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お控えなすって

「お控えなすって!」


 春休み末、正午過ぎの空に、張りの良い声が我が家の玄関前から木霊(こだま)する。


「それじゃあお控えになりやせん、お控えなすって!」


 腰を低く降ろし、手のひらが前に突き出され、真っ直ぐ突き刺すような鋭い眼光が向けられる。

 背後には、その少女を彩るかのように桜の木が咲き誇っていた。

 その気迫に圧倒され、「控える」という意味も分からないまま僕は応答した。


「早速のお控え有難(ありがと)うございます。手前、未だ駆け出し者故、これから上げます仁義前後間違えますることありましたらどうかご容赦してください」


 どこかの映画で聞いたようなセリフが、低く強張った、しかし波音のように通る声で、その可愛らしい口元から響き渡る。


「手前、生国は西日本、大阪は豊中でありやす。渡世縁持ちやして、身の片親と発しやすは西成に住まいを構えまする、二代目桜井一家を継承致しまする手前実父、桜井鉄次(さくらいぎんじ)の娘でありやす。姓は桜井(さくらい) 名は鉄子(てつこ)と発しやす。右も左も分からぬ粗忽者(そこつもの)ゆえに厄介になりやすが、以後、万事万端よろしゅうお願いしやす」


 言葉の意味は分からなかったが、それらが澱みなくすらすらと耳に入っていくのを感じた。

 しかし僕は何も言えない。何も答えることができない。何をどう答えればいいのだろうか。

 この娘が鳴らしたであろうインターホンの音に呼び起された僕の脳みそは、目の前で変なポーズをしている少女に対して、困惑することしかできない。

 近所のおばさんがジーッとこちらを凝視しているのが見えた。このまま客人を玄関先に立たせるわけにもいかない。

 僕はとりあえず、この娘を家に上げることにした。


―――――――――――


 郊外の一角に(そび)え立つ一軒家。

 僕と父の二人で住んでいるにしては広すぎると感じるような家の大広間に、今日は一人の少女がソファに座っている。

 女の子を家に上げるなんていつぶりだろうか、と思いながら冷蔵庫の麦茶をコップに注ぎテーブルに配置する。


「お気遣い、かたじけなく存じやす」


 まるで武士のような物言いだったが、この娘が言えばそれも様になる。着物をきているからだろうか。

 見たところ同年代のようだが、僕の知っているような人たちとは雰囲気が明らかに違う。背筋はピンと伸びており、まるで一本の棒が通っているかのように真っ直ぐだ。

 精悍で凛々しい中性的な顔立ちは、可愛いというよりは美人という評価が妥当だろうか。なにかの漫画で「学園の王子様」として持て囃されそうな雰囲気だ。


「改めて紹介させていただきやす、桜井鉄子だす」


「あっ、広能昌輝(ひろのしょうき)です、よろしくお願いします」


 不慣れな受け答えに少し恥ずかしくなり、頭の裏を搔く。


「それで、桜井さんは今日、どのような用事で...」


 そう尋ねると、彼女はコホンと喉を鳴らして答えた。


「わし、このたび私立神木鳴(じんぎなき)高校に入学することになりまして」


 神木鳴高校とは僕の通っている高校だ。この辺りでは学生数も多く、この町の高校と言えば神木鳴とも言えるような学校だ。明日には入学式と始業式も控えている。


「しかし、わしは旅の身分ゆえに住むところがありやせん」


 旅の身分?遠方から来たということだろうか。そういえばさっき生国は大阪だとか言っていたな。


「それで...どうかこの家にわしを住まわせてはもらえやせんでしょうか」


 つまり下宿させてくれということだろうか...。って下宿だと!?


「ちょ、ちょっと待ってよ、話の展開が急すぎないか!?」


「聞いとらんのですか?」


 疑問符を浮かべたような顔で僕に問いかけてくる。聞いてないよ!


