第13話 カンティルの頂-1 ◆
――R.E.一三二一。
かつて《明星の救世主》と契約し、共にビテルギューズ大陸を救った五大精霊。
そのうちの一体、春樹座のフローランナは、大陸の西側に位置するバロディノーギア王国と今もなお共生し、加護の力による結界を与えている。
有史以来バロディノーギア王国が大陸一の大国として君臨する理由の一つであるが、現代ではさらなる力を有していた。
《救世主》と同じ力を持つ存在、大星座。そして当代バロディノーギア王家第一王子こそが、その大星座の力を生まれ持った、大陸において絶対的な存在となっていた。
大陸の中心に広がり、西と東を隔てるクラドザンク山脈。王国国土を守る砦を担うその山の頂に、知の眷属と呼ばれる鳥人種族・カンティル族の集落がある。
――R.E.一四二二。彼ら一族はかつて王国と帝国の間で戦争が起きた折、地の利を生かして王国の窮地を救った歴史があった。
* * *
クラドザンク山脈の山道。高い場所ではさらに濃さを増す青空が広がり、日差しに照らされた白い岩肌に、鮮烈な影が差す。
コントラストの強い自然の景色の中、上層を目指して歩く少年少女――アイ、カナ、ジフ、そして仔竜獅子のガリュマの姿があった。
空に浮かぶ雲や、そよぐ風と一体化するように、空高くからアイ達を見下ろす影。
それは背中に鳥の翼を広げた少年のシルエットをしていた。
ビテルギューズ大陸の南西。エスペル教団南支部。
施設の管理者であるリオウの執務室に、アイとカナ、同伴するジフ、そして彼らの足元にガリュマが揃っていた。窓の外には朝の晴天が広がっている。
「次の目的が決まりましたか」
デスクについているリオウが、前に並び立つアイ達に尋ねる。
「うん。第一には俺が大星座の力を理解することなんだけど……それにはまず大星座自体の――《明星の救世主》の、実際に生きてた頃のことを知るのが良いかなって思うんだ」
「つまり、俺達教団の教義としてだけでなく、現実の歴史の観点からもより具体的な情報を集めたい」
アイ自身の口から語られた結論を、ジフが噛み砕いて補足する。
「《救世主》のルーツを調査したいということですね」
彼らの考えを汲み取ったリオウが、明確な言葉に変えて口にした。
「生きてた頃の《救世主》が、どこでどんなことをして、どんな人達が周りにいたのか……それががわかれば、カナがアルズに狙われる理由ももう少しわかるかもしれない」
「うん……」
アイは目的に含まれたもう一つの理由を述べ、カナも同意を示すように頷いた。
《救世主》と同じ大星座の力を持つアイと、《女神》と同じ神性の力を持つカナは、それぞれアルズという男が率いる異形の集団コキュートスに狙われ、幾度と襲われた。ついには奴らに連れ去られ、手にかかる寸前まで陥った。
その時にアルズがカナの前で口にしていた不可解な言動の数々。
カナが《女神チェリシアローズ》の血を引く神性の民の末裔であること。
その力でアルズは〝父さん〟と呼ぶ者を救おうとしていること。
あくまでもチェリシアローズという一人の女性――その関係者が行うことに固執していること。
「なんていうか……アルズはまるでわたしに《女神》の代わりをさせたがってたというか……わたしを《女神》だと思い込んでるみたいで……」
カナを救出した後、カナ本人は昔から記憶障害を抱えていたため、彼女の故郷を知る人物に詳しい話を聞きに訪ねた。
確かにアルズの言った通り、カナと彼女の母親は《女神》の血筋だった。しかし他に末裔の生き残りがいれば、それは彼女一人に限った話ではなくなる。手当たり次第に発見できればそれでいいのかもしれないが……アルズの語り口は、そういうわけでもないようだった。
「アルズは《救世主》のことをアステルって名前で呼んでた……だからアルズの言うアステルと〝父さん〟は別人だったとして……つまり、」
アイは自分の記憶も共に辿りながら、話の要点をかい摘む。
「《救世主》と《女神》は二人で協力してこの大陸を救ったんだろ。でも、実はその二人だけじゃなくて……〝もう一人〟誰かいたんじゃないかって」
アイなりに難しい顔をしながら推測する。
