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第03話 白の青年-3

既に投稿していた第3話を再度パート毎に分割投稿したものです。

内容は最初の投稿と同じです。(一部誤字脱字の加筆修正をしています)

 十六時十分。

 日も傾いてきた時刻。アイとアルズは無事に図書館に辿り着いていた。赤茶の煉瓦の壁と黒金の格子、そして大きな黒い扉を斜陽が黄金色に照らす。荘厳な雰囲気の大きな洋館のようでもある建物に圧倒され、アイは呆然と見上げていた。


「間に合って良かったぁ。じゃ、入ろうか」


 そう言って玄関に進んだアルズは、重い扉をゆっくりと開いた。

 中は光が抑えられた落ち着いた陰りで洗礼され、並んでそびえ立つ本棚の木の匂いと、そこに収められた本たちの紙の匂いが静寂と一体化している。靴音を受け止めるマットの音、ページをめくる乾いた音。いかにも知性的な空間にアイは緊張する。


「僕は本を返してくるから、アイは《救世主》の本を探してくるといいよ。さらに奥の西館に歴史の本の部屋があるから」


 アルズは傍の額に設置されている館内地図を指しながら説明する。後でアルズも歴史の部屋に来ると待ち合わせをし、受付に返却へ向かう彼と別れアイは西館へと向かった。



 アルズの説明と館内地図を頼りに歴史の部屋に辿り着いたアイは、その中の《救世主》の本が並ぶ本棚を発見する。いくつか引き出してみると、やはりアルズが持っていた本の表紙と同じくあの鎧の青年が描かれている。


「《明星の救世主》……アステル……」


 中をパラパラとめくってみれば、アルズから聞いた伝説を現実の歴史に即して考証しているものや、《救世主》の生い立ち、彼に関わりのある土地についてなど、本によって様々なことが書かれているが、共通しているのはどれも決まり文句のように《救世主》を当時の生き神のように讃える文言が散見される。

 アイの知識に置き換えるならば、日本列島を丸々救った有史以来一番の有名人といった所だろうか。それはそれで現実離れしていてやはりピンとこないが。だがアルズの言っていたようにおとぎ話として考えれば、桃太郎や浦島太郎を子供の頃から誰でも知っているのと通ずるのかもしれない。彼はその実在するモデルということか。



 本を数冊ほど読み耽っている間に、気付けば一時間は経っていた。

 また新たに別の本を取ろうと、とある一冊を引き出した時。

 その本の表紙には《救世主》だけでなく――長い金髪に藍色の瞳、純白のドレス、そして耳は白い羽の形をしているある女性の姿が描かれていた。


「……あれ、この女の人……どっかで……」


 《救世主》以外の人物が現れたこともそうだが、アイは目に映ったこの女性を初めて見た気がしなかった。元の世界の記憶もなく、この世界のことはまだ何も知らないアイにとって、自分の記憶を刺激するものは極めて少ない。前から知っているような気もするし、つい最近にも心当たりがある気がする。


「金髪で……青い目の……白い……」


 記憶を手繰り寄せようと一つ一つの情報を確認していく。

 しかし――それを遮るかのように、アイの右手の輝石がひりついた熱を発した。


「あっつ!」


 思わず手を振り上げてしまい、本が床に落ちた。反射的に左手で右手の甲を押えるも熱は一瞬で収まったが、突然の異変にアイの頭の中は軽くパニックになる。とりあえず落とした本を拾おうとしゃがみ込む。



 視界の端に、違和感のあるものが入り込む。

 気が動転しているせいかもしれない、と思いながらも、アイは恐る恐るそちらの方へ顔を上げた。

 本棚と本棚の間の通路。とある利用客が隣の本棚へ移ろうと通路に出た時だった。その客の後ろから……ついてくるように、床を這う影が現れた。

 それは影としか言い様のないほど、黒くて曖昧な輪郭の、謂うならばシーツのお化けが黒くなったかのような異形の物体が動いている。やがて前にいる客が気付く様子もないまま追いつき――背後から覆い被さり、人を飲み込んだ。そして何事もなかったかのように、影はそのまま這っていった。

 何だ、今のは。

 自分が知らないだけなのか。だが全身が強張り本能的に警鐘を鳴らしている。その答え合わせかのように、あらゆる場所から異形が現れ、しかし人には認識できないのか、この部屋にいる人々に近づいてはあっけなく飲み込んでいく。それなのに何故かアイにはそれが見えていて、反対に異形には全く見向きもされない。

