第18話 フォルティリゼイナ帝国-2
バロディノーギア王城のとある客室。リオウが申請して貸し出された部屋に、アイ、カナ、ジフ、ショウ、ガリュマ、そしてリオウが集まっていた。
リオウとアイ達がローテーブルを挟み、向かい合ってソファーに座っている。
「ようやく落ち着いてお話できるのが今になってしまい、すみません。
王国到着時に早速大活躍したそうですね」
アイ達にはジュースやミルクティーが出されている中、一人珈琲を飲みながらリオウが言う。
「ショウが旅について来てくれたおかげで、ほんとにいろんなことがトントン拍子で進むようになってさ~」
「昔からリン達王族と知り合いですげーんだりゅ!」
「カンティル族の長老からも連絡を頂きましたよ。
私の力が及ばない所までご助力くださり、ショウくんやカンティル族の皆さんには感謝しています」
アイとガリュマに褒められて照れているショウを微笑ましく見ていたリオウは、口にしていた珈琲のカップをソーサーに置いた。
「ところで、南支部を発ってから王国に到着するまでの道中、特に大きなトラブルはなかったでしょうか?」
「ウッ……!?」
久々に全てを見透かすようなリオウの問いを仕掛けられ、途端にアイ達は急所を突かれたように面喰らう。ジフですら珍しく目を泳がせている。
トラブルが全くなかったわけではない。むしろカンティル族の村で滞在中に起きた事件は、アイ達や村全体の命に関わる甚大な危機だった。奮闘の末に鎮静化することができたが、ショウがアイ達の旅に加わったのは、その事件の実行犯として村からの三年間の追放処分を受け、真摯に罪を償おうとする彼と和解したからだ。
事件の原因さえ解消されれば、ショウは本当に思慮深く頼りになる仲間だ。しかし起こったことをそのまま言葉にするとなると、冷静に考えたらとんでもない状況であることを思い出した。
こうして聞いてくるということは、リオウはまだ知らないのだろうか? ここでもカンティル族の長老が上手く便宜を図って伏せてくれたのかもしれない。アイ達は各々思案するも、いい感じの誤魔化し方がなかなか浮かばない。
冷や汗をかいて露骨にたじろいでいる子供達に、さすがにリオウも何もなかったことはないだろうと察する。
「……まあ、こうしてみなさんが揃って無事に王国に滞在できているのですから、今後もお互いを気に掛け合って気を付けてください」
リオウの手にかかれば道中の状況もすぐに把握できるのだが、王城に滞在してからの子供達がいたって平穏ならば、変に掻き乱すこともないだろう。後ほど静かに調べるとして、今は気付かないふりをしてやった。
「本題ですが、《救世主》と《女神》に関わりのある周辺人物の調査に、少し進展があったそうですね。
ジフがまとめてくれた報告を拝見しました」
リオウはローテーブルに置いているタブレット端末の画面に視線を移す。
「やっぱり、二人の記録に共通して出てくるベルフェリオって人が怪しいのかなぁ。
でもその人がコキュートスとどう関係があるのかまでは全然わかんないのよね。
王国に来ても一気に解決するわけじゃないのはわかってたけど、すごくもどかしい感じがする~」
情報の点と点が繋がらない感覚に、カナは組んでいた腕を解いて頭を抱えた。
「気の遠くなる目標ではありますが、一つずつ明確化すれば道筋が見えてくるでしょう。
皆さん、王国に来てからずっと調べ回っていたようですし、
国際会議が終わって私も情報の精査に協力できそうなので、少し息抜きしてみてください。
ラスティとサギリもしばらく王国に滞在していますので」
「正直少し煮詰まってきた頃だったから、今日はそうさせてもらう。
それと報告で挙げた情報の詳細資料も追加で送っておく」
ジフが通信機を操作して資料を送信した。リオウともう少し細かい情報交換をし、やがてアイ達は客室を後にした。
アイ達は廊下を歩きながら、今日はどうするか話し合う。昨日はめぼしい手掛かりがなくなり、予定を特に決めていなかったのだ。
「サナは今日王国から帰ると言っていたな。
昼食を済ませたら王都で迎えの人と合流するらしい」
「じゃあお昼まではゆっくりできそうですね」
「えーっ! サナ帰っちゃうの!? じゃあ今のうちにお話しとかなきゃ!!」
