第24話 森羅を統べる者-1
《影》の大精霊、アンクサリスの復活が始まった。
進行を邪魔されまいと立ちはだかった、氷人形のメイア――その真の姿の怪物、罪魔獣トロイメイアをアイたちは撃破した。
だが、メイアと戦っていた間にも、アンクサリスの再構築は着実に進んでいたのだ。
空洞だった漆黒の甲冑。その兜に、突如として赤く不穏な光が灯る。同時に甲冑の継ぎ目から、黒く濁った霧が噴き出しはじめた。
すでに《影》のエネルギーが戦場一帯に広がり、王国騎士団と帝国軍の双方に深刻な被害が出ている。このままでは、撤退を終える前に全軍が壊滅しかねない。
『アンクサリスに再び攻撃を与えるには、もう一度、連星を放つしかありません。
ですが……先ほどの発動で魔力を使い切ったため、回復を待つ必要があります』
リンの中に宿るフローランナが、苦しい現状を告げる。
アンクサリスは戦場に溢れる負の感情を吸収しながら、自らの体を再構築している。その進行速度は予想を遥かに上回っていたのだろう。
メイアは確かに倒された。だがメイアの時間稼ぎは功を奏し、アンクサリスを攻撃するための戦力を自分に向けて消費させた。その身を散らせながらも、目的を果たしていったのだ。
一行はいまだアンクサリスの胸元――上空の魔法陣にいる。
「俺とガリュマダロンが大星座の力で、あいつを抑え込む!
その間に、フローランナの力でみんなの魔力を回復できないか!?」
『やってみるぞ!』
『できる限りは……!』
状況が切迫する中でも、次の一手を考えることをやめないアイに、大精霊たちも応えた。そんなやりとりの中に、新たにもう一人の声が飛び込む。
「わたしも! 治癒の力でみんなを回復できるよ!!」
名乗り出たのはカナだった。
「でもカナは……さっき聖障を全力で出したばっかりだろ」
「大丈夫。あのときの聖障と、連星の光で……少しだけ力が戻ってきたの。まだやれるよ!」
そう言ってカナは意気込みを示した。
確かに、回復役としてはカナに頼むのが最適だ。しかしカナは先ほどの聖障だけでなく、そもそも本格的に戦いの中で動き続けるのは今回が初めてだ。すでにいくつかのタスクを連続でこなしている。
アイにとってはこれ以上、彼女に無理をさせたくはない。
だが――カナは自分で声を上げた。
心配という以外で彼女を信じない理由はない。それに、ここにはジフたちや、大精霊もいる。それならば……と、アイは決断する。
「わかった……みんな、それで頼めるか」
「……ああ」
アイは確認を求め、ジフやショウ、リンを見まわした。ジフが頷く。
もう一度『連星』が撃てるようになるまでは、おそらくそれが最も確かな策だろう。
アイは右手の甲の真紅の輝石に左手を重ね、眩い輝きとともに体から炎の流線が迸る。紅焔の球体を成したそれに全身が包まれ、炎が弾けた。
中から赤い閃光が飛び立つ。真紅の光の翼を背に広げ、白と金の神々しい装束をたなびかせる、大星座の姿となったアイが空へと舞い上がる。
「行ってくる!」
「アイ、気をつけて!」
仲間たちへ告げ、アイは踵を返してさらに高みへ――アンクサリスの眼前をめざし、飛翔した。
翼から降り注ぐ光の粒子を見上げながら、魔法陣に残されたカナたちはアイを見送った。
「みんな、今のうちに回復しよう」
「ああ、すまない」
「お願いします、カナさん」
早速カナが実行に移す。ジフとショウも、少しでも早く魔力を練り上げる準備に入る。フローランナの力が流れる魔法陣も、次第にその輝きを強めていく。
その様子を横目に、リンの胸にははやる気持ちが募っていた。
彼女は胸元に手を当て、そっと内にいるフローランナに語りかける。
「フローランナ……お兄様をここへお連れすることはできませんか?
