《1》
六年前に地元香川を舞台に書いた作品を発掘したので、せっかくなので公開することにしました。
楽しんでいただければ幸いです。
香川県三豊市にある詫間駅に到着してスマートフォンを見ると、十件近い着信が入っていた。
いつもの癖でサイレントにしたままだった。
折り返しの連絡をしようとすると、着信の主が先に私を見つけてくれた。
「はるか~っ! こっちこっち!」
大声で私の名を呼び、手を振る人影が見える。
もしここが東京駅ならもうやめて、と怒ったところだが、何せ田舎だ。
人はまばらにしかいない。
気にする方が負けである。
「うわ~ほんま久しぶりやなぁ。なんか、はるか痩せた?」
十年来の幼馴染が、私をじっと見つめる。
標準語ではない、聞き馴染みのある讃岐弁に安心する。私ももう無理やり背伸びしなくてもいいのだ。
「言われてみれば、たしかにそうかも。麻子は髪バッサリ切ったね。よく似合ってる」
「へへ。ありがと」
記憶の中の麻子は、茶髪のセミロングだった。
でも、今は顎のラインまでのショートだ。目が大きくて、愛嬌のある笑顔がよく見える。
Tシャツにジーパンというラフな格好がよく似合っている。
私も似たようなものだが、ここ最近ショッピングなんて行っていないせいで少しサイズが合っていない。
その上、化粧もファンデーションを塗って眉毛を描いただけのやっつけだ。
新幹線に乗るまでは気になっていたが、ここでは派手にメイクをしている方が目立つ。素材の可愛さで勝負だ。と言っても、私は麻子のような可愛い部類の顔ではない。
「麻子、ありがとね。わざわざ迎えに来てもらって」
「全然大丈夫! 私らの仲やろ」
キャリーバックの上に乗せていたボストンバックをひょいと持って、にっこりと笑う。
麻子は小柄でよく動く。
私の実家は、宅間駅から三十分ほどの場所にある。
公共交通機関が発展している都会とは違って、移動の基本は自家用車。
しかし、私は高校を卒業してすぐ東京の専門学校へ入学したので、運転免許の必要性は感じなかった。
東京に出た私とは反対に、地元に残った麻子は、学生時代に運転免許を取得していた。
(私も、免許取ろうかなぁ)
ハンドルを握る幼馴染を横目に、ぼんやりと思う。
「それにしても、はるかが香川帰って来たんいつぶり? 東京で仕事に遊びに忙しいんかもしれんけど、盆と正月ぐらい帰ってあげなおばさんたちも寂しいやろ」
「……まぁね」
母からは毎年のようにいつ帰ってくるのか、とメールや電話がある。学生の頃は毎年ちゃんと帰っていたが、社会人になるとそうもいかなくなった。
「そんなに帰れんほど仕事忙しいん? やっぱりイラストレーターってブラックなん?」
「ん~……麻子こそ、どうなん?」
「どうって?」
「そんなん結婚生活に決まっとるやん!」
ニヤニヤして問うと、麻子の顔は赤面した。
まだまだお熱いようで何よりだ。
私たちは今年で二十六。二十代後半に足をかけてしまった。
同級生でも、結婚している友人が増えてきた。
私は恋人のこの字もないけれど。
麻子も、昨年めでたく結婚した。式は挙げず、フォトウェディングにしたらしい。
「あ、そういえばまだウェディングドレスの写真見せてもらってない!」
「まだデータが送られてないんよね。写真できたらすぐ見せてあげる」
「楽しみにしてるね。で、うまくやってるの? 新婚さんは」
「ぜ、全然! 毎日喧嘩してるよ~。はるかとオタ活してた時の方が楽しかったし」
「それはどうも」
喧嘩ばかりと言いながらも満更ではなさそうな麻子に苦笑を返す。
「あ、そういえば引っ越しの時に、はるかと作った同人誌出てきたよ!」
「え、嘘やろ。もちろん捨てたよね?」
「捨てる訳ないやんか! 私とはるかの共同制作やのに!」
