第23話 シンギュラリティ・オレンジ-3
フィエロレンツ聖海に現れた、巨大な漆黒の甲冑――《影》の大精霊、アンクサリス。
遥か上空、成層圏よりも先にある、己の本体が封印された場所。そのちょうど真下の位置に鎮座しているのは、かつての因縁を覚えている故なのか。
そんな半身の胸元……地上から数十メートル離れた空中に、巨体を拘束するようにぐるりと一周した平たいリング状の魔法陣が出現する。
その光輪を足場にして、大精霊フローランナの力で転送されたアイ達が降り立った。
周囲は空、下は湖、そして目の前には五十メートルにも及ぶであろう巨大な漆黒の物体。アイたちの体が一瞬すくむ。
だが、覚悟はすでに決めている。彼らは強い眼差しで半身の顔を見上げた。
――が、その時。
突如、アイたちと半身の間を阻むように、空中に黒い渦が発生する。渦の中の暗闇には、銀河のような、地底のマグマのような、ぎらついた光が禍々しく蠢いている。
アイとジフ、そしてカナはこの渦を知っている。これが発生した時、そこから現れるのはーー
「煉獄の火口……!?」
彼らの予感は的中する。渦が弾けると、そこには一人の……いや、一体の氷人形が姿を現した。
コキュートスのメイア。彼女は背に翼の形をしたスピーカーを広げ、アイたちの前に浮遊する。
「影の復活は邪魔させない!!」
メイアはそう言い放つ。その気迫は、これまでの軽薄な愛想を一切捨て去ったものだった。
今のメイアは、冷たい激情に満ち、鋭い眼差しで怒りと執念を隠そうともしない。
「メイア!?」
「今はカナちゃんに構ってる暇なんてないんだから!!」
「はぁ!?」
いつもはメイアの方が現れるなり執拗なまでにカナに対抗心を見せ、愚弄しているというのに。まるで今はカナの方が邪魔者だと言わんばかりのメイアの物言いに、カナの口から心外な声が上がる。
「この戦場にいる奴ら全員、アンクサリスが復活するための養分にしてあげる!
――みんな!! いくよ!!」
メイアが鬼気迫る形相で叫ぶ。その叫びは頭上から戦場に響き渡り、地上にひしめく無数の幼い氷人形たちが一斉に彼女の方を見上げた。
直後、メイアは息を吸い、その何十倍もの音量で怪奇音を放つ。
人によく似た彼女の声が、ノイズまみれの電子音で歪み、不快な金属音が共鳴する。それを受信した幼い氷人形達が、一斉に無機質な声を上げ始めた。アイ達や地上の兵士達は意識が掻き乱される。
瞬間、一体の氷人形が爆発した。それを皮切りに誘爆が連続する。付近にいた戦場の兵士が次々に爆発に巻き込まれていく。悲鳴、痛み、死、恐怖。戦場を支配する不協和音は何層にも重なっていく。
阿鼻叫喚を体現したような戦場の上空には、いつしか黒く濁ったエネルギーが立ち昇り、そびえ立つアンクサリスに吸収されていく。
そして、音の発生源であるメイアの体にも、同様のエネルギーが取り込まれていた。全身が黒く染まり、次の瞬間、彼女の体は激しい閃光と共に爆発を起こす。
吹き荒ぶ黒煙とエネルギーの衝撃波。
中から現れたのは、もはや少女のシルエットではなかった。
さらに巨大化したスピーカー状の翼を背に広げ、その体は蝙蝠のような獣の形をしていた。
しかし、表面には箱型のコンポや、金管楽器の管が剥き出しになっており、口から飛び出しているラッパが何よりも奇怪だ。
音に狂気じみた執着があるような、動物と人工物を融合させて無理やり〝形〟を作ったような――化け物と呼ぶほかない物体が、アイ達の目の前に威圧的に浮遊していた。
自然の摂理に反した存在に何かを感じ取ったのか、リンの中に宿っているのであろうフローランナが、魔力を通してアイ達に語りかける。
『この存在からは純粋な魔力ではない……生き物の悪意や絶望、因果のようなものを……罪を犯した魂のようなものを感じます。
内側の《影》のエネルギーと掛け合わせ、凶悪な負の感を増幅させることで、限界まで魔力を高めている』