それで、もし……大星座のお兄様とフローランナが契約すれば……アイの助けに……!」
そう、アイだけではない。大星座の力を持つ者はもう一人いる。リンの兄、レオナだ。
その力はかつて《影》を打ち倒した《明星の救世主》と同質のもの。選ばれて生まれてきた者だけに与えられる特別な力。
数時間前、弱っていたフローランナの治癒に向かう際、リンの臣下の騎士ヴィッキーに言われた。
――『もし、大精霊の治癒に成功して、そして姿を現したとしても……
その力を借りるために大精霊と契約できるのは……大星座のレオナ殿下である可能性が高いと思われます』
自分がどんなにフローランナを想い、彼女を救うために頑張っても、契約できるのはきっとリン自身ではない。
その現実に込み上げる切なさを、いっそ強い使命感で塗り潰すように、リンはフローランナに強く促す。
『ええ、わかっています。リンリアーナ。
今、この時のために、レオノアードの力を目覚めさせるためには……あなたも必要なのです』
「え……?」
フローランナはリンの様子に気付きながらも、冷静に答える。
思いがけず自分が含まれていることに、リンは小さく息を呑む。
「まもなく……彼の方から、ここへ到着するでしょう」
人知を超えた存在らしい、直感めいた言葉だった。
まるでそれを表すように、リンの頭上に戴くティアラの、翠緑色の宝石が淡く光を帯びる。
そして、同じ色をした彼女の瞳の奥にも、確かな光が広がっていた。
* * *
ラインゼル軍機関の荒野、北方の地帯。
エスペル教団が支給した神具により、蔓延する《影》を浄化する手段を得た王国騎士団。
しかしその加護を嘲笑うかのように、新たな黒い霧が天を覆い始める。
部隊を指揮するフーゴも、雲海の上から墨汁を垂らしたかのように迫ってくる暗雲を視認する。
「隊員の所在を全員確認し次第、直ちに撤退!」
命令を飛ばし振り返った瞬間、視界の端に異変が映る。
ほど近い森のあたりから、煙が立ち上っていた。しかも同じ方向からは、断続的な悲鳴と獣の咆哮が混ざり合って聞こえてくる。
万が一、王国騎士団の隊員が巻き込まれている可能性を考えると、確認しないわけにはいかない。
「異常を確認、調査に入る。馬を頼みます!
ブルーサ、この隊の人たちについて行け」
フーゴは愛馬に命じて隊のもとへ送り出す。
そして、煙の発生源を探して森の中へと突入する。
辿り着いた場所で飛び込んできた光景に、フーゴは驚愕した。
帝国軍の兵士が、一体の魔獣に襲われている。
だがその姿は、森の獣とは言い難く……二足歩行しており、人の、それも高官らしき立派な背広を着ている。大きな体に無理やり袖を通したのか、上品な生地が無惨に裂けているが。
魔獣の背後では、大破した輸送車が燃え上がっていた。車両には帝国軍のマークが確認できる。走行中にこの魔獣に襲われたのだろうか。
「や……やめてください!!」
「早く撃ち殺せ!!」
「ですがこの御方は……」
「もう人じゃない、ただの魔獣だろうが!!」
帝国軍の兵士が口々に叫んでいる。命乞いにしてはやたらと丁寧な言葉で、襲われているというのに攻撃を躊躇っている。その状況をフーゴは奇妙に感じた。
――いや、もしかすればあれは。獣が人の服を着ているのではなく。
《影》の濃度が異常なこの戦場で、黒影病によって変貌した人間なのか。
それも、帝国の高官だったのではないか。
どういう経緯かは知らないが、この輸送車で戦場を突っ切ろうとでもしていたのか。
「なんだってこんな状況で……クソっ!」
フーゴは剣を引き抜き、腰を抜かしてへたれ込んでいる兵士の前に割って入る。
迫る魔獣を一閃。斬撃とともに紫の衝撃波を叩き込み、巨体を後方へと吹き飛ばした。
「帝国軍はとっくに撤退した! ここに留まっても死ぬだけだ!
運が良けりゃ途中で自軍と合流できるか……少しでも命が惜しいなら、近くの騎士団に捕虜にでもしてもらえ!」
背後の兵士に向け、フーゴは怒鳴る。
こんな化け物を野放しにして、人の住む地域に入り込めば、被害は計り知れない。見つけてしまった以上、ただちにここで仕留めなければならないのだ。
しかし兵士は状況が呑み込めていないのか、この期に及んで立場や所属を考えているのか、その場で硬直したまま動けない。
「だ、だが……」
「黒影病で同じ化け物になるか、それより先にあいつに喰われるか! どっちがいい!? さっさと選べ!!」
すでに数人の兵は、我先にと逃げ出し背中が遠ざかっている。
フーゴの一喝にようやく我に返った兵士は、ふらつきながらも立ち上がり、逃げる仲間の後を必死に追って走り出した。
もし不意打ちされようものなら、今度こそ見捨ててやるまでだ。
