勝負!
「なぁお前ら、進路とかどうすんだ?」
始業式の翌日、その昼休みの教室。
その日だからといって何か特別な意味はなく、去年から変わらないいつも通りの様相で、僕と虎美、形山の三人は窓際に机を並べて駄弁っていた時だった。
「いきなりどうした形山?」
「珍しいじゃねぇかい、カタっちゃん。お前ェがそんなマジメなこと言うなんてよ」
いつもの形山は将来のことなんて何も考えてないような顔をしているような人間だ。そんな人間の口から放たれた、形山に似つかわしくない言葉に僕は驚いた。
「いやよ、俺たちもう三年じゃねぇか。そろそろ考えないとよぉ」
確かにそうだ。僕たちはもう三年生なのだ。
時間の流れは速い。退屈だった二年間も、今にして思えばあっという間のように感じる。
「まぁ、あたしは家の仕事を継ごうと思ってるぜ。大学行けるオツムもねぇからな」
詳しく聞いたことは無いが、虎美の家では屋台の仕事をしており、随分と伝統があるらしい。彼女もそれを誇りに思っているそうで、学校でも何度か屋台を出店している。
「広能はどうすんだよ?」
続けざまに僕に質問が向けられる。
しかし答えにくい。僕も進路のことなんて考えていなかった。
「僕は...どうしようかな...」
「どうしようかな、ってつまりはなんも決めてねぇってことだよな」
毎日毎日をのんびりと...いや怠惰に過ごしてきた僕に、将来の展望なんてものはない。
それでも何とかなるはずだ、という幻想にまだ僕はしがみついたままだ。
しかしそれは、形山だって同じはずだ。
そのはずなのに、妙に上から目線に言っているような気がした。
「そういう形山はどうするんだよ?」
「俺か?俺は進学しようと思っているぜ」
進学する、ときた。真剣な面持ちだったが、しかしこいつはそんな顔で冗談を言うような人間でもある。たぶん後者だろう。
「おいおい、なんだよその顔はよ?俺はマジだぜ」
「冗談じゃないのかい?カタっちゃん?」
虎美も冗談だと思ったそうで、まだヘラヘラした様子だ。
「だいたい、どこに進学するんだよ?」
「山菱大学あたりだ。あそこくらいなら俺でも受かりそうだしな」
意外にも具体的だ。まさか冗談ではない?
「おいおい、本気で進学するのか?」
「だから言っているじゃねぇか、マジだって」
「何のために?」
「公務員にでもなろうかと思ってよ」
まさか形山が将来のことを考えているなんて思いもしなかった。
勝手に形山はそんな人間じゃないと決めつけていた僕はなんて愚かだろう。
三年生になった実感が、今になって心の底に重くのしかかる。
「なぁ広能、お前のそろそろ決めとかねぇといけねぇんじゃねぇのか?」
窓際から見える太陽に雲がかかる。
これから僕はどうすればいいのだろうか。どうなるのだろうか。
大学に行くにも、行けるだけの学力を持っている自信はない。行く努力も気だるく感じる。
就職でもしようか。しかしどこに就職すればいいのだろうか。
「...そうだよなぁ」
そんなことを言いながら、進路のことなんて後回しにしようと思っている。
そんなもの、考えれば考えるだけ気持ちが滅入ってくる。
ああ、こういう時はアレをやるべきだ。例の場所に行くべきだ。
「ちょっと出てくるよ」
僕はそういって立ち上がって教室を出ていった。
…
例の場所、それは一階の階段にある扉の奥だ。
普通ならば用務員の物置として使われているような部屋だが、この学校では部室として使われている。
その中から歓喜の声や悔しがる声、威勢のいい声が聞こえてきたかと思えば、途端にその部屋は静寂に包まれる。そうして少し経つと、また喜怒哀楽する人間の声でその部屋は包まれる。
僕は扉の前に立つ人に会員証を見せると、その人は扉を開けて僕を入れてくれた。
部屋の中では、中央に白い布が敷かれており、右側に三人、左側には七人程の人間が向かい合って座っていた。
右側の真ん中にいる男の前には漢数字の書かれた木製の札と手拭いが置いてあり、その手拭いの上には一枚の札が置かれていた。どうやら一つ、勝負が終わった様子だった。
「失礼します」
僕はそう言って客の中に割り込まさせてもらった。
ここで行われているのは「手本引き」。
胴元が出した札の目を推理して当てる博打だ。
この学校では賭博部なるものが設立されており、週に数回はこのように盆を開いている。
学校の教師や理事長たちも黙認し、隠蔽しているどころか、時々客人として参加しているらしい。治外法権にもほどがある。
そういう僕だって、ここには二年生のころから顔を出している常連だ。賭ける金は少ないが、それでも勝負をしている間は憂鬱なんて忘れられる。
