第11話 ファーストモフモフ
私の胸にぴったりと張り付いたそれは、じっと緑色の瞳を私に向ける。
「か……か……」
「セレナ、大丈夫か?!」
「かわいいっ!」
胸元にいるそれに手を添える。ふわふわとした長く白い毛が、私の肌を柔らかく刺激した。
じっとこちらを見つめる瞳が、まるで丸い木の実のように愛らしい。
「ヴィル。この子って幻獣フィエルじゃない?」
思わずなでなでしてみると、キュウと小さく鳴く。
緑色の瞳は、私たち聖女、聖人の他には幻獣だけが持っている。
「ああ。幻獣が人に懐くことなんてないのに……。さすがは聖女殿ということか」
「瞳が同じだからかな。ふふ、かわいい」
馬車に乗ろうとしたところで、幻獣が飛び出してきたのだ。
この子を連れて帰るわけにもいかないので、御者にはもう少し待って貰うことにする。
「幻獣がいるということは、もしかしてザルナの森に幻獣の樹が?」
「誰もその樹を見たことはないんだが、うちの領地にはよく幻獣が現れるから、おそらくはそうなんだろう」
幻獣の樹とは、各国に一本だけ生えているという幻獣が生まれる樹のことだ。
「確かに。場所が明らかになると、良くないことも起こる可能性があるし」
この幻獣の樹は、仮に伐ったり移植すると即座に枯れると言われていて、世界法で保護が定められている。
とはいえ不心得者というのはどこにでもいるので、どこに幻獣の樹があるかが分からない場合は、あえて曖昧なままにしておくことが推奨されていた。
(このまま抱き続けるわけにもいかないけど、離したくもない……)
子猫くらいの大きさのふわふわは、私の腕の中で心地よさそうな顔をしている。
「もしその幻獣が嫌がらないのであれば、邸に連れて行っても構わんぞ」
ヴィルの言葉に彼の方を見れば、銀色の一重の瞳が柔らかな光を反射した。
「だって! 幻獣ちゃん、私と来る?」
「キュウ」
言葉が通じているのかはわからないけど、嫌がらないで顔をすりすりと私の胸元にこすりつけてくる。
「これはいいということでは?!」
「きっとそうだ。嫌がれば離してやればいい」
ヴィルは幻獣ごと私を抱き上げ、馬車に乗せた。
「あっ! 村長さんまた!」
「村の皆にもよろしく伝えてくれ」
私たちの声に、村長さんは恭しく頭を下げる。
その姿が徐々に遠くなっていった。
***
女神ザルナークの遣いと言われている最強幻獣マホロ。その眷属として、数多の種の幻獣は世界法で保護下に置かれている。
幻獣は一年間の幼体を経て、大きくなり魔力が使えるようになるのだが、幼体時はそれらが一切使えない。
(たしか成体になると、大きなクマやトラほどにもなるとか)
そう考えると、この幼体時の小さくてモフモフかわいい幼獣に出会えたのは行幸なのかもしれない。
(何かいいことあるかも)
「まぁぁ! かわいらしい幻獣さまですね!」
辺境伯邸に戻ると、アンが目を輝かせて私の腕の中の幻獣を見つめた。
「アンは幻獣は見たことあるの?」
「はい。この辺境伯領では幻獣さまが自由に遊ばれるので、私たちは何度もお見かけしていますが、幼体の幻獣さまは初めてです」
(そう言えば、人間のザルナークの瞳は初めて見た、とアンは言ってたわね)
幼体は魔力が使えないので、一年が経つまでは基本的に幻獣の樹か成体の近くで過ごす。
さらにこの可愛らしい見た目の幻獣は、その爪から毛皮から瞳から、骨、全てに法外な値段が付けられている。
――つまり、裏取引をする者がいるということだ。
(教会で説明を聞いたことはあるけど、幻獣に出会うのは初めて)
そこで、はたと気付く。
この幼体を連れてきてしまって大丈夫だったのだろうか。
「きみは迷子だったのかな? 仲間のところに戻らなくても平気なの」
「キュウウ」
あまりにもモフモフでかわいいので、体中を触りながらそう問えば、ある一箇所で幻獣が痛そうな声を上げた。
「もしかして怪我をしてるの?!」
私の言葉に、私たちを見守っていたヴィルやアン、それに周囲の人たちに緊張が走る。
「ジュリア、すぐに幻獣を寝かせられる台を用意しろ。ゲッセルン、アンはセレナを奥へ」
ヴィルの指示で、侍女長のジュリア、家令のゲッセルン――初日に私に挨拶してくれたおじさんだ、そしてアンがすぐに動く。
私は幻獣に負担がかからないようにしっかりと抱きかかえ、邸の中へと向かった。
(幻獣の機嫌を損ねると、国に災いを起こすことがあるって話を聞いたことがあるわ)
おそらく、皆に緊張が走ったのはそうした理由だろう。
部屋に用意された清潔なリネンを巻き付けた台に、そっと幻獣を下ろす。
「ちょっと見せてね」
触れて痛がった場所の近くの毛を分けていくと、大きく斬りつけられた痕があった。
「酷い……」
今はもう傷は塞がっているが、そこだけ僅かに熱をはらんでいる。
(もしかしたら、中側が膿んでいるのかもしれない)
その場所に手を当て治癒力を流す。
幻獣の体が仄かに光ると、傷痕が消え熱も収まった。
「キュウキュウ」
すぐに幻獣が体を立ち上がらせて、私の手をペロペロと舐める。
「そう。もう大丈夫なのね」
その様子に、部屋の中の緊張は薄れていった。
「ヴィル、この子が嫌がらなかったらしばらく邸においても?」
「ああ、当然だ。幻獣のエサだというホシエナ草を、今取りに行かせている」
ヴィルの言葉を理解したのか、幻獣はぴょんと私の体に再び抱きついてくる。
「羨ましいな」
私の腕の中の幻獣を見てそう言うヴィルは、もしかしたら幻獣を抱いたことがないのかもしれない。
「撫でてみます?」
「あ、いやそうじゃない」
ふい、と横を向いたヴィルの人間の耳は何故か赤くなっていた。