寝耳に水だったらしいカナは急に慌てて出し、離宮へと戻っていく彼女にガリュマがついて行く。その背中を見送りながら、ジフが小声でアイに言う。
「あの後どうなることかと思ったが……特に問題なかったみたいだな」
「う、うん……」
晩餐会の夜、サナとカナ、そしてアイとジフは少々刺激的な出来事があったものの……それ以降サナは突飛な行動を起こすこともなく、カナのにわかな警戒心も払拭されたようで、その後も女子同士和気藹々としていた。
今までの旅では謂わば紅一点だったカナにとって、自分と同年代の女の子と一緒に過ごせるのは貴重な時間なのだろう。
ぼんやりと考えながらアイもぽつりと呟く。
「そういえば俺もあんまりサナと話してなかったな……」
みんなで固まって行動している時、それとなく短いやり取りをしたものの、サナと頭を突き合わせてじっくり話したことはまだなかったかもしれない。サナは感情の起伏が少ないこともあり、男子と女子とではそんなものだとも思うものの、アイは少し勿体なかったなと感じた。
「俺もラスティ達と情報共有してくる。今日はリオウと城に来ているらしいから」
カナが抜けていったことでなし崩し的に自由行動同然になったと見たか、ジフもそう告げて去っていった。その場に取り残されて立ち尽くしているアイに、ショウが尋ねる。
「僕も離宮の男子部屋に戻そうと思いますが、アイくんはどうします?」
「あ~~……俺はちょっと外の空気吸おうかなって」
「わかりました。僕は先に戻りますね。気をつけて」
そう言葉をかけて、ショウも離宮の方へ戻って行った。一人残ったアイは、彼とは反対方向へ歩き出した。
* * *
アイが訪れたのは、王城の中庭に面したテラスの廊下。庭というより公園と言って差し支えない広さだ。
中庭から差し込む光と柱から伸びる影の中を歩いていると、不意に背後から声が響いた。
「ア……アイ!」
幼い少女の声。その声で呼ばれるのにまだ馴染んでいなかったアイは誰だろうかと辺りを見回し、振り返った。
――そこ立っていたのはリンだった。アイの歩幅に追いつこうと頑張ったのであろう彼女は少し息が上がっていた。
「リン! 一人でどうしたんだ? ヴィッキーは?」
「今は騎士団の業務連絡を受けているみたいです」
呼吸が落ち着いたリンはアイに要件を話そうと、少し緊張気味にかしこまる。
「あの、アイにちゃんとお礼を言いたくて」
「お礼? 前にちゃんと言ってくれたじゃん。
それに俺は魔物を押さえてただけで、リンを助けたのはジフだし」
「いえ……そのことだけではなくて……
前に私が皆さんの前で、フローランナの話をした時のことで」
これと言って心当たりがないアイに、リンは改まって説明する。
「あの時、アイが私の話を信じてくださったおかげで、私も少し自信が持てた気がします。
それに皆さんとお話したり一緒に調べ物をして回ったりして……最近とても楽しいです!」
そう告げるリンは、ぱっと花が咲いたように明るい表情をしていた。
「今までは、もう大人のお兄様達と違って、私はまだ子供だからと言われて……
大人になるまで待たなければいけないのかと思っていました。
早くお兄様のように国のために役に立てるようになりたくて……
でも……大人になったとしても、私は生まれた時から大星座ではないから――」
中庭の空からテラスに差す日差しと、並び立つ柱の影が、鍵盤のように交互に連なる景色が、リンの複雑な心境を表しているようにも見えた。
「――それでも、アイ達も私と同じ子供で、歴史や異常現象を調べるために旅をしていて、いろんな魔物と出会ってガリュマと仲良しになって……
大人になることや大星座であること以外にも、大事なことがあるとわかりました!」
そしてリンはやる気を込めて両手を握り締めた。太陽に照らされた若葉のような深緑色の目で、アイを見上げる。
「私……アイみたいになりたいです!!」
リンの宣言に自分の名が含まれていることを理解するまで、アイは数秒を要した。
命の恩人のジフでもなく、昔馴染みのショウでもなく、そして同じ女子のカナでもなく、アイのようになりたいのだと。
「……へぁっ!? 俺!?」
「はい!! まずはアイとガリュマみたいに、私もフローランナと仲良しになって、
あと、アイのようにジフに信頼されるようになりたいです!! ジフはアイのことをとても信頼していますから!!