「親分はんには話を通してあるって聞いとりましたが」


「か、確認してくるよ...」


 そういって廊下に出て、スマホから父の電話に掛ける。仕事中かもしれなかったが、そんな気遣いは忘れていた。

 スマホの呼出音が何回か鳴ると、『もしもし』と父の声が聞こえてきた。


「と、父さん、今なんか変な女の子が家に来て下宿させてくれって言ってきてるんだけど」


『あー、桜井さんちの。そういえばお前に言ってなかったわ、すまんな』


 僕の父は軽薄で適当な人間だ。尊敬できる部分はあるのだが、こういう時の謝罪はは非常に軽い。


「す、すまんなって、そういうのは先に言ってくれよ!」


『なんだよお前ぇ、嫌なのかよ』


 まるで悪戯っ子のような口調で煽ってくる。


「いや、嫌じゃないけどさぁ」


『だったらいいじゃねぇか、無駄にだだっ広い家なんだから一人くらい住まわせてもよ』


 そういう問題ではないのだが...まぁ今更責めたってどうしようもないから置いておこう。


「でも女の子だよ、年頃の男女が一つ屋根の下って...」


『うるせぇ、どうせそうなる程の度胸なんてお前にはねぇだろ』


 うっ...言葉が出ない。心臓に矢が刺さったようかのようだ。父には僕のすべてが見抜かれている。


『まぁ、もしそうなったら赤飯炊いてやるからよ、せいぜい頑張ってくれよ』


 父はそう言って電話を切った。まるで他人事のように面白がっているようだ。悔しいが、それに反論できるほどの自信を持っていないのが答え合わせである。

 部屋に戻ると、彼女は依然として真剣な眼差しでこちらを凝視している。そんな眼で見つめられれるとますます断り切れない。


「か、確認したよ...。どうやらそういう話みたいですね」


 自分の内にある緊張や不安を押し殺して話しかける。


「わしの父方と広能はんの親分はんとは遠い親戚の関係にあるらしゅうて、ほいで広能はんの住まいに白羽の矢が立ったそうだす」


 遠い親戚、ということはこの娘とはいとこの間柄になるのだろうか。似ても似つかないな。

 そんなことを思っていると、彼女は座っていたソファから立ち上がったかと思えば、床に膝をついて土下座のような姿勢で頼み込んできた。


「わし、この家に厄介になるからには、掃除から炊事、皿洗いから洗濯までなんでもやりやす。せやから、部屋の片隅でええんで、どうかわしを住まわせてくだせぇ」


「わ、分かりましたからそこまでしなくても...それに、客人に家事手伝いなんてさせられませんので、どうぞのんびりと寛いでください...」


「いえ、下宿させてもらっとる身分で何もせんのは許されまへん。わしを部屋住みや思うてどないなことでもさせてください」


 さらに頭を深く下げられる。ここまで張り切られると、なおさら無下にもしにくい。僕は彼女の勢いに押されるがまま下宿を了承してしまった。


―――――――――――


 女の子を家に下宿させるなんてどこの夢物語だろうか。創作でしか見たことのないような展開に、いつぞやで聞いた「事実は小説よりも奇なり」という言葉に納得してしまう。

 しかし女の子という言葉で表現するのは、いささか矮小化してしまっているようだ。桜井鉄子を女の子と形容するには、あどけなさが薄く大人びすぎている。

 そんなことを考えている一方で、当の彼女は台所で昼食を作っていた。無論、彼女が進んでやっていることだ。

 先ほどの「なんでもやる」という発言は方便などではなく、本気でこの家の家事手伝いをやる心算のようだった。

 客人に昼食を作らせているなんて他所に知られたら恥ずかしく、あまり気は進まなかった。しかし、彼女の押しは強く、とても断り切れなかった。

 そうだ、断り切れなかったのだ。そのように自分に言い聞かせる。


「広能はん、失礼しやす」


 彼女はそういってテーブルに山盛りのチャーハンが二皿並べられる。どうやら昼食が出来上がったようだ。

 黄色に輝く米粒がほかほかの湯気に包まれ、香ばしい香りが鼻を通る。冷蔵庫には即席チャーハンしかなかったはずだが、そんなものでもここまでの料理に仕上げることができるだろうか。

 いただきます、の挨拶と同時に僕はそのチャーハンをれんげで掬い、口に運ぶ。


「...!?美味しい!」


 家にある材料から出来たとは思えない出来に思わず声が出てしまう。まるで中華料理店のように米の一粒一粒がパラパラとしていたのだ。

 いったい、どのような魔術を使ったのだろうかと訊いてみたく思っていると、彼女もチャーハンに手を付け始める。

 特に気にすることでもなかったのだが、何故かその動作が目についた。そういえば、食事時には目上の人が料理に手を付けてから食べ始めるのが礼儀、ということをどこかで聞いたことがある。

 まさか、そこまで礼節に拘っているのだろうか。随分と気合いの入った娘である。

 そんなことを思いながら、続けて二口目、三口目とチャーハンを口に運んでいく。しかしそのまま何口目かを口に運んでいると、


「ごちそうさまでした」


 と彼女の声が聞こえてきた。

 驚いて食器を見ると、米粒の一つすら残さず完食していた。僕のと同じくらいの量はあったはずだよな...。

 食べ始めから二分も経っていない。自分の記憶が疑わしくなるほどの早食いを目の当たりして、思わず急かされているような気分になってくる。

 彼女を待たせないように食べるペースを早めていく。チャーハンの美味しさが幸いして苦にはならなかったが、僕の完食を待って席に座り、神妙な面持ちをしている彼女に気まずい気分になる。


「ごちそうさまでした!後片付けは僕がするよ!」


 そう言うと僕は立ち上がり、桜井さんに借りを返すような思いで食器を下げようとする。勿論これで釣り合うとは思っていないのだが。しかしそのような思いはすぐに空虚なものへと変わる。


