第18話 夜会の侵入者
「久しぶりだな、セレナ。会いたかっただろう?」
目の前に現れた男――王太子ハロルドは、私の記憶と寸分の狂いもなく気持ちが悪いままだった。
「お久しぶりです、王太子殿下。会いたいとは微塵も思っておりませんが、どなたかとお間違いになっているのでは」
何なら二度と会いたくないと思っていたのに、どうしてこの人がここにいるのだろうか。
私の言葉を聞いて、ハロルドはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「何を強がっている。素直になればいいものを」
(やだ、気持ち悪い)
一歩。
ハロルドが近付くたびに、私は後ろに下がる。
「なんだ。僕が怒ってると思ってるのか? 僕は寛大なんだ。セレナの強がりくらい許してやろう」
「強がり?」
「ああそうだ。僕との婚約破棄を受け入れただろう。僕の気を引きたいからって、強がる必要はない」
(何を言ってるんだろうか)
これまでハロルドは高慢で、我が儘で、私を下に見ていた。
けれど、こんなことを言われたことはない。
(気を引きたい? 強がる? どういうこと?)
今までも、何を言ってるのかよくわからないことはあったけれど、今日のハロルドは何か――。
(怖い……)
背中がぞくりとした。
もう一歩後ろに下がったところで、テラスの手すりに阻まれる。
「セレナは、自分が平民だから僕に遠慮してるんだよな」
ハロルドの手が、私の手首を掴む。
勢いよく手を引かれ、危うくハロルドの胸に飛び込むところだった。
寸でのところで、足を踏みしめる。
「おい、素直になれよ!」
「素直になれもなにも、私は別に強がってもいないんですけどっ!」
手首を掴む彼の手を、どうにか振りほどこうと腕を動かす。
「この……っ! こっちが大人しくしてりゃ!」
一瞬片方の手首が離れたかと思うと、背に腕が回った。
(引き寄せられる……っ!)
自由になった片腕で、どうにかハロルドの体を引き離そうとする。
ハロルドのジャケットのボタンに手がかかり、引きちぎってしまう。
その勢いで、彼から少し距離を取ることができた。
「なんて粗雑な女だ」
「粗雑で結構です。粗雑な平民女なんて、放っておけば良いのでは?」
ハロルドの様子がこれまでと違い、まるで私を強引に抱きしめようとしているみたいで怖い。
震えそうな声をどうにかなだめる。
皮肉なことに、王太子妃になるための訓練で培ったものが、ハロルドへの震えを抑えてくれていた。
「ははっ! やっぱり平民なことを気にしているのか? 僕は気にしないから、安心して戻ってこい」
「別に平民であることを気にしたことはないし、そもそもなんで殿下のところへ戻ることに?」
「いいから来いよ! 僕の言うとおりにしてればいいんだ!」
(話が通じない……!)
今までもあまり通じたことはないけど。
それでも、こんな風に近付くことはなかった。
「ほら! こっちだ!」
再び彼の手が私の腕を捉えようとした、その瞬間。
「王太子殿下。俺の妻に何をしてるんですか」
ヴィルの声とともに、私の体が彼の大きな背中に隠れた。
「……狼辺境伯。邪魔をするな」
「邪魔? 俺には、殿下が暗がりで女性を襲っているようにしか見えませんでしたが」
「馬鹿を言うな。その女は僕が迎えに来たのに、従わないから」
「あ?」
二人の様子は見えないけど、ヴィルの声がものすごく低くて威嚇しているのは分かった。
「な……なんだその目は! 不敬であるぞ!」
「不敬を問う前に、殿下の行ったことを反省して貰わないと」
ヴィルの片手が、彼の後ろにいる私に触れる。
それだけで、急に安心してしまう。
「殿下、俺と戦う気がありますか?」
私に触れている手と逆側が、ハロルドの腕を掴むのが見えた。
「ぐ……っ」
その腕を持ち上げると、ハロルドの足下が浮き上がる。
(うわ、すごい力!)
「や、やめろ」
「ああ、ここで血が流れるとセレナの目を汚してしまうか」
ハロルドの声に、ヴィルの腕が少しの弧を描いた。
次の瞬間、どすりと鈍い音がする。
ヴィルの体の横から覗き込むと、ハロルドが放り出されてテラスの床に腰を落としていた。
「さぁセレナ、戻ろうか」
私の体がふわりと浮かぶ。
そのまま彼に横抱きにされると、ハロルドの横を通り過ぎ、ホールの中へと向かう。
一瞬、ハロルドと目が合った。
「セレナ! 後悔するぞ!」
床に座り込んでいる状態でそんなことを言われても、ダサいとしか思えなかった。
そんな彼を無視してホールに戻ると、ヴィルは私を抱える腕を引き寄せ、額に唇を寄せる。
(にっ、二回目っ!)
昼間のときには仲良しを見せつけるためにわざとやったと思った。
今回も、こんなことがあったから、周囲の貴族にわかりやすくするためにやったのだろう。
そう思ったけれど。
「一人にしてしまってすまない」
私の耳元でそう告げるヴィルの声があまりにも辛そうで、もしかしてこれはヴィルにとって何か意味があるのでは、なんて思ってしまう。
「あ、あの、助けてくれてありがとう」
「遅い位だったんだ。もっと早く気付けば」
「私がテラスに出るって伝えてなかったから」
抱きかかえられたままの私を、周りの貴族が見ている。
「ヴィル……あの、人目が……」
「そうだな。もう部屋に戻ろうか」
ヴィルにあれだけ脅されれば、ハロルドももう二度と私たちに構うことはないだろう。