ショウだってああ見えて人付き合いにはそこまで干渉しない人なのに、アイのことはすごく嬉しそうに話していました!!」
「ジ、ジフが信頼してる……かなぁ……? しかもショウまで……」
あれもこれもとやりたいことが出てくるリンは、実に年相応の子供らしい。出会った当初の、アイより年下でありながら王女然とした慎ましさをたたえていた時と比べると、随分と等身大の彼女らしさが見えてくるようになったと思う。
「それに……アイとももっとお話したいです……!」
リンは緊張と気恥ずかしさを見せながらも、アイを真っ直ぐ見上げてそう伝える。
アイはこの世界に来てまだ間もない。それを差し引いても一般人の中学生だった自分が、リンのような王族と直接話し、一緒に過ごすなど夢にも思わぬことだった。今でさえまだ現実味が湧いていなかったことを自覚したかもしれない。
だが、リンはアイの言葉もよく聞き、よく見ていたのだ。
「……俺があの時ああ言ったのはさ、リンがレオナ王子を――自分の兄ちゃんのことを真っ直ぐ尊敬してて、頑張ろうとしてるのが伝わってきたからで……」
自分もリンと同じ世界で言葉を交わしているのを実感したからだろうか、今度はアイが自ら語り掛ける。
「俺、記憶なくしてるんだけど、俺にも兄ちゃんがいたことはほんのちょっと思い出してさ。
それに記憶をなくしてすぐの頃、本当の兄ちゃんとは別に、いつも俺のことを助けてくれるもう一人の兄貴みたいな奴がいて……
俺もそんな兄ちゃん達みたいになりたいと思って、旅をしてるのもそれが理由なんだ」
アイが記憶喪失だというのは、彼ら一行が王城に来た目的を話した時にリンもそれとなく聞いていた。しかしアイ本人の口からそれにまつわる心情を聞いたのは、リンは初めてだった。
「だから、リンの気持ちがわかる気がしたんだ。
そういう時、誰かに頷いて欲しいって言う気持ちも……
……いや、よく考えたら“俺がそうなった時こう言って欲しい”ってだけなんだけど」
どこか頼りなさげに苦笑するアイを、リンは意外そうな目をして見つめていた。
リンにとっても、アイは出会った時から「子供ながらに異常現象に立ち向かう勇敢な少年」であり、迷いを振り払う一言で一行を引っ張るリーダーシップのようなものを感じていた。
そんなアイも最初からそうだったわけではなかった。それも自分とよく似た境遇の、よく似た想いから始まったことを、リンは初めて知る。
「俺もレオナ王子みたいに国ごと動かしたりはできないし、兄ちゃん達に追いつくのはまだまだ先だけど、
それでも前の自分よりできることが増えてきたからさ。
やれることから一緒に頑張ろうぜ」
「……はい!!」
そしてアイは、リンの良く知る眩い言葉と笑みを送る。リンの威勢の良い返事と共に、二人揃って両手でガッツポーズした。
「そろそろヴィッキーが戻ってくるので、私も一度城に戻りますね」
「わかった。気を付けてな」
「はい! ではまた後で」
快活な挨拶と上品な礼をして、リンは翻って屋内に戻って行った。緑の長い髪と白いドレスを揺らして駆けていく小さな背中を見送り、アイもなんだか胸が軽くなった。
晴れやかな気持ちでテラスから踏み出し、花と緑が咲き誇る庭園を歩く。穏やかな景色は、今のアイの心境そのもののようだった。
自分の意志で旅がしたいと決めた時、それでも不安はあったが、最近はこのビテルギューズ大陸に慣れてきたと自分でも感じるようになった。ショウやリンとも打ち解けられて、信頼してくれている。こんなに頼りにされるのは正直予想外だったが、ほんの少し自信がついた気がする。
自信。よく言えたもんだ。だったらあの時もそれぐらいできれば良かったのに。もっと早く強くなれなかったのか。だからあの時ヨータを助けられなくて、彼は崖から落ちたんだ。最後に落ちながら自分を見上げる彼に、今のヘラヘラした顔を見せられるっていうのか?
