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第18話 フォルティリゼイナ帝国-4

 アイは無事に離宮に戻ってきた。壁の向こうからは女子部屋の雑談に花を咲かせる賑やかな声が時たま聞こえて来る。ガリュマはすっかり女子部屋の人気者になっているようだ。


 先に戻っていたショウが部屋に入ってきたアイの赤らんだ顔を見てやはり心配されたが、リオウに教えられた通りに誤魔化した。

 アイは荷物から取り出した一冊のファイルを取り出し、ローテーブルに広げる。このファイルは、ヨータがこれまでの運び屋の仕事で必要な資料をまとめたものだ。かつて彼に仕事を教えてもらった時に、こまめに整理するよう言われていた。運び屋業を縮小してからも習慣化し、旅先で書類が増えるとこうして整理をする。


 やはりこうして手を動かしていると、頭の中がすっきりする。ほとんど手癖(てぐせ)化した作業で雑念が消えかけた……のだが。ふと、開いた過去のページが目に留まった。


「……あれ? バロディノーギア王都の資料が前にもある?」


 古い日付の手記と、数枚の写真。この手記はヨータの文字だ。アイはついその資料を読み耽る。



 そうして数分ほど経った。はっと我に返ったアイは、部屋の掛け時計に目を遣る。


「そういえばジフの奴、なかなか戻ってこねーな」

「エスペル教団も国際会議に参加してましたから、組織内での報告事項が多いのかもしれませんね」


 ショウはそう言いながら、彼は彼でアイと向かい合わせのソファーに座って新聞を読み漁っている。知識のためというより、純粋な好奇心で世間話や雑学が好きらしい。そう聞くとアイの元の世界でひっきりなしに流れるトレンドを追う学生達とそう変わらないのかもしれない、なんて思う。


 そして隣の女子部屋とは対照的に、ショウは同じ部屋だからと言って過剰に距離を縮めようとはせず、しかしアイが気まずくない程度に自由なことをして過ごしている。先程リンも言っていたが、ショウは品行方正で社交的であると同時に、彼自身はあまり人とべったりくっつかず開放的な環境を好んでいるようだ。


「――あ、でもこれはショウに聞いた方がいいかもしんない。

 ジフに言ったら余計に怒らせちゃいそうだし……」

「僕にですか?」


 思い出したようにアイに名を呼ばれ、ショウは一旦新聞を閉じてソファーの上に置く。


「ショウを物知りなカンティル族と見込んで聞いてみたくて。

 あんまり楽しい話じゃなくて悪いんだけど……資料館で歴史の話をしただろ。

 そこで言ってた、革命派への差別って……具体的にどんなのだったか、ショウは知ってる?」

「……そうですね。僕も文献や長老達からの伝聞で知った話ですが……」


 さすがは智と歴史の眷属カンティル族といったところか。ショウが旅に加わってから、疑問を口に出せばその場でショウが答えてくれるようになった。特にジフは兵士として常時周囲に注意を払う役割上、ショウのおかげで負担が軽減されたように見える。