アニメや漫画を愛する、いわゆるオタクという人種であった私たちは、高校の時に二人で同人誌を制作した。
私は美術部、麻子は文芸部。絵と文で共同制作をしようということになったのだ。
高校時代の麻子の夢は小説家だった。
それも、今では様々なジャンルが存在するライトノベル作家。
ライトノベルは邪道だという人もいるかもしれないが、漫画化やアニメ化でいっきに人気が出た。
何にせよ、面白ければ人は読むのだ。
そして、私の夢はイラストレーター。麻子が目指していたライトノベルには挿絵は必須だ。表紙買いという言葉もあるぐらいだし、物語と同じぐらいイラストが重要視される。
小説家を夢見る麻子と、イラストレーターを目指す私で、初めて作った同人誌。
思春期をこじらせたような内容で、完全に黒歴史だと断言できる。
「あ、せっかくやしサイトで紹介する?」
「絶・対・嫌っ!」
「そう言うと思った~。でもさ、なんでサイト閉じたん?」
信号が赤に変わった。はるかが心配そうに私を見る。
高校二年生の時から利用している、イラスト投稿サイト。
一週間ほど前、私は自分のページを削除した。今までに投稿したイラストは、インターネット上のごみ箱の中。
笑顔がうまく作れない。麻子とは反対側の窓から、外の景色を眺める。
山と田んぼばかりの道。時々、民家が見える。落ち着いた、田舎の風景。
もうすぐ三月だ。きっと、あたたかな春がくれば桜色に染まるのだろう。
「……ん~、なんとなく? 仕事も忙しくて、趣味の絵描く時間もなくなってきたし……特に意味はないよ」
「ふうん、そっか。でもまた時間できたら描いてほしいわ。私、はるかのイラスト好きやから」
青信号を確認して、麻子が車を発進させる。
視線から逃れて、私は内心でほっと息を吐く。
震える手に、気づかれたくはなかった。
麻子が気をきかせてか、二人でハマっていたアニメの主題歌メドレーを車内で流してくれる。
私の家に着くまで、当時を思い出しながら二人で熱唱した。
*
『自分がうまいとでも思ってるのかな』
『田舎ではトップとれてもここじゃ無理でしょ』
くすくすと笑っているのは、職場の同僚だ。
同じチームに田舎と馬鹿にされる出身地なのは私しかいない。
聞こえなかったふりをして、回れ右をする。関わらなければ、なかったことになるはずだ。
これぐらい、我慢しなければ。
私が頑張って、認めさせられるだけの実力をつければいいのだから。
しかし、人生そううまくいかないものだ。
「これ、仕上げたの川村?」
「はい、私ですけど……」
チームの楠田マネージャーに呼ばれて、私はおずおずと手を上げる。男性が多い社内でも、数少ない女性のマネージャーだ。最初は憧れていたものの、かなり性格がきつい。
その上、何故か私は嫌われている。
事務所内には、当然他にも人がいる。そんな中、大声で名を呼ばれた。皆が聞き耳を立てているのが空気で分かった。
「ちゃんとこのキャラの設定は読んだの?」
「はい」
「だったら、何でこの子の衣装が赤色になる訳?」
楠田マネージャーが怒っていた理由は、私が昨日仕上げたキャラの衣装カラーについてだった。
今、私たちのチームは、来年春に配信予定のスマートフォン用のアプリゲームのイラストを手掛けている。
個性豊かなキャラクターたちが登場する、学園恋愛シミュレーション。ファンタジーの要素もあって、物語の世界はきらきらと輝いている。
シナリオを読んだ時には、このプロジェクトに関われることが嬉しかった。
「え、でも……それは」
「言い訳はやめて。主要キャラの趣味も理解できていないんじゃ、あなたには任せられないわね」
私の言い分は何も聞いてもらえなかった。
(衣装カラーを間違えただけで……?)
