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第23話 シンギュラリティ・オレンジ-2

 軍機関荒野の別の地帯。

 すでに教団の神具が行き渡った王国騎士団の部隊が、氷人形を相手に武器を振るっていた。

 《影》のエネルギーを内包し放出する氷人形の乱入は、両軍の理性を奪い、戦場を著しい混沌に陥れていたが、《影》を打ち消す神具が投入された今、形勢は逆転し、武器に組み込まれた神語の力で瞬く間に氷人形たちが殲滅されていく。


 その光景を、少し離れた位置で指揮をとっていたカイルが目の当たりにしていた。

 神具の威力によって、〝未調整〟たちが次々に光と轟音の中へと消えていく。自分と同じ顔をした幼い個体たちが次々に砲撃の渦に飲み込まれていく光景に、カイルは思わず身を乗り出す。

 閃光の向こうから、自分も吸い寄せられるように感じた、その瞬間――

 接触する寸前で、ジュディエの巨大な氷の腕がカイルのフードを掴み、その場から引き剥がした。砲撃の衝撃波に半ば吹き飛ばされながらもそのまま森の影へと転がり込む。


「カイル、出過ぎだ!」

「お前が言えたことかよ!」

「カイルくん大丈夫!?」


 急いで起き上がる二人のもとに、メイアとアルテノーラも駆け寄ってくる。


「なんだか……王国も帝国も動きが変わってきてる……

 どっちも私たちを狙ってない……?」

「さっきまで〝自分以外はみんなグルの敵だ〟って戦ってたのに……」


 人間たちの行動パターンに、明らかな変化が現れている。彼ら四体は、これまで通用していた戦術が機能しなくなりつつあることを直感していた。



「……俺たちの狙いに気付いたか……

 兵器を発射したということは、ベリアルが全部開示したのか……?」


 ジュディエは空を仰いだ。先ほど魔導塔跡地から発射された砲撃の先には――

 漆黒の巨大な甲冑、影の大精霊アンクサリス。

 体に《影》を宿し、それを原動力とする、彼ら氷人形たちの祖。アルズの片割れとも言うべき、彼らの根源だ。


 伝説に語られる通り《救世主》に封印され、千年にわたって蓄積された負の感情を取り込み、今ふたたび姿を現したとはいえ――あれはまだ、完全な肉体を得たわけではない。実体を持たぬ半身。言うなれば器に過ぎない。