「まず、帝国には『イマジニクス』と呼ばれる超能力を持つ人が、稀に存在します」

「イマジニクス?」

「はい。通常ビテルギューズ大陸で魔術を使うには、まず魔力を抽出します。

 大気中に漂っているものや、星零石として結晶化しているもの。それらに道具や術を使って魔力を吸い上げるんです。

 さらに抽出した人の星座……魔力元素と掛け合わせて、効果が作用する魔術になります」

「あー、南支部にいた頃にリオウ達にみっちり教えられたなぁ」


 ショウの説明がアイの知識と一致する。今こうしてスムーズに理解できるのは、南支部でのスパルタ教育の賜物であった。


「ですが――イマジニクスは、そもそも魔力を抽出したり、星座を介する必要がないんです。

 自分の体から直接、超常的な力を放つことができます。

 術というよりは〝体質〟と呼んだ方が近いそうです」

「へぇっ!? そんなことできんの!?」


 初めて知る情報が出てきた……と思ったが、ふとアイの中で、既知の知識と重なる部分に気付く。


「あっ、でも、星座を介さない、ってことはそれって……」

「アイくんもご存知ですかね。

 所謂『未確認魔力体』、所によっては『ニンゲン』と呼ばれている人達のことです。

 あまり良い意味ではありませんが……」

「そういうことだったのか……」


 知っているも何も、アイは元々当事者だった。アイがこのビテルギューズ大陸で目覚めた当初、ジフ達教団から嫌というほど『ニンゲン』と連呼されていた。

 当時は「星座が紐づいておらず、魔力の働きが未知の状態にある生命体」という意味で教えられ、実際にアイも大星座の力が覚醒するまではこの状態だった。


 何故わざわざ『ニンゲン』と区別されるのか、アイはいまだに不自然に感じていた。それがただの嫌悪を込めた呼び名ではなく、明確な正体がいたからだと判明した。


「当時、《影》が消えたばかりの疲弊した大陸で、何故革命派があそこまで勢力を成すことができたのか。

 さらに戦争に敗北して尚、独立した国で飛躍的に発展することができたのか。

 それがつまり、イマジニクス達の能力によるものだったんです」


 アイが話について来れていることを確認しながら、ショウは説明を進める。


「イマジニクスの力があれば、魔力や星座と言った、《神》からもたらされる恵みに依存しなくても、大陸の大地で繁栄していける。

 それがわかった人達の自立心が強まっていきました。

 例えば『豊富な資源が眠っている場所をセンサーのように特定する』、

 『災害級の悪天候が来ることを予知し、事前に避難や防波堤の準備を促す』、などですね」


 ショウの具体的な例えで、アイも生活の身近な部分でのイマジニクスの活躍を理解する。


「ただ《神》から自立するということは、《神》への感謝といった信仰が弱まるということ……

 せっかく復興した大陸に、《神》や《救世主》の信仰を残そうとしていた教会は、当然快く思いません」


 説明の中で挙がった教会の名に、アイは出たか、と息を呑む。心なしかショウの表情も引き締まった。



「ここからが本題です。革命派が擁するイマジニクスの台登をきっかけに、どのような差別が広まったのか。

 例えば……革命派の発祥である、今のフォルティリゼイナ帝国に位置する東の地で、マンダロッソの実の農園をしていたとします。

 西の商人がマンダロッソを輸入するため、東の農園から買い取る場合。西側は六百ダイスで買いました。

 そして西側の店に並べられたマンダロッソを、改めて東側の人が買う場合、千ダイス取られるんです」

「えぇ? つまり作った側なのに店で買う時、自分が売った時より値段が高いってこと?」

「はい。国家間の貿易で正式に取り決めが為されたのが始まりで。

 商人などの東側と関わる機会がある人達も、自分まで教会に目をつけられないよう、東の人達に明確な〝区別〟をし始めたんです」


 経済にはまだ詳しくないアイでも、ショウの例え通りに計算すれば明らかに釣り合いが取れていないことがわかる。似たような原理の問題を元の世界で聞いたことがある気がした。


「東側と言っても、その区別は最初こそ明らかに革命主義を掲げている人達に限定されていました。

 革命に賛同しているわけではない人達は、こんなのじゃ生活していけないと東の地から移住する人も出始めます。

 問題はその後から……」


 これから説明することを頭に思い浮かべ、ショウの表情が曇る。


「革命の活動に加担するわけでもなく、ただ普通に暮らしている人達にすら、『東の地に残っているのは賛同しているのも同然だ』と言われ始めます。

 じゃあそれで別の土地に移ったとしても、『こいつは東の地から来た』『こいつは革命派に担がれてるイマジニクスだ』と広められるようになります。

 当時の人々にとって、革命派だとはっきりわかる方がまだマシでした。

 〝どちらなのかわからない人〟の方が、よっぽど危険視されていて……」


 ショウの表情は、さらに険しくなっていく。


「革命派と無関係だと認めてもらうには……郷に従って、差別に加担すること。

 もし上手く証明できなかったら……差別される側になる。

 差別されている人を庇ったり助けるのもご法度で……

 どんなに理不尽な目に遭っていても、〝自分で自分の身を守れなかった自業自得なんだ〟と言われるんです」

「………………」

「最初は何の嫌悪も持っていなかった西の人が、証明のために東の人を切り捨てたり……

 東から来た人同士で暴行する側とされる側になったり……

 最悪の場合、気に食わない相手に「東から来た」という濡れ衣を着せて、何の関係もない人が集団に攻撃されたり――」


 明細に語られる光景を想像し、アイとショウの表情が沈んでいく。聞いているだけでもその場で遠巻きに眺めているようで、当時は現実で行われていた。いつの時代でも人の世では十分起こりうることなのだ。そう考えると、アイは気分が悪くなった。


