第03話 白の青年-4
既に投稿していた第3話を再度パート毎に分割投稿したものです。
内容は最初の投稿と同じです。(一部誤字脱字の加筆修正をしています)
これは夢の中か。もしくは記憶の中か。
自分を見下ろす逆光の人影が見える。ぼやけた景色から僅かに読み取れる、青年になりかけの少年の姿。
――『よく眠れたか?』
確かこれは、前にも一度フラッシュバックしたことのある声。あの声の主が彼だったということだろうか。
――『お前はほんとに元気だから、遊び疲れるとすぐぐっすりだもんな』
呆れたようでいて愛おしそうに苦笑する。眠り顔を優しく覗き込んでいるようだった。
馴染み深い安らぎが体に満ちている。ああ、そういえばそうだったな。そんな気持ちが湧いてきた。
怖い思いをした時、いつも脳裏に過ぎる記憶。その記憶のぼやけていた視界が――彼の姿が鮮明になる。
少年にしては少し長い、焦茶色の髪。高校生になるからと照れ臭そうに身だしなみをしていた。目鼻立ちの整った瞳は光に当たると蜂蜜色に透けている。そんな瞳に優しく見つめられていた。
いつも思い出すのは優しい彼ばかりだ。だから彼に憧れていた。彼のことが大好きだった。
ああ、思い出した――
十七時二十五分。
「……兄ちゃん……」
自身のうわごとで、アイは目を覚ました。
まぶたを開くと、まるで夢と重なるようにヨータが上から見つめていた。
周囲を見渡すと、ここは馬車の停留所のベンチで、ヨータの膝にショルダーを枕がわりにしてアイの頭を寝かせていた。
「目が覚めたか」
意識がしっかりしているか確認の声をかけるヨータ。アイはこくりと頷く。
「……ヨータ……俺、思い出したかも……」
返事の代わりのように、アイは小さく呟く。
「俺……兄ちゃんがいたんだ……ヨータに似てた……」
いまだまぶたの裏に残る光景を追うように、アイは右手の甲を目頭に押し当てる。〝似ている〟という、つい数時間前に自分が言われて戸惑った言葉を、ヨータに向けてそのまま口にしてしまった。
「……そうか」
ヨータはいつものように怒るでも困惑するでもなく、一言そう答える。
「早く兄貴に会えるといいな」
アイの記憶の一部が戻って安心したようでいて、どこか寂しそうな声色と目をしている。
「もうすぐ馬車が来る。個室だから宿に着くまで休んでていいぞ」
そう言われて停留所のベンチに寝かせられていることに納得した。他の客の邪魔になることはないだろう。だが、いつも『個室の馬車は高い』と難色を示していた彼がそれを利用するのは意外だった。
「もう大丈夫だからな」
その言葉を聞いた瞬間、アイの胸に熱が込み上げ染み渡っていく。きっとヨータは図書館で起きたことを知っている。あの場所からここまで連れて来て、目覚めるまでずっと傍についていてくれたのだろう。
アイは堰を切ったように、くしゃくしゃにした目元から涙がこぼれすすり泣く。
ヨータは何も言わずにアイの頭に手を添え、ぐずる子供をあやすように自分の方へと引き寄せた。
記憶を失い、自分が知っている者も、自分を知る者もない世界で、初めて他者の悪意に恐怖した。
だが――自分のことを想って、助けてくれる人がいる。元の世界にも、そして今ここにも。
風に飛ばされながら弾けるのを待つしかないシャボン玉のようだったアイにとって、それがわかっただけで、生きている心地を取り戻したようだった。
* * *
十七時三十五分。
街の時計台が時刻を差し、夕暮れの下で街灯が灯り出した頃。その場所まで歩いてきたジフとサナ、そして彼女に抱えられているアレッペ。すれ違う通行人達が何やら騒がしいことに気付く。
「聞いたか? 集団で意識不明になってたって。今意識が戻って通報があったんだと」
「あっちの図書館だって?」
どうやら大ごとらしく、通行人が向かって言った方角からサイレンの音が聞こえ始める。
「事件か……?」
「今日は街中が大変そうだね」
