第7話 聖女について
辺境伯家のお風呂部屋は、とても大きかった。その大きなお風呂部屋の大きな湯船で体を伸ばしている。
王城では、小さなお風呂に入っていたから、この広さは目を瞠ってしまう。
(やっぱり、ヴィルの体が大きいから?)
ヴィルは私よりも、ずいぶんと大きい。私よりも頭一つ半は大きいのだ。
「やっぱり獣人って、人間より皆大きいのかなぁ」
「全体的に大きい方は多いですね」
私付きの侍女になったアンジェリカが、髪を洗いながらそう口にした。
「セレナ様、どこか気になる箇所はありますか?」
「大丈夫。すっごく気持ちいいわ。アンジェリカは洗髪が上手なのね」
「ありがとうございます。セレナ様、どうぞ私のことはアン、と」
確かに、アンジェリカだと長いものね。
アンジェリカ・サヴィエナ。私の侍女になった彼女は、四歳年上の二十二歳。かわいい赤髪は両側で三つ編みをしていて、丸出しのおでこがかわいい。年上というものの、なんだか妹みたいな気分になる。
「アンは、辺境伯家に勤めて長いの?」
「十二を過ぎた頃に、勤めにあがりました」
「私が王太子に婚約を強要されたのと同じくらいね」
「強要……でございますか?」
洗っていた髪を流し、今度は保湿するための何かを塗ると説明された。
こんな風に手入れをして貰ったことは、王城ではなかったな。
――今考えると、王太子の婚約者としてはおかしいのでは。まぁいっか。忙しかったし。
「そうよ。私は生まれたときから修道院にいたんだけど」
「それは……」
私の言葉に、いたわりの目線を感じ慌てる。
「あ! 違うの! 母が妊娠中に修道院に駆け込んで、私を生んだの」
だから捨てられたわけではないと続ければ、アンはほっとした顔をした。
優しい人なんだなぁ。
「私の母は、伯爵家の当主と結婚したんですって。ただそいつはいつも命令口調で、自分の思うようにならないと母に手を上げたり、食事を抜かせたりしてたの」
「それは酷いですね」
「でしょ。最低最悪のクズ男よ。それで妊娠中にも同じようにされたから、お腹の子が死んでしまうかもしれないと思って、逃げ出したってわけ」
それで、伯爵家の手が及ばない王都の修道院に駆け込んだそうだ。
「しかも生まれた私の瞳の色は緑色だった」
目を見開いて、アンを見る。
彼女の目は、少しつり目だけどくりんとしていてかわいい。
「綺麗ですよね、セレナ様の瞳の色。私、人間の方のザルナークの瞳って初めて見ます」
ザルナークの瞳とは、女神ザルナークの持つ緑色の瞳のことだ。
この世に生まれてくる生きとし生けるものの中で、緑の瞳を持つのは各種族ともに聖女か聖人、もしくは幻獣だけと言われている。
「聖女とか聖人なんてたくさん……ではないけど多少はいるから、アンもそのうち私以外にも見かけるかもね」
「皆さん、教会に所属しているというのは本当ですか? あ、髪の毛を纏めるので少しだけ体を起こしてください」
アンに言われた通りに、湯の中でほぼ真っ直ぐな状態でくつろげていた体を、少しだけ起き上がらせた。
丁寧に髪の毛を拭かれて、あっという間にくるりとタオルが頭に巻き付けられる。
「そうよ。緑の瞳の子どもが生まれたら、皆教会に出生届のときに報告するの」
私はお風呂からあがり、アンにふかふかもこもこのタオルに包まれた。
なにこれすごく柔らかい。
水分を拭かれたら、そのまま簡易ベッドみたいなところに寝かされる。
「今から、オイルでマッサージしますね」
オイルでマッサージ。
噂では聞いたことのある言葉だ。まるで貴族の人みたい!
「無理矢理働かされることはないし、自分の技術を使ってお給金を貰えるから、それは悪くないんだけどね」
「強制的ではないんですね。あ、痛かったらおっしゃってくださいね」
「ありがとう。なんかいい匂いだね」
「ラベンダーオイルですよ。リラックスできるんです」
アンの手のひらは温かくて、背中をぐいーと伸ばしてくれる感じが心地いい。
「そう。強制的に働かされることはないんだけど、唯一ほぼ強制だったのが、王太子との婚約」
「セレナ様は、その、王太子殿下のことは」
「まったく興味ないどころか、大っ嫌いだったわ」
私が十二歳になった頃、突然王家から教会に王太子との婚約の話が持ち込まれた。
「教会の偉い人たちは断ってくれたんだけど、王太子がどうしてもって言ってると聞かされて、それならまぁ、引き受けるかなって受けたんだけど」
会ったこともない王太子が「どうしても」と言うのも不思議だったけど、まぁ教会に迷惑掛けるのも嫌だったしね。
「でも、王太子と会っても偉そうに命令するし、意地悪ばっかりなの。嫌んなっちゃう」
「それは嫌ですね。もしかしてセレナ様のことが好きで意地悪してたのでしょうか」
「うーん。でも、好きな人には優しくしたくならない?」
私の言葉に、アンはにこにこと笑った。
(あ、マーガレットの花みたい)
風に揺れる花のように笑うアンに、私までつられて笑ってしまう。
「そうですね。好きな人に優しくしない男は、そもそも論外ですから」
マッサージを終えて、やわらかなコットンを重ねたワンピースドレスに着替える。
「わ! これとってもかわいいし、軽い」
「辺境伯領のコットンで作ったものです。旦那様がセレナ様に、と」
「ついさっき到着したばかりなのに?!」
「ふふ。辺境伯家のお針子は手が早いのですよ。それに、これは腰紐で調整するタイプなので、仕立てやすいのです」
髪の毛をふんわりと片側に纏めて編み込んで貰ったところで、ノックが聞こえた。
「セレナ。準備ができた頃だろう。迎えに来たよ」