「もうどう見ても主義や理念のぶつかり合いなんかじゃなく、

 助けてもらえないと決まった人達への、ただの憂さ晴らしの捌け口が横行していた。

 耐えかねた革命派は、自分達側についたイマジニクスや、以前より収集していた聖国の遺産の力で兵器を強化し、

 それを、教会の本拠地がある西側に向かって……発射しました」


 そして差別の結末は、資料館で教えられた史実へと収束した。


「……そういう差別と戦争の生き残りが……今の帝国」

「……はい。戦争は最終的に西側が勝ちましたが……

 大陸規模の集団ヒステリーが広がる発端になった教会が見逃されるわけにもいかず、組織の解体処分になりました。

 その処分を下したのが、当時のバロディノーギア国王です。

 だから王国は今でも帝国を差別するつもりなんてないはずなんですが……」


 ここまで理路整然と話していたショウも、その先は言葉に詰まってしまった。

 差別を受けた者とそうでない者。戦争に勝った者と負けた者。完全に道が分たれた者達が、今なお同じ大陸で生きている。

 それがいまだ歩み寄りも出来ていないまま、《影》や異常現象という共通の脅威によって、同じ協議のテーブルにつかざるを得なくなっただけなのだ。

 「憎しみは何も生まない」「共通の敵が現れれば」と言うには、人の心はあまりに脆く複雑で、すぐには変われない。


「そこまでの差別を始めたのが、エスペル教団の元になった教会で……

 ……でも、今のエスペル教団の一番偉い人は、自分達の信仰で起きたことを、ちゃんと責任持って解決しようとしてるって、さっきリオウが言ってた。

 ジフだって最初は確かにキツかったけど……一緒に戦って、俺のことを知ってからは認めてくれたし、何度も助けてくれた。

 ラスティだって元々ああいう性格な部分もあるだけで、今は普通に話してくれるし……

 ジフ達は理由もなく他人で憂さ晴らしするような奴なんかじゃ……」


 反芻しながら、アイは元の世界で歴史の授業を受けていた時の景色を漠然と思い出す。

 自分だって、生まれ育った国の歴史なんて、机に広げた教科書と、先生が書く黒板の板書くらいでしかよく知らない。それも自分が生まれる何十年も前の話で、アイ自身の環境が生殺に関わったことは一度もない。

 そんな自分がもし突然指を差されて、自分の暮らす国やコミュニティを激しく糾弾されたとして、まともに何か答えられただろうか。

 ――あの日、資料館でアイがジフにやってしまったのは、そういうことなのだ。


「俺……もっとちゃんとジフと話そうと思って……

 この前資料館で話を聞いた時、みんなの前であんなこと言っちゃって……」


 当時の差別の実態を知り、誰が悪いのかを一言で決めるのがいかに短慮であったか、アイはじわりと気付き始める。

 気を落とすアイを見ながら、ショウは考える。


「僕は当時のような差別を経験したことがないので、こんな他人事のように言えるのかもしれないのですが」


 アイの直情的な発言に合わせるわけでもないが、ショウにしては遠慮のない前置きだった。


「イマジニクスや、《救世主》、もとい大星座……それらの呼称が定義される時期がもっとズレていたら……

 もしかしたら大星座の能力も、イマジニクスの一種と言える時代があったのかもしれないし……

 それが区別のし方一つで、ここまで人々が分断されるようになるのは、なんというか……」


 観測者たる一族の感性だろうか、信仰すらも俯瞰して実体を見直すショウの言葉にアイははっとさせられた。

 よくよく考えれば大星座の信仰は、《救世主》となったアステルありきのものだ。もしアステルの存在が歴史に刻まれず、大星座の力が世に広まらなかったら。今頃ショウの言ったような世の中になっていたかもしれない。

 もしそうなら帝国の元帥とレオナ王子や、アイとジフも、もっと違う関わり方ができていたのではないか。考え出したらキリがないのはわかっていても、自分達ではどうにもできない部分で決定付けられた違いに、遣る瀬ない気持ちになる。


