第02話 ニンゲンと人間-2
既に投稿していた第2話を再度パート毎に分割投稿したものです。
内容は最初の投稿と同じです。(一部誤字脱字の加筆修正をしています)
「――ッ……てぇ…」
ひんやりと冷たい石造りの地面に倒れていたアイは、意識がはっきりしないままゆっくりと体を起こす。ぼと、と音を立てて何か柔らかいものが自分の膝に落ちた。なんだか生暖かい気がする。
「…りゅうぅぅう~…」
膝の上の獣は間抜けな声でうめき、もそもそと動いてからの四本の足で立ち上がると「くああ~」とあくびをして、呆けた顔でこちらを見上げた。
「……おう」
「……おう、じゃねーよ! 何してくれてんだよお前!」
「そりゃあこっちのセリフだぞ! お前らが森で大暴れしたせいでおりぇの住処がとんでもねぇことになったんだからな! だからお前を追いかけて来たんだぞ!」
「森って……あの森の?」
獣が口にした〝森〟という言葉で、アイの記憶にも思い当たるものがあった。恐らくは暴走していた大熊と戦っていた時だろうか。
「そしたら急に真っ黒い奴が出てきた上にお前らがものすごくピカーってなって一体全体何事かと思ったんだぞ!」
両腕としっぽをぶんぶん振りながら魔獣がそう言い、アイははっと思い出した。
「あいつは――」
夜中に突然現れ自分を取り押さえるなり、魔法陣なんかを展開した少年。恐らく彼も乱れた光に飲まれただろう。アイは辺りを見回して彼の姿を探す。
「んっ……」
傍らで短く呻く声が聞こえた。アイがそのほうへ振り向くと、自分の隣にあの少年が倒れていた。気がついたのか彼はゆっくりと上体を起こし、頭を押さえながら俯く。しかしそれから動くこともなく喋ることもなく静止している。
「…あっ、おい!」
困惑しながらもアイは少年に声をかける。少年は静かに顔をこちらに向けた。
「どこなんだよここは! 誰なんだよお前! 俺パジャマのままなんだけど!?」
「ここはさっきの宿周辺の下水道だ。俺だってこんな所に来たくて来たんじゃない」
異常事態に巻き込まれてパニックになるアイとは対照的に、少年はいたって冷静だった。
「んなこと言ったって……じゃあさっきの魔法で戻ればいいじゃん!」
「意図しない暴発で作動したせいで魔力が乱れている……安定するのを待つより自力で出た方が早い」
「はぁ!? マジで何なんだよお前!」
大きな手ぶりで声を荒げて不満をぶつけるアイに、少年は舌打ちし、すぐ傍にある壁を拳で殴りつけた。派手な打音が下水道の中でよく木霊し、これにはアイと魔獣も体が小さく跳ねる。
「いいか、さっきも言ったが今のお前は『未確認魔力体』なんだ。全ての命に紐付いているはずの『星座』が紐付いていない状態で魔力が安定していないうえ、そいつ自身も好き放題に魔力を使って、事故や事件を引き起こす恐れがある」
少年は子供とは思えぬ鋭い目付きで睨み、唸るような低い声で告げる。
「そういう存在を速やかに捕らえて人々への被害を未然に防ぐのが俺達エルペル教団だ。ただでさえ厄介な異常現象が増えていて、お前の場合は〝炎の柱の人体発火〟とかいう噂がすでに一般人に広がってるんだ。このまま二次被害が起きたらたまったもんじゃない」
そしてこれでもかというほどアイに指を差し、怒りと忌々しさの籠った声量で言い放つ。
「《神》の加護を持たず魔力の摂理を知らないお前は、何の力もない『ただのニンゲン』だ!
《神》がもたらした調和を、それを維持する秩序をいたずらに乱す害悪な存在なんだ!
