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ケジメ

 翌日の放課後。あれからおよそ一日が過ぎている。

 昨日から僕の中で渦巻いていた言葉の中に、鉄子に言われた言葉が混じるようになっていた。

 変わろうとしている...かぁ。

 その言葉を聞いた時から僕の中で何かが動き出そうとしているのを感じていた。

 何か、このままではいられないような。

 僕は会員証を手に廊下を歩く。その足取りはいつもより速いように感じた。

 向かう先は、()()()()

 いつもの僕ならもう顔は出せないだろう。だから今日はその()()()をつけなくてはならない。

 覚悟を決めた僕の足は速く、いつの間にかその場所の、その扉の前に立っていた


「すいません。有田さんと話をさせてくれませんか?」


 扉の前に立つ見張り役の男に訊くと、怪訝そうな顔をされた。

 当然だ。ここにいる人間にとっては僕は()()()の仲間だ。

 それによく見たらこの男、あの時角材を振り回していたやつだ。

 思い出しただけであの時の恐怖が蘇るようだ。

 だが、竦んではならない。向かわなくてはならない。

 追い返されそうになりながらも粘り続け、ついに僕は扉の中に通された。

 

「よくここに顔が出せたっすよねぇ、広能さん?」


 部屋に入るなり、いきなり有田に話しかけられる。

 中は昨日より盛況な様子ではなく、むしろ閑静な様子だった。

 客も二、三人ほどしかいないが、しかし部員の数は昨日よりも多いようだ。

 おそらく、昨日の一件が原因だろう。

 ()()()というものは客足を悪くさせる。喧嘩の起こるような場所には人は寄り付きたがらない。


「昨日のことは謝ります、有田さん。今日はそのケジメをつけにきました」


 ケジメ...その言葉に有田は反応したようだった。


「...ククッ...アッハッハッハッ!」


 途端に有田は笑い出した。まるで腹の中から漏れ出るように。


「いやすまんっすねぇ!腰抜けの広能さんからケジメなんて大層な言葉が出るからつい...アッハッハ」


 まるでここまでの覚悟を馬鹿にされたような気になってくる。しかし、ここまで言ったからにはもうイモは引けないだろう。


「広能さん、オレはケジメなんていらねえっすよ。そん代わりここでめいっぱい遊んでくれりゃいいんっすから」


 ふいに見せる優しさ、いや甘言が僕の決心を揺らがせる。今までの僕ならばここでイモを引いていたかもしれない。

 だが、今の僕の頭にはあの少女と出会った時の光景が映っていた。あの少女の笑顔が映っていた。

 鉄子さんの言葉で引きずり出された希望が僕を動かしていた。

 一つの深呼吸。

 そして僕はその手に握る会員証を前に差し出した。


「この会員証を返します。僕はこの賭場にはもう顔を出しません」


「............」


 朗らかだった有田の顔が、その眉間が、その目が鋭くなっていく。

 僕のケジメに返事をしたのは、有田は僅かにいた客を退散させてからだった。


「広能さん。そいつァ、俺たちと縁を切りてぇってことっすか?」


 ああそうだ。僕はこの部活と、この場所と、この人らと縁を切ることから始まるのだ。

 僕にとってここは怠惰の象徴、その源泉なのだと。

 一晩考えて導き出した答えがこれだ。


「寂しくなること言うっすねぇ...広能」


「僕はもう博打から足を洗います。ですから、有田さんらも僕たちには関わらないでください」


 周りから怒声が聞こえてくる。

 何調子乗ったこと言ってんだ、そんな挨拶で通るわけねぇだろ、と。

 こいつらからすれば、金づるを一人失うわけである。会員証を返すだけでは関わりは断ち切れないだろう。

 僕は財布をそのまま前に差し出した。


「こいつは手切れ金です。これで納得してください」


「............」


 少しばかりの沈黙の後、有田は浅く溜息をついていた。


「甘く見られたっすよねぇ...俺たちがそれで済ますって思ってっすか?」


 途端に背中に衝撃が走り、床にうつぶせになる。

 今、僕は後ろの男に踏みつけられている。

 あの時の角材の男だ。


「金なんてどうでもいいんだよ広能...。俺たちが取り戻したいのは面子だ」


 まるで踏まれた虫のように床から動けない。

 徐々にその圧迫感も増していく


「わかるか広能?頭を下げるのはテメェじゃねぇことが」


「何の...つもりですか...ぐっ」


 頭を下げるのは僕じゃない?どういうことだ?