「今日は遅かったんじゃないっすか、広能さん?」
声をかけてきたのはこの盆で胴元を務めている男で、こいつとは一年生からの顔見知りだ。僕が盆に通うようになったのも、こいつの紹介があったからだ。
「いや、ちょっとな。そんなことより、今日も賭けさせてもらうよ」
部員たちから貰った張り札と軍資金を用意して次の勝負に臨む。
胴元は左肩にかかった布の中で、一から六まで書かれた札の中から何を出すのか選んでいる。
手本引きではここが正念場だ。胴元の癖や目線からどの札を繰り出すか推理しなければならない。
数分前まで喜怒哀楽の声で賑わっていた盆も、この瞬間だけは空気が張りつめている。
胴元が選び終わると、紙下と呼ばれる手拭いに札を隠して目の前に置いた。
さて、胴元はどの札を出しただろうか。
紙下の前に置かれた目木(一から六までの漢数字の書かれた木製の札)から前の勝負では六を、その前の勝負では四を出していたようだ。そして目木の右側では三、二、一と並んでいる。
三以下の札はまだ出していないのだろうか。しかしこれはあからさまな罠ではないだろうか。
胴元の両端に鎮座する人間が「張った張った」を威勢よく声を上げている。
僕はこの一が出ると当たりを付けて、張り札と掛け金を張る。
安定を取った四点張りだ。一を本命に、二、三、四を保険として張った。
賭ける金額も周囲の客より少ない金額だ。尤も、ここでは万を超えるような大それた金額は賭けることはできないが。
そして客の全員が札を張り終わると、「勝負」の声と後に、胴元は選んだ札と同じ数字が書かれた目木を左端に持っていく。
そのはずであった。
「しまった...。そう来るか」
目木は動かされなかった。そしてそのまま紙下が捲られて胴元の選んだ札が露わになる。
札の数字は六。前の勝負で出された数字と同じ数字だった。
意地悪な胴元だ。次は当ててやる。
そう意気込んで、また次の勝負に挑んでいくが...。
…
なかなかどうして、当たらない。
もはや途中からは心理戦というよりも、ただの運任せになっていた気がする。
胴元らにクスクスと笑われているような気がして気分が悪い。
苛立ちから体温が上がっていく。
このあたりが引き際だろう。そろそろ盆を抜けようか。
「失礼しやす」
扉の方でなにか騒いでいると思えば、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「鉄子!?どうしてここが?」
「兄貴が教室におらんかったので、探しとったんだす」
鉄子にはあまり見られたくなかった場面だ。鉄子は堅い性格のようだから、博打なんてものは許さないだろう。
「兄貴...。素人がこんなことするもんやありまへんよ。これはわしらの領分ですさかい」
しかし意外にも反応は軽いものだ。それよりも「わしらの領分」とはどういうことだろうか。
やはりこの桜井鉄子という人物は、何かただ者ではないのだろうか。
そんなことを思っていると、鉄子は僕と代わるようにそこに座り、また次の勝負に臨んでいくようだった。
「お嬢さん、随分と威勢がいいっすねぇ。ルールはご存じで?」
「知っとりやす。どうぞ進めなはって」
今日はじめてここに来たとは思えないような貫禄だ。それが気に食わなかったのか胴元も顔をしかめたようだった。
しかしそのしかめっ面も札を選んでいる時には神妙な表情に変わる。はたしてこの勝負ではどの札を出すのだろうか。
さすがの鉄子もこの時はいつにも増して神妙な顔をしている。
その目はじっと胴元を見ている。
まるで初心者には見えない。むしろ百戦錬磨の猛者のように見える。
一分ほどの沈黙の後、ついに胴元は札を選んだ。
「さぁ、張った張った」
胴元はどの札を選んだだろうか。
負け続けた僕にはもう、見当はついていない。
だが鉄子はその口元にほんの少しの笑みが浮かべ、札を張る。
一点張りだ。ハイリスクハイリターン、そして胴元に喧嘩を売るような張り方だ。
部員、客関係なく部屋全体が騒めき始めていく。
ここにいる全ての人間の視線は鉄子に集中しているようだった。
「お嬢さん、そいつは本気ですかい?」
「ええ、こいつで行かせてもらいやす」
鉄子と胴元の間に電撃が走るようだった。
そしてで胴元は選んだ数字の目木を右端に移動する。
四だ。胴元が選んだ数字は四。
紙下の中から出てきた札の数字も四である。
いつもならここで客たちの喜ぶ声や落胆する声で騒めくのだが、今はそのすべてが鉄子の選んだ札に注目していた。
