第12話 名前のない朝-4
フィルシュが全てを語り終え、宮殿には噴水の水が水路に流れるせせらぎだけが小さく響いている。
アイ達は無言のまま、ただそこに在った事実を受け止めるので精一杯な表情をしていた。
「リオウさんからは、その後もお二人の様子を話しに度々訪問してくださいました。私が大人になってからは直接お聞きすることも増えて……私自身、もうお二人に会うことはなくとも、どうしても知りたかったので。今日こうしてカーナリア様とお会いできたのは本当に夢のようで……」
当時の出来事を肌で経験し、今日まで生きてきたフィルシュには、それでもなお語り尽くせぬ想いがあるだろう。そんな彼を見てカナは忍びなく感じる。
「……ごめんなさい、アークレイアの詳しい話もだけど、それを聞いてもやっぱりなんだか……自分じゃない他人の話を聞いてるみたいで……」
「いえ、思い出す必要はありません。今の貴女のままでいてくださることが、我々にとっての望みでもありますから」
フィルシュはカナに追及することはせず、その返事を優しく受け止める。
「ただ……私もリオウさんから今回貴方達に会ってほしいと聞いて、なんとなく……〝彼〟の状況が変わったのだという予感はあったのですが……」
そう話すフィルシュだったが、途中で言葉を詰まらせた。胸に何かがつかえたように声にならない吐息を漏らし、苦々しく歪ませた顔に影が落ちる。
「……申し訳ありません……」
「フィルシュさん……」
アイが心配してフィルシュを見遣る。〝彼〟の――ヨータの姿が消える瞬間を見ていたアイも、胸を痛めずにはいられない。
そんな中、不意に声を発したのはジフだった。
「……待てよ、」
静かに話を聞きながら思案していたジフだったが、口元に手を当て、何かに気づいたような表情に変わる。
「ヨータが――キンディスが最後にフィルシュさんと会ったのが十三歳の時で、今俺達が会ったあいつは自分のことを十六歳と言っていた」
ジフはフィルシュから聞いた話と、己の記憶を確認する。
「今から三年前なら、すでに俺は教団で少年兵としてリオウに育てられて数年経過している。その間リオウが教団の仕事を長く留守にしていたことはなかったはずなんだが」
彼が見ていたリオウの様相を知りアイが驚きながらも、それによって連鎖的にもう一つあることに気づく。
「そう言えばフィルシュさんも、ヨータと同年代って言うには、その……ぶっちゃけリオウよりももっと大人に見えるというか……」
「……そうですね。私は今三十歳です。当時はリオウさんの方が年上だったんですが……」
アイ達の疑問を聞いていたフィルシュは、期を悟ったような顔で言った。
「アークレイアが崩壊したのは十五年前――彼とカーナリア様はしばらく成長が止まっていたんです」
フィルシュの告げた答えに、アイ達は耳を疑い、愕然と静まり返った。
「……じゅう……ごねん……!?」
アイとジフは思わず声を揃えて驚愕する。そして、当事者であるカナは誰よりもそのことを信じられず、唖然としていた。
「……わたし……十五年もこのままだったってこと……?」
「より正確に言えば、当時リオウさんから見て、お二人の天性的な体質と心因的な影響か普通の人よりも緩やかな速度で成長なされていたようです。ただ、ある時を境にそれも止まってしまったらしく……」
フィルシュはさらに詳しく説明する。
「肉体的に十六歳くらいになった頃、彼がリオウさんに話したたようです。……『ユーリアが経験していないこれからの時間を、どう生きればいいのかわからない』と――」
〝彼〟の吐露したという言葉に、アイはにわかにだがその真意を感じつつあった。