「……こんな生意気なことばかり考えてるから、最終的に村から追放されるんですけどね」

「いや……でも、ショウの言うこと、俺もなんとなくわかるよ」


 やはりショウはアイの少し年上とは思えないくらい聡明で、強かなだ。故に相変わらず急にぶっ込んでくるなぁとアイは一瞬たじろいだ。それでもアイには上手く言葉にできないモヤモヤを口に出してくれるのは有り難かった。


「話を戻すと、イマジニクスの能力を持つ人は現代にも存在します。

 当時ほどの差別はなくなりましたが、それでも差別を受けた人の末裔も残っていて……

 そういう人達はイマジニクスの居住に寛容な帝国に集まっています」


 ショウは念を押して、帝国の在り方をアイに言って聞かせる。


「これから旅を続けて各地を回るとなると、僕達もいつかイマジニクス本人や、その関係者と会う時がくるかもしれません。

 特にどう態度を変えろというわけではありませんが……

 そういう歴史があったことを知っているのと知らないのでは、だいぶ違うかもしれません」

「うん、わかった。やっぱりショウに聞いて良かったよ。

 物騒な話させてごめんな」

「大丈夫ですよ。僕ら一族の知識がお役に立てたなら何よりです。

 それにアイくんはいつも人のことをちゃんと知ろうとしてくれますから。

 アイくんとジフくんなら、腹を割って話ができると思いますよ」


 穏やかに笑って告げるショウだったが、不意にその表情に翳りが差した。


「僕も……姫様には、僕がアイくん達の旅について来た本当の理由……

 僕が村で起こしてしまったことを、まだ話せていませんから……

 いつかはちゃんと……話さなければいけないと思っています」


 今やすっかりアイ達に頼られているショウにも、悩み続けていることがある。昔馴染みとして純粋に慕ってくるリンに、いまだ明かしていない隠し事。アイは彼の本音ごと、胸の中で呑み込んだ。




* * *




「あぁ~食堂でちょっとつまんじまった~

 女子部屋が昼飯の話で盛り上がってたのに先につまんだって知ったらなんて言われるかなぁ~」

「間食程度ならきっと大丈夫ですよ。

 女の子より男の子の方が食べ盛りって言いますから、

 お昼ご飯の頃にはすっかりまたお腹が空いてると思いますよ」


 アイとショウは王城の廊下を歩いていた。

 ジフが部屋に戻ってくるより先に、待っていたアイの腹が鳴り出した。しかし昼飯時というにはまだ中途半端な時間だった。

 「王城の食堂で軽食が食べられますよ」とショウに提案され、空腹に屈したアイは賛成し、二人でこっそりと食堂に向かった。

 食べ切りサイズのフリット――要するにホットスナックの唐揚げ――を買い、証拠隠滅と言って食堂のテーブルでショウと二人で完食した。なんだかアイが元の世界にいた頃、学校の帰りにコンビニで買い食いしていた時のことを思い出した。


「それにちゃんとお腹が空くのは元気な証拠ですから」

「まあそれもそうだよな~」


 離宮へ戻ろうと並んで歩くアイを、ショウが横目で見遣る。離宮に戻ってきた時のアイの目元が腫れていたのは、庭園の花粉のせいだけではないとショウは悟っていた。お腹をさすって満足げな顔をしているアイに、静かに安堵する。