フーゴが前方に意識を戻すと、木々を薙ぎ倒して地に転がっていた魔獣が、身を起こしていた。
異様に長い腕で頭部を抱え込み、煩わしげに激しく首を振り乱している。
「カァアア゛ア゛ァアアサァア゛ア゛アァア゛ァア゛ア゛!!」
突如、両腕を広げ、天を仰いで咆哮した。地鳴りのような声が空気を震わせる。
「よク゛モ゛ぉ゛おオぉオ゛オ゛おお゛!! 騙したナ゛ぁ゛あ゛あアア゛ア゛あ゛ア゛ア゛!!」
まだ人の言葉に聞こえる叫び。そこ混じる「カーサー」の名。やはりこの魔獣は、帝国の高官だった男の成れの果てか。
元から腹にどす黒い一物を溜め込んでいたのだろう。この男もカーサー元帥の策略に嵌められ、《影》が充満する戦域に送り込まれ、一瞬で黒影病の末期状態――魔獣化してしまったということか。
フーゴもまた、この空を覆う《影》の影響下にある。せめて介錯できれば良いが。状況次第では、それすら叶わず退避を余儀なくされるだろう。
ひとしきり叫んだ魔獣の視線がフーゴを捉え、突進してくる。
フーゴはすかさず二本目の剣を抜き、二刀流の構えに切り替えた。
鋼の刃と、鉄塊のような魔獣の腕が、繰り返し激しく衝突する。
「おオ゛国のキ士の゛……くビひとツでモ゛オ゛オ゛お゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!」
魔獣が怒声とも咆哮ともつかぬ叫びを上げ、狂ったように腕を振り回す。
振りかぶったその腕は、フーゴの剣に両断され、肘から先が無慈悲にも宙を舞った。
しかし、魔獣は痛みに怯むどころか、さらに凶暴さを増していく。
残った片腕が鋭く伸びる。振り上げた剣の隙を突き、フーゴの胴を的確に掴んだ。
次の瞬間、体ごと持ち上げられ、まるで棒切れのように地面へと叩きつけられる。
打ち捨てられていた岩に、右腕が直撃した。
「ぐぅ……ッ!!」
骨が軋む音がした。
猛烈な痛みが、焼けつくように右肩から全身を駆け巡った。立ち上がろうとする意思はある。しかし片腕が使えず、体が痛みに鈍っているせいで上手く動けない。
そうしている間にも魔獣は目の前に迫っている。さっきまで発狂していたはずのその目が、今は獲物を確実に仕留めようとする冴え渡った光を宿している。
まるで目の部分だけが、知性のある人間に戻ったようで、さらにおぞましい化け物に見えた。黒影病はこうして人を殺し、殺されるのだと、本能で思い知る。
魔獣の腕が、空気を裂くように素早く振り上げられ――
ザンッ――――と、首を斬られた。
噴き出していた血は――魔獣のうなじからだった。
その背後には、ケレス騎士団長の姿があった。大剣を振り抜き、白銀の甲冑に異様な液体が降りかかっている。
「ア……ガアアアアア……!」
致命傷を負った魔獣が、掠れた声で呻く。
その巨体に、ケレス騎士団長は容赦なくもう一撃を叩き込んだ。剣から閃光が迸り、直撃を受けた魔獣は地を滑るように吹き飛んだ。
白銀の鎧にまとわりつく黒い液体は、もはや血液というより、闇そのもののようだった。フーゴは、その光景を呆然と見つめるしかなかった。
「……騎士団長……」
「お前の愛馬が、この方向を強く示していた。その途中で森から逃れてきた帝国兵に遭遇し、話を聞いた。
彼らは自発的に投降して現在こちらで身柄を拘束している」
団長は冷静な口調で応じた。淡々と語るその声に、戦場の緊迫すら制す重みがある。
「言っただろう。北東地帯は特に危険だと」
フーゴの脳裏に、あの逃げていった帝国軍兵士たちの姿が甦る。自力での帰還を諦め、命惜しさに本当に言われた通りにしたのか。
それによって自分が助かったこと、自分の通信を受けて騎士団長が即座に動いてくれていたことを、フーゴは内省する。
「フーゴ!! 良かった、生きてたんだ……!」
騎士団長に続いて駆けつけてきたのは、ヴィッキーと数名の騎士たちだった。
ヴィッキーは安堵のあまり涙を浮かべながら、倒れていたフーゴの背を支える。彼はようやく身体を起こした。
「マルケンド卿の援護で、北東地帯の部隊は全員、無事に撤退しました」
「救護班と合流して治療を受けろ。……我々も撤退する」
「……了解です」
報告する騎士から感謝の言葉を向けられたものの、ここまで手を焼かせてしまったことに、フーゴは内心で不甲斐なさを覚える。
バツの悪そうに視線を上げると、ケレス騎士団長が遠くに目を向けていた。森に残された〝逃げられなかった者たち〟を見つめ、遣る瀬なさそうに目元を歪める。
そして彼はおもむろ歩にを進め、動かなくなった魔獣の傍らに立つと、無言で介錯の剣を突き立てた。
木々の隙間から見える空には、森の外にいる騎士団の部隊が神具を放ち、光を纏った金色の狼煙が広がっていた。