 真に復活を遂げるため、アンクサリスは今、時間をかけて形を再構築し、《影》の力を蓄えている最中だった。

 これはすなわち、〝起動準備〟の段階。本格的な再誕はまだ先にある。



「あれがアンクサリス……」


 ジュディエの視線を追うように、カイルたち三体も巨体を見上げる。

 自分たちを生み出した存在を初めて目にした彼らだが、派手に歓喜するでもなく、畏怖に慄くでもなく。ただ、朦朧とした目で夢でも見ているかのような顔をしていた。


 生みの親であるアンクサリスを復活させるために、生み出された氷人形が消耗され、使い捨てられた仲間はもう数えきれない。それは本末転倒とも言えるのではないか。

 いざアンクサリスが復活したとして、そこに自分たちが関われるかすら分からない。


 たとえば――地上の人類ならこんな時、信じていた《救世主》が戻ってきたら、あいつらはただそれだけで、泣きながら歓声を上げて、拍手したりするんだろうか。

 カイルたちの中にはぼんやりと、けれど確かに、人類が信仰を必要とする理由を理解し始めていた。



「――あれ、また何か出てきた…!」

「この暑苦しい太陽みたいな熱……大星座の……あそこにアイがいる!!」


 メイアとカイルが異変を捉える。注視していたアンクサリスの付近に、対照的に白く眩い光のリングが現れた。

 その光から燃える太陽を凝縮したような気配を感じ、カイルは目の色を変えた。カイルが最も因縁を抱き、明確な勝利を望んでいる相手が、あそこにいる。

 今にも自分もそこへ向かわんと、激しい熱を帯びた眼差しで食い入るように凝視し――



「みんなここまでよく頑張ったね。おかげでアンクサリスの復活を実行できたよ」



 不意に響いた男の声が、空気を引き裂くように場の熱を遮った。全員の意識が、瞬時に現実へと引き戻される。

 一斉に振り向けば、渦巻く煉獄の火口を背に転移してきたアルズと、傍らのベリアルが崖の上に立っていた。


「ここからは最後の仕上げだ」


 アルズとベリアルは岩から飛び降り、カイルたちの前に着地する。


「……アルズ……ベリアル……」


 重症のアルズがもうじき回復するというのは聞いていた。自分たちのもとに出向いて来るとは思わなかったが。

 〝アルズが自分たちに会いに来てくれた〟――いつもならそう言ってカイルたちが沸き立っていただろう。

 だが、今の四体はいたって落ち着いていた。冷静に、慎重にアルズの様子をうかがうように。

 ベリアルはそれを察してか特に動きを見せないが、ただ静かに状況を観察している。


「この軍機関の戦いがどうなろうと、世界はもう止まらないよ」


 アルズはさらに歩み出て彼らと距離を詰める。



「〝未調整たち〟の指揮をちゃんとやってくれたんだね。よく頑張ったね」


 アルズは伸ばした手で、カイルとアルテノーラの頭に触れた。

 その手は優しげだったが、二体はぴたりと動きを止め、目を大きく見開く。ジュディエとメイアも、無意識のうちに身構えていた。


 『調整』された直後の記憶が残っている四体は、いつまたアルズがその時のことを引き合いに出すのか、彼の一挙手一投足に神経を研ぎ澄ませる。

 アルズはそれに気付いているのか、いないのか……少なくとも今は気にしている気配はなく、穏やかな笑みでカイルたちに触れる。



「あとはアンクサリスがやってくれる。みんなはもう戻っていいよ」

「え……でも……まだ全然、戦場に人間が残ってるのに……俺たち何とも戦ってないよ……?」

「放っておいても勝手に自滅するさ」

「で、でも! 空にはアイたちがいるんだよ!? 前は逃げられたけど、今ならもう一回捕まえ――」

「カイル」


 カイルの方がびくりと跳ねて、言葉が断たれる。

 アルズの表情は変わらず柔らかい。けれど、声音は氷のように冷たい。


「これ以上カイルたちが傷を負う必要はないよ」

「………………」


 やはりアルズは根に持っているのか? それとも口に出した通りの意味でしかないのか? それならどうして声色が変わった?

 目の前のアルズは大したことをしていないのに、それでも恐怖はじわりと胸に染み込んでくる。カイルは黙り込む。


 ――アルズを傷つけてはいけない。否定してはいけない。

 アイに敗北してあれほどの重傷を負いながら、ようやく回復してくれたのだ。あの時の苦しみや屈辱を、今さらぶり返させるような真似は、誰にもできない。

 カイル自身、アルズに嫌われることを何より恐れている。だからそのようなことはしたくない。


 それならもっとアルズの復帰を喜ぶべきではないのか。ジュディエを除く三体は頭でわかっていても、体が、声が、表情が思うように動かない。


「せっかくみんな無事に生きて揃ってるんだ。それでいいじゃないか。

 わかったね、みんな」


 その言葉どおりなら、仲間の命を何より大切にする優しいリーダーに思える。だが……どうしても、あの出撃前の異様な挙動と、今この場に立つ彼の姿が重ならない。かけられる言葉はどこか空虚だ。



「貴重な〝完成品〟なんだから大事にしろよ」

「してるじゃないか」


 ベリアルが見かねたように口を出す。アルズは不思議そうな顔をして答えた。


「僕たちは先に戻ってるから。気をつけて帰るんだよ」


 まるで子供の帰りを待つ親のような言葉を残し、踵を返す。強引に四体を連れ帰るわけではないのは、ベリアルに釘を刺されて省みたからなのか、最初からその気がなかったのか。

 アルズはベリアルを引き連れ、再び煉獄の火口をくぐっていく。やがて、二人を取り込んだ黒い渦ごとその場から消失した。




 アルズたちが去った後も、四体はその場に立ち尽くしていた。

 沈黙の中、不意にカイルがはっと我に返り、苛立った表情を浮かべると力み勇んで前へ踏み出そうとする。その動きに気づいたジュディエが、即座に彼の肩をつかんだ。


「カイル、どこに行く気だ」

「あそこに! アイたちがいるんだぞ! 今度こそアイたちに勝つんだよ!!