「桜井鉄子のガラをこちらに引き渡すなら、テメェの前から消えてやる」


 しまった。見込みが甘かった。

 こいつらが敵視をしているのは僕ではない、鉄子だった。

 僕一人ではもう収集できない事態となっていた。


「桜井に何をするつもり...だ...」


「俺たちはやつに面子を潰された。ならば今度はやつの面子を潰す。屈服させてやる」


 何をするかなんて、今の僕を見れば自ずと想像は付く。

 頭を下げるだけでは済まないだろう。

 殴られて、蹴られて、凌辱されて、屈服させられるだろうか。


「テメェには説得してもらいてぇが...、いやテメェにそんな甲斐性はねぇな。安心しろ、校舎裏に呼び出すだけでいい。後はこっちで捕まえてやる、ククッ」


 それだけをすれば、僕はこいつらと関わりを断てるのか。

 それだけをすれば、僕は今までの僕から変われるのか。


「......それはできない」


「あぁ?」


 いや、それだけはしてはいけない。

 それをしてしまえば僕はさらに堕ちていく。

 それよりも第一に...。


「僕...いや俺は鉄子の兄貴分らしい...。舎弟(いもうと)分を売るようなことはできない...!」


 そう答えると、背中にさらに衝撃が加わる。


「テメェ...いつからそんな生意気になったんだァ?あぁ!?」


 そして左頬に平手打ちを食らう。その衝撃に思わず顔が右を向いてしまう。


「もう一回訊く。俺たちと協力しろ」


「断る...」


 そう言うと、また平手打ちを食らう。

 有田が俺に協力しろと言えば俺は断ると答え、その度に平手打ちを食らった。

 時折鼻っ柱に拳を食らった。いつからか、平手打ちは拳に変わっていった。

 もう両頬は腫れ上がっている。鼻血も出ている。


「強情な奴だな...、いつものテメェらしくねぇじゃねぇか」


「何度言われても同じだ...。俺は鉄子を売る気は無い...」


 そう答えると、有田はまたため息を吐く。

 相当苛立っている様子だ。

 すると部員の一人が有田に何か尋ねた。


「有田さん、いい絵図を思いつきました」


「あ?なんだよ、そりゃ?」


「こいつを人質に桜井のクソを呼び出しましょう!」


 今度はそう来るか...。

 有田に痛めつけられている間に、予想はできていた。


「チッ、それしか方法はなさそうだな」


 有田もそれで納得したようだった。

 やっぱり俺の甲斐性では、何も始められないのか...。

 無駄な足搔きだったのか...。

 こうなればやけくそだ。どうにでもなるがいい。



 有田の使いが鉄子を探しに出ていってからしばらくたった。

 痛めつけられているからか、随分と長い時間に感じる。しかし実際には数分程度しか経っていないのだろう。


「桜井のガキ、来ねぇよなぁ...」


 有田が俺の顔を見ながらそう呟いた。


「広能よぉ...、テメェ、見限られたんじゃねぇか?テメェの腰抜けに嫌気がさしたんだろうよ」


 有田の嫌な笑い声が後に続く。どうやら俺を揺さ振っているのだろうか...。

 確かに俺は鉄子の前で散々醜態をさらしてきた。

 兄貴と呼ばなくていいとも言った。

 こんな俺を助けに来なくていい、とも思っている。

 しかしそれと同時に、鉄子なら来るという確信もあった。


「有田さん!桜井が来ました!」


 そんなことを思っていると部員の一人が扉から報せを持ってきた。

 同時に、その部員は背後から何者か蹴撃を受けて吹っ飛ばされる。

 部員の後ろから姿を現したのは桜井鉄子だった。


「おどれら...ようもこないなふざけた真似をしよったのぉ...」


 桜井の声は喧嘩の時に聞いたものとは違った。

 低く、重く、刃物を研ぐような、鉄のような、ドスのきいたその声。

 その眼光もさらに鋭く、睨まれただけで殺されそうなものだった。

 これが桜井鉄子の本気。桜井鉄子の本性。

 周りの部員たちもその圧に恐れおののき息をのむ。


「ふざけた真似してるのはテメェの方だ桜井ィ!」


 ただ一人、有田だけはそれに慄かなかった。

 さすがは賭博部の胴元を務めているだけはある男だ。

 有田の言葉に振り向いた鉄子は、俺を目にして動き出そうとする。