「いえ、わしがやります。広能はんは座っとって結構だす」


 彼女の行動は早く、そう言うと同時に食器をすぐに下げに行き、後片付けを始めてしまう。

 まるで仕事を奪われたような気分だ。自分が役立たずだと思われているかようで、心の内の気まずさが膨れ上がっていく。彼女の働きっぷりを見ていると、自分も動かなくてはという使命感に駆られていくのが、その心境に拍車をかけているのかもしれない。


―――――――――――


 結局、その日の家事に僕が出る幕など無かった。掃除から洗濯、風呂焚きに至るまで全てが桜井さんがやってくれたのだ。

 僕も黙って見ていたわけではなかったが、桜井さんの先手を取ろうにも取れず、手伝おうと介入する余地もなかった。

 自分が情けなくなってくる。客人に、それも今日会ったばかりの女の子に身の回りの世話をされているのだ。男としての面目なんてあったものではない。

 そんな気まずさを引きずりながら、時刻は既に晩御飯の時間を迎えていた。

 夕食は焼き魚だ。勿論、今まで食べたことのないような美味しさだった。しかし、それ以上に気になるのは彼女の「食べ方」だ。

 箸の持ち方はもちろん、魚の骨は綺麗に取り除いており、お手本のような三角食べで食事を進めている。育ちの良さを感じさせるその美しい所作に、僕は思わず見とれてしまっていた。

 魚の食べ方なんて、僕には自信がない。増々、僕と彼女の間にある差というものを感じ、そんな彼女に家事を手伝わせていたことに罪悪感さえ覚えてしまう。

 晩御飯を食べ終わった後、ついに僕は彼女に切り出した。


「あの...手伝ってくれるのはうれしいのですが、あまり無理をしすぎないようにお願いします...」


 方便だ。本音は自分の情けなさに耐えきれなかったが故に出てきた言葉だ。


「どないしたんですか?わしは何か下手を打ってしまったのですか?」


「いや、そういうわけではいんですけど...その...そこまで手伝わされると恥ずかしいというかなんというか...」


「...そうでっか。わしが出しゃばりすぎたばっかりに、広能はんに恥をかかせてしまったんでっか...」


 下手に言葉を濁したのがまずかったのかもしれない。彼女の顔がいささか暗いものへと変わったような気がした。


「少し失礼します」


 そういって彼女は台所に行くと、流しの下にある戸棚を開ける。そこから彼女が取り出したモノに、僕は仰天した。

 桜井さんの右手には、銀色に光る包丁が握られていた。それをまな板に立てると、彼女は左手の小指をその刃の下に置く。右手はそのまま包丁の柄を握り、前に押し倒せば左小指を切断できる体制になっていた。

 まるでヤクザ映画のワンシーン、下手打ちをした若いヤクザが指を詰めるような展開だ。まさか本気で指を詰めようとしているのか!?


「待って待って待って待ってっ!何やってるんですか!?」


 慌てて彼女の腕を掴んで止めに入ろうとする。しかし彼女の腕力は強く、刃は徐々に彼女の指に近づいていく。


「邪魔せんでください!こいつはケジメだす。広能はんに恥をかかせてしまったわしのケジメだす!」


「いやいやケジメとかいいですから!そんなことしないでください!僕が悪かったので!お願いします!」


 思わず謝罪の言葉が出てしまう。しかし桜井さんはそれでも「ケジメ」を止めないつもりだった。


「分かりました!これからも僕の身の回りの世話をしてください!なんでもしてください!」


 もはや自分でも何を言っているのかはよく分からなかったが、何かとても情けないことを言っているのは確かのようだった。

 しかしこの言葉が彼女に響いたのか、「ケジメ」は思いとどまってくれたようだった。


―――――――――――


 だが、やっぱりこのまま身の回りの世話をされ続けるというのも情けない話である。


「桜井さん、何か僕にもさせてください。このままじゃ落ち着かないんです」


 ほとぼりも冷めた頃にそう訊くと、彼女は少し口角を上げて言った。


「広能はんは男を売っているだけで十分だす。それを後ろから支えて担ぎ上げるのがわしの役割やさかい」


 男を売る...か。こんな自分に売る男なんてあるのだろうか。そう思いながら、窓から夜の空を見て途方に暮れる。

 明日は始業式、僕もいよいよ三年生になるのだ。しかしこれといった夢も目標も無い。何か目を引くような能力も勲章も持っていない。

 そんなことを思っていると次第に憂鬱になっていく。その憂鬱が嫌でその日その日を気ままに過ごすようにしていたが、どうやらそのツケを払う時期が近づいてきたらしい。

 やっぱり僕に売れるような男なんてない。

 でも、彼女は僕を担ぎ上げると言っている。そんな資質なんてないのに。


「あと、わし年下やさかい、敬語もさん付けもしなくて結構でっせ」


 ん、年下?思わずその単語を聞き流しそうになる。そういえば、入学するってことは...


「え、年下なんですか!?」


 とても年下には見えない。しかも一年生ってことは十五か十六歳ってことじゃないか。同じくらいの年齢だと思っていた。

 思わぬ事実に僕は、さっきの憂鬱も吹き飛ぶほどの衝撃を受けていた。

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