 いや……あの時だって、俺たちの勝ちで終わってたはずじゃんか!!」


 カイルは振り向きざま、長い袖を振り乱しながら、しつこいほどに上空を指す。それでもジュディエは、あくまで冷静だった。


「今の俺たちがアルズに課せられた目的は、争いを撹乱して負の感情を増幅させることだ。その役目は十分果たした。

 これ以上無駄死にしたところで……アルズは俺たちに何もしてくれないんだぞ」


 ジュディエは、皆が薄々感じながらも言葉にするのを避けていた疑念を、明確な言葉として突きつけた。

 その瞬間、カイルだけでなく、メイアもアルテノーラも息を呑み、空気が凍るのを感じた。


「あれだけ連れて来たチビたちも、すっかり消費してもう数に余裕がないわ」

「さっきアルズは最後の仕上げって言ってたけど……

 あとは残りのおチビたちに任せるってこと?」


 比較的冷静なメイアとアルテノーラは合理的に思考しているが、自分で決断するには至らず、誰かの断言を待っている。

 しかし、そうして導き出されたアルズの意図に、カイルの激情はさらにエスカレートする。



「じゃあ俺たち最初から期待されてなかったってのか……?

 俺たちこのままアイたちに舐められて、アルズにも褒めてもらえないまま生きなきゃいけねぇのかよ!?

 あの時ちゃんとやったのに!! おかしいだろそんなの!!」

「……死ぬのと比べたら安いもんだ」

「アイ達を倒せなくても、ここにいる奴らをもっとブッ殺せばアルズも満足するのかよ!?」


 子供の癇癪を起こすカイルとは対照的に、すでに結論は決まっているジュディエが淡々と答える。しかしその解答はカイルが求めているものではなく、二人の会話は平行線を辿る。


 もとよりどの勢力に対しても勝利する目的はなく、混乱と理性の喪失による無秩序な殺傷を連鎖させ、戦場一帯に負の感情を蔓延させるために乱入していた。

 そうして生み出した膨大な負の感情を吸収し、アンクサリスが実体化を果たした。

 よってここでのカイルたちの働きは、成果を得られたと言えるが……


 明確に倒すべき相手もおらず、次の命令が下るまで、ただひたすら〝未調整〟たちを指揮する。持久戦にして消耗戦であり、〝未調整〟を消費し続けた今の戦況は決して余裕があるとは言えない。


「どうする……? 退くのが一番いいと思うけど……」

「カイルくん……」


 出撃前にカイルと同じような不満を嘆いていたアルテノーラも、今は彼の収まらない剣幕に狼狽えている。そんな彼女とカイル達を、メイアが交互に見ていた。

 実際、ここで自分達にできることは二つに一つも同然だった。

 深追いしてここで未調整たちと共に散るか、ぬるい仕事を終えて生きたままアルズの乾いた視線に晒されるか。



 ――カイルが言っていることも、内心では皆、同意だった。何度も自分達で考えて、最後に辿り着く答えはいつも同じ――そして、納得できないままだった。

 前回の計画が上手くいかなかったことに、アルズは心底不愉快になっている。だが、カイルたちに暴力を振るったわけでも、暴言を浴びせたわけでもない。


 もっと〝直接的〟に――『ベッドルーム』の氷柱の中で、四人がデータの調整を受けている最中。別の場所で治療のために眠っているアルズの感情が、データの流れに割り込んで四人の中に流し込まれた。


 『みんな負けたのは僕のせいだと思ってる?』『みんなで僕のこと懲らしめようと思ってる?』『だから僕が失敗するまで黙って眺めてたの?』『みんなのために頑張ったのに』『みんなも僕にあれをやるの?』『四人でやれば僕一人なんて簡単に**できるもんね』『僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕』『みんなみんなみんなみんなみんなみんなみんな』『あれあれあれあれあれあれあれあれ************************』

 

 こちらの理解を待つことなく、直接脳をこじ開けて叩き込まれるかのように、研磨されないままのアルズの感情が押し寄せてきた。

 『あれ』だの『**』だの、 言葉にならない、しかし五感に焼きついた忌まわしい映像と感触。アルズが最も忌避する記憶と感情、その片鱗を、彼らは強制的に擬似体験させられた。

 