フィルシュの記憶から語られたユーリア。アイ達が見ていたヨータ。人一倍気が強く、それでいて過保護で、自分よりも幼い子供達を守ろうと身を呈していた。それが彼の中に残っているユーリアに倣ったものだとしたら。ヨータが常に身につけていた左耳の三日月のイヤリングがユーリアの形見だったと知り、よりその実感が増す。
……だが、結果としてユーリアは、大人になれなかったのだから……
「心の成長が肉体の成長に直結していて、立場を降りた現状それで困るようなこともなかった。元々何十年も見た目が変わっていないリオウさんがついていれば周囲もとやかく言わないだろうと、リオウさんはそれについてお二人に言及することはなかったそうです」
フィルシュもリオウから聞いた立場である以上、ただ伝聞として話すことしかできない。
「でも……」
が、彼は少し想いを馳せるように視線を落とした後、さらに続けた。
「彼がご自分の意志で、アイくん達を守るためにもう一度大星座の力を解放したなら……アイくん達と出会ったおかげで、彼自身が望む自分に、確かに変われたんでしょうね」
そう言ったフィルシュの表情はどこか寂しさが滲んでおり、それでいて安心したような、誇らしげな顔をしていた。
フィルシュとの話を終えたアイは、一人で宮殿の庭園にある芝生に膝を抱えて座り、斜陽の空を見つめていた。そこに、エルトキナ港湾現地に到着したリオウが訪れる。
「大丈夫ですか、アイくん」
「うん、まあ、俺は大丈夫。むしろカナの方が……」
そう言いながらアイは憂いを浮かべる。ここで聞いた話は、カナ自身に直接関わる話だ。自身の出自、生まれ故郷で起きた悲劇、成長が止まったままだったこと、それらを忘れてヨータが全て一人で抱えていたこと。そのヨータも今はここにはいないのだ。カナがそれらを受け止めるのは、想像を絶するほど困難だろう。
幸い、ウィーネ族であるフィルシュは水を用いて心身を安定させる技術に長けていた。今のカナはフィルシュによる療法を受けて休んでいる。ジフも大事を取ってカナの警護に控えている。
一方アイも、教えられた話を咀嚼するのに時間がかかっていた。
外の空気を吸ってくるとジフに言ったものの、今日だけで呑み込めるはずもなく、数日……いや、もっとかかるだろう。いろんな思いが曖昧に混じり合いながらも、とりあえず今はリオウに聞いてわかりそうなことを話してみる。
「フィルシュさんの話で『キンディスと同等の宛て』がいるって聞いたけどさ、その宛てって、もしかして俺のこと?」
二人きりだから、と言わんばかりのストレートな疑問をアイから投げかけられ、リオウは少し間を置いて答えた。
「……そういう部分もあったのは、否定できませんが……彼を守るためとは言え、一方的に君を身代わりのように言ってしまったのは、我ながら情けないと思っています」
「俺がこの世界に来て、ヨータを――キンディスを助けるはずだったのに……結局最後まであいつが俺を守ってくれてたんだな」
それでもアイはリオウを責めるよりも先に、ヨータのことを想っていた。そんなアイを見たリオウは、おもむろに彼の隣で芝生に腰を下ろす。
「彼は……生まれ持った羅針の力の通り、一緒にいることで僕が進むべき道を示してくれる存在でした。大星座を探すためにも、僕自身のためにも」
教団支部にいる時のような事務的な話ではなく、リオウの個人的な心境を吐露する。今のアイの想いに共感し、寄り添うものだった。
「でも、彼にとってこの世界で唯一の同胞は……アイくん、君ただ一人です」
リオウは真剣な顔と声色で言った。アイは彼の方を見る。
「前にも話したと思いますが……大星座として生まれ、自分の過去を全て失い、帰る場所もなくこの世界に投げ出された……奇跡に等しいほど自分と同じ存在。君と出会ったことでようやく自分の心を曝け出せて、二つと無いそれを絶対に失いたくなかった。だから最初は君を僕に引き渡すことをあれほど拒んでいた」
