第8話 夕餉
ヴィルの声がして、アンが扉を開ける。
そこには、夜会に出ていたときとは真逆の服装のヴィルが待っていた。
シンプルな白シャツに黒のズボン。
(あのなんかジャラジャラしてた夜会服もいいけど、さっぱりしてるこの格好もいいわねぇ)
思わず目の保養と思って、脳内で手を合わせてしまう。
「ヴィル、迎えに来てくれたのですね」
「ああ。一緒に夕食を取ろう」
私をじっと見ると、ヴィルの尻尾が左右にぶんぶんと動いていた。
何か楽しいことがあったのかな。
「さぁ手を」
ヴィルが手を差し出すので、そこにそっと自分の手を乗せる。
(そういえば、王太子は夜会の入場のときくらいしかエスコートしなかったな)
王太子に無理矢理腕を引き寄せられて、並んだ記憶が甦ってきた。
それに比べて、ヴィルは優しく手を差し伸べるだけだ。
(なんて紳士的……!)
「旦那様、言葉にしないと伝わりませんよ」
「アン? 夕食を食べに食堂に行くのはわかってるから平気よ」
私の言葉に、アンが「ほらね」と言わんばかりの視線をヴィルに投げかけた。
ヴィルは小さく咳払いをしたあと、並んでいた私の正面に回り込む。
「その……。辺境伯領のワンピースドレスがすごく似合ってる、セレナ」
無表情のまま、尻尾が大きく揺れている。
(もしかして、極度の照れ屋さんなの?)
「褒めてくれてありがとう。王太子には褒められたことがないから、嬉しいです」
「褒められたことがない?! じゃぁ俺はこれからずっと褒めるよ」
「そんなに褒めるところないと思うけど、お願いするわ」
私を褒めることで、もしかしたら照れ屋さん度合いが減るかもしれないもんね。
「では改めて。食堂へ行こうか、セレナ」
***
深緑色のカーテンの向こうには、鋭い刃のような三日月が浮かんでいる。
辺境伯家の食堂は広く、たくさんの使用人が壁に沿って待機していた。
縦長のテーブルには美しい花が飾られ、見ていると思わず笑みが浮かんでくる。
「あの、なんで私ヴィルの隣に座ってるんでしょう」
普通であれば、向かい合わせに座る形の筈だ。
しかも、隣席との距離が! 近い!
「隣じゃ駄目か?」
顔は相変わらず無表情なのに耳が少し垂れ下がり、しょぼんとした雰囲気が伝わってくる。
これはずるい。
「いえその……駄目ではなくて」
「よかった」
耳がもとの三角のピンとした形に戻る。
(これは確かに、貴族の前では隠した方がいいやつだわ)
貴族の会話なんて、何重にも包んだ真綿のような言葉と嫌味のやりとりの連続だ。
その中で、自分たちの領地に都合の良い情報やチャンスをいかに奪うかを狙っている。
そんなところで感情豊かな耳や尻尾を出してしまったら――。
(でも、今の私には癒やしね)
無表情であっても、ヴィルの言葉は優しいしけしてぶっきらぼうでも冷たくもない。
それでも、この耳や尻尾の動きがあると万一の誤解もしないで済むのだ。
「我が領に入って気付いたかもしれないが、度重なるスタンピード以降土地も荒れてしまってな」
料理もあまり品数が出せないと、ヴィルは続ける。
「そんなこと気にしなくていいですよ! 私、王城でも使用人と同じ食事していましたし」
「え?! 聖女だというのにか?!」
王族のような食事をしていたわけじゃないです、と伝えたくて話したのに、なんだかヴィル――それに壁に並んでいる使用人の方々も怒ってる?
「まぁ、王族の皆さんは私が聖女だから、質素倹約しろという主張でしたね」
「だがセレナはあちらこちらの領地を飛び回って、体力だって必要だろう」
「もともと修道院で育ってるから、王城の使用人の食事だって豪華に感じましたよ」
ヴィルの耳が僅かに前傾した。これは――なんだろう。
「アルディス辺境伯領は豊かではないが、セレナにできる限りの良い食事をさせると誓おう」
「ええ?! いいですって。領民が大変な思いをしているのに、贅沢もできませんし」
「だが……」
「じゃあこうしましょ! 私が明日から領地をまわって様子を見ます。領民の暮らしが上向いたら、私も贅沢をさせて貰います」
なんて言ったけど、すでにあんな立派なお風呂に入らせて貰ったし、わざわざワンピースドレスだって急いで縫ってくれた。
もう十分すぎるほど十分に贅沢をさせて貰っちゃってるんだよねぇ。
「わかった。それならば、俺もやりがいがさらに出るな」
ヴィルは小さく息を吐き出しながら口の端を一瞬だけ上げる。
その瞬間の彼の表情は、まるで熟れた葡萄の果実のようにやわらかかった。
――まぁすぐに無表情に戻ったんだけど。
「ではまずは、今日の夕餉を楽しもう」
「はい!」
順に出される料理をヴィルは終始丁寧に解説してくれる。
そのお陰もあって、私は明日から何をすべきかが見えてきた。
それは――。




