第15話 貴族の面子
せっかく作って貰ったドレスを紅茶で汚されたのは、気にいらない。
でもまぁ、売られた喧嘩は買うつもりだ。彼女はきっと、どうせ平民だから楯突いてこないとでも、思ってるんだろう。
おあいにく様。
私は小さく息を吸い込むと、お腹に力を入れる。
「まぁぁ! 酷いわ! ヴィル様が初めて私に作ってくださったデイドレスなのに!」
テーブルから数歩下がり、他の場所からもよく見えるように立つ。
私の目線はじっとメルダ嬢へ。
こうすることで、詳細を口にはせずとも何が起きたかはわかるだろう。
「メルダ嬢、何がお気に障ったのかはわかりませんが、この熱い紅茶をかぶったのが私じゃなかったら……」
(全然熱くなかったけど、そう言っておけば皆はそう思うでしょ)
ふるっと両肩を抱いて怯えるように見せる。
周囲では、メルダ嬢を非難する囁き声がした。
いくら平民出身の私相手でも、この場でこれはやり過ぎだと思って貰えれば重畳。
(さて、メルダ嬢はどう落とし前を付けるかしら)
そう思って彼女を再び見ると、口を開けて私の後ろを見ている。
(――ん?)
「俺のセレナを傷つけたのは、誰だ?」
いつもよりも低い声のヴィルが聞こえた。
どうやら私の後ろに、いつの間にか立っていたようだ。
「ヴィル。お帰りなさい」
彼の怒りを感じ、私はくるりと彼の方に体を向ける。
「セレナ、ただいま」
私の額に唇を落とす。今まで彼にされたことはないけど、これはきっとあえてやっているのね。
うん。ちょっと体が固まりそうになったけど、どうにか自然体を装おう。
「ヴィルごめんなさい。せっかく作って貰ったのに、ドレスを汚されちゃって……」
私の口調がいつもと少し違うことに気付いたようで、彼もこちらに乗ってくれた。
「また作ればいいさ。君に怪我がないならそれで十分だ。それにしても誰がこんな礼儀知らずなことを」
ぎろりとメルダ嬢の方へ彼の視線が向く。
私のそれまでの様子で、何が起きていたかは大方予想ができたのだろう。
しかも、いつもの無表情ヴィルが視線の温度だけはいつも以上に冷たい。
メルダ嬢は泣きそうになっていた。泣かないのは、たいしたものね。いや……泣くに泣けないのかな。
「謝罪はまだ受け取ってないけど、そういうおつもりなんだと思うから、もういいのよヴィル」
これはヴィルではなく、遠巻きに見ているご夫人方への合図だ。
辺境伯家に無礼を働いた上に謝罪をしないのは侯爵家である、と示したのだから。
「少し早いが、湯を借りて夜会の支度でもしよう。君のために捕ってきた獣を見せたかったんだがね」
「じゃぁ、こんな姿でよければ先にそれを見せて貰ってから、着替えに向かうわ」
それはつまり、男性陣にもこの状況を知らせるということだ。
「お待ちください、アルディス辺境伯閣下」
(ついにローレア夫人が動いたか。ちょっと遅くない?)
「なんでしょう。ローレア侯爵夫人」
「セレナ様の替えのデイドレスは、我が家でご用意致しますわ。ですから」
「それはつまり、セレナに出来合いのサイズの合わぬものを着させろとうことですかな、侯爵夫人」
「そういう訳ではございませんわ。ただ、そんな姿で殿方の前に出るなど、みっともないじゃないですか」
「――ほう、みっともない、ねぇ」
きっと、ここにいる誰もが私を平民として侮っていたのだろう。
ヴィルがここまで私のことを大切にしているとは、思っていなかったのだろう。
(残念でした)
ヴィルからは事前にメルダ嬢のことも聞いていたし、彼の婚約者としての仕事を全うするつもりで私はここにいる。
アルディス辺境伯家を侮らせることなど、絶対にしないと誓って今日立っているのだ。
そしてそれはヴィルも同じ。
(私を大事にしている辺境伯っていう印象をつけたいのよね、きっと)
「初対面の相手に紅茶をかけて謝罪しないのは、みっともなくないというのだな。さすがはローレア侯爵家だ」
「ヴィルレアム様酷いっ! そんな風に言わなくても……!」
まさかのメルダ嬢の登場に、私は笑いを堪えるのが限界になりそうだった。
口元を誤魔化すために、ヴィルの体に顔を寄せる。
「大きな声を急に出さないでくれ、ローレア侯爵令嬢。そもそも君が紅茶をかけたのではないのか?」
「あ……いえその……私、ではなく……」
メルダ嬢は瞳を左右にキョロキョロと動かす。
(あら、もしかしてオトモダチになすりつけるつもり?)
だとしたら、それはいただけない。
私はヴィルの腕の中から、彼を見上げる。
「ヴィル、ローレア夫人のご用意くださるドレスに着替えてから、あなたの獲物を見に行きましょう」
メルダ嬢ではなく、ローレア侯爵家自体にひとつ貸しを作っておかなくちゃ。それから、罪を押し付けられそうになったお家の方々にも。
(領と領のお付き合いは大切だものね)
「セレナは優しいな。ではローレア侯爵夫人、これで手打ちにしよう」
あくまでも主導権はアルディス辺境伯家に。
それをしっかりと周囲に見せつけ、幕引きとなった。
狩猟会のあとは、支度と休憩の時間を挟み夜会が始まる。
私はローレア夫人が用意したドレスを着て、ヴィルの獲物を見に向かう。
「セレナ、さっきはありがとう」
「これでメルダ嬢が諦めてくれるといいけど」
「本当に……。そうじゃなくても、この件で農業用のカルシウム資材の購入については、有利に交渉できそうだ」
「それならよかった」
今日の招待客を思い出す。
「どうした、セレナ」
「今日は王家の人間が誰も狩猟会に来ていないな、って」
「そういえばそうだな」
この持ち回りの狩猟会では、王家の誰かが――大抵は王弟が狩猟好きなので彼が――参加する。
それが、誰も来ていない。
「もしかしたら遅れているのかもな。王弟殿下もお忙しい方だし」
「狩猟がお好きだから、きっと悔しがってますね」
そんな話をしているうちに、いよいよ夜会が開始された。