 そんな二人の向かい側から歩いてくる人影があった。


「――あっ、ジフ!」


 離宮の方へ向かっているジフが、呼びかけるアイの声に気付いた。アイの顔を視認するや否や、ジフは眉を顰める。


「食べカスを付けたまま王城をうろつくな」

「えっマジかよ」


 第一声がそれかとアイは思いつつも、女子に見つかる前に指摘してくれたのは幸いだったと食べカスを取る。立ち会っているショウからもジフに尋ねる。


「教団の報告は終わったんですか? 随分長かったですね」

「王国の王族だけでなく他国の重鎮も大勢集まっていたとなると、

 俺達の隊に限らず上層部からの報告や今後の注意事項も山積みだったな……

 さっさと終わるつもりが思ったより長引いた」


 神経を使う物々しい話が続いたのであろう、流石のジフも疲れが顔に出ている。

 それを見て遠慮しているのか、本来ジフと話したがっていたアイが躊躇いがちにもじもじとし始める。それぞれの様子を交互に観察していたショウが口元に手を当てて考える。


「そう言えば僕、長老の信書の件について王城の方とお話があったので、少しそちらの方に行って来ますね」


 ショウは思い出したように手を挙げ、爽やかな笑みを浮かべてアイとジフに告げる。その場から立ち去る際にアイの肩を叩いて小さく頷き、二人を残して歩いて行った。

 呆然と見送っていたアイもようやくショウの意図を察し、そわそわしながらジフに切り出した。


「ジフ……あの……こないだはごめん」

「何が」

「えっ? いや、ほら……資料館で歴史を教えてもらってた時に……」


 あまりに短いジフの返事に、しょぼくれていたアイは思わず彼を二度見して聞き返す。まるでアイの方が様子がおかしいと言いたげな目で見てくるジフに、焦りからくる手振りを付けて先日のことだと説明した。


「それくらいのこと、一々気にしてない。

 人前で……しかも王族の前で、個人的な感情を抑えられなかった俺にも問題があった」

「でも……俺はジフが何が大事で、何が嫌なのか、ちゃんと知っておきたかったから……」

「相変わらず他人に対して甘ったれだな。

 顔色ばかり伺ってなんでも自分から譲歩してたら舐められるぞ」

「謝ったのにそんな言う!?」

「まあいい。あの程度のことでお前を憎く思ったりなんかしてない。

 お前も変な気を回さずにいつも通りにしてろ」


 思っていたのとはだいぶ違う様相の会話になってしまったが、ともかくジフは腹を立てていないようだ。ある意味いつも通りの彼らしい態度にアイは胸を撫で下ろす。


「わかった……そうする。

 それで……俺、ジフにその……聞いて欲しいことっていうか、相談したいことがあって」


 ちゃんと仲直りできるだろうかと緊張していた謝罪を済ますことができたアイは、リオウの助言を思い浮かべながら次の話を切り出す。


「ジフはさ、今の俺やカナみたいに、自分の親も頼れる大人もいないわけじゃん。

 いや、リオウはすごく面倒見てくれてるけど……自分一人だけ甘えるっていうのはできないし。

 そういう環境で、仕事とかですごく辛いこととかあった時、ジフってどうしてんのかなって」

「戦闘の特訓で体を動かして無駄なことを考えないようにする。

 能動的なことをしていれば、おのずと思考が切り替わるからな。

 もしくは……頭がスッキリするまで、とにかく寝る」

「なるほどなぁ……」


 訓練を積む兵士然とした実用的な答えにアイは感心する。一方ジフもこの頃アイが落ち込んでいるのを気付いていたのか、腕を組んで近くの柱に背をもたれ、アイがやけにかしこまって相談してきたことを思慮する。


「それで、今のが本題として聞きたかったわけじゃないんだろ」

「あー……うん。

 カナってさ……親はいなかったけど、そのぶんヨータが兄貴代わりで、父親代わりでもあって、

 だからカナは思ったこと何でも言うし、ヨータもカナにスゲー甘かった。

 ……でも……今は……」


 アイの言葉はそこで途切れ、視線を落としてしまったが、ジフとてかつてヨータの身に起こったことを知っている当事者だ。ジフは少し物憂げな表情を滲ませながら、何も言わずに続きを待った。


