第4話 馬車にて
「聖女殿。部屋に戻られますか?」
大広間から離れたところで、ヴィルレアムから尋ねられる。
「いいえ。できるだけ早急に、王城を離れたいと思います」
「では、このまま我が領地へ行くのはどうだろう」
願ってもいない言葉に、私は思わず手をパンと叩いた。
「ぜひお願いします!」
「ならば俺の馬車で向かおう。詳細は馬車の中で話せばいい」
馬車寄席に止まる一際大きなサイズの馬車は、他の家のものよりは質素だった。
きっとサイズが大きいのは、彼の体に合わせているからだろう。
隣に並ぶ公爵家の紋の入ったその豪華さに比べて落ち着いた色合いの馬車は、なんだか好ましく思える。
母の遺品はネックレスだけだし、それはドレスの下につけているのでそれ以外に必要なものは何も持っていない。
元々修道院で生まれ育った私は、自分のものを持つということもあまりなかったのだ。
それに加え王太子の婚約者として王城に部屋を構えてからも、趣味の合わないドレスや装飾品ばかりを贈られた。それらは当然、自分のものという感覚にはならなかった。センスが悪すぎて。
「では、失礼して」
「は? えっ」
視界がぐるんと変わる。
(待って?! 今私、横抱きされてる?!)
「聖女殿は軽いな」
「ひえ……! 全然そんな。私結構食べるんで!」
反射的に言ってしまった言葉に、ヴィルレアムの表情がほんの少しだけ緩む。
横抱きされたまま馬車に乗り、そして。
「……あの、なんで私辺境伯閣下のお膝に座ったままなんでしょう」
馬車の中は広い。
向かい合わせに座ったとて、まったく問題がないくらい。
「この馬車は、あまりクッションが良くなくてな」
そう言われれば、木の椅子部分に薄い布が貼られているだけなのが目に入る。
「俺の足も柔らかくはないが、木よりはマシだろう」
確かに、見るからに綿がうすっぺたにしか入ってなさそうな座面に座って辺境伯領まで移動するのは、しんどそうだよね。
以前辺境伯領に行ったとき、結構時間かかったし。
(でも、人の足に座るのも落ち着かないといえば、落ち着かない。身動き取りにくいし)
「あっ! 私のドレスの裾を持ち上げておしり部分に敷けば」
「それは足が見えるから勘弁してくれ」
「それもそうですね」
良いアイデアだと思ったんだけど。
貴族令嬢は足をむやみに見せない。平民は気にしないんだけど。
そして、聖女も気にしない。そんなことを気にしてたら、治癒が必要な戦場で足手まといになってしまう。
とはいえ、ヴィルレアムは辺境伯。つまり貴族だ。
ここは戦場でもないし、彼の意見もわかる。
「だからってずっとお膝というわけには」
「迷惑だろうか」
「えっ」
待って。
今の何?! 一瞬頭に耳が生えているように見えたんだけど!
ワンコか! ワンコに見えたのか! ションボリワンコは……かわいい。うん。
「そうですね。その……ときどき体勢を変えさせて貰えれば」
「勿論。体が凝り固まってしまうからな」
「ではお言葉に甘えて」
(親切な人だな。若干親切がズレてそうな気がするけど)
馬車は思っているよりも速く進む。
過去乗ってきた馬車の中で、一番早いかもしれない。
「この馬車早いですね」
「辺境伯領の馬は、速馬といって、馬力が強くなるような馬種なんだ」
それはすごい。
確かに、魔獣のスタンピードなんて起きたら、いち早く現場に向かわないといけない。
そういう状況に対応しているのだろう。
「ところで、閣下が仰っていた辺境伯領を助ける件なんですが」
「四年ほど前から、魔獣のスタンピードが多いことは知ってるか?」
「はい」
「もともと、ザルナの森を擁するのが我が領だ。ある程度の魔獣は仕方がないのだが」
ザルナの森とは、我が国エルタード王国と獣人の国であるパステージ獣人国、それにこの世界を創った女神ザルナークを祀るゼルヴ教の本拠地でもあるゼルヴィーヴ聖国に接する森のこと。
この森には女神ザルナークの最古の神殿があり、そこを守るために魔獣と幻獣が住んでいる。
魔獣は基本的には森から出ない筈なのに、ここ数年森から出てくる魔獣が多い。
辺境伯領で抑えられないと、国中に魔獣が巡ってしまう。
そのため辺境伯領というのは国にとって、非情に重要な存在だ。
(まぁ、だからさっき王太子も強く出られなかったんだけどね)
その辺境伯に、婚約者という立場で新しい就職先を斡旋して貰えたのは強い。
あの意地悪しかしてこない性格の悪い王太子の婚約者業より、仕事はしやすそうな予感がする。
「スタンピードが起きると、辺境伯軍が対応するんですか?」
助けて欲しい、ということはきっと、私の治癒力が必要なのだろう。
魔獣のスタンピードは恐ろしい。
私も以前、一度だけ辺境伯領に助けに行ったことがあった。
「軍と、民の一部が対応する。聖女殿には申し訳ないが、彼らが怪我をしたときに治癒を頼みたく」
「え、そんなのやって当然ですよ。いくらでもやるんで、遠慮なく最前線に連れて行ってくださいね」
「最前線じゃなくていい! 聖女殿には今後危険な場所での作業はして貰いたくないんだ」
真摯な顔で言われてしまうと、「別にいいのに」とは言いにくい。
その辺は、実際にスタンピードが起きたときにでも考えていこうかな。
「……あぁ、そろそろ辺境伯領だ」
「本当に早いですね」
速馬のお陰で、あっという間に着いてしまった。
ありがたい。
窓の外に領地が見える。
(なんか……随分と活気がないというか……。畑が荒れてる)
この辺も、あとで確認しよう。
私が役に立てる部分な気がする。
「さあ。聖女殿、到着した。降りようじゃないか」
馬車が止まり、扉が開けられた。
閣下の膝に座っていた私は、そのまま馬車の外に閣下に抱かれて降りる。
(正直ちょっと恥ずかしい)
目の前に並ぶ辺境伯家の人たちの目を気にして、ヴィルレアムの方を見ると――。
「え……。閣下って」




