表された後や結婚後に、前世の記憶を取り戻していたらと考えると、肝が冷える。


 ──ただ、しばらくは社交の場に顔を出せないのよね。


 貴族女性の主な戦場は、お茶会や夜会などの社交の場である。

 一見、煌びやかなドレスや宝飾品を身につけ、お茶やお菓子などを摘まみながらのんびりと喋っているだけに見える。


 しかし、その裏では数々の心理戦が繰り広げられているのだ。


 自分の領地の特産品を広めたい。

 派閥争いで相手より優位に立ちたい。

 この情報が欲しい、などなど。


 一瞬でも気を抜けば、相手にしてやられるという緊張感の中。

 にこやかに微笑みながら密かに刃を研ぎ、言葉、視線、手の動き、吐息など、全身を使って静かな戦いを繰り広げている。


 華やかな社交の場は、「遊んでいるだけ」などと揶揄されることもあるが、あれはそんな甘やかなものではない。

 まごうことなき、戦いの場である。


 王太子の婚約者が発表された、今。

 未来の王妃となるアンジェリカがこの国の貴族女性をまとめ上げ、社交を取り仕切っていくことだろう。


 今頃、彼女は数多くのお茶会や夜会へ出席し、地盤を作っているはずだ。

 このタイミングでララノーラが社交の場に出ることは、そんな彼女の邪魔になってしまう。


 公には発表していなくても、ララノーラと王太子の婚約の情報を掴んでいる者はいるだろうし、火のないところからでも煙を立てるのが貴族という生き物である。


 悲恋と称して、王太子とララノーラの叶わぬ恋物語を流布したり。

 魔力が増えて嫁ぎ先のなくなったララノーラをこき下ろしたり。

 いくらでも、アンジェリカやララノーラを傷つける方法はあるのだ。


 そういう厄介ごとと距離を置くには、療養中として社交の場に顔を出さないことが一番である。

 そんなわけで、しばらくは社交の場に顔を出す予定のないララノーラは時間を持て余していた。


「だいぶ体力も回復してきたし、そろそろ動き出そうかしら……」


 眠っている間にすっかり体力の落ちていたララノーラだが、少しずつ散歩の時間を増やして、だいぶ体力も戻ってきた。

 そろそろ、動き出してもいいかもしれない。


「……となると、やっぱり魔法からよね?」


 いくつかやりたいことはあるが……。

 まず、最初にやらなければならないのは、魔法の練習だ。


 神の遊戯の光に触れたことで膨大な魔力を手にした、ララノーラ。

 身体には、これまでとは桁違いの魔力が流れている。

 当然、魔法を使えば威力も変わるし、魔法を使った時に身体にかかる負荷も変わってくる。


 身長で例えるのなら──今のララノーラは、一夜にして50cmくらい身長が伸びたような状態だ。

 歩くことはできても、これまでとは違う歩幅や視界の高さに慣れるまで、時間がかかる。


 足が長くなった分、これまでより早く歩けたり走れたりするだろうが、突然長くなった手足を使いこなすには、それ相応の練習や時間が必要であろう。


 問題は、魔法の練習が終わった後だ。

 当面は療養と称して社交の場に顔を出さないつもりでいるので、時間が有り余っている。


 こっそりと国外に旅行に行くというのも考えたのだが、それよりもララノーラにはやりたいことがあった。


「やっぱり、ダンジョンには行きたい!」


 ララノーラが膨大な魔力を手に入れるきっかけとなった神の遊戯で、天から降り注いだ不思議な光が消えた後には黒い渦が残る。

 この渦に触れることで行くことができる場所は神の箱庭──またの名をダンジョンと呼ばれている。


「冒険者になってダンジョンに行きたいなんて言ったら、お父さまはきっと反対するわね……」


 父のバルトロの困った顔が目に浮かび、胸の奥がチクリと痛んだ。


 これまでララノーラは荒事とは無縁で生きてきた。

 騎士や魔術師でもない、ただの貴族女性がダンジョンに行くことが非常識なこともわかっている。



 もしも、前世の記憶を取り戻してなかったら、公爵令嬢として生まれ育ったララノーラは、ダンジョンへ行こう、という発想を持つことなどなかっただろう。

 ララノーラの中にある記憶を探ってみても、社交のために学んだダンジョンで手に入る素材の知識はあっても、魔物や攻略に関する知識はない。


 しかし、ララノーラの中に日本でオタクとして生きた小春の価値観が芽生えてしまった。

 最も愛して熱中したのは漫画だが、雑食だった小春はあらゆるジャンルのものに手を出してきた。


 その中には、数多もの名作ゲームも含まれている。


 そんなオタクがダンジョンのある世界に転生して、ダンジョンに行かないなんてことはあるか──否、100%無い。

 踏破は無理でも、絶対に一度は行くだろう。


「うーん……、頑張ってお父さまを説得するしかないわよね」


 目覚めてからというもの、両親は以前にも増してララノーラに対して甘くなった気がする。

 冒険者になりたい、という非常識な願いも、ララノーラが本気で望めば許してくれるだろう。


 しかし、それは両親が自分に向ける愛情を利用するようなものでもある。

 心配をかけることを理解していながら、その我儘を口にすることにララノーラは躊躇いを感じていた。


 ベッドの中で何度も寝返りを打っては溜め息を吐く。


 ダンジョンに行きたい自分の欲と、両親の困った顔。

 その二つを載せた天秤が、心の中で激しく揺れている。


 そうして、しばらくの間、出口のない迷路に迷い込んだように悩んでいたララノーラだったが、ふとある言葉が脳裏に浮かんだ。


『やらない後悔よりも、やった後悔の方がいい』


 前世で最後に恋した、アニメの主人公の(たける)くんがよく言っていた言葉である。

 アイドルを目指していた尊くんは、困難にぶつかり葛藤や苦悩する中で、何度もこのセリフを口にしていた。


 失敗を恐れずにひたむきに挑戦する尊くんの姿に心を打たれ、何度涙したかわからない。


「……やっぱり、やらない後悔よりもやった後悔の方がいいわよね?」


 心が決まったララノーラの瞳は力強い色を帯びていた。

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