さらにアイの中のガリュマダロン、ショウの中のハイルカントリュスが続く。
『表面を覆っていた氷が砕け、外に解き放たれたことで、真の姿を現した……』
『これほどの罪の悪意……こんなものはただの魔獣ではない、《罪魔獣罪魔獣》とでも呼ぶべき異形の存在だ』
世界の物質を司る者達が、口々に忌避感を示す。
今までアイ達が何度も対峙した、氷でできた人を模した体はただの“器”に過ぎなかった。
この巨大な異形こそが――《影》によって生まれ落ちた、コキュートスの真の姿。
「これが……氷人形の正体……!?」
先程までメイアだったはずのもの――
《罪魔獣トロイメイア》が、正体を現した。
『DELPH1NUSλ!!』
聞き覚えのあるメイアの声に、禍々しい重低音と、耳障りな電子ノイズが混じり合い、歪んだ残響となって響く。
爆風を払ったジフが顔を上げる。
「とにかくあいつを倒さないと、復活が進んでしまうぞ」
「みんな、やるぞ!!」
アイがショウとリンに呼びかけ、四人は一斉に武器を構えた。
アイとショウが走り出す。その動きを察知したトロイメイアが反応し、大きく開けた口から、壊れた金管楽器のような奇怪な咆哮を発した。
その声がリング状の音波となって足場に波及する。
「このっ……《フレイム――》」
「まだ来ます!!」
初撃をかわしたアイが反撃に出ようとした瞬間、次の音波が容赦なく押し寄せた。すんでのところでショウの声が飛び、アイは間一髪で回避する。
だが、トロイメイアの音波攻撃は途切れることなく連続し、二人は回避に終始してしまう。
「これじゃ攻撃する暇がないぞ!! ――うおっ!?」
「アイくん!?」
音波に紛れて、トロイメイアの羽ばたきで突風が放たれた。まともに喰らったアイが宙に舞い、ショウから離れて魔法陣の外へと吹き飛ばされてしまう。
「《結い広がりし新緑》!!」
リンが咄嗟に足場の中心に矢を撃ち、魔法陣から草花の蔦が広がった。空へと伸びた蔦がアイをしっかりと受け止める。ショウに引き上げられ、アイは無事に魔法陣の上へと戻される。
さらに無数の蔦が交差し、フェンスを形成して無防備だった魔法陣を補強する。
「この音波、一定のリズムがある……!」
「リズム……?」
そう呟いたのは、後衛で守られていたカナ。彼女の前に立っていたジフが気づく。
「音波のリズムが三拍子! 三回連続した後に一回呼吸の隙があるんだよ!」
「なるほど……アイ、ショウ! 三回避けた後に攻撃できるように準備しろ!」
カナの分析を汲み取り、ジフがただちに前衛のアイたちに指示を飛ばす。
『ヴォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
トロイメイアが咆哮と共に次の攻撃を仕掛ける。アイとショウが事前に魔力を練り上げ、言われた通り三連続の音波を的確に回避する。
そして、予測通りに生まれた隙を捉え、二人は息を合わせる。
「《紅蓮禽翔》!!」
ショウの拳が生み出した風の奔流に、炎を纏ったアイの斬撃が重なり合う。融合した攻撃は、炎の大鳥となって宙を飛翔する。
「《コールド・スピア》!!」
「《舞い輪る華眩の陽り》!!」
後衛のジフとリンからも、準備していた魔術が放たれた。無数の氷と花びらが空中を旋回する。
炎の鳥は花びらの光を纏い、トロイメイアが放った追撃の音波を正面から突き破る。防御を失ったトロイメイアは反射的に魔力を凝縮させようとしたが、空中から襲いかかる無数の氷がその行動を阻む。
再び目を開けた時には、すぐ目の前に紅蓮の炎が迫り――灼熱の一撃が真っ向から衝突した。
『ギィ゛イ゛イ゛イ゛イ゛!!』
トロイメイアの全身を炎が包み、甲高い悲鳴が空を引き裂く。
音波の連撃が止み、攻勢に出ようとしたアイたちだったが――
トロイメイアは荒々しく翼を広げて暴風を起こし、体に纏わりつく様々な物質を吹き飛ばした。苛立ちに満ちた獣の瞳でアイたちを睨みつける。