ジフ達も富豪の飼い魔獣の暴走を鎮静化したばかりで、街の中で相次ぐ騒動に不穏なものを感じる。これも異常現象の増加が起因しているのか……と危惧するジフだが、隣にいるサナは現実感がないのかさほど不安がってはいないようだ。
「待ち合わせの場所にも着いたし、あとは私達だけで大丈夫」
「そうか? まだいろいろ危ないかもしれないし……」
「アレッペがまたはぐれたりしない限り自分でなんとかできるから」
「ペッ」
と言って、サナは表情を変えないまま右手の拳を掲げる。そう言われてしまえば、飼い魔獣の鎮静化を迅速に収められたのは彼女が加勢したからだと実感させられる。
帰路につく人々も増え、ジフはこれ以上首を突っ込んだり巻き込まれるよりかはなるべく早く帰した方が良いだろうと判断した。今日起きた事件については街の警備組織に任せつつ、随時教団に報しよう。
「そうだな。同行者と無事に帰着するまではどうか気を付けて」
「うん。今日は一緒にいてくれて本当にありがとう、ジフ」
サナはアレッペを抱き締めながら微笑んだ。表情の変化に乏しい彼女から向けられた、年相応の可憐な笑みに、ジフは不覚にも胸が跳ねる。
「また……ジフに会えるかな」
次いでサナから告げられた言葉に、さらに顔の体温が上がっている気がしたが、冷静さを保って答える。
「たぶん……また。俺は教団の兵士だから、教団に言ってくれれば会えると思う」
教団で教え込まれた事務的な受け答えだが、サナにはそれで充分だったようで、アレッペの頭の羽毛に顔を埋めながら嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、まあね、ジフ」
サナは右手をひらひらと振って別れの言葉を告げ、目的地の時計台の方に向き直り歩いて行った。蒼色の長い髪が夕日に照らされ、きらきら光りながら揺れる様は、まるで夕暮れの海のさざなみのようだった。
「俺も戻るか」
今までも教団の任務で護衛や避難誘導を経験したことは数度あるが、警護対象と直接会話をしたのはこれが初めてに等しい。大して面白い話はできなかっただろうが、サナは教団での仕事について興味津々に聞いてくれた。
宿に戻ったら本来の未確認魔力体捕縛任務がある。早々にイレギュラーの連続で棍が詰まりそうだった所に、成り行きだったが良い気晴らしになったかもしれない。ジフは僅かながらに顔を綻ばせ、サナとは反対の方向に歩を進めた。
十八時。
サナは時計台を囲むベンチの一つに腰を下ろし、膝にアレッペを乗せていた。小さな声で歌を口ずさむ。風や木々のさざめきに溶け、一体化するような……あるいは支配して揺り動かすような、繊細な歌声。
空はすっかり菫色と紺碧のグラデーションになり、星が光り始めている。サナが空を見上げていると、近づいて来た人影に声をかけられる。
「待たせたね、サナ」
現れたのはアルズだった。
「今日の予定は済んだの?」
「ちょっと大変だったけど……一応ね」
アルズの方を見上げながら、慣れ親しんだ様子で言葉を交わす。彼こそが、サナが共にこのマルトクラッセに訪れ、帰る時間に待ち合わせをしていた〝友達〟。
「あの子とは友達になれた?」
「掴みは良かったと思うんだけど……これからかな。でも体に影が回るのがかなり速かったから、あの子にとっても時間の問題だと思う」
「そうなんだ。私も友達できたよ。魔物を殺さないように助ける優しい人だった」
「そっか。僕もそのうち会えるといいなぁ」
とても無邪気に今日の出来事を語らう二人。今日の出来事を共有するそれは、家族や友達の間で生まれる和やかな雰囲気だった。だが、節々には雰囲気に似つかわしくない不穏な言葉が紛れる。それを知る者などおらず、本人達もあくまで他愛無く話すその様は、いたく倒錯的だった。
「じゃあ帰ろうか」
「うん。行くよアレッペ」
「ペ」
サナがアレッペを抱きかかえたままベンチから立ち上がり、二人は並んで街を歩いて行く。
立ち並ぶ建物の窓から差す灯りに照らされ、宵の影の中へと消えていった。
――03 白の青年