「カナがさ、言ってたんだよ。自分も戦えるようになりたいって。

 俺は最初〝そんな必要ない、カナはカナのままでいい〟って言っちゃってさ」

「要するにカナが甘えられる相手がいなくなったから、自分でやると言い出した……

 そうせざるを得なくなっているんじゃないか、と」

「……うん」


 言葉の端々からアイが気にしていることをジフが推察し、アイは頷く。そしてアイは何かを決意したような目をして顔を上げた。


「俺今からジフを怒らせるようなこと言うかもしれないけど」

「……ああ」


 よほど資料館での言い合いを気にしているのか、アイなりに自分の失言癖を反省しているのであろう事前の断りを入れる。


「ジフってさ、俺と同い年の子供なのに、バリバリ戦うし、何でもテキパキ考えて動くし、いちいち驚いたり怖がったりしないし、ほんとスゲーって思うんだ。

 でも、こう……もし、俺が記憶を無くす前みたいに、ジフにも普通に親がいて、自分で難しいこと考えなくても甘えられるような環境だったら……

 今頃ジフはどんな奴になってたんだろう、って……そういうことをふと考えちゃう時があって……」

「ああ」

「でも、カナに自分から〝戦いたい〟って言って言われて……

 俺のそういう……子供なのに大人に甘えられないなんてって考えは、ただの俺の押し付けだったんじゃないかって……」

「……なるほど」


 アイが普段、ジフを含めた周囲の仲間のことをどのように見ているかを聞き、ジフは腕を組んだまま思案する。


「つまり単刀直入に言うと、カナがそのうち俺みたいな子供らしくない冷血な奴に変わってしまうんじゃないかと不安になったということか」

「ま、まあ……その例えは極端に言えばだけど。

 その……戦うってことを置いといても、今のカナには甘えられる相手がいないから……大丈夫なのかなって……」


 やや殺伐さの増したジフの要約をやんわりと訂正しつつ、アイは思いを吐露した。ジフは再び静かに考える。


「言わんとすることは理解するが……まずハッキリ言っておく。

 カナがこれからどうするかはカナ自身が決めることだ。

 お前の言葉を聞いて参考にすることはあっても、それがカナの考えとどれくらい擦り合わせられるかでしかない」


 ジフはアイの相談を聞きはすれど、手放しに慰めはしない。それはアイの悩みを真剣に考え、現実との齟齬を埋める為であった。


「そしてそれと同じように、カナがどんなことを考えていようと、お前の中で感じたことをお前自身で否定する必要もない。

 だからカナが頷くかどうかは別として、力になりたいと思っているなら口に出して伝えておけ。

 力を貸してもらえるなら、カナもお前の意見を聞き入れる割合が少しは増えるかもしれん」


 それでも僅かながらにアイの気持ちを汲んだのであろう考えを、最後に加えた。こういう所がリオウの言っていた「困っている人を助けることに誰よりも真剣」というジフの気質なのだろうと、アイは納得する。


「うん……わかった。ジフらしい考え方だな。

 やっぱりジフに聞いてみて正解だったよ」

「……以前に比べて短絡的な思いつきで突っ走ることが減ったのは、俺も認めてやる」


 一度の衝突と理解を経て、一見悪口のように聞こえる言葉も互いに受け入れられるようになっていた。


「あー、あと……さっき〝ジフがもっと普通の子供だったら〟なんて言ったけどさ……

 俺は今のジフのことも好きだよ!」


 アイは照れ臭そうに頬を掻きながら、無邪気な笑みを見せて言った。

 たらればの理想ばかりを惜しむのではなく、今ここにいる彼と言葉を交わし、信頼しているのだと、好意を全面的に表す。


 ……のだが、そう告げられたジフは苦虫を噛み潰したように顔を引き攣らせ、異物を見る目をしていた。


「脈絡もなく気色悪いことを言うな」

「脈絡あっただろ!! 今めっちゃ良いこと言った流れだったじゃん!!」


 やはりジフという少年はこういう馴れ合いは根本的に好きではないのだろう、アイの抗議も虚しく終わる。


「……まあそんなことはいい。

 それより、俺もお前に今のうちに言っておきたいことがある」

「え、な……なに」


 ここまでジフにしては静かに聞いてくれているなとは思っていたが、ここから一気に詰ってくるのだろうか。何を言い出すのかと身構えるアイだったが……



「お前は人同士の戦闘に居合わせたことがあるか?」



 ジフの口から飛び出した問いは、アイの想像だにしないものだった。

 そう聞かれたアイが固まるのをジフも予想していたのだろう、彼はそのまま続ける。


「今まで魔獣やコキュートスのような人ならざる者となら、何度か戦ってきただろう。

 だが人が暮らしている市街地で、自分と同じ人同士でも、武力に及ぶことがある。

 俺は教団の任務中に何度かそういう状況に遭遇した」


 腕を組んでいるジフの肩が、少し強張る。


「異常現象の影響を受けて制御が効かなくなった者、

 最初から犯罪を起こすつもりだった者……

 そういう奴らが暴れ出すのに、事前の合図なんか無い」


 記憶の中の実体験を遡るジフは、やりきれない感情が籠った険しい目をしていた。


「やる側は場合によっては長い時間をかけて綿密に計画を組んだのかもしれんが……

 標的に選んだ場所に人が暮らしていることなんて、一切関係ない。

 だから道を歩いている時、テレビを見ている時、食事をしている時、いきなり爆薬や銃弾が撃ち込まれて、刃物が振りかざされるんだ」


 彼が語る光景は、アイにとっては断片時な報でしか知らなかったものだ。しかし、それはいつも通りの日常と理不尽なまでに直結していることを、ジフは突き付ける。


「実行犯が小規模な集団でも、突然襲撃が起きれば痛ましい被害が出る。

 そしてそれが……集団ではなく国同士の規模になったら……」

「……もしかして……それが――」

「――――戦争だ」


 アイの想像と、ジフの答えは一致していた。

 アイは元の世界にいた頃ですら、戦争はおろか犯罪に巻き込まれたこともなかった。だから、テレビや本などを通して「そういう出来事が存在する」としか知らなかった。戦争の始まり方など考えたこともなかったのだ。

