第29話 アルディス辺境伯領
辺境伯邸に戻ると、アンとフィーが駆け寄ってきた。
「セレナ様! 私がいながら……本当に申し訳ありません」
「アンのせいじゃないわ。私がお願いした仕事を、してくれてたんだから」
それでもきっと、アンは自分を責め続けていただろう。
抱きしめると、肩が震えている。
フィーは私の足にしがみついたままだ。
「私は無事なんだし、悪いのは全部王太子とローレア侯爵子息だから」
私の言葉に、周囲が気色ばんだ。
「ローレア侯爵家は、娘も息子も余程滅ぼされたいのでしょうな」
普段穏やかな家令のゲッセルンまでそんなことを口にする。
でも、私も正直そう思ってしまう。
「邸の皆もともに、騎士団の訓練場に集まってくれ」
ヴィルはそう告げると、私を抱き上げて訓練場へと向かう。
「詳細はあとでセレナと話し合うとしても、先ずは何が敵なのかを共有せねばな」
(確かに。この後この領地に手を出されたとしても、王太子やローレア侯爵家が敵だとわかっていれば、対処の仕方が変わる)
すでに騎士団の皆は、訓練場に集まるように言われていたらしい。
座るよう指示された彼らの前の演台に、ヴィルと私が並んで立った。フィーは私の腕の中で気持ちよさそうな表情をしている。
「皆、セレナは無事に救出された。犯人は王太子、そしてローレア侯爵の次男だ。それに娘も加わっている」
ざわめきが広がる。
でもそれは、信じられないという様子ではなく、誰もが納得しているかのようなものだった。
(王太子はもともとヴィルを貶めるような発言を繰り返していたし、メルダ嬢のしつこさも折り紙付きだったみたいだしね)
ガルアスは――王太子の側近として、卒なく過ごしていたように見えたけど、とんだ悪事をしていたものよね。
あいつがしでかしたことは、絶対に許すことができない。
幻獣に手を出すことが、どれだけの罪なのかを理解させないと。
「そして――我が領地のスタンピードを誘発したのも、ローレア侯爵家の次男だと判明した」
瞬間。
騎士たちだけではなく、集められていた全ての使用人たちも立ち上がる。
誰もがその瞳に怒りの色を浮かび上がらせていた。
けれど、声を荒げる者はいない。
一糸乱れぬまま、まっすぐに立つ。
「閣下。我らアルディス辺境伯家騎士団、及び同使用人一同は、ローレア侯爵家を今後敵と見做すことを誓います」
騎士団長が代表してそう宣言すると、まるでザッっと音が聞こえそうなほど揃って、全員がヴィルに騎士の礼をした。
(使用人の皆さんまでが、騎士の礼を完璧にできる。それが、辺境伯家)
壮麗なまでの騎士の礼を見て、思わず感銘を受けてしまう。
そして同時に、それほど統率が必要な場所でもあるのだ、と実感した。
そこには、命を賭してでもこの領地を守るという矜持がある。
ヴィルが手を上げた。
それに反応し、騎士団長が立ち上がる。同時に、皆も姿勢を戻し、顔を上げた。
「俺はこれから、証拠を集める。聖女であり我が妻セレナと幻獣を害する者たちを、地獄に落としてみせる」
かつて見たことがないほどの気迫を、ヴィルが纏う。
この場にいる誰もが、真剣な眼差しで彼を見ていた。
(これが、アルディス辺境伯。これがアルディス辺境伯領の民)
喉が熱くなる。
胃の中が燃えるようだ。
心臓が大きく跳ねる。
口の端がうずうずしてきた。
「セレナ、何か伝えたいことが?」
ヴィルが私の様子を見て、声をかける。
私が伝えたいことは、一つだけだ。
彼を見上げれば、頷いてくれた。
皆に目を向ける。
一歩、踏み出す。
お腹に力を入れて、手を斜めに掲げた。
「アルディス辺境伯領に、祝福を」
風が吹き、この訓練場の中を駆け巡った。
そこには緑の香りが立ち上がる。
私が掲げた手の周囲から、柔らかな緑色の光が溢れ、やがてこの場全てを包み込んだ。
聖女、聖人となったときに一番最初に学ぶ、女神ザルナークからの祝福。
再び、皆が頭を下げる。
それは、私のこの宣誓がセレナ個人ではなく、癒やしの力を持つ聖女としてのものだと、皆が理解したからだろう。
光の波がうねるのにあわせ、私の腕の中にいたフィーが飛び跳ねた。
「キュウウ」
鳴きながら、フィーの体が一回り大きくなる。
「フィー?!」
私の声に、フィーが反応するかのように、その四肢を、その体躯を、大きく広げた。
「幻獣……フィエル……」
誰が最初に呟いたのか。
私たちの、そして頭を下げていた皆の上に影を落とし、大きく飛翔するフィーは、成体の姿となる。
美しく輝くその毛が、祝福の光を反射して、きらきらと輝いていた。
「成体に、成長したのね」
「セレナの祝福がきっかけなのかもしれないな」
フィーは、皆がいる訓練場の奥に足を掛けると、再び私の足下へと戻ってくる。
祝福の光も、それと同時に消えた。
「皆! 俺たちは今、奇蹟を見た。幻獣が幼体から成体に成長する瞬間に立ち会えたことこそ、我がアルディス辺境伯領の勝利を約束してくれる光であろう!」
ヴィルのその言葉に、一斉に雄叫びが上がる。
「セレナ。俺は、いざとなればこの国を見捨てることも厭わない」
彼のその言葉は、まるで予言のように動いていった。