「一番引っかかるってか、気持ち悪いっていうか……カナだけを狙ってるんじゃなく、俺とカナが二人で揃ってる今、アルズが動いたってことは……《女神》と《救世主》の二人ともに、その〝父さん〟って奴が関係してるんだろ」
横で聞いていたジフが続く。
「あの異形の集団のことだ。俺達の考え方で話が通じるとも限らん。あいつらが一方的に〝《女神》と関係があった〟だの〝父〟だのと思い込んでいる可能性もある」
「それをはっきりさせるためにも、その〝父さん〟ってのが誰のことで、《女神》とどんな関係だったのか……《救世主》達が生きてた頃のことがわかれば、アルズが何をしようとしてるのかがもう少しわかるかも」
「ぬぅ~頭がこんがらがってくりゅぞ」
アイとジフの足元で、一応話を聞いているガリュマが頭を抱えて唸っている。
「なるほど。みなさんでしっかり考えて話し合ったんですね」
一通り話を聞いたリオウが言う。当事者とは言え危険な目に遭った子供達が、自分の力で解決しようと問題について考えている現状には、複雑な心境になるが。
「より現実に即した史実……《救世主》にまつわる情報となると、相当厳重に管理されているはずです。であれば――」
逡巡した後、リオウが告げる。
「――この大陸で最も古くから続く大国、バロディノーギア王国の王城へ行くのが良いでしょう。私も近日、そこで仕事があり招集されているので、ちょうどいい機会かもしれません」
示された場所の名前に、初めて聞くアイだけはピンとこない顔をしているが、ジフとカナは驚いている。
「王城ってつまり、王様に会うってこと?」
「王様というよりは、王子様ですかね」
呑気なアイの質問に、同じペースでリオウが答える。
「バロディノーギア王国の第一王子――レオノアード殿下は、現代に実在する大星座であられます。要するにアイくんと同じ立場の御方ということですね」
「えぇ!?」
さすがのアイも一国の王子と自分が〝大星座〟という一点においては同列と言われ、遅れて仰天する。
「そして王国には現在でも、大聖霊フローランナの加護が存在します。大聖霊は《救世主》と契約し、大陸を救った存在です。当時の様相が詳しく残っているかもしれません」
点と点が繋がり、急に話の規模が大きくなった。アイ達は途方も無く目を丸くしている。特に一番気が重そうにしているジフがげんなりと呟く。
「こいつも大星座とはいえ……大陸で一番権威のある王族に直談判なんて……そんな突飛な……」
「私からも可能な限り事前に要請を出しておきます。第一王子に直接お伺いできるかはともかく、王城にある機密資料館で情報を得ることは可能でしょう」
気が重そうな部下になるべくフォローを示しつつ、リオウは続ける。
「もう一つ、王国へ行くまでの経路で、クラドザンク山脈へ行ってください」
「山脈? 山を登れって?」
噛み砕いて聞き返すアイに、リオウが頷く。
「山脈の上部には、カンティル族の集落があります。カンティル族は古くから王国と盟友関係にある『知の眷属』と呼ばれる人達です。
高い知性で長きに渡って王国を支えてきた彼らは、その目で大陸の変遷を観測してきました。
歴史や大聖霊について知りたいと尋ねれば、カンティル族を通して話がつきやすくなるでしょう」
知の眷属。大陸の変遷。御伽噺のような歴史が現実と地続きであることを改めて実感する言葉の数々であった。それを知り、伝承している一族が、クラドザンク山脈にいるのだ。
「まとめると今回の目的は二つ。《救世主》のルーツを調べるため、彼と契約した大精霊と関わりのある地に絞ります。一つはクラドザンク山脈のカンティル族。二つ目はバロディノーギア王国の王城資料館。この順番が一番スムーズだと思います」
リオウにわかりやすくまとめられれば、まるで子供のおつかいのように聞こえる。だが、王国だの眷属だのと日頃聞き慣れない言葉が飛び交い、頭の中では未知なる想像が広がるばかりだ。
「ここにきてかなり異世界じみてきたな……」
「いせ?」
「なんでもない……」
小声で垂れた独り言にカナが不思議がるが、アイはただ遠い目をしている。
