第31話 下ごしらえ
王太子ハロルドが身につけていたもので一つ。
私の手元に、調査を必要とするものがあった。
「まだ教会への預けもの、間に合う?!」
私の言葉に、すぐにヴィルが呼び鈴を鳴らし確認をしてくれた。
今まさに出立の支度をしているということで、私はすぐにもう一通手紙を書く。
「これで、結果を待つことにしましょう」
「さっきのは、以前のときに?」
教会への手紙を書いているときに私の手元を見ていたヴィルが、少しだけ嫌そうな顔をしていたのを思い出す。
「何か気付くことがあった?」
「妙に嫌な臭いがしたんだ。そういえば、あの王太子はいつも、臭いな」
そういえば、ヴィルは私がハロルドと婚約を破棄したあの夜会でも、臭いと口にしていた。
私は特に感じたことはないから、獣人のヴィルの鼻で感じるようなものなのだろうか。
(ちょっと別の角度からも探りを入れた方が、後押しになるわね)
「ねぇヴィル。レンドール商会って確か王都にも店を構えてたわよね」
「小さいものだが、堅実な商いをしていると聞いているぞ」
アルディス辺境伯領唯一……随一の商会、レンドール商会の商会長ダーリング・レンドールは、バイヤーもしていると言っていた。
商人同士の伝手は多そうだ。
ダーリングへの依頼の手紙も書き、それを届けて貰うよう頼む。
「今回の貴族議会の開催依頼はどなたにするの?」
「ジティスタ公爵だ。彼は法務大臣だからな。いろいろと都合もいい」
確かに。シルバーグレーの格好良いおじさまのジティスタ公爵は、その立場から、王家に阿ることもなく公正に議会を進めてくれるだろう。
「そうだ! ヴィルはマーヨルド伯爵とは、繋がりがある?」
マーヨルド伯爵夫人は礼儀作法の第一人者で、歴代の王妃、王太子、王太子妃教育を受け持っている。
私も彼女に教えを受けた一人だ。
とても厳しいが、その一方でとても公正な方だった。正妃と違って。
「マーヨルド伯爵か。教育系の役職を担っている方だな。直接の関わりはないが、確か従兄弟が彼の部下をしていたはずだ」
それはなかなかに、適度な関係だ。
「従兄弟はあまり騎士には向いていないらしくてね。うちの一族の中でも珍しく文官なんだ」
「他に文官は?」
「叔父の妻も、従兄弟の妻も含めて皆武人だな」
「ではその従兄弟さんは、肩身が狭かったでしょうね」
私の言葉にヴィルは少し考えた後、首を振った。
「あいつは、根性は武人だからな。自分の生きる道をしっかりと見据えていた」
「それは素敵ね」
「……俺は?」
ヴィルが、無表情なのに小首を傾げてくるから、私は思わず笑みが零れてしまう。
「ヴィルはもっと素敵よ」
そう言えば、尻尾と耳が機嫌良く動く。
「それで、そのマーヨルド伯爵には何を伝えればいいのか教えてくれ」
マーヨルド伯爵の妹は、王城の侍女頭をしている。
結婚をしたくなくて、職を得たと聞いたことがあった。
名前は確か――
「キュルス・マーヨルド様と連絡をとりたいの」
***
数日後、領門の六年間の出入りの記録から、領民以外のものを抜き出した書類が届いた。
そこから、邸内の事務官がローレア侯爵領の者とそれ以外を振り分ける。そのときに、どこから来ているのかをそれぞれ分類して貰った。
「同じ通行手形を持っている幌馬車が、一定期間を空けて通行しております」
それらは全て、ローレア侯爵領で発行された商業通行手形らしい。
ヴィルに書類を手渡しながら、邸内の事務官長がそう口にした。
「商業通行手形なら、通常は疑われないからな。なるほど」
「その一覧を見せて貰っていいですか」
ちょうど今日届いた教会からの報告書を持ち、ヴィルの机に近付く。
彼の手元の書類と、教会の報告書を並べた。
「スタンピードが発生した期日と、この幌馬車が通ったところを突合してみたいの」
私の意図を察した事務官長が頷き、すぐに新しい紙を用意する。
彼はそれぞれをピックアップし、まとめていく。
「この十数年、他の国も含めて魔獣のスタンピードは起きていないわ。アルディス辺境伯領以外では」
教会の調査書を確認してわかったことだ。
つまり、異常が起きているのはここだけ。
「なのに、アルディス辺境伯領ではこんなに頻繁にスタンピードが起きている」
確実に原因があり、それはガルアス・ローレアが幻獣を密猟しているからだと、分かっていた。
その裏付けが必要だ。
「この幌馬車が三度通過した後に、必ずスタンピードが起きている」
事務官長の言葉に、ヴィルが頷く。
「ローレア侯爵領発行のその手形を調べてくれ。その持ち主と、商会があるならそれについても」
「ヴィル。教会からの調査で、これはやっぱり」
調査して貰ったものを、ヴィルが手にする。
「こうしたものの取り扱いがあるかも、一緒に調べてくれ」
「あと、ダーリング・レンドールにもう一つ頼み事も」
その商会の裏が取れれば、ローレア侯爵家と王太子ハロルドを追い詰める算段が付く。
あとは、先日マーヨルド伯爵経由で連絡をとったキュルス・マーヨルド様からの連絡待ちだ。
ちなみに、婚姻届は無事に教会で受理されたので、晴れて私は彼の妻となった。
少しずつ前進している。
本当は今すぐにでもハロルドとローレア侯爵家を地獄に落としてやりたいけど、急いては失敗するとよく言うからね。
貴族社会とは、機が満ちるのを待ち、機を逃さずして進むもの――これはマーヨルド伯爵夫人に教えて貰ったことだ。
「旦那様!」
大きな音とともに、扉が開く。
普段は礼儀正しいフットマンが、息を切らせて駆け込んできた。
「ここここ」
「どうした。鶏の化け物でも現れたか」
「国王からの詮議書を携えた使者がまいりました!」