リオウの言ったように、確かにアイも一度聞いた話だ。だが、ヨータの――キンディスがヨータと名乗るまでの全貌を知り、その意味は何倍にも大きくなった。
胸を詰まらせる表情で俯くアイに、リオウは一度呼吸を置いて、再び静かに口を開いた。
「まだこの世に羅針盤もなかった頃、人が方角を知る為に頼っていたのは空の星です。星は必ず同じ場所にあって、どんな時でも見上げれば必ずそこで輝いている。冬の星が見えればそれは東を示している。彼にとって君は――そんな存在だったのだと思います」
アイに伝わりやすいよう話したのか、詩的な問わず語りだった。今のアイなら、自分のことのように理解することができた。
「それなら、俺だって……ヨータは絶対に消えない光だよ」
傍にいなくなってなお、彼なら何を思ったか、どんな言葉を口にしたか、まるで目の前にいるように何度も思い浮かぶ。アイの中に強く残り続ける光。
いつかその光に届く時――たとえそれがどんな形であっても――きっとそこで、彼にまた会えると信じている。思い出を置き残して前に進む胸の痛みは、きっとヨータがユーリアを羅針塔に眠らせた時に感じたものと似ていて……その先でヨータとアイは出会ったのだから。
自分の口で言葉にして少し胸が軽くなったのか、自然と言葉が浮かんできた。
「……ヨータが最後に言ってた。〝リオウに優しくしてくれてありがとうって伝えてくれ〟って」
そして、アイは顔を綻ばせながらリオウを見上げる。
「今までヨータが俺にしてくれたことって、あいつ自身がユーリアさんやリオウにしてもらって嬉しかったことだったんじゃないかなって」
夕日の光が彼の輪郭に差し込むせいか、リオウにはいたく眩しく見えた。
アイが宮殿に戻り、フィルシュと別れる時刻になる。再び宮殿内の噴水の前に集まっていた。
「カーナリア様、先程お預かりしていたこれを」
フィルシュが差し出した両手の上には、小瓶があった。中には青と白の透明な欠片が入っており、ほのかな光を宿している。
「これ、カナの?」
「うん。憩いの湖の水と、岬の花を入れてたの。それにフィルシュさんの術をかけてもらって」
「水も花も、時間が経つと性質が変わってしまいますからね。この中に入っていたものはどちらも特殊な魔力を持っているので、普通のものより長持ちしていたのですが……私の技術を応用して魔力だけを抽出し、星零石にしました」
丁寧に渡すフィルシュから小瓶を受け取ったカナが、大事そうに両手で包み込む。これまで訪れた場所の一部を取っておいたカナにとって、宝物のようなものだった。
「ありがとう、フィルシュさん」
「元から宿っていた魔力も残っていますから、お守りになると思います」
表情に明るさが戻ってきたカナの様子に、フィルシュも微笑んだ。
その後、フィルシュは宮殿の玄関先までアイ達三人と一匹を見送りに出てくれた。
「私でお役に立てることがありましたら、またいつでもお呼びください。今日は私も彼やカーナリア様の話を聞けて良かったです。……どうか、お気をつけて」
フィルシュの挨拶の最後にどこか重みを感じたのは、きっと伝えられなかった〝彼〟のぶんまで込められていたからだろう。三人はフィルシュに感謝を告げて礼をし、宮殿を後にした。
先にフィルシュとの話を済ませていったリオウが事前に港町の宿に予約を入れてくれており、今日はこのエルトキナ港湾で一晩を過ごす。港町へ戻る坂道を歩いていると、道に沿う格子の向こうにオレンジ色にきらきらと光る海が見えてきた。
しばらくガリュマのトコトコ歩く足音の中、無言で歩いていた三人だったが、最初に喋り出したのはジフだった。
「……今更だが……そもそも実物に会う日が来るなんて思ってもみなかったが……大星座も〝人〟なんだな」