――え?
晴れ空の太陽に厚い雲が重なるように、明るかった景色が次の瞬間には暗い奥底の記憶に繋がっていた。アイが気づくより先に、体が勝手に思い出していた。
瞬間、脳が裏返るように暗い崖の記憶が溢れ出し、重い痛みが走る。
「うッ……!!」
アイは頭を押さえて膝から崩れ落ち、しゃがみ込んだ。
今のは何かの力が働いたのではない。アイ自身の体が起こした異変だ。噛み締めていた多幸感の温もりに、体が拒絶反応を起こしたかのように。
じんじんと疼く頭の痛みと動悸が収まるのをひたすら待ち続け、やがてそれらが消えていき、アイの乱れた呼吸だけが残る。
恐る恐る頭から手を離す。降ろした自分の右手――その小指に残る指輪のような刻印が、不意に視界に入る。
「………………」
アイの大星座の力が初めて覚醒し、急成長したガリュマ……大精霊ガリュマダロンと契約した時。
絶対にアルズからみんなを助けて、全員で生きて帰るという本能が全身に漲り、小指の刻印の熱に怯みはしなかった。
それでも、自分の指の感覚が焼き切れるほどの熱さを如実に感じたのだ。
レオナ王子は覚醒していないことに焦っていた。
しかしアイ自身もヨータも、覚醒のきっかけになったのは極限の絶望と、それすら取り込んで爆発した本能だった。
大事な人を失って、それでも体から大星座の輝石は切り離せなくて、全身にのしかかる無力感が激情に反転するその時まで。レオナ王子も同じ目に遭えば、きっと覚醒できると――
絶望ごと焼き切った指を、神に捧げろと、レオナ王子に言えるだろうか。
そして《救世主》は、それを大精霊五体分……つまり右手の全ての指を捧げた。
――それなのに。
《救世主》が救った後の大陸は、不義理や差別が横行し、戦争に発展した。
自分達大星座が指を燃やし尽くした対価が、これだというのか。
――『でも僕達ならわかるよ、その苦しみが』
かつてのアルズの言葉が、不意に脳裏に響く。
『勝手に決めた御伽話の役割を、勝手に押し付けて、本気で思い込む。
人類はそれを〝信仰〟って呼んでるけど、意味わかんないよね。
――アステルだっていい迷惑だよ』
言葉として理解できても、何故アルズがそこまで大陸の価値観を蔑むのかはわからなかった。
でも。今はアルズの言葉通りの感情が、自分の中に渦巻いているのを感じる。ただの暴論だと思っていたのに、アルズの言葉にアイが見聞きした現実が追いついてしまった。
『そんな状態の君に……何も知らない人類は全部押し付けて楽をしようとしている……
仮に失敗したら君のせいだって言うんだ……
……アステルの時や……今までみたいに……!!』
アルズはこのことを言っていたのか。そして、大陸という箱庭で生きている限り、アイも必ず直面するとわかっていたのか。
この手で倒したはずの彼が、まるでずっとアイの背後に立って見ていたかのように、アルズの存在を感じる。
今、後ろから腕が伸びてきて彼に抱きすくめられれば、そのまま身を委ねてしまうかもしれない。
アルズの言っていたことは、正しかっ――――――
「アイ!? 大丈夫!?」
固く閉ざされた暗闇に、声が響く。扉が開いて強い光が差し込むように。
はっと現実に引き戻されたアイが顔を上げると、同じ目線にしゃがみ込んで心配するカナの藍色の瞳と目が合った。
「どこか痛いの? 気分悪い?」
「いや……一瞬クラッとしただけだから、大丈夫。
城に来てから緊張しっぱなしだし、難しい話が多くて疲れたのかも」
「ちょっとだけじっとしてて」
カナはアイの肩に左手を置いて支えたまま、もう片方の右手をアイの前にかざす。手の平から淡い光が広がり、光の粒がアイの周囲を漂い、雪解けのようにアイの中に沁み込んで光に包まれる。
「少しはマシになった?」
「……うん」
「も~、一人にするとすぐこれなんだから!」
「ご、ごめん」
支えられながら立ち上がったアイは、カナの小言に言い返せずしょげこむ。そして頭の中が落ち着いたことで、さっき一番乗りで戻って行ったはずのカナがここにいる状況に気付く。