「山に行って、王国に行って……俺にできんのかなぁ……」
自分で救世主の歴史が知りたいと言い出したのだが……と、アイは天を仰ぐ。
「こりゃ長旅だな……」
何気なくそう呟いた。
――そうだ。これは旅だ。この世界を知るために、旅に出ると決意したのだ。
〝彼〟が旅に憧れていたから。彼の代わりに、彼の分まで。
「……うん、わかった。それで行くよ」
アイは一度目を閉じ、再び開いた瞳に確かな志を宿して言った。
前に向き直ったアイの顔付きに、リオウもまた〝彼〟の面影を見ていた。
「目的が決まった所で、準備に入る前に私からももう一つ、お聞きしたいことがあります」
今度はリオウから話を切り出す。
「……キンディスの運び屋の仕事、コンプレアンスエージェンシーのことです」
彼の口から告げられた名に、アイ達はみな一様に息を呑んだ。
キンディス――アイ達にとってはヨータと呼んでいた青年。今まさにアイとリオウが思い浮かべていた人物。元々は、彼の仕事に連れられる形でこの旅が始まった。
だが、肝心の彼は今ここにはいない。
「今も彼の消息は掴めていません。今後も捜索を続けますが……アイくん達にもやることができた以上、仕事の方はしばらく再開が見込めないでしょう」
ヨータはアルズとの戦いの末に谷底に落下し、消息を絶った。はっきり死亡したと確認できたわけではない。だが、無事とも考え難い。
ただ――彼もアイと同じ大星座だった。故に彼には特殊な瞬間移動の力があった。希望があるとすれば、あの状況でその力を使えたかどうかだ。
いずれにせよ、今のアイ達にはすぐには確かめようがない状況だった。
「そこで私から提案なのですが、今のアイくん達に沿った形で彼の会社を引き継ぐというのはどうでしょう」
「……え!? 俺達が!?」
「ええ。今はまだアイくんが大星座であることは公に話しづらいですし……その代わりとして、ちゃんとした会社で仕事の一環で行動していると伝われば、世間一般の方々にも話を聞いてもらいやすくなります」
アイ達もヨータに仕事を叩き込まれ駆り出されることはあったが、自分達がその看板を背負うことになるとは想像していなかった。
「〝エージェンシー〟と名の付いている会社ですから、依頼を受けて動くこともあります。私のような公的機関からの依頼と言えば話は通るでしょう。差し当たって当面は調査の依頼ということで」
「つまり……調査隊ってこと!?」
活動内容を聞いた途端、急にアイの目が年相応の少年らしく輝き出した。
「実質的にはアイくんの目的に合わせた動きになりますが、会社の持ち主……暫定的な社長代理は、カナくんでいいでしょうか。元々キンディスとカナくんの二人で立ち上げた仕事ですから。複雑な手続きや予定の調整は私がやるので、仕事は今までとそう変わりないですよ」
「わ、わたし? うん……わかった」
「それでは、これはカナくんに預けます」
リオウはデスクの引き出しから何かを取り出す。手の平サイズのタブレット状の通信機。ヨータが使っていた物だ。
「データはそのまま残してあります。彼のプライベートに関わる部分はロックがかかっていますが、お得意先や私との連絡、検索機能などは問題なく使えますので」
リオウが手にした通信機を差し出し、カナが両手でそっと受け取った。ヨータは片手で使っていたが、彼女が持つと幾分大きく見える。カナは通信機を見つめながら、次第に胸が詰まった。
並んで立っているアイとカナは、揃って緊張を露わにし始める。
「これからは……俺達がヨータの会社を……」
「きっと彼なら、アイくんに託していたと思いますよ。だから君に頼みます」
背中を押す一言に、アイはリオウの顔を見た。
リオウにとっても、このままヨータの会社が事実上消えてしまうよりは、いかなる形であれ残しておきたかったのだろう。アイと目が合ったリオウは静かに微笑んだ。アイも小さく頷く。
「よし!! これよりコンプレアンスエージェーンシーの任務開始だな!!」
「うちはそんな会社じゃないんだけど」
「探検隊か何かだと思ってないか?」