 何が起こっているのか。もしかしたら幻覚なのか。アイの頭の中で混乱が渦巻く。そんな中、はっとあることを思い出す。――アルズもこの部屋に来ると言っていた。もうすでにこの中にいるのか。数体の異形が徘徊するこの場所に――

 アイは咄嗟に立ち上がり、通路を走りながら叫んだ。


「アルズ! いるのか!?」



 図書館で走り、叫ぶなど御法度だが、それを咎める者などこの部屋にはもう誰もいない。アイもなりふり構わず本棚で仕切られた部屋中を駆け回りながらアルズの名を呼び続ける。やがて本棚のない広い空間に辿り着いた。茶黒い長テーブルと幾つかの椅子。窓際にもカウンターテーブルと椅子が備えられ、窓から差す光が幾何学的に壁を照らす。本を読むための場所。

 窓と窓の間の柱に、手をついて蹲っている白い髪と白い服の人物――アルズの姿があった。


「アルズ! 大丈夫か!?」


 異形の影響を受けたのか、気だるそうに頭を垂れたまま壁についている手でなんとか体を支えている。呼吸も苦しそうに荒い。アイはアルズの前にしゃがみ込み、彼の肩に手をかける。


「この場所ヤバイよ! 早く出ないと……アルズ!」


 肩を揺らしながら大きな声で呼びかける。すると、重そうに顔を上げたアルズと目が合った。彼の意識が残っていることに安堵したアイは笑みがこぼれ、それを見たアルズも静かに微笑む。



「やっぱり君は……優しいなぁ」



 瞬間。

 アルズは肩に置かれていたアイの右手を掴み、突然立ち上がると同時に身を翻してアイの体を柱に叩き付けた。掴んだままの右手と、もう片方の手で掴んだ肩を柱に押さえつける。打ち付けられた痛みがアイを襲った。


「いっ……!?」

「アイ……やっぱり君は《救世主》にそっくりだよ……その面影も、優しさも……この右手の輝石も……!!」


 声を震わせながらうわごとのように呟くアルズ。右手を掴む力がさらに強まると共に、最後に吐かれた言葉でアイはさあっと血の気が引いた。


「なんで……アルズがそれを……」


 輝石を隠している手袋は、彼の前で一度も外さなかった。そのことを話してもいない。

 なのに、何故か彼はアイの右手に輝石があることを知っている。真正面から見下ろしてくる、影が落ちた場所でも構わず光るアイスブルーの目が、今は恐ろしかった。

 彼の浮かべている笑みはあんなに穏やかだったはずが、今は悪意や狂気にすげ変わっている。明らかに様子がおかしい。もしかしたら、今まで遭遇した魔獣達のように黒いもやに取り憑かれているのか。


「アルズ…! しっかりしろ! こんなこと――」


 気付けば、周囲に異形達が集まっていた。他の人々のようにアルズを取り込もうとしているのか。しかし――

 ――異形達は、まるでアルズに何かを乞うように背後で大人しく待っている。



 アルズに従っている。



 それに気付いたアイは目を見開き、言葉を失った。肩を押さえていたアルズの手が不意に離れ、その手のひらがアイの胸元に押し付けられた。


「やめ……離せ……!」

「本当に嬉しいよ……君と友達になれて」


 逃れようともがくアイを見下ろすアルズの口元が歪に綻ぶ。彼の手のひらからアイの体に禍々しく激しいエネルギーが打ち込まれた。


「うわああああああああああああ!!」


 エネルギーは絶えずアイの中に流し込まれる。瞬く間に体中を駆け巡り、内側でバチバチと弾ける。それを拒むように右手の輝石が光を明滅させる。

 もがき苦しむアイの耳元で、アルズが囁く。


「だから……僕達と一緒に来てよ」

「嫌っ……だ……! 離せ……うあああああ!!」


 アルズの手を振り解こうと彼の手首を掴むが、大人相手に子供の力ではまるで意味を成さない。アイの悲鳴がいくら図書館中に響こうとも、そこにはもはや彼ら二人以外、誰もいない。


「痛いのは今だけだから……影と一つになれば……必ず君達にとって最善の場所に連れて行ってあげる……!」


 朗らかだった声は、冬の夜風の如く不気味に震えている。昂揚を表すかのように、アイスブルーの目が光る。これが本当のアルズで、今まで自分を騙していたのか。だが、あれが計算した演技とは思えないほど、今の彼が口走っていることは支離滅裂だ。


「うあっ……ああ……」


 そうしている間にも、体の随所の感覚が奪われていく。まどろみの心地良さにも似た虚脱感が――アルズの言う〝影〟が、体中を支配する。このまま意識を手放してしまったら自分はどうなるのか。そんな恐怖がまぶたの裏を覆い、そしてまぶたは無情にも閉ざされた。