教団に育てられ、《救世主》の名を冠した大星座を信仰する彼にとって、今日知り得た話には多分に思うことがあるのだろう。アイもそれに同意するように続く。
「あいつを見てたら余計にそう思うよな。横暴ですぐ手が出て、なのに世渡りが上手くて金にうるさくて、俺達の前だといっつも大人ぶろうとする」
『救世主』の偶像とはかけ離れた、等身大の少年だった。それこそが彼の自由に生きた証であり、そんな彼が今までどんなことを思っていたかは到底計り知れない。
「アークレイアを襲ったのがアルズで、今でもあんなにしつこく狙ってくるなら、これからのことを考えないと。カナには今から急に〝戦えるようになれ〟って言っても難しいだろうし……」
「うん……それはちゃんとお願いしなきゃって思ってる。ただ……」
カナは考えるうち、表情に陰りが見え始める。
「わたし、もしかしたら……急にアイ達より年を取ったり、逆にもうずっとこのままだったりしたら……どうなるんだろう……」
自分自身のことを自分にはどうにもできない、十五年という空白の大きさが不安に変わり、カナは身を守るように肩を強張らせて自分の手を握っていた。
「フィルシュさんも言ってたけどさ、気持ちが成長の速度に繋がってるらしいし、カナが生きたいように生きれるのが一番大事だって」
アイがもう一度フィルシュの言葉を告げる。カナはいまだ不安を残しながらも、アイの方を見た。
「俺達も一緒にいるからさ」
アイはその不安ごと受け止めるようにカナと向かい合い、黄昏の光を受けて笑った。カナの瞳にも、夕陽の欠片のような光が差す。
「俺もさっきリオウに話したんだけどさ、」
そして今度は、アイ自身の話を切り出す。
「俺――大星座の役目をちゃんと果たしたいんだ」
思いがけず告げられたアイの決意に、カナだけでなくジフとガリュマも驚いた顔をで彼を見る。
「あいつが守ってくれたこの力で、できることをちゃんとやりたいんだ。今度こそ誰か一人でも助けたい。何もしないまま元の場所に帰りたいとは思えないから。だからこの世界のことも、救世主のことも、もっと知りたいんだ」
大星座の力のせいで、アイにとって不条理なことが幾度もあっただろう。何よりたった今、ヨータが辿った壮絶な生い立ちを知ったばかりだ。
それでも、ヨータと自分の在り方は決して哀れなだけではないと――アイの決意は、カナ達が思っていたよりもずっと深く強く固まっていた。
そんなアイを見ていたカナの顔にも、次第に笑顔が戻る。
「アイはちゃんとわたしをアルズから助けてくれたじゃない。それにアイが一緒にいてくれるなら、わたしもアイがやりたいこと、一緒に頑張るよ」
そんな二人の様子を見ていたジフとガリュマも、それぞれ安心した顔で話に加わる。
「大星座の力を持った奴を無知のまま野放しにするわけにもいかんしな」
「みずくせー奴だなぁ!」
――『お前が自分で決めたなら別にいいんだよ』
この世界に来て、初めて自分で考え決断したアイをヨータは信じてくれた。
ヨータと言葉を交わしたあの日と同じ夕陽が、今は三人と一匹を照らしている。
立ち止まったまま話していた彼らだったが、不意にカナのお腹から夕飯時を訴える音が鳴る。
「なんか落ち着いてきたらお腹空いちゃった~」
「せっかくだし港のお高めの食べ放題にしようぜ」
「どうせリオウが経費で落とすだろうしな」
「ぃやったぁ!めし~!」
海と太陽と星がひと繋ぎになる夕刻。空はオレンジとすみれ色が溶け合い、港町で光り始めた街灯の下、帰路につく人々を見守っている。
三人と一匹は色鮮やかに移ろいゆく海をかたわらに光の坂を下り、行き交う人々で賑わい始めた暖かい明かりの溢れる港町へと歩いていった。
――12 名前のない朝