アイがとびきりのやる気を見せてガッツポーズをする。そんな彼とは対照的に、両隣でカナとジフが呆れ顔になっている。ガリュマだけはアイの真似をして「おー!」と前足の片方を掲げていた。
アイとカナとガリュマを先に解散させ、部屋に留まっているジフにリオウが言う。
「君には引き続き苦労をかけます」
「それが仕事だからな」
今更と言いたげな顔で、ジフは小さく肩をすくめる。
「コキュートスはあの後、動きを見せていないのか」
「自然発生による異常現象は起きていますが、あの者達らしき記録は上がっていません。ですがいつどこから襲ってきてもおかしくはないです。まあ、今は……無理はしないでください」
淡々とジフの確認に事務的に答えるリオウだったが、最後に何気ない気遣いが加えられる。感化されたわけでもないが、ジフも少し肩の力を抜いた。
「何かあったらお前かラスティとサギリに連絡する。お前も体の方は」
「……なるべく仕事に支障が出ない程度には」
リオウは目を泳がせるように視線を落とし、急に返答の歯切れが悪くなった。部下とは言え、一回り以上歳の離れた子供のジフに弱音を吐くのを躊躇ったのだろう。それ以前にリオウの元々の気質が、『遠慮なく休みます』と言うことに慣れていないのだ。
リオウはヨータを助けるためにアルズと直接対峙し、普通なら死んでいるほどの重症を負った。結果としてヨータを助けるには間に合わなかった。
仕事に追われることであえて悩む暇をなくしているのだろうが、ヨータのことをそう簡単には割り切れないだろう。
あの時は皆、極度に憔悴していた。そのせいでジフとリオウも滅多にしない衝突をした。そのこともまだ気にしているのかもしれない。
杞憂かもしれないと思いつつ、ジフは言った。
「ラスティがいつも言っている。『仕事なんてほどほどに手を抜け』って」
それを聞いたリオウは意外そうに顔を上げた。いつもはラスティが同じようなことを言うや否や、ジフがいなしていたからだ。
珍しい彼なりの軽口に、リオウの表情も和らぎ、小さく苦笑する。
「そうですね。君も今回は旅行みたいなものだと思ってください」
「それで済むとは思えんがな」
他愛ない話もそこそこに、ジフは上官に向けた礼をし、踵を返して部屋を後にする。
彼は相変わらず冷静沈着だが、最近は少しずつ変わっている気がする。人と言葉を交わすことでもたらす変化を知り始めているのかもしれない。
長年育ててきた教え子の背中を見つめながら、リオウはそんなことを考えていた。
* * *
――と、意気込みも新たに最初の目的地であるクラドザンク山脈へ訪れたアイ達。だったのだが。
「あっっっつい……」
「もう疲れたぁ~」
「りゅうぅぅ~…」
日差しに曝され、遮る物のない岩肌の山道を自分の足で登る三人と一匹は、最初のやる気が嘘のように疲れ果てていた。
「なぁジフ、氷水元素の技出してよ」
「やるかそんなもん」
苛立つのも疲れると言いたげな顔でジフはアイの提案を一蹴する。
数日ほどかけて馬車や機関車を乗り継ぎ山脈地帯に辿り着いたアイ達は、麓から中腹までは公営の蒸気バスを利用し、中腹の山小屋で一度休憩を挟んでいた。そこで上部の集落までは歩いて行けると聞いたので、携帯機で実際のルートを確認し、十分に体力がある今ならそのまま向かおうと進んで行った。
……が、山は甘くなかった。海風で涼んでいた大陸の南地域とは気候が異なり、この山脈地帯はカラッとした日差しを全面に受けている亜熱帯地域だった。しかも今は陽が真上に来ている真昼間だ。山道はゴツゴツしていて普通に歩くだけでも体力を削られる。
中腹より上に行く者はそうおらず、山に慣れている者か、それこそこの山の集落で暮らしている者くらいだ。山を歩き慣れていない子供が観光気分で登ることはおおよそ想定されていない。そういえば山小屋で話を聞いた時に「そんなに急ぐことないよ」と周りの大人に言われ、それに従おうとするジフと一悶着した気がする。
不意にカナがふらふらと岩壁の方へ寄っていき、道端の岩の上に座り込んだ。
「ねぇ~! ちょっと休もうよ~!」
「えぇ!? こんな所で……!?」