そして鉄子は札を捲り、その選んだ数字が露わになる。
「四...!」
勝った...。それも一点張りで...。
前代未聞の出来事だ。
鉄子は当然だと言うかのように余裕な表情のままだ。
相手の心を読み切ったとでも言うのか。
胴元も悔しがるように鉄子をにらみつけている。
「兄貴、もう少しこのまま遊ばせてもらいやす」
「わ、分かったよ」
…
鉄子はそういってまたしても一点張りで勝負に臨むようだった。
「まぐれはそう何度も続かねぇぜ?」
胴元もそういって鉄子にプレッシャーを賭けようとするが、まるで歯牙にもかけていないようだった。
そしてその様子が表すとおり、またしても鉄子はこの勝負に勝つ。
勝つ、勝つ、勝つ、勝つ。
「マジか...!?」
鉄子は勝ちまくっていた。軍資金は何倍にも増えている。それにもかかわらず、一点張りを続け、そして勝って当然かのように勝負に勝ち続ける。
盆に嵐がやってきたようだった。
胴元の顔も徐々に怒りに歪んでいく。冷静さを欠いていくようだった。
次はこうはいかないと意気込んだ胴元は、六度目の正直で札を選んだ。
またしても鉄子は一点張りだ。
そして胴元は五の目木を左端に運ぶ。
しかし、紙下の中から出てきた札には四と書かれていた。
「唄い違い...!?」
当たりは五と四の両方だ。
尤もそんなことは問題ではない。
胴元の焦りが、驕りが、油断が生み出した「恥」だ。
「胴元さん、少し休憩したらどないでっか?」
鉄子はその恥につけこんで煽っていく。
まるで余裕な態度だ。その態度が胴元の怒りに火をつけた
「お嬢さん、あんたぁ勝手が過ぎるぜ」
「なんやと...。」
鉄子は膝前の紙下、目木を蹴散らして立ち上がる。
「このクソガキ、さっきから一点張りばぁっかしやがってよぉ、俺を舐めてんのか!?あぁ!?」
怒髪天をついた胴元が鉄子に迫りくる。
「こないな下手な博打、舐められる方が悪いのとちゃいますか?」
しかし、鉄子も負けじと立ち上がり睨み返す。賭場は一触即発の様相を呈していた。
部屋を包む張りつめた空気。しかし、博打の勝負の時とは違う。
まるで起爆寸前の爆弾があるかのようなひりひりとした感覚だ。
「てめぇ、イカサマやってんじゃねぇのか?だったらこんなに勝ち続けれる訳がねぇ!」
「博打も下手なら因縁つけるのも下手やのぉ、サマぁやった証拠がどこにあるんじゃ」
イカサマ...いや鉄子に限ってそんなことはしない。そんなことをしている素振りは無かった。
胴元の一方的な因縁だ。自分の落ち度が認められないばかりに、相手にその要因を押し付けている。
「広能さん、こんなクソガキを連れてきたのはお前だぜ。このケジメはどうすんのよ?」
胴元の矛先が僕にも向けられる。連れてきたなんてどういう事だ。鉄子が僕を探してここに来ただけじゃないか。何故、僕にまで矛先が向くのだ。
「なんやとコラ、誰に上からモノ言うとるんやコラ?兄貴にケジメェ迫るんやったらわしも出る出なアカンぞ!?」
鉄子が胴元の胸ぐらを掴む。
胴元が俺を責め始めたことに、ついに桜井に怒りのスイッチが入ったようだった。
「上等だ、俺らと戦争するっつーなら覚悟しろよ」
客たちは騒めきだし、逃げ出す者もいた。囃し立てる者もいた。
喧嘩が、戦争が始まろうとしている。
止めなくてはいけない。ここで止めなくては鉄子も僕も無事では済まない。
ここで動かなくては...動かなくては...!
「ま、待ってくれ!」
勇気を振り絞った。ただそれだけだった。
「なぁ胴元さん、僕は戦争なんて望んでいない。申し訳ないことをした。勝ち分は置いていく、もうここに鉄子は連れてこない、だから許してほしい」
膝を屈し、頭を床にこすり付けた。僕が振り絞った勇気は、二人の中に割って入ることにのみ注がれた。
全力の土下座だ。鉄子の意思も外聞なんかも知ったことではない。
喧嘩は良くない。人と人が傷つけあうなんてあってはならない。
僕のために鉄子が傷つくようなことなんて、あってはならない。
言い訳だ。全て言い訳だ。本心では自分が傷つきたくないだけだ。
「イモ引くんでっか、兄貴...」
ああ、そうだ。思うがままに軽蔑するが良い。
見ての通りだ。僕は鉄子の兄貴分には相応しくないだろう。器量なんてあったものではないだろう。
「お騒がせして失礼しました。皆さんは引き続き楽しんでください」
僕は金を置き、鉄子を連れてそのまま部屋を出た。
胴元があれで許してくれてよかった。
もうこんなことは御免だ。賭場に顔を出すのも最後にしようか。
「帰ろうか」
僕はとにかく、帰って床に就きたかった。