「一歩も動くな桜井ィ!こいつがどうなってもいいのかァ!?おぉ!?」


 有田は俺の手首に足をかけながら恫喝する。

 こいつの言葉に鉄子が従わなければ、俺の腕を折る気なのだろう。


「......この外道...!」


 思うように動けない鉄子を前に、部員たちも恐怖から解放されていく。

 一転攻勢、場の雰囲気は賭博部優勢に傾いた。


「おう桜井、テメェ散々なめた真似をしてくれたじゃねぇか。この始末どうすればいいと思うよ?」


「何が望みや?わしに何せェ言うんや?」


 俺が人質に取られている時でも、桜井はイモを引く態度は見せなかった。

 

「...まずはその生意気を口を開くな。話はそれからだ」


「......」


 有田の揺さ振り方は俺から見ても実にいやらしいものだ。

 

「桜井、俺たちはテメェに面子を潰されたんだ。潰しちゃならねぇものを潰したんだ。今度はこっちの番だと思わねぇか?」


「なんや?言いたいことあるんやったらはっきり言えや」


「開くなっつってんだろうが、その口をよぉ!」


 激高した有田によって、手首にかかる圧力が増していく。

 思わず声が漏れ出たかもしれない。


「詫びの仕方、テメェなら知ってるだろ?この腰抜けが散々やってきたことだからなぁ...」


 遠回しな言い方だが、すなわち土下座だ。

 まずは頭を下げさせるつもりらしい。

 無論、こいつらはそれで終わらせる気では無いのだろう。

 ならば俺の出方はこうだ。


「...逃げろ鉄子...。俺に構うな...」


 腹の中から捻りだした声を桜井に投げかける。

 きっと聞こえているはずだ。


「黙ってろ腰抜けェ!」


 有田の脚が勢いよく手首に下ろされる。

 骨の折れる音がした。きっと骨折した。

 激痛が走り、それを逃がすように声が出てしまう。

 だが俺の身体なんてもうどうでもいいのだ。


「逃げろ鉄子!」


 わざわざ来てくれたのに申し訳ないが、俺に助けられる価値など無い。

 俺のような醜態をさらす前に、俺よりもひどい醜態をさらす前に、ここから逃げる方が良い。


「...フッ...フフフッ...」


 突如として場に似つかわしくない笑い声が聞こえてくる。

 誰だ、誰が笑っている?

 ふと前を見上げると、僅かに身体を震わせている鉄子がいた。


「...やっぱり兄貴は兄貴やのぉ...。兄貴の根っこはあの時のままや...。」


 笑っていたのは鉄子だった。

 珍しく口角は上がっており、その顔は笑みに満ちていた。

 

「兄貴、わしは逃げまへんよ。ですよって兄貴も覚悟しときなはれや」


 鉄子はまるで活路を見出したかのような笑みを浮かべていた。

 覚悟しろ、その言葉が、その意図が何を示すか、

 俺は理解した。そして覚悟した。


「...そうだな鉄子。俺に構うな!こいつらを蹴散らせ!」


「この腰抜けがぁ!まだ足りないか!」


 有田はさらに僕に追撃する。手首だけではない、背中、首、腰、腹にも打撃を与えられる。

 しかしそんな追撃もすぐに止んだ。

 有田は鉄子の殴打によってその場に倒れる。


「がはァッ...!」


 すかさず鉄子は有田に追撃し、今度は有田が痛めつけられる状況となる。

 周囲の部員たちも不利を感じたようだった。

 鉄子を止めにかかった者もいれば、その場から逃げ出す者もいた。

 しかし前者はあえなく鉄子の蹴りによって返り討ちにされていた。

 俺はまたしても、その光景に圧巻されていた。

 やはり俺は甲斐性なしの役立たずらしい。

 この光景を見て、つくづくそう思う。

 やはり俺に兄貴分は似合わない。

 俺は桜井鉄子の下に、舎弟になりたい。

 彼女の下で僕は変わりたい。


「...ふぅ...」


 気が付くと喧嘩は収まっていた。

 部員の半数が逃げ出したので、さっきまでよりもその場にいる人数は少ない。

 残りの半数も床に突っ伏して倒れていた。

 気が付くと、全てが終わった後だった。



「イテテ...。さんざんな目に遭った...」


 その帰路、僕はついつい言葉を漏らしてしまう。

 それは勿論だ、手首を蹴られ、身体の節々も蹴られ、

 痛くないわけがない。

 