ごね始めたカナにアイとジフが困惑する。久々のカナのわがままが発動した。ここしばらくは色々あってその機会がなかったが、そういえばカナはこいう性格だった。
とりあえず持参した水筒を飲ませて時間を稼ぐが、こういう時ヨータはどうやって御していたのか……とアイは頭を悩ませる。ジフもいっそ氷水元素の技を使ってやろうかなどと考え始めていた。ガリュマも地面で伸び始めている。
「休むにしてもせめて陽が当たらない場所に……」
ジフが周囲を見回す。こんな何も遮蔽物がない場所で立ち往生していては干からびる一方だ。しかし広がるのは岩肌と青空だけだった。
……が、その時。
「そこの君達!」
声変わりしたばかりの少年の声。聞き慣れぬ声がしたのは、アイ達の頭上からだった。
青空に、少年のシルエットが飛翔していた。背中には鳥のような茶色い翼を羽ばたかせている。
少年はアイ達のもとへ着地すると、折り畳まれた翼が背中に収納された。本当にそういう体の構造をしているのだろう。アイ達はその動作に釘付けになる。
「この山の上に行くんですか?」
人当たりの良い爽やかな笑みと声で、少年が尋ねる。
上空にいた時は逆光でよく見えなかったが、空色の短い髪に、翡翠色の瞳をしている。服装は軽装の着物に似た服に帯をつけている、所謂民族衣装のようだった。顔付きにはまだ幼さが残っているが、背丈はアイ達より頭半分ほど高く、少し年上なのだろう。
少年の風貌を見たジフが気づいた。
「今の翼……鳥の遺伝子を持つ有翼種族……もしかしてカンティル族の」
「え! この人が!?」
驚いたアイが少年とジフを交互に見る。
「はい。僕はここに住んでるカンティル族です。僕ら以外で上を目指してる人は珍しいなと思って、よく見てみたら子供達だったから、つい呼んでみたんですけど」
「お、俺達! ちょうどカンティル族の人達に会いに行こうとしてて!」
アイが今だとばかりに慌てて少年に説明する。
カンティル族――リオウに教えられた、今のアイ達が訪ねようとしている一族。山で立ち往生していたのが一転、正に目的としていた人物に声をかけられた。
「何かお話があるみたいですね。それだったら僕が村まで案内しますが……先に日陰で休んで行ったほうが良さそうですね」
少年はアイの申し出を承諾しつつも、目線をちらりとカナの方へ向ける。カナは岩に座ったまま水筒を両手で握りしめ、水を飲み干そうか深刻な顔で悩んでいた。
少年に先導され、アイ達は岩壁に空いた小さな洞穴で腰を下ろし、少し休むことにした。
「ここは雨風も凌げるので、僕達も休憩所として使ってるんですよ」
彼の言う通り、陰になっている洞穴の中はひんやりと涼しく、暑さから解放されたアイ達は脱力してくつろぐ。
「よかったらこの水も飲んでください。僕はさっき降りてきたばかりなので、まだ冷えてますよ」
肩に掛けていた鞄から水筒を取り出した少年が、アイ達の各自のコップに水を注ぐ。彼の言葉に甘えて三人と一匹は水を口にした。カナが生き返ったように歓喜する。
「あぁ~! おいしい!」
「ほんとに助かった……ありがとう……えっと、」
しみじみと味わっているアイが少年に礼を言おうとしたが、彼の名前をまだ知らなかった。アイ達の様子を見て、少年は微笑ましそうに苦笑する。
「僕はショウ。ショウ・リンクーです」
ひとしきり休憩したアイ達は、少年――ショウに連れられ登山を再開した。この山を熟知しているショウによって歩きやすい道を進んでいく。やがて登り坂に差し掛かり、上まで登ったショウがアイ達に呼びかける。
「村が見えてきました。あとはここを下るだけですよ」
なんとかアイ達も上へと追いつき、ショウが差す方を見下ろす。疲れが滲んでいた彼らの表情が、感嘆でぱっと明るくなった。
山にぐるりと囲まれたその真ん中に、古き良き京の街が広がっていた。鮮やかな赤、漆の黒、落ち着きのある金。寺のような和の趣の建物が並び立ち、屋根や柱に繋がれた提灯が色とりどりに灯っている。
村や集落という言葉からもっとのどかなものを想像していたが、現代日本人のアイにとっては京都の街並み、もしくは中華街を彷彿とさせる華やかな景色だった。
ここが知と歴史の眷属の街――カンティルの頂だ。