こんなの誰でも経験するミスだ。
それなのに、描き直すチャンスも与えられず、その代わりに私が任されたのは資料集め。良い作品を作るためには、資料集めも大事な仕事だと分かっている。
それでも、悔しいものは悔しい。
せっかく、最終チェック前のイラストを任されるようになったのに。
――まぁ、あなたには期待していなかったけれど。
まだ耳に残っている、楠田マネージャーの言葉。
何がいけなかったのだろう。
私のイラストの、何が。
需要の増えてきたゲームイラストレーターは、いわば蹴落とし合いの世界でもある。
上に行けるのは、実力だけでなく、強い精神力、そして社会性も必要なのだ。
その点でいえば、私は甘かったのだろう。
絵を描くことが好きで、イラストレーターの仕事を探した。激戦区の東京で、ようやく手にしたのがゲームイラストレーターの仕事だった。
絵が描ければそれでいい、と思っていたのだ。
だが、その絵を否定されたら、私には何もできない。
負けるな、と自分を奮い立たせるのはこれで何度目だろう。
以前にも同じようなことがあって、私は実力が伴わない口だけは一人前のイラストレーターだと周囲に思われている。
いつまで我慢すれば、どれだけ努力すれば、認めてもらえるのだろう。
思考の渦に呑み込まれていると、横から声をかけられた。
「……ちょっと、川村さん、早く背景の資料くださいよ」
私の代わりに仕上げを担当することになったのは、同期の栗原。
私の陰口を言っていることを知っているから、極力関わりたくはない。
しかし、ささくれ立った心のままに、私は思わず口走る。
「そういえば、栗原さんから衣装カラーが赤色に変更になったって聞いた気がするんですけど」
「そんなこと言いましたっけ。でも普通、キャラ設定の変更とか指示がない限り、勝手に変えちゃ駄目ですよ」
「指示があったって言いましたよね?」
「酷いっ! 私のせいにしないでください! 誰のせいで仕事が増えたと思っているんですか!」
衣装の赤を緑に変えるだけだ。アナログの絵の具だったらまだしも、デジタルで描いている今、色など簡単に変えられる。陰影の調整は必要だが、たった数枚のイラストだ。
周囲に響く大きな声を出さないでほしい。
案の定、人の注目が集まってしまった。
「何があったの? 栗原さん」
それも、楠田マネージャーがいる時に。
「川村さんが、自分のミスを私のせいだって……きっと、私が川村さんの代わりに仕事を任されたから、気に入らないんだと思います」
どうしてそうなる。
私を騙したのは栗原だというのに、皆が彼女へ同情を寄せる。
――大した才能もないくせに。
――これぐらいの実力者ならどこにでもいる。
――思い上がりもいいところだ。
小声で聞こえてくる悪意に、耳をふさぐ。
それでも、執拗に隙間から心へと入り込んでくる。
これが現実の声だったのか幻聴だったのかは分からない。
それでも、この日からペンを握る度、絵を描こうとする度、幻聴が聞こえるようになった。
――お前の絵なんて、誰も必要としていない。
描く意味が見いだせなくなった。
白くてきれいだと思っていた世界は、悪意で真っ黒に染まっていた。
もう何も描けない、と思うほどに。
*
数年ぶりに帰った実家は、驚くほどに変わっていなくて、タイムスリップしたかのような錯覚に陥る。
まず、玄関で真っ先に目に入るのは、高校時代に私が描いた卒業制作の絵。三年間の集大成として、私は自分を作りあげてきた大好きなものを詰め込んだ、夢の世界を描いた。
高校卒業後は油絵よりもデジタルをメインで描くようになったので、これは油絵を使った最後の作品になる。
次に、廊下には文化祭で展示した作品が二つ。
授業の課題で制作した水彩画は階段に、そして、美術のコンテストで優秀賞をとった風景画は居間に飾られている。
「まだ飾ってたん」
「当たり前やろ。うちの自慢の娘なんやから。はるかのおかげで我が家は立派な美術館やわ」
嬉しそうに母が笑う。
将来イラストレーターになる、と言った時に強く反対したのは母だった。
『絵なんて趣味で十分やろ。ちゃんと手に職つけた仕事にしなさい』
母は介護士だ。
資格があれば、どこでもやっていけると母は何度も言っていた。
手に職をつけなさい。好きなことを仕事にできる人間なんてほんの一握りだ、と。
私は夢を否定されたことが悔しくて、意地でも諦めなかった。資格が必要だというのなら、取ってやろうと思った。
だから、進路は四年制の大学ではなく、短期間で多くの資格を取得できる専門学校を選んだ。