「引き返してきたのか? カナ」
「うん。途中でリンとすれ違って。
アイを探してるって言われたから、まだ王城の客間の方にいるって教えたんだけど、
冷静に考えたらアイとリンの二人だけにすると、何か粗相しちゃうんじゃないかって……」
「えぇ……」
介抱された手前なのだが、そんなに何をしでかすかわからない奴だと思われているのかと、アイの心がさらに小さく凹む。アイにとっては日常茶飯事のようなやりとりだったが……対してカナの表情は心配そうに曇ったまま、深刻さを見せ始める。
「……王都での魔獣の暴走以来、大きな事件は起きてなかったけど、
それでもやることがまだいっぱいあるし……
やっぱり、アイ達にばっかり背負わせすぎてるんだよね……
わたしも一緒に旅してるのに……」
小さく吐露したカナはしばし神妙な顔で考える。やがてその顔つきは、決断を下した勇ましいものに変わった。
「あのね、アイ。ずっと相談しようと思ってたんだけど――私も戦いたいの!!」
「……えっ……!?」
カナから打ち明けられた決心を、アイはその瞬間に受け止め切れず、間の抜けた驚きの声だけが飛び出てしまった。
彼女はいつもあけすけで、マイペースで、思ったことをその場で口に出す性格だ。今のいきなりの発言だってそうだ。だが、それは神経をすり減らす戦いとは無縁の日常で生きているからこその、尊い証でもある。
そんなカナの口から、戦いたいと言われた。その二つが交わってしまった目の前の状況に、アイはいまだ飲み込めずにいる。
「カナが戦うって……怪我するかもしれないんだぞ!?
生傷なんて当たり前だし、痛いしずっと動き回ってなきゃいけなくてしんどいし!
戦わなくていいならそれに越したこたないって!」
「そうだけど……でも、戦わなくていいならって言うなら、みんなだってそうじゃない……!
アイだって戦う時はいつも危なっかしいし!」
「そりゃ俺はたまたま大星座だったからすぐに戦えるようになったし、
ジフやショウは昔から特訓してたから戦うことに慣れてるけどさぁ!」
平行線の水掛け論を繰り広げるアイとカナ。熱くなっているのは互いに相手を思ってのことだ。アイは簡単には頷かないだろうと悟ったカナは、一度冷静になって話す。
「この前暴走してた魔物を止めた時、サナもアイ達と一緒に戦ってたでしょ?
それにお城で騎士団の人達の訓練を見せてもらう時も、教えてくれるのはヴィッキーで……
リンもお姫様なのに自分の身を守れるくらいの稽古をしてるって言ってた。
みんな練習を重ねて戦えるようになったって。だからわたしもちゃんと練習すれば……」
カナの言うことも一理ある。今戦っている者達だって、最初は非力だった所から始めたのだ。何よりこんなに真剣な顔のカナを見たのは、アイは初めてかもしれない。応援したい気持ちが湧いてこないと言えば嘘になる。
それでも、アイの奥深くにある躊躇いが、頷こうとするアイを引き止める。
「……ヨータが……言ってたんだよ……〝カナを頼む〟って……
だからカナが戦うようになって、もしものことがあったら……俺……」
悩むアイの辛く苦しそうな顔と、彼が口にした名前に、カナの胸も痛んだ。
カナ一人の問題でもなければ、アイ一人の問題でもない。それを改めて実感した。自分達が今もこうして旅を続けていられるのは、誰に守られていたからなのか。
「……うん。それは私も昔からずっとヨータに言われてた。
そのことも考えて、もし今もここにヨータがいたら、直接伝えてたと思う。〝戦いたい〟って。
ヨータなら絶対すぐに認めてくれないのもわかってる」
カナは手を組み、精一杯に自分の考えを伝える。自分が進もうとしている道の険しさを想像しながら。一番厳しく自分を止めるであろう“彼”を思い浮かべながら。
「何も今すぐアルズ達と戦いたいわけじゃないの……
