第21話 婚約の申し込み
ローレア侯爵家からの婚約の申し込みに、ヴィルはかなりご立腹だった。
それはもう、眉間の皺を刻んだ状態からいつもの無表情に、一向に戻らない位には。
「ヴィル……。もし辺境伯領のために、政略結婚が必要なら」
「必要ない」
ばっさり。
本当に? と彼を見れば、私に手を伸ばしてくる。
(あ、これは)
私を抱きしめようとしているんだな、と最近ではわかるようになってきた。
彼の近くに寄ると、膝の上に横抱きで乗せられる。
「俺の妻はセレナだろう?」
「まだ婚約者……」
「もう今から婚姻届を出そう」
「でも、領地のためになるような人が現れるかもしれないし」
そう言うと、ヴィルは私の顔を覗き込んだ。
「領地のためになるような人?」
「そう。流通とか交通とかの税金とか、いろいろ貴族同士の関係性で決まるんでしょ」
王城でそういう話は、ちょいちょい耳にしていた。
令嬢たちが私を呼び出したお茶会で、私を無視して話しているのを聞いていたのだ。
(いやぁ、無視するなら呼ばなきゃいいのに。美味しいお茶菓子食べられたからいいけど)
「領地の土地を復活させて、育てる作物や二次利用についてまで考えてくれる女性は、領地のためにならないのか?」
無表情で私を見るヴィルの耳が、小さく震えていた。
(緊張……してる?)
それがあまりにも――かわいく思えて、つい彼の頭に手を差し出す。
大人しく、少しだけ頭を前に倒して私に撫でられているヴィルの無表情が崩れる。
目元を細めて、なんだかとても幸せそうな顔をしているのだ。
(ヴィルがこうして幸せそうだと、なんだか嬉しいわね)
「セレナ」
「ん?」
彼が私の手を取り、握る。
じっとこちらを見てくるので、私は首を傾げながらヴィルを見返した。
「セレナは辺境伯領のためになっていると、俺は思ってる」
「でも、私がやってることって別にヴィルの妻じゃなくてもできるというか……」
「セレナは俺の妻になるのは嫌か?」
ヴィルが私を抱きしめる手に、少しだけ緊張が走った。
そんな彼を見ていると、私の心の中がなんだかあたたかくなっていく。
「嫌じゃないです。たぶんヴィルのこと好き……なんだと思うし」
私の言葉に、ヴィルが少しだけ笑みを浮かべ口を開く。
「たぶん」
(あ、また無表情になってる。でも……尻尾が揺れてる。かわいい)
「なんていうか、人としては好きなんだけど、この気持ちが夫になる人に対する好きなのかがわからなくて」
そう説明すると、ヴィルは頷いた。
「セレナは王太子と婚約中、彼に恋したことは?」
「一度もないけど」
そもそも、恋愛以前に人として好きではなかったからね。
「修道院出身だし、恋愛の感情がどれかがきっとわからないんだろう」
「じゃあヴィルに対する好きは、恋愛の好きなのかな?」
「俺はそうであって欲しいとおもうが、断言はできないな」
ヴィルの言い方に、私は彼に抱きついてしまった。
「セレナ?!」
普段彼が私を抱きしめることはあっても、こちらから積極的に抱きつくことはないので、びっくりしてるみたい。
でも、なんだかそうしたい気持ちになったのだ。
「そしたら、これが夫婦の好きかどうかを、一緒に確認していって欲しい」
(――ん?)
ヴィルが真っ赤になって、口元がムズムズしたように動いている。
何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。
「ヴィル、私あなたを笑わせるようなこと言った?」
笑うのを我慢しているような――。
「セレナ。それどういう意味かわかってるか?」
「ええもちろん! 毎日お互いをどう思っているか、話し合っていくんでしょ」
そう言うと、またしても抱きしめられてしまった。
「ははっ、そうだよな。うん、そうそう」
「ヴィルが声を上げて笑うなんて、珍しい」
「セレナといると、そんな気持ちが溢れてくるから」
私がヴィルの笑顔を引き出せているなら、なんだかとっても誇らしい。
「それで、ヴィル。ローレア侯爵家からの婚約の申し込みは」
「当然断るさ。そもそも政治的に見ても、ローレア侯爵領とは普通の付き合い程度で十分なんだ」
「なるほど――。旨味はないってこと」
ヴィルは頷くと、私を抱いたまま机に便せんを広げた。
「あ、降りるから」
「え……このままでも」
「さすがに、書きにくいでしょ。私、体を動かしがてらお茶とお菓子を頼みに行ってくるわ」
ぴょん、と彼の膝から降りると、執務室のドアに向かう。
「セレナ様。私がメイドに頼みますよ」
部屋の隅で私たちのやりとりを見守っていた家令のゲッセルンが、そう言ってくれる。
でも、少し体を動かしたいのは本当だ。
「大丈夫。ずっと書き物してたから、体が固まっちゃって」
「それでは」
扉を開けてくれた、その瞬間。
「大変です! 魔獣のスタンピードが起きました!」
そんな声が、玄関の方から邸に響いた。