『僕はこれほどの絶望を味わったんだ。それでも君たちのために今もこんなに頑張ってるんだ。

 なのに僕が一度でも失敗したら、君たちも僕を否定して――**するのか』


 アルズは失敗した結果以上に、その先に起こることを骨の髄から忌み嫌っている。

 そしてカイルたちも彼を責めたいわけではない。むしろ、アルズが苦しんでいるなら「救わなければならない」という気持ちさえある。


 アルズが大好きで、彼の味方であると伝われば、きっとまた褒めてもらえる――その希望があるからこそ、特にカイルは功を焦るのだ。

 だが、ジュディエだけは気づいていた。今のアルズに、誰かを褒める余裕など、どこにも残されてはいない。



 様々な感情がくすぶって思考がままならない氷人形たち。

 だが――ただ一人、メイアは視線を落とし、冴えた眼差しで何かを考えている。そして彼女は顔を上げた。


「――カイルくん」


 やけにはっきりと通る、揺らぎのないメイアの声だった。呼ばれたカイルだけでなく、ジュディエとアルテノーラも揃ってメイアを見る。


「メイア……?」

「わたしがやるよ」


 戸惑うカイルとは対照的に、メイアの顔には迷いがなかった。


「わたしの力なら、まだ残ってるチビたちみんなを役に立ててあげられる。

 全員分集めれば、あの子供たちを……ううん、この戦場一つくらい簡単に吹っ飛ばせるよ!」

「それは……そうかもしれないが……」


 いつもは会話を事務的に切り捨てるジュディエが、「理論上では確かにそうだ」と理解を示す。同じくらい珍しく、メイアをそのまま行かせるのを複雑に感じているようだが。


「わたしもちゃんと考えて、だから気付けたんだよ! こうすれば勝てるんだって!」


 高揚した声には、自信と決意が宿っていた。ひらめきによって気持ちが昂っているのだろう。メイアはすっかりやる気に満ちていた。

 だが、メイアが口にした一言で、アルテノーラは顔から色を失う。


 ――『あんたも突っ立ってないでどうすればいいかもっと考えなさいよ!!

 それとも本当にヘラヘラすることしか能がないの!?

 ここで勝てなかったらあんたのせいだからね!!』


 出撃前、確かに、アルテノーラはそう言った。


「わ、私はそんなつもりで言ったんじゃ……

 アルズはもう戻っていいって言ったんだし、死なずに済むならそれでいいじゃない……!」


 出撃前、極端に不安定になっていたとはいえ、その場にいたメイアにきつく当たった。本気で憎んでいたわけじゃない。ただ、自分の苛立ちをぶつけてしまっただけなのに――。

 まさか今、それを真に受けたかのようにメイアが動くとは思っていなかった。反射的に言い訳が口をつく。責任を問われたわけでもないのに、追い詰められるような気持ちだった。


 だが、メイアの中にあるのは、アルテノーラでも過去の言葉でもない。彼女はただ、自分で選んだ答えを信じて、前を向いているようだった。


「でも……わたしたちは確かにみんなでやりきったのに、なかったことになるなんて嫌じゃん!

 やれる方法があるなら、やっぱりわたしたちならできるってことだよ!!」


 今のメイアは、いつものメイアとは明らかに違う。

 いつもは誰かの指示や考えに同乗し、賑やかしのように笑ったり、怒ったり、攻撃したりして、仲間としての一体感――そんな享楽に満たされていれば、他は何も考えていなかっただろう。

 こんなにもメイア自身のはっきりとした言葉で、自分の考えを主張することがあっただろうか。


「だからみんなはアルズの傍にいてあげて」


 勇んでいたメイアが、不意に、ふわりとした柔らかい笑みと声で言った。

 直前までとはまた別の意味で、彼女はこんな雰囲気だったかと、三人は不思議に思う。だが、〝子供の頃から〟確かにメイアは、こんな少女だった気もする。

 その印象をなぞるように、幼いメイアのノイズじみた映像が――一瞬、目の前の彼女とおぼろげに重なって見える。



「カイルくん」


 今度は優しい声で、もう一度カイルを呼んだ。彼の方へ歩み寄り、伸ばした腕を背中に回す。


「カイルくんがたくさん頑張ったこと、わたしはちゃんと知ってるから。

 終わったらまた遊ぼうね」

「……メイア……」


 まるで幼い子供が、さらに小さな子供をなだめるように言った。メイアのその声色にカイルは落ち着きを取り戻し、されるがままに抱きしめ返す。

 いつもなら、じゃれ合うような二人を鬱陶しがるアルテノーラとジュディエも、今回はそっと静観している。

 だが、メイアはすぐにそっと腕を解き、カイルから一歩下がる。


「じゃあ行ってくる!!」

「メイア!!」

「待ってよ!」


 笑顔を最後に、メイアは〝未調整〟たちのいる戦場へと走っていく。

 カイルとアルテノーラがメイアを引き止めようと追いかけ、手を伸ばすが……


 その時、視界の端で王国騎士団の神具が放たれ、砲撃の閃光が眼前を横切る。まるで、戦場に行ったメイアと、森に残る三人を隔てるように。

 《影》を滅するその威力に触れぬよう、寸前でジュディエが二人の襟首を掴み、後方に引き戻す。

 砲撃が通過した後には煙と砂塵が巻き上がり、辺りを覆い尽くす。

 視界は真っ白に染まり、メイアの姿も、もう見えなかった。



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