 十七時十三分を指す時計の針だけが、図書館内に響いている。




* * *




 十七時十三分。

 鋭い痛みがヨータの体に走り、短い呻き声と共に反射的に左の首筋を抑えた。


「ヨータ、どうしかした?」

「……いや……」


 ひと足先に宿に戻っていたヨータが、カナと共に仕事の書類の整理をしている所だった。ベッドに腰掛けているカナの横には仔竜獅子が体を丸めて眠っている。そんな時、デスクの椅子に座っているヨータが一瞬椅子の音を大きく鳴らした。


「悪ぃ、ちょっとバランス崩しただけだ」


 そう言ったヨータにカナは心配そうな顔をしながらも、書類に視線を戻す。しかしヨータの胸のざわめきは激しくなる一方だ。しばらくは起こらなかったからか、慣れているはずのこの痛みがやけに恐ろしい。痛みを握りつぶさんと、襟で覆われている首筋に爪を立てる。

 いや、恐ろしいのは痛みではなく――これは、胸騒ぎか。だとしたら何に?



「……あいつら遅ぇな」


 カナに聞こえない程の小さな声で、独り呟いた。直後、ヨータは椅子から立ち上がる。


「あー、街の郵便局に忘れ物したかもしんねぇ。今のうちに取りに行ってくる」

「えー、今から? アイもジフもまだ帰ってきてないのに」

「一番近い区画の郵便局だから、食堂の晩飯までには戻ってくるよ」


 何気ないふうに取り繕って、ヨータは出かける準備をする。怪訝そうな顔で見送るカナを背に、それらしいことを伝えて部屋を出た。




* * *




 十七時十五分。

 黄昏に染まった図書館では、柱に押さえ付けられたままのアイが、意識を失いぐったりとしていた。幼い寝顔にも見えるその顔を見つめ、アルズは満足そうに笑みを浮かべる。

 だが――故に横から迫る〝それ〟に気づかず、直後アルズは肩を掴まれ思い切り殴り飛ばされた。背後の椅子にぶつかりながら床に倒れ込む。


「アラストル……テメェ……!!」


 名を呼ばれたアルズは、興を削がれて無表情になりながら痛みが響く頭を上げる。



 そこには、膝をついて腕の中にアイを庇いながら、憎悪に満ちた目で睨む、ヨータがいた。



 彼の姿を視認したアルズは次第にまた笑みを見せる。しかしその目は笑っていない


「……久しぶりだね。まさか君の方から来てくれるなんて」

「お前……アイに何した!?」


 面白おかしな笑みと、憎悪の眼差しが向かい合って交差する。


「何って……君が一番よく知ってるだろう」


 アルズはさも当たり前のことのように答える。現に彼らはお互いのことを知っているのだから。


「この場所に気付けたのも、そんなにアイが大事なのも、君だって同じ理由だろう?」

「ふざけてんじゃねぇぞ!!」


 淡々と語るアルズに激昂し、ヨータは声を張り上げる。その怒りを表すように、彼の金色の右目が鮮烈に光り出す。

 まるでその光に引き寄せられるように、彼の周囲の空気が黒くざらついたもや――禍々しいエネルギーに変わり、次第にうねり出す。彼らの前に控えている影の異形達が、自分達に似たものを感じてか、闇夜にさざめく黒い木々のように体を揺らし始めた。

 これは、まずいな。冷静にそう判断したアルズは、上半身を起こし両手を挙げて無抵抗を示す。


「そんなに怒らないでよ。僕はもう消えるから」


 アルズの言葉に従い、異形達の体がおもむろに崩れ落ちて消えていく。床には異形に取り込まれていた人々が倒れ伏している。アルズは両手を挙げたまま静かに立ち上がった。


「……君も大きくなったね」


 独り言を呟く。やがて足元から黒い霧の渦が立ち上り、アルズの体を覆っていく。

 ――「またね」。霧に覆い尽くされる間際、アルズの口元がそう動いたように見えた。程なくしてアルズを包んだ霧が霧散し、そこにはもう彼の姿はなかった。



 異形の気配はすっかり消え去った。ヨータの右目の光も収まっていた。床に残された人々も、今はただ気絶しているだけのようだ。そして、ヨータの腕の中のアイもいまだ目を覚まさない。

 それでも微かに聞こえる彼の呼吸音が、憎悪で埋め尽くされかけたヨータを安堵させた。

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