ヨータや誰かに〝決めて〟もらいたいんじゃなくて、今の私には何ならできるのか〝教えて〟ほしくて……」
カナが懸命に手繰り寄せた言葉を聞き、アイも少しずつ気持ちと理解が追いついた。アイの反論が止んだのを見てか、カナは少し躊躇いを見せた後、新たに切り出す。
「こんなこと言ったら変だと思われるかもしれないけど……夢で、ヨータに会ったの」
「……夢?」
自分でも荒唐無稽な話だと思うのか、カナはもじもじと組んだ手を弄る。
「夢の中だから、わたしも何も考えずにヨータにいろんなこと話してて、戦いたいってことも話したの。
やっぱりヨータは納得いかなそうな顔してたけど……」
そう話しながら不満げな顔をするカナを見て、夢の中のヨータがどんな様相だったのか、アイもなんとなく想像がつく。
「それでもたくさん話をした。ヨータがちゃんと聞いてくれたから。
いつもはヨータが全部決めて、それについていくだけだったから、たぶん初めてなくらい二人でたくさん話した」
自由な夢の中だからなのか、あるいは誰かに打ち明けたいカナの心がその夢を形作ったのか。たくさん言葉を交わしながら頭で考えた、充足感にも似た感覚を確かに感じていたのだろう。
「そしたら、まだちょっと不安げな顔してたけど――
『できることからやってみて一つ一つ考えてみろ』
『考えたり想像するだけじゃなくて、やり直しのきくことから自分の手でやってみて、それで戦いは向いてないってわかっても、それは自分がやり切った後にわかるれっきとした答えだ』
……って、言ってた」
カナを通して聞く“彼”との会話が、自分も実際に目にしたかのように浮かび上がる。きっと彼は悩みの種が増えて頭を悩ませながらも、優しい声色でそう答えたのだろうと。
「目が覚めたら夢だってわかって、すごく寂しかったけど……ヨータの声が耳に残ってて、胸があったかいままだった」
そう語るカナは、神妙だった表情が自然と和らいでいた。体に残る温もりを、大事そうに確かめるように。“彼”がいた頃によく見た無邪気な表情だった。
カナは確かに彼と話をしたのだろう。
「それに、ヨータはこう言ってた。
『決めるのはアイ達に話してから。じゃないとそれはただの自分勝手だ。
でなきゃ……最後には俺みたいになる』……って」
不意に自分の名前が出て、アイは驚く。その後に続いた彼の言葉にも。
「夢はただの夢だけど、目が覚めてまずは何をしたらいいかはっきりわかった気がして。
最初に始めることを探せばいいんだって」
一夜の夢の話を真面目に語ったことに、カナ自身も苦笑する。それでも彼女の頬は幸せそうに赤らんでいる。庭園の花々に囲まれた姿が、彼女が見た穏やかな夢をそのまま表しているかのようだった。
彼が夢に現れるだけで、カナを笑顔にできるのだ。
夢の話を真に受けるのはおかしな話だろう。けれど、カナの話を聞いたアイは、確かにヨータならそう言うかもしれないと感じた。
アイよりずっと前から……物心ついた頃からヨータと一緒にいたカナが見た夢なら、なおさら。
不意にアイの脳裏にも、かつて彼がいた頃の記憶が浮かび上がる。
――『お前が自分で決めたならそれでいいんだよ』
アイだって最初は、誰かにぶら下がってばかりでなく、自分の足でこの世界の大地に立ちたいと思った。そしてヨータのようになりたいと思った。彼にそれを打ち明けた時、彼は頭ごなしに否定しなかった。だからアイは今こうして、自分の足でビテルギューズ大陸を歩けているのだ。
今のカナも、きっとあの時のアイと同じなのかもしれない。そう思った時、ヨータの声がより鮮明に蘇る。
――『カナを……頼んだぞ』
カナを守るということは、何も起こらないように、何も持たせないことではなくて。
カナと向き合うということだ。
ヨータのようになりたいなら。ヨータならそうするだろう。アイの中で、ただの記憶の声だったものが、ようやく形を得た答えに変わる。
「……そっか、わかった」
心許なく逡巡していたアイの表情が、くしゃりとした苦笑に変わる。
