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第6話 魔獣のスタンピードと四年前

――獣人も人間も、いい人はいい人だしクソ野郎はクソ野郎ですよ!


 セレナがそう口にしたときの満面の笑みを思い出し、俺は思わず笑みを浮かべた。


「旦那様、楽しそうですね」

「ああ。セレナがようやく我が家に来てくれたから」

 

 家令のゲッセルン・ドーイが、揺れる俺の尻尾の先を見て嬉しそうに話しかけてくる。

 つい先ほど、セレナの部屋の支度ができたと侍女長のジュリアが呼びに来たのだ。

 ジュリアに彼女を預け、俺は執務室へと向かった。溜まっていた仕事をさっさと片付けるために。


「セレナ様のお部屋は、旦那様のお隣のお部屋にご用意しました。今は旅の疲れを落とすために、湯殿を使っていただいております」


 ゲッセルンの言葉に、頷く。

 

「今日は夕餉の時間を遅くしてくれ。彼女を急かしたくない」


 初めての夕飯だ。どうせなら二人揃って食べたい。


(これからセレナが我が領地で幸せに暮らすために、何をすべきかも考えないとな)


 窓の外を見て、目を細める。

 目の前に広がるのは、荒れた農地と深い森。

 そこで起きた四年前のことは、今も目の前でありありと思い出せる。

 ――あの日は、それまでに起きていた魔獣のスタンピードの中でも、ひときわ大きなものだった。

 

   ***


「隊長! 隊長しっかりしてください!」

 

 俺を支える兵士が必死に声をかけてくれる。

 このスタンピードの最前線で負傷した兵士たちとともに、俺は野戦病院と化した施設に運び込まれた。

 後ろに遠ざかる視界には、ザルナの森から出てくる魔獣が見えるのに。


(情けねぇ……。次期領主の俺が、獣人の俺が、皆を守らないといけないのに)


 俺のあとにも、次々と担架が担ぎ込まれてきているのが見える。

 そこに、ゼルヴ教会から派遣されてきたであろう人たちが駆け回っていた。


(看護にあたる人間が足りないと申請してたのが――来てくれたのか)


 二週間ほど前からずっと、負傷兵の看護人が足りていないと教会に申請をしていたのだ。

 それが聞き入れられたのだろう。


「隊長、教会から聖女さまが来てくださってます! もう大丈夫です」


(聖女……? そういえば今の聖女の中には、治癒力がある聖女がいると聞いたことがあるな)


 その治癒力のある聖女殿が来てくれているのであれば、ここにいる奴らを助けてやって欲しい。

 俺は最後で構わないから。

 そう思っていたのに。


「あなた! 隊長さん? 酷い怪我じゃない! すぐに治すから待ってて」

「聖女さま。どうか隊長を助けてください」

「勿論よ。あぁもう、足も腕もお顔も酷い状態。清潔な布とお湯を持ってきて!」


(俺の所じゃない。他にも酷い怪我の兵がいるんだ)


 どうにか伝えようと手を上げるも、ほんの一センチですら持ち上がらない。

 それに目もだんだんとぼやけてきていて、近くにいる聖女殿の顔すらはっきり見えないのだ。

 こんな俺よりも、他の奴らを。俺は他の奴らよりも頑丈なんだから。


「隊長さん! 無理しないで。何か私に伝えたいことがあるのね?」


 聖女殿は俺の手の動きをすぐに察し、顔を覗き込んだ。

 自分の状態はわからないが、彼女のさっきの言葉を借りれば、顔もぐちゃぐちゃなんだろう。

 だから声が上手く出ないのか。


「ゆっくり。ゆっくりでいいの。吐く息に言葉を乗せて」


 彼女は俺の唇に指先を当て、読み取ろうとしてくれている。


(温かい……)


 指先の温かさに、がさついたその手に、聖女殿の献身を感じた。


「……おれ、は、いい、から、ほかの、やつ」

「あなたも治すし、他の人も治すから大丈夫よ」


 そうはいっても、聖女殿の力にも限度があるだろう。


「おれ、じゅうじ、ん。つよ、いか、ら」

「馬鹿言わない!」


 怒った口調が聞こえたかと思ったら、唇から彼女の手が離れる。


(温かさが、逃げていく)


 それを寂しく思った瞬間。

 俺の体全体が温かい光に包まれた。


「獣人だろうと人間だろうと誰だろうと、怪我をしたら痛い。死にそうなのは同じ! 当たり前のことよ。私はここにいる全員を治すから、安心して治療されてて!」


 その光が、聖女殿の治癒力であることはすぐにわかった。

 欠損寸前の足や、爪でえぐられた腕、焼かれた顔の痛みが消えていったのだ。


「聖女さま、お湯と布です」

「ありがとう。じゃあ隊長さんを綺麗に拭いてください。今日一日はゆっくり休んでくださいね」


 ぼやけてた視界がはっきりとする。

 聖女殿の顔が見えた。まだ若い――幼さすら残る年齢だろうに、強い瞳が自分の為すべきことをすると示していた。


(美しい、瞳だ)


「聖女殿……。ありがとうございます」 


 口元はまだ動かすと少しパリパリとする。

 これは顔中が魔獣の血にまみれたせいで、それが張り付いているのだろう。

 それでも先ほどまで一言も話せなかったのに、もうこうして口を利くことができるのだ。


「私はこれが仕事だから」

「名を聞いても?」

「セレナです。セレナ・シャーシス」


 そうして、彼女は他の兵のところへと向かっていった。

 彼女に助けられた多くの兵たちは、すぐに快方に向かう。

 そうして、どうにか大規模なスタンピードを収束させることができた。

 

   ***


「あのとき、父上と母上がスタンピードでの戦いで亡くなり、すぐに俺は領主に就くことになった」


 その対応で、結局あのあとセレナと会うことはできず、教会へお礼の手紙を送ることしかできなかった。

 調べたら、王太子の婚約者だというので、当然俺はそれ以上何もできないまま。


「それがまさか、王城での夜会で再会できるとはな」


 彼女は、俺のことを覚えていないようだが。

 俺はあの日から一度も忘れたことはなかった。

 俺の兵を、俺の領民を、そして俺を救ってくれた人。


「何をおいても、絶対に幸せにしてみせる」

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