このまま罪を犯したくなかったら大人しく俺とついて来い。ここに来る前に言っていた……宿に連れがいる話が事実だとしても、そいつらを巻き込む可能性だって十分あるからな」
彼が口にした言葉の数々で、アイも反論できなくなってしまった。ここで突き付けられている〝神〟や〝人間〟という単語の定義は、自分と彼とではあまりに違い過ぎる。
それだけでなく、「連れを巻き込む」という一言で、宿に残っているヨータとカナを思い出さずにはいられなかった。
確かにあの二人も、アイが人間だと確信した時にはただならぬ反応をしていた。最初の森での騒動や、今こうして少年に敵意を向けられているように、今後もいろんな問題に二人を巻き込むことになるのか。
「転移の魔術だがな、その魔獣が乱入して想定外の質量を転移させたせいで暴発したんだ。俺一人でなら簡単に転移できる。お前達をここに置き去りにしたっていいんだぞ」
吐き捨てられたのは露骨な脅しだった。
彼が述べたことは、魔力の危険性という観点では筋は通っているのかもしれない。それでも、『人間』という言葉に込めているのが〝憎悪〟であることに、依然として理解が及ばない。
「――で、ここはF-23……さっきまでいた場所からそう遠くはない。西の出口から出ればあの宿のすぐ傍だ」
壁のプレートに触れながら言い、少年は視線だけアイのほうへ向けて加えて言った。
「ここで死にたくなければ言う通りにしろ」
「わー……ったよ……」
アイは有無を言わせぬ少年に気迫負けする形で、両手を上げて了承した。納得したわけではないが、これ以上彼の意にそぐわぬことを言えばさらに強い敵意を向けられるだろう。
「なあ、さっきから『人間』とか『お前』とか呼んでっけど、オレには旧倉愛由って名前があるんだよ。……呼びにくいならアイでいいけどさ」
呼びかけながら話すアイに、少年は少しだけ彼のほうへ向いた。その視線と合うと、アイは更に強く視線を向ける。
「で、お前の名前は?」
そう尋ねるアイに、少年は少しだけ彼のほうへ向いた。その視線と目が合うと、アイはこれ以上押されまいと目を逸らさず踏ん張る。
「……ジーニ・トルファ=グロウラース」
「ジ……ジニ……?」
「教団ではジフと呼ばれている……」
「ジフだな、わかった!」
こちらに敵意はないことを示そうとにこやかに返した。しかし少年――ジフは無言でそっぽを向いてしまった。やっぱり嫌な奴だ。気を紛らわせるように今度は魔獣の方に尋ねる。
「で、お前は」
「おりぇは竜獅子の子供だからレオドラゴンだぞ!」
「見た目のわりにいかつい名前だ……」
小さな体で誇らしげにふんぞり返る魔獣――仔竜獅子に、思わず率直な感想を漏らした。
「とりあえず今はチビでいいか?」
「んなぁ!?」
点在するランプの光が水路を照らし、両脇の通路と壁を青く染め上げ揺れる水紋を反射させる。各所の壁に貼り付けられているプレートの表記を見れば出口への見当が付くらしいジフの後に続き、アイは頭に仔竜獅子が乗ったまま黙々と歩いていた。そんな中。
「言おうか迷ってたんだけどよぉ、水路の水……ちょっとずつ増えてないかりゅ?」
「ん? そうか?」
仔竜獅子に言われてアイは水路の方を見る。ジフも横目に見ながら様子を観察する。
「ここの水道は夜明け前になると一日に使われる水の量を調節するために増水する。……だが夜明けまでまだ三時間はある、増水は始まっていないはずだ。それに今混ざっている水は生活用水とは水質が違うな」
「じゃあ今増えてる水に、さらに朝の増水が増えるってことか?」
連鎖的に気付いたアイが尋ねる。
「……この水が勢いを保ったまま増え続けて、 朝の増水が始まったら……この通路の天井まで満水になる……それどころか下水道から地上に水が溢れ出すぞ」
頭の中でシュミレーションしながら、ジフは結論を答えた。
「水が溢れるのは一般人にとっては水道トラブル程度の噂になるだけだろうが……そうなった時点でここから脱出できていなければ、その時俺達はここで溺死する。死にたくなければ三時間以内に脱出するぞ、わかったか」
相変わらず命の保証を握っていることを暗に主張するジフ。そんな彼の態度にむっとしたアイは、今度は自分から切り出した。
「なぁ、ずっと聞きたかったんだけど、『人間』ってそんなに悪いもんなのか?」