「フフッ、兄貴がひとりで突っ走ったからでっせ。わしに一言言うてくれればよかったんだす」


「だけどよぉ...」


 珍しく鉄子が小生意気に見えた。

 しかしそれ以上に、彼女が上機嫌に見える。

 何が嬉しいのか、何が楽しいのかよくわからないが。

 さっきの喧嘩から、ずっとこの調子だ。


「...なぁ鉄子」


「なんですか兄貴?」


「やっぱり、僕に兄貴は務まらないよ。器量も度量もないし、兄貴としても男としても底辺の底辺だ。兄貴分なんて器は務まらない」


「......」


 僕は男として褒められた人間ではなかった。

 そこから変わろうと足掻いたが、やっぱり思うようにはならない。

 桜井鉄子に勝てない、桜井鉄子の上には立てない。

 だから僕は桜井鉄子の下に立ちたい。

 その言葉が口から出そうになった時だった。


「舎弟分の役目というんは、兄貴分を男にすることでもあるんでっせ」


 鉄子が神妙な面持ちでそう答えてきた。


「兄貴分が間違った道に進まんようにするんも、舎弟分の役目だす。せやから兄貴に器量も度量も足らん言うんやったら、わしが兄貴を男にしたります」


 どうやら、どうしてもその座を、舎弟(いもうと)分としてのポジションを譲らない気らしい。

 もう折れるしかないようだ。


「...分かった。鉄子がそう言うんだったら、盃を交わしてくれ!」


「へい、兄貴!」



「んで…、こいつぁどういうことだ?」


 僕の家に呼ばれた形山は唖然とした顔で尋ねた。

 彼の目の前に広がっていたのは、いつもの大広間とは一変した光景だった。

 広間の壁には紅白の幕が垂れ下がり、その中央には祭壇が設置され、右から「八幡大菩薩」、「天照皇大神」、「春日大明神」の掛け軸がかけられていた。

 ソファや椅子、テーブルやテレビといった家具は片付けられ、代わりに掛け軸の前には御神酒があった。


「どういうことも何も、形から入ろう思うて用意しました」


「まてまて、理解が追いつかねぇ!なぁ広能、お前ら結婚でもすんのか!?」


「そういうのじゃないよ。兄妹盃を交わすんだよ」


「...すまん、もっと訳が分からねぇよ」


 形山の理解が追いついていないような顔をよそに、盃事の準備をする鉄子を手伝っていた。


「あー、つまりだ。形山には媒酌人 兼 見届人になってほしいんだよ」


「俺...そういうのあんま分からねぇぞ...?」


「今回は略式やし、わしが進め方を教えてやるやさかい、安心してくだせぇ形山はん」


 形山の困惑した顔は徐々に面倒くさそうな顔に変わっていった。まぁまぁ、ここは付き合ってくださいな。

 そんな顔をされているうちに、盃事の準備は終わっていた。いよいよ僕と鉄子は盃を交わすのだ。

 形山も複雑そうな顔をしていたが、媒酌人の役を引き受けることを了承してもらった。

 目の前に置かれた盃には酒が注がれている。兄貴分である僕には六分、舎弟分である鉄子には四分の酒が注がれていた。


「すでにお覚悟はお有りのようですが...」


「もっと腹から声出さんかい!」


 形山の棒読みな口上に鉄子が怒ったので、一度の中断が挟まった。


「...既にお覚悟はお有りのようですが、今一度、腹が定まりましたら、一気に飲み干し、懐中深くお納めください」


 さっきよりはマシな形山の口上の後、僕たちは手にした盃を口につけて、その酒を飲み干した。

 盃は和紙で包み、懐にしまう。これはこの先、鉄子との絆を証明する大事なものだ。


「それでは、お二人のますますの親睦を祈念いたしまして、三本締めで締めくくらせていただきます!お二人共、お手を拝借、いよぉー!」


 僕たちの三本締めが部屋に響く。人が少ないので、若干虚しく感じた。


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