第26話 誘拐
潮の匂いがした。
(あれ、私海に来てたっけ)
ゆっくりと瞼を動かすと、薄暗がりの見慣れない景色がそこに見える。
(ええと――。そうだ、私ザルナの森で)
男たちに捕えられた、と思い出す。
ということは、ここで目が覚めたことがばれると、面倒なことになるのだろうか。
(そもそも、なんで私を)
体をそっと動かしてみると、どうやら拘束はされていないみたいだ。
人の気配もしないので、思い切って起き上がってみる。
「……倉庫?」
半地下になっているらしく、六段ほどの階段が続き木の扉がついていた。
取っ手は大きな鉄のかんぬき状のものだ。
(中からは開かなさそう……)
外に敵がいるかもしれない。今すぐ確認するのではなく、様子を見ることにする。
そこまで広くない部屋には、大きな木の箱がいくつも置かれていた。
天井の高い位置には明かり取りの窓が、ガラスもはめられていないまま、開いている。
(あそこから、潮の匂いがしたのね。ということは、海の近く?)
「キュウキュウ」
箱の中から、幽かに声が聞こえた。
「動物の鳴き声……?」
声のする方へと向かう。小さく振動している箱が一つだけあった。
「これね」
私の両手を広げたくらいの箱の上に、三つほどの箱が乗る。
そのうちの一つに触れると、再びキュウキュウと声が聞こえてきた。
中に生き物がいるのは間違いがない。
「かわいそうに。出してあげるわ」
箱の周囲を見回すと、木組みで箱の蓋を閉じていることがわかった。
外側からのこの仕組みであれば、中からは開けられず、外からは簡単に開けられる。
(なるほど。よくできたものね)
上部についている留め金を外すと、中に三匹の幻獣クレフォンの幼体が入れられていた。
クレフォンは白い大きな羽根を持つ幻獣で、幼体とはいえ、その羽根の美しさは成体さながら。
――もちろんサイズは小さいけれど。
「キュ」
私の手に顔をなすりつけてくるクレフォンを見ると、羽根の付け根に斬りつけられた痕がある。
「ここに連れて来られるときにやられたのね。すぐに治してあげる」
「キュウ」
三匹とも怪我をしていたので全て治すと、箱から出してあげた。
幸い首輪のようなものはつけられていない。
「あそこ、わかる? あの窓から逃げなさい。それでもしも――できたらアルディス辺境伯領で、領主にここを」
「キュウウ」
一匹が立ち上がり足を見せる。
「付けさせてくれるの? ありがとう」
紙とペンはここにはなさそうなので、結っていたリボンを解く。
(これは、ヴィルが買ってくれたリボンだから)
少し前に、ヴィルがプレゼントしてくれたリボンを私は毎日付けている。
辺境伯家の誰かが見れば、私のものだと気付くだろう。
それをクレフォンに結ぶと、彼ら三匹は高く羽ばたき、明かり取りの窓から外へと逃げていった。
「羽根は落ちてないわね? よし。じゃぁ箱を元通りにして……あ、あの重しっぽいの入れとこ」
元通りに鍵を掛ける。
こうしておけば、すぐにクレフォンがいないと気付かれることはないだろう。
(それにしても、まさか密猟の場に居合わせるとは)
幻獣の捕獲、売買は世界法で禁止されている。
だが、幻獣の幼体は魔力を使えないため、密猟者が一定数いることも否定できない。
幻獣の持つ美しい羽根、毛皮を欲しがる貴族は多い。
また骨を砕いたものは不老不死になれるという噂を信じて、高値で取引がされるという。
(私が連れて来られたのは、もしかして密猟を見られたと思ったのかな)
だとしたら、このあと殺される可能性が高い。
実際は何も見ていないのだが、今まさにクレフォンが捕えられていたのを見てしまった。
(でも、まだ生かされているということは、他に目的がある?)
連れて来られてすぐに殺されなかったのは、取引に使うためだろうか。
(今生きているということは、私を使って何かをしようとしているのか――)
考えても、犯人がわからなければ推理もできない。
私を捕えた男たちは、見ず知らずの者だった。
辺境伯領のザルナの森まで入り込めているということは、領民か近隣領の者だろう。
(でも、スタンピードのあとに幻獣を捕えたら、大変なことになると領民ならわかるだろうし……あれ)
あの子たちはいつ、捕えられたのだろうか。
スタンピードが終わったばかりの領地。
私がザルナの森近くに行ったときに、幻獣たちはいなかった。
(スタンピードで魔獣から逃げてきた? ううん。そんな筈はないわ)
ザルナの森にいる幻獣と魔獣は共存している。
魔獣は、基本的にはザルナの森の中にある女神ザルナークの神殿を守るためにいるのだから。
女神ザルナークの眷属である幻獣を害することはない。
(そう。だから逆なんだわ)
幻獣を害すると、国に災いが起きるのだ。
(スタンピードが起きて、幻獣が森を出たんじゃない。幻獣を害したから、スタンピードが起きた)
背中がぞくりとした。
(スタンピードが増え始めたのはいつ)
心臓の音が大きくなる。
幻獣の密猟が長く行われてきたのではないか。
そんな不安が、頭の中を占めていく。
(落ち着いて。まだ何も決まってない。それに、クレフォンたちが辺境伯領まで行ってくれれば、密猟者を捕まえて貰える筈)
だんだんと頭が痛くなってきた。
(ここ、空気が薄いのかも)
壁際に寄りかかり、座り込む。
(なんだか嫌な空気)
倉庫ならではのじっとりとした空気に、潮の匂いが混ざる。
湿度も高く、どことなく息苦しさを感じた。
どのくらいぼんやりと過ごしていただろうか。
「気が付いたのか? セレナ」
ガチャリと扉が開き、光が差し込む。
二人の男の影が、そこから伸びた。