「同じことを何度も言わせるな」
「でも生き物としてはお前だって同じ人間じゃん」
振り向きもせずに言い捨てるジフに、アイはなんでもないように思ったままを口にする。直後、ジフは突然歩みを止めた。
「いま何と言った?」
肩越しに振り返ったジフのライトブルーの目が、憎悪を剥き出しにして光る。おおよそその反応が返ってくるとわかっていたアイも、今度は怯むことなく疑念を言葉にする。
「この世界に来たばっかの人が危ないんだとしても、何で同じ人同士で人間を見下してんだよ」
「お前らのような害悪な輩と一緒にするな……!」
「おいおいおまえら、喧嘩すんなよこんな所で……」
仔竜獅子がアイの頭の上から呆れ半分慌て半分で仲裁する。しかし疑念という隔たりが解消することはなく、平行線の所論は明確な対立となる。ここまで一方的に言われるがままだったアイはその反動と言わんばかりにジフをなじる。
「お前らの神様は人同士で差別するのが正しいって言ってんのかよ!?」
「貴様! 《神》を冒涜したな!? その口で《神》を語るな!!」
「今まで散々見下したのお前の方だろ! だいたい神神神って、お前の話を聞いてりゃ自分で考えて理解したんじゃなくて、仲間はずれにされたくないだけじゃねぇかよ!」
そして、〝神〟や〝人間〟という言葉で抑圧されていた胸の内の感情を爆発させた。
「俺がこの世界で何を信じるかは俺が自分で決めるんだよ! お前もそれくらい自分で決めらんねぇのかよ!?」
「それ以上口を開くな!!」
「タマーーーーーーー!!!」
アイとジフの口論が激しくなる中、突如響いた甲高い奇声がそれを掻き消した。我に返った二人がアイの頭の上の仔竜獅子を見るが、自分ではないとぶんぶん首を振る。
彼らの背後の方から、水面を跳ねる音が聞こえてくる。その音はどんどんこちらに近づき――水路から水飛沫を上げて勢いよく謎の物体が飛び上がってきた。
降り注ぐ飛沫をおもむろに受けながら二人と一匹は唖然とした表情でそれを見つめる。濡れた通路に着地したそれは、ドッジボールほどの大きさの黒い球体に、ヒレのついたしっぽが生えている物体だった。
アイの知識で端的に言うなら、でかいおたまじゃくしの魔獣だ。
「で……でっか」
おたまじゃくしはなるたけ空気の入ったよく跳ねるバスケットボールの如く、パインパインと音を立てて地面を跳ねている。睨んでいるつもりなのだろうが、マスコットのような白黒の大きな丸い目に見つめられている。
それは狙いを定めていたようで、物凄い勢いでおたまじゃくしが突っ込んできた。ギリギリのところで避けた二人の間を通過して正面の壁に激突する。するとその反動でまた一直線に跳ね、ピンボールのように何度も壁にぶち当たりながら様々な角度に跳ね続ける。ようやく再び地面に着地すると回転をかけて動きを止めた。
「な……なんだコイツ!」
「タマジャックか……次から次へと……鬱陶しい!」
ジフは眉をしかめながらそう呟くと、右腕を伸ばして手の中に集まる光の粒子を銀色の槍に変形させ、握ったそれを構える。
彼の魔力を察知した魔物――タマジャックは一度地面を跳ねると、その弾みで一直線に彼へと向かって行く。ジフはそれを槍で受け止めると、力を込めて薙ぎ払った。吹き飛ばされたタマジャックはボールのごとく地面にバウンドしてコロコロと転がっていく。
「《コールドスピア》!!」
ジフの声に呼応するように彼の前に水の粒子が集まり、形作られた氷柱が、填装された弾丸の如く空中で輪になる。そして体を起こしたタマジャックに向けて一斉に射出され、直撃したタマジャックが受けた威力のままに吹き飛ばされていく。瞬く間にタマジャックを返り討ちにしたジフの緩みない手際に、アイは半ば見惚れるように呆然としていた。
「すげぇ……あ、ありがとう……」
「いやまだだ」
助けてくれたのかと思ったアイの礼を、ジフは即座に否定する。しかしそれはアイに嫌悪を向けるためではなく、状況を察知してのことだった。
「仲間を呼ばれるぞ!」
その言葉に驚く間もなく、むくりと起き上がった突然タマジャックが大声を上げて号泣する。
「……タマぁあああああ~!!」
その鳴き声は水路の遠くまで響き渡る。やがて、奥の方から水を跳ねる音がいくつも重なって聞こえてきた。そう時間の経たないうちに、その音は鳴き声を加えてすぐそこまで迫ってきている。