一時期は顔を合わせる度に言い争いになっていたが、ついには母が折れた。
母の世代で絵を仕事にしている人なんてそうそういない。
芸術の世界は才能で、選ばれし者しか入れない。
母はそう思っていたのだ。たしかに芸術の世界ならばそうかもしれない。
けれど、ゲームやアニメ、ライトノベルなど様々な分野でイラストが楽しまれている今、狭き門ではないはずだ。
絵を描く技術を持っていれば。
そして、私は夢を叶えてイラストレーターの職についた。
努力が報われたのだと、心から嬉しかった。
一番喜んでくれたのは、反対していた母だった。
私のことを心配していたからだということは分かっていた。本気で絵をやめて欲しいと思っていなかったことも。
だからこそ、家の中には私の作品がきれいに飾られている。
当時のことを思い出し、胸がいっぱいになった。
「ほら、何ぼさっとしとるん。さっさと荷物置いてきなさい」
バシバシ、と遠慮なく背中を叩きながら、母が催促してくる。
「も~、それが久しぶりに会う娘に対する態度?」
「全然帰ってない自覚があるんやったら、これからもっと帰って来なさい」
「…………」
「どしたん? いつもみたいに言い返さんの?」
「移動で疲れたから少し寝る」
気を抜いたら泣きそうだった。
家族には有給休暇を消化するために帰って来たと話している。
今まで帰らなかったから、すんなり信じてくれた。
年度末のこの時期、有給休暇をとって休む暇なんて本来はない。
私の部屋は、きれいに保たれていた。
物置代わりにされているスペースはあるが、記憶通りの部屋。
キャリーバックとボストンの荷物を床に下ろして、私は高校時代に一生懸命向き合っていたパソコンの前に座る。
電源ボタンを押すと、かなり重いが起動を始めた。
「まだ、動くんや……」
高校時代に使っていた、古いペイントソフトが立ち上がる。
ペンタブにはペンがこすれた跡が幾筋も見える。
真っ白な画面が目の前に広がった。
昔は、この白いキャンバスに何を描こうか、とウキウキしたものだ。
自由で楽しい創作の時間だった。
――川村さんのセンスなんていらないから。
ガシャン!
思わず、ペンタブを机から落としていた。
身体中の震えが止まらない。
それなのに、耳の奥には幻聴が響く。
――好きじゃないんだよね。
――控えめに言っても下手でしょ。
やめて。
もういい。もう、絵なんて描かないから。
「はあ、はあ、うぅ……」
ぎゅっと胸元を抑える。苦しい。
東京から離れれば、聞こえなくなると思っていたのに。
香川に戻って来ても、絵から離れても、逃れられないのか。
「はるかー? なんかすごい音したけど大丈夫?」
下の階から母の声がする。
何でもないと答えて、私はベッドに横になる。
「……おかしいなぁ」
涙がじわりと浮かんだ。
今日の夕飯は骨付き鳥だった。
私の大好物だ。塩コショウとニンニクがきいた、皮はパリパリ、お肉は柔らかくてぷりぷりだ。
「はるかが帰ってくるって聞いて、父さんが骨付き鳥買って来たんや。うまいやろ?」
缶ビール片手に、すでに赤ら顔になった父がにこりと笑う。
骨付き鳥は親鳥と若鳥の二種類あって、私は断然わか(、、)派である。
噛み応えのあるおやを好むのは、父。
これはビールもすすむ。
私も少しもらってしまおう。
普段は苦く感じて飲まないビールも、久々の家族団らんで飲むと美味しく感じるから不思議だ。
「うん、おいしい」
「東京のうまいもんより、地元のうまいもんがやっぱりええやろ~?」
「はいはい。でも、地元って言っても骨付き鳥は丸亀やろ?」
キャベツを骨付き鳥の油につけて食べながら、私は父の揚げ足を取る。
「いやいや、同じ香川県なんやけん地元や地元!」
「もう、その辺にしときよ。はるかが帰ってきて嬉しいんは分かるけど。また痛風になっても知らんで」
腹を抱えて笑う父に笑顔で冷や水を被せたのは母だ。
その様子にまたおかしくなって、私は笑う。
ちゃんと笑えている。
食べた物を美味しいと感じている。
「ほら、はるかはもっといっぱい食べなよ。あんた東京行ってかなり痩せたみたいやし。お肉しっかりつけな」
母がお茶椀いっぱいに白ご飯をよそった。
「そんなにようけ食べれんわ~」
両親は何も聞かない。
私の仕事のことも、この時期に何故有給を取ったのかも。
私も、何も言わない。まだ言えない。
ただ、一緒にご飯を食べて、テレビ番組を見ながら笑って、父と母が軽く言い争いをして、以前は当たり前に過ごしていた日常がどれだけあたたかいのかを知った。