互いに反撃を放ったのは、ほぼ同時だった。四つの物質と、一つの強大な音波がぶつかり合う。
音波は複数の力を一手に受け止めるだけでなく――さらに、完全に押し切った。音波は勢いを失うことなくアイたちを目がけて迫る。
「クソっ……!」
咄嗟にアイが前へと駆け出す。一度破られた攻撃は通用しない。右手の輝石に紅い輝きが灯り、大星座の力の一部を開放して、剣から魔力が噴き上がる。後方ではジフがカナの周囲に光のドームを展開させる。
アイの剣から迸った陽炎の如き熱波と、落下した音波が激突した。音波は脈打つように振動し続け、魔法陣に揺れを起こす。
『みなさん! 足に力を込めて、倒れないようにしてください!』
フローランナの指示に従い、アイたちが必死に踏みとどまっている間、フローランナは魔法陣とそれに絡む蔦の魔力を高め、足場の耐震性を強化してゆく。
魔法陣から振り落とされないよう踏ん張るのが精一杯で、アイたちは次の動きに出る余裕などなかった。
「ぐっ……うわぁっ!」
音波の威力と魔法陣の揺れの両方に苦しめられ、アイは辛うじて音波を相殺させる――と同時に、アイの手から剣が弾け飛んでしまう。
さらに余波が魔法陣を襲い、魔法陣が波打つように激しく揺れ、アイたちは大きくバランスを崩した。
アイたちの体勢が瓦解した隙を、トロイメイアは見逃さなかった。
トロイメイアの口から突き出したラッパ型の突起が、まるで生き物のようにうねり、異様なまでに大きく開口する。
『CASS10PE1A・νTR1N0!!』
次の瞬間、一瞬の静けさののち――耳をつんざく超高周波の怪奇音が空全体に炸裂する。
その音は、音というより重力だった。金管楽器の重音、機械の甲高いビープ音、血の滲むような獣の咆哮。聴覚を苛む凄まじい異音が一斉に襲いかかる。
ソニックブームのように空気が裂け、魔法陣の表面には、サイケデリックなグラデーションが波打つ無数の波紋が走る。
「うわああああ!!」
アイ達は武器を構えるのもままならず、必死に両手で耳を押さえる。それも大して意味を成さず、暴力的な音圧が体を圧迫し、まるで頭や体を押し潰されるような痛みが襲った。
三半規管にまでじりじりとダメージを与え、アイ達は次々に魔法陣に膝をつく。こうなってしまっては、音波が止んで残響に変わっても、すぐに立ち上がるのは不可能だった。
「み……みんな……!」
唯一、光のドームに守られていたカナを除いて、全員が重力に押さえつけられるように膝をつき、地に崩れ落ちていた。
彼らの内に宿る大精霊たちは魔力を送り込もうと、身体から淡い光を滲ませていたが――それでも、肝心のアイたちの肉体は言うことをきかない。
そうしている間にも、トロイメイアは容赦無く次の攻撃の魔力を蓄えている。
鳴り響くラッパの先端で、サイケデリックなオレンジ色のエネルギーが渦巻き、球体を形成している。その威力たるや、周囲の大気の振動が可視化され、激しく歪んで見えるほどだった。放たれれば、ただでは済まない。
まだ立っているカナもろともなのか、戦えない彼女は最初から数に含んでいないのか。どちらにしても、これで一掃するつもりだろう。
カナの歌の力で抵抗しようにも、今から歌い始めた出力では到底間に合わない。焦りに追い立てられるカナは必死に視線を巡らせる。
そんなカナを頭上から見下ろしながら、トロイメイアが言い放った。
『これで……まとめて終わりよ!!』
魔力球が臨界に達し、魔法陣を丸ごと押し潰さんばかりの規模に膨れ上がる。そして、溜めに溜めたその魔力は、無慈悲にも放たれた。
閃光が放たれた瞬間、全ての色彩が焼き尽くされる。
それは、避けようのない、圧倒的な終わりの光に思えた。
――衝撃が止まった。
しかし、トロイメイアの攻撃には被弾していない。まるで時が止まったかのようだった。アイ達は恐る恐る目を開け、目の前の状況を確認する。
攻撃は、目前で物理的に止められていた。
「……カナ……!?」