たくさんのデカいおたまじゃくしが。
「なっ…なんだよあれ!!」
五、六匹の黒い球体達がものすごい勢いで水面を跳ねながらこちらへ向かって来る。
「タマァアアアアッ!!」
本来間抜けな鳴き声もそれだけの数と勢いで叫ばれれば思わず戦慄が走る。向かってきたタマジャック達は泣いている仲間のもとまで駆け寄り、アイ達から守るように囲んだ。
「タマタマ?」
「タマぁ~! タマぁ~!!」
「タマタマッ!? タマタマタマ!!」
「タマタマタマ!! タマーッ!!」
どれが何を言っているのかはわからないが、タマジャックは口々に鳴いて会話――なのだと思う――を交わしている。
「……何やってんだ…あいつら……」
「情報交換か何かだろう」
「『侵入者を退けようとしたが強靭なる光によって返り討ちにされた! 一対三では敵いそうにないので援軍を呼んだ!』みたいなこと言ってるぞ」
同じ魔物である仔竜獅子にはわかるらしく、気の抜ける光景とは裏腹に妙に堅苦しい会話が成されていたようだ。会話を終えたらしいタマジャック達はそれぞれ目を合わせてこくりと頷くと、揃ってギロリと睨む。
「タマァアアアッ!!!」
そして三体のタマジャックが一斉に飛び跳ね、かなりのスピードでこちらへ突っ込んでくる。
「危ない!」
今度はアイも咄嗟に真紅の剣を実体化させ、両手で握ったそれを大きく振るう。弾き返されたタマジャック達は様々な方向へ散り、床や壁に当たって通路中を跳ね返る。
「どうすればいい!?」
「何でもいい! 今はとにかくこいつらを……」
「何でもいいって……うおっ!?」
アイとジフが話している間に再びこちらへ向かって来ていたタマジャックに気づき、寸前のところで受け止め振り払う。するとすぐにまた別の固体が別の方向から突っ込んでくる。
「こうなったら……多少の殺生は止むを得ん……!」
「殺傷って……まさか殺す気か!?」
「このままでは埒が明かない! 気絶させてもまたすぐに追われるくらいなら――」
ジフが手に握る槍に魔力を込め始める。が、その腕をアイが掴んで阻止した。
「だからって殺す必要ないだろ!」
「お前っ、何をして……」
突如、二人の押し問答を打ち破るように、場違いな叫び声が通路中に響き渡った。
「ふみゃぁああああ!!?」
その声がした方へ、二人は揃って振り返る。そこには、翼に噛み付かれた仔竜獅子が、かなりの速度で跳ねる一匹のタマジャックに連れ去られて行く姿があった。仔竜獅子は手足をじたばたと振り抵抗しているが、それも虚しくただタマジャックに咥えられ曲がり角の向こうへと連れて行かれている。
「なっ……チビ!? いつの間に…!」
「言ったそばから……!」
突然の事態にアイは困惑し、ジフは辛酸を舐める表情で低く呟いた。魔力を溜めた槍で無数の氷柱を出現させ、残りのタマジャックを一掃する。気絶したのか、タマジャック達が転がったまま動かなくなったのを確認するが、そんなジフの横を、表情を変えたアイが乗り出していく。
「おい待て! どうするつもりだ!?」
去っていったタマジャックと仔竜獅子を追おうと走るアイの背後から、ジフが制止の声と共に肩を掴んで引き止める。
「決まってんだろ! 助けるんだよアイツを!」
「お前! ここから生き延びるつもりはあるのか!? 野生の魔獣の弱肉強食を哀れむ暇はないんだぞ! そもそもお前が余計なことをするから不意を突かれて…!」
痺れを切らしたように、ジフは怒声を上げて激しく責め立てた。彼の言っていることはどれも事実だった。アイは何も言い返せなくなる。しばらく俯いて黙り込んでいたが、震える唇を開いた。
「……お前さっき言ったよな、俺はこの世界で迷惑を起こす害悪なニンゲンだって」
そして顔をあげ、ジフの目を真っ直ぐ見ながら言った。
「じゃあ俺がここで死ねばそれも収まるのか?」
絶句したのは、今度はジフの方だった。
「いや、あのチビだけでもなんとか助ける。せめて……一人にはしないように……。お前も『一人でなら転移できる』って言ってたよな? だったら早くここから脱出してくれ」
それだけ告げると、ジフの答えも待ちもせずに再びアイは進む方向へ向き直り、また走り出した。
そんな彼の後ろで、ジフはただ立ち尽くしているだけだった。