「ヨータならきっとそう言うよな」
彼の夢を見たことをアイに話したからだろうか。まるで……宿に帰れば、そこにヨータが待っているかのような顔だった。そんなアイを見たカナの胸が締め付けられて、組んでいた手を静かに解いた。
「それがカナのやりたいことなら、まずはやってみてもいいかもな。
やるならヴィッキー達が稽古をつけてくれる今のうちだろうし」
カナの相談に、アイは一旦の結論を出した。
「《救世主》の手がかりもまだまだ探さないといけないしさ。
これからの旅も、俺も一緒にいるから。
俺もちょっとずつカナに頼んで、カナができることを増やしてけばいいよ」
「……アイ……」
アイが口にした言葉は、かつてヨータにかけられた言葉の受け売りだったかもしれない。だが確かに今のアイの本心であり、あの時嬉しかった言葉をもって今度はアイがカナを応援したいと思った。
「この前みたいに街で魔獣が暴走した時みたいに、
魔獣を倒すまではしなくていいから、護身術くらいはできるようになるとか。
そのくらいなら街で普通に暮らしてる人達もやってる人はいると思う」
「うん」
「それにそういう人達は戦う以外の仕事で生活してるんだし。
ジフやヴィッキー達は戦うのが仕事だからすげー鍛えてるけど、
俺だってそもそもはアルズ達から自己防衛するために戦ってるだけで、
そういう仕事で生きてるわけじゃないからさ」
何ならできるのか教えてほしい、というカナの意志を受けてか、アイは本来戦闘に無縁な者が戦闘を始めるきっかけを考える。それを聞いているカナも、互いに真剣に相槌を打つ。
「だから……無理しすぎることはないっていうか……
戦うのは〝今まで通り〟を守るためで、今まで通りのままでいられるのが一番大事なんじゃないかって……
……俺は思ってるよ」
それはアイの個人的な考えに過ぎないだろう。それでもアイは戦うこと自体を主目的に生きたいとは思っていない。
カナが戦おうとしている理由がアイのためだと言うなら、なおさらアイ自身の気持ちをカナに伝えるべきだと思った。
「……うん。わかった。こんなに真剣に考えてくれてありがとう。
やっぱりアイはいつも人のことまで自分のことみたいに、一緒に考えて一緒に悩んでくれるから。
アイが人のぶんまで抱えるかわりに、わたしもアイが抱えてるものを任せてもらえるように頑張る」
明確な目標が見えてきて、意気込みを新たにするカナ。彼女には自分がそんな風に見えていたのかと、アイは少し面を喰らう。その礼にというわけでもないが、アイは気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「さっきカナはさ、俺達にばっかり背負わせてるって言ったけど、
今だってカナの力で俺の体を治してくれたし、
それに俺……カナの歌を聴くとすごく安心するんだよな」
「えぇっ? そ、そうなの?」
「だから……カナが気が向いた時でいいから、今度また聴きたいなって」
思い切って本心を口に出し、アイは恥ずかしさを誤魔化すように笑う。ストレートに伝えられた気持ちを受け止めるカナは、茫然と固まっていた。
「わ……わかった。そう言ってもらえると……私も嬉しい」
カナの顔が照れくさそうに、さっきよりも赤くなる。伝えた張本人であるアイは気付いていないようだったが。
「気分もだいぶ治ったし、俺はもう大丈夫だよ」
「そう……? それと本当にリンに失礼なことしてない?」
「それも大丈夫だって!」
心配されていた当初の理由を蒸し返され、アイは強めに否定した。リンとの会話も特に問題なかったはずだ。たぶん。
「じゃあわたし、離宮に戻るね。本当に無理しないでね。ちゃんと離宮に戻ってきてよ」
「今のうちにサナと話しとかないと、もうすぐ帰っちゃうんだろ。俺は大丈夫大丈夫」
その場から去ろうとするも、後ろ髪を引かれるように振り返るカナに、アイは念押しして送り出した。




