第23話 侯爵家の婚約
家令が、わたくしを部屋に案内する。
「こちらの部屋をお使いください。現在当家は緊急事態対応中ですので、部屋の中でお過ごしいただきます」
「そう。わたくしにつく侍女を紹介して」
「当家は緊急事態対応中ですので、対応致しかねます」
緊急事態対応中ですって?
わたくしの侍女を用意するくらい、すぐに――ああ。
「そう。では、準備ができるまで待ってあげるわ」
わたくしはこの家の女主になるのですものね。
誰もが侍女になりたくて、今は調整しているのだわ。
「あの平民女についてるのは、力自慢しかなさそうな侍女だったしねぇ」
くすくすと笑っていると、家令は去って行った。
「お茶を用意するメイドくらい、さっさと呼んで欲しいわ」
けれどこの部屋には、呼び鈴の紐も鈴も置いていない。
まったく。
平民女なんかを邸に置くから、気配りのできない状態になるのね。
わたくしはソファに座ると、昨夜のことを思い出した。
***
「お父様、あの平民女がヴィルレアム様の隣に立つなんて、許せませんわ!」
「父上。私もメルダに同意見です」
ガルアスお兄さまは、いつでも私のことをわかってくれる。
以前もお兄さまがお父様を説得して、ヴィルレアム様に婚約の打診を促してくれたのだから。
お父様は、少し困ったような顔をしていた。
「しかしなぁ。アルディス辺境伯家には、以前も婚約を断られているし」
「父上。あれはメルダがまだ十二だったからかもしれません」
「その後も、折りに付け断られているが……」
「隣の領地の領主夫人が平民で、父上は良いのですか?」
その言葉に、お父様も動きが止まった。
「あの平民は聖女で、王太子殿下の元婚約者だろう。下手に手を出していいものか」
なるほど。そこを気にしていたのね。
でも、ガルアスお兄さまは殿下の側近だし、わたくしも幼なじみだから、あんまり気にしなくてもいいのでは。
「私が本日こちらに戻ったのは、殿下のご意向もあってですよ、父上」
「――ほう?」
お父様はガルアスお兄さまのことを、信用している。
一番上のお兄さまは、領地を安定的に経営したいみたいで、堅実派。
だけど、ガルアスお兄さまはより富ませるために、商会とかも作ってるのよ。
お父様はガルアスお兄さまから流れてくる資金を、あてにしているみたい。
わたくしはどちらのお兄さまも好きだけど、ガルアスお兄さまの方がわたくしのお願いも聞いてくれるから、特に好きなの。
「聖女は使い道がありますからね。殿下は手元に呼び戻すつもりだそうです」
「ふむ」
「ただ、あの聖女はどうも自分の立場がわかっていないようでして」
「もしや、アルディス辺境伯家にも無理矢理居座っているのか?」
お父様の言葉に、ガルアスお兄さまは苦笑いを浮かべる。
やっぱりそうだったのね!
ヴィルレアム様が、あんな平民女を婚約者にするわけがないのよ。
優しいヴィルレアム様が声をかけたのを、何か勘違いしたんだわ。
「我が家から、聖女を追い出す口実を作ってあげれば、辺境伯家に貸しもできるでしょう」
「それはいいな。よし、便せんを用意しろ」
お父様の言葉に、家令がすぐに動く。
「そうだ、メルダ。父上の婚約の申し込みのタイミングで、辺境伯家に滞在してこい」
「ヴィルレアム様の元へ?」
「ああ。おそらく、そのタイミングでは辺境伯は不在の筈だ」
「それはどういう」
ガルアスお兄さまは、目を細めてわたくしに優しく笑いかける。
「だいたいペースがわかったんだ。そろそろあの領地にスタンピードがくるぞ」
「スタンピードが?! いやだわ。そんなときに辺境伯領に行くなんて」
「だが、そうなればあの聖女は、忙しくなる」
なるほど。
ガルアスお兄さまは、その間にわたくしが辺境伯邸で女主としての実権を握れば良いと考えてるのね。
「メルダ。こういうのは、既成事実と実績が大事だ」
「既成事実……。わたくしに、婚姻前に」
「実際に成し遂げなくていい。辺境伯家の者たちに、当主が手を出したと思わせればいいんだ」
それならば、問題ないわ。
寝室でわたくしの魅力を前にして、ヴィルレアム様が我慢できるとも思えないですし。
「ガルアス、勝算はあるのか」
「父上。私は勝ち目のない戦いはしませんよ」
「ならばいい。この件の詳細は任せる。殿下にもよろしく伝えてくれ」
***
「失礼します」
ようやく部屋に来たのは、どう見ても侍女ではなくメイドが数人だった。
こんな下級使用人をわたくしの部屋に送り込むなんて、あの平民女の性格の悪さが良くわかるわ。
やっぱりヴィルレアム様には、わたくしのような、気高い高位貴族が似合うわね。
「ローレア侯爵令嬢。お召し替えをお願いします」
「なんですって?」
「本日緊急事態対応中ですので、そのお召し物では埃が立ってしまいます」
わたくしのドレスを心配しているのね。
なかなか殊勝じゃない。
「そう。では着替えをお願い」
入ってきたメイドのうち一人が、新しいドレスを用意している。
わたくしの周りを他のメイドが取り囲み、着替えが始まった。
「ところで、どんなドレスかしら。ヴィルレアム様がわたくしのためにご用意くださったの?」
「確かにドレス自体は、辺境伯家が以前ご購入されたものにございますが……」
メイドのくせに手際よくコルセットまで外していく。
「あら。もしかして新しいコルセットも?」
「いいえ。今からお召しいただくものは、コルセットが不要でございますので」
「……どういうこと?」
気付いたら、わたくしの着ていたドレスもコルセットも、どこかへ消えた。
「ちょっと! わたくしのドレスは」
「きちんと保管いたしますのでご安心くださいませ」
メイドはにっこりと笑うと、貧相なドレスをわたくしに着させる。
「こちらのドレスは、胸元にしっかりと当て布がございますので、コルセットがなくても問題ございません」
「きっ、貴族女性がコルセットのないドレスで、人前に出られるわけないでしょう!」
「ご安心くださいませ。旦那様のご親戚の子爵夫人が以前お召しになっていた、貴族令嬢用の簡易ドレスです」
子爵のような下級貴族の、しかも簡易ドレスですって?!
「は、恥ずかしくて、外に出られないわ!」
わたくしがそう叫んでも、メイドたちは返事一つせずに部屋を出て行ってしまった。