 それを今、ジフの体験を聞いて、自分の肌に触れる距離で起こり得るのだと理解した。


「王族を守る砦でもある王城にいる間は、普通の市街地よりは幾分か安全だろう。

 だが……今はこんな情勢だ。王国が政治の矢面に立っていて、そして結界が弱まっている。

 今まで起きなかったことが突然起きても――

 いや、俺達がここに来るまでに水面下で動いていたことが、このタイミングで表層化してもなんら不思議じゃない」


 ジフは冷静に淡々と、しかし神経を張り詰めて想定する。きっとこれが、教団でリオウやラスティ達と任務の話をしている時の姿なのだろうと、アイは初めて感じた気がした。


「もし本当にそんな状況になった時、戦おうなんて考えるな。

 俺は教団の兵士として何らかの命令が下るだろうが、そうなっても逃げるべきか迷う必要はない。

 お前はまず真っ先にカナやショウと一緒に安全な場所まで逃げろ。」


 ジフの言葉は明確な指示に変わるが、アイは言われるがまま、返事の声が出せない。理解はできても、覚悟ができないのだ。


「……まあ、こんなことは特別今に限ったことじゃなく、いつ何時も起こり得る話だ。

 いちいちビビってたら外になんて出られもしない。

 だから万が一、これから先そういう状況に出くわした時に迷わず判断できるように、念頭に入れておけ」

「……わ、わかった……」

「今のは避難訓練の説明くらいに思っておけばいい」


 ジフなりに安心させようと言ってくれたのだろう。それでもアイは戦慄を拭いきれない顔をしていた。


 彼とこうして話すまで、アイは口論の後どうやって謝るかばかり考えていた。ジフはとっくに気にしていなかったが、それは彼の淡白な性格だけではない。

 ジフは兵士として、常に自分で見聞きした情報や可能性から、アイの何歩も先を考えている。そのために頭をクリアにするには、淡白にならざるを得ない。でなければ判断が遅れて、犠牲者が出てしまうかもしれないからだ。

 「ジフが大人に甘えられる普通の子供だったら、今頃――」そんな言葉を口に出してしまったことに、アイはまた一つ後悔を覚える。



「――あ、二人ともまだここに残ってたんですね」


 先程一旦席を外したショウが戻ってきた。


「お、おう。お帰りショウ」

「話はできました?」

「そっちも親書の話は済んだのか」

「はい。そんなに込み入った話じゃなかったので」


 適当にジフに話を合わせ、ショウは自然に会話に加わる。


「今日は自由に過ごすとして、王国を出る日もそろそろ近づいてきますし…

 それ以降の目標もそろそろ考えておいた方がいいかもしれませんね」

「資料館での調査については、騎士団も手掛かりを探していることもあって、今後も続けてくれるらしい。

 得られた情報をリオウにも報告したことだし、後でリオウが精査して俺達に返すだろう」

「そうですね。とりあえず今日は難しいことは考えずに過ごしましょうか」


 ショウとジフはもうすでに頭の中を切り替えて、王国を出た後のことを考えている。そんな二人に挟まれるアイは気後れするばかりで、彼らの会話に混ざれずにいた。


「王国を出るまでまだ数日ある。カナと話をする時間くらいはあるだろ」


 ジフはそれだけ言って、離宮の方へ歩き出した。少しして彼の言わんとする意味を理解したのか、顔を上げたアイは目を輝かせ、ジフに駆け寄って肩を叩く。


「やっぱジフってなんだかんだ優しいよな~」

「だからその気色悪いのをやめろ」


 くっつこうとするアイと振り払おうとするジフが並んで歩くのを、後ろからショウが微笑ましく眺めている。やがてショウも彼らを追いかけ、三人で離宮に戻って行った。

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