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第12話 名前のない朝-2

 羅針塔の会場では山羊の魔物が暴れ狂う中、参列者達が出口になだれ込み、中央でひとしきり破壊し尽くした魔獣が首を振って周囲を見回す。まるで何かを探しているようにも見え――やがて、上層にも席があることに気づいた。魔獣は地面を踏みつけると、ひとっ飛びで上層バルコニーの手すりにしがみつき、ずるりと黒い巨躯を乗り出した。

 そこには数人の修道士とシスター、そして彼らの後ろに庇われるカナがいた。


「カーナリア様をお守りしろ!! 早く会場の外へ!!」


 修道士の男が叫ぶも、凄まじい力の魔物の腕がそれを掻き消し、前に立っていた修道士ごと椅子を薙ぎ払う。身を呈してカナの前に飛び出した一人のシスターの後頭部に椅子の足が直撃し、そのまま横へ吹き飛んだ。

 それを目の当たりにしてしまったカナの目の前にも、飛んできた椅子が迫っていた。



 会場の物陰に退避したユーリアの腕の中でキンディスが意識を取り戻す。


「……何だよこれ……」


祝福の場から一変した光景に、彼は目を見開いて愕然とした。


「さっきの……俺が……大星座の力を使ったせい……? でも……演習でもずっと同じようにやってきて……今まで何ともなかったのに……いつも通りにやったはずなのに……!!」

「キンディス、落ち着いて!」

 頭を押さえパニックに陥るキンディスの様子に、ユーリアが彼の肩を抱いて呼びかける。そんな二人の視線の先に、上から魔獣が飛び降り地響きを鳴らす。魔獣の巨大な手には少女の小さな体ーー力なく気絶しているカナが掴まっている。



 カナの右耳からは鮮烈な血が流れ、白いドレスが真っ赤に滲んでいた。



「――カナ!!」


 叫ぶキンディスとユーリアに目もくれず、魔物は舞台の上へと飛び乗り、依然として空中に蠢いている黒い渦の中へと飛び込んでいく。


「待て!!カナを返せ!!」


 キンディスが魔物に向かって追い縋るも、魔獣とカナは黒い渦の中に消えてしまった。ひゅっと飲み込んだ息がキンディスの胸をせり上げ、カナの名を叫びながら黒い渦へと走っていくが、舞台の上で手を伸ばした目前にして渦はあっけなく消失してしまった。



 その時。黒い渦とは別の、今度は光の球体がキンディスの目の前で爆ぜた。波及する光がキンディスを呑み込む。


「キンディス!?」

「キンディス様!!」


 咄嗟にユーリアが舞台に飛び乗ってキンディスの後を追う。共に光の中に消えていく二人を見ていた修道院の大人達もそれに続こうと舞台へ走る。

 が、舞台上へ辿り着く前に光が消えてしまった。


「なんてこと……カナ様……キンディス様……!!」

「ユーリアまで消えてしまうなんて……」

「……このままここにいては負傷者が増えるだけだ。今はとにかく、技術士を聖障の制御に向かわせてキンディス様達の居場所をお探しするんだ。他に動ける者は一人でも多くの避難と怪我人の救助を…!」


 嘆くシスター達に、神父が取るべき行動を示す。指揮を取りながらも、キンディス達が消えた舞台の方を、苦々しく振り返った。


「どうか……どうかご無事で……」




 追いかけてきたユーリアの前で、絶望したキンディスが膝から崩れ落ちていた。

 光の内側からは周囲がモノクロに見えた。それだけでなく、音も動きも一切感じられない、まるで時が止まったかのような空間だ。

 魔物が消えた会場には、無残に散乱した瓦礫やオブジェ、踏み躙られた花、打ち捨てられるように倒れている多くの参列者達が、静寂と共に残されていた。


「……なんで……」


 項垂れているキンディスから声が溢れる。


「生誕祭が……何で……何でこんなことになるんだよ……!! カナはどこに行ったんだよ!!」


 床に落ちた赤い点の道ーーカナの耳から流れた血の上でキンディスは拳を握りしめ、激情と共に床を殴りつける。異形の魔物に捕らえられ、そのうえ痛々しい怪我を負ったまま一人どこかに連れ去られてしまった。今の彼女の心身を思うだけで胸が張り裂けそうになる。叫んでもどうにもならない現状に虚しくなったキンディスはその場に蹲る。


「……こんなの……どうしろって言うんだよ……」

「キンディス……」


 今にも泣き出しそうなキンディスの上擦った声にユーリアは掛ける言葉が見つからずにいた。

 ――その時。

 照明も破壊された舞台の上に、光の粒が漂う。それに気づいたキンディスがゆっくりと顔を上げる。



 光の粒が一ヶ所に集い、何かのシルエットを形作る。しなやかな脚の四足獣の形を成した光が、淡く弾けた。

 現れたのは、光り輝く白馬だった。自らが発する光でたてがみが金色に煌めいている。

 白馬の後ろ、舞台の壁には崩落した彫像があった。まるでその像が本来の姿を取り戻したかのように、白馬は全く同じ造形をしている。そこでキンディスは司祭が読み上げた祈りの言葉を思い出す。

 ――『光颯座の大精霊キュロイトの要を為す星よ』

 明星の救世主と契約し世界を救った五大精霊。この世界では誰もが空の星を一つ宿して生まれる中、五大精霊の星座の一番大きな星を宿した者が【大星座】として生まれる。



 同じく舞台上で白馬と対峙するユーリアが固唾を飲んだ。


「……もしかして……これが大精霊の……」

「……キュロイト――」


 光の白馬――キュロイトはキンディスのもとに歩み寄り、彼が立ち上がるのを待つように静かに見つめる。キュロイトの光を目に焼き付けるキンディスの脳裏で、止まっていた思考が、記憶が流れ出した。

 『とりわけこの塔の羅針盤はこれほどの大きさで、何より神聖な力が宿ってる。これを通してビジョンを見れば、全身がその場所に飛んだみたいに広大で本物同然の景色が観れると思う』

 『君なら誰よりも上手く羅針盤を使えると思うんだ』

 『我らが故郷の象徴たる羅針の光を宿せし星よ。汝、その黄金の羅針の輝きをもって、星なき夜に迷える我らに往くべき道を指し示し導き賜え』

 昨夜の塔の羅針盤での青年の言葉と、先程の司祭の祈りの言葉が、一つに繋がった。



「……そうか……」


 キンディスは床についていた両手に力を込めて、ゆっくりと立ち上がった。


「俺の……大星座の力――この塔の羅針盤と同じ力を使えば、カナがどこにいるかわかるのか」


 キンディスは正面から真っ直ぐにキュロイトと見つめ合う。彼の出した答えにユーリアは驚くが、一方キュロイトは静かに頷いた。


『己の生まれ持った力の意味を理解したか』


 脳裏に直接声が聞こえた。キンディスともユーリアとも違う声。目の前にいるキュロイトが魔力を通して喋りかけている。低く、けれどたおやかな大精霊の声に、キンディスも体の芯が震えた。


『私と其方の力を交えれば、其方の強く望む場所に転移することができる』

「だったらやるしかない……カナを助けに行かないと」


 頭の中の混然としたうねりは晴れ、一度強く目蓋を閉じ、開いたキンディスの瞳には確固たる意志を宿していた。


『だが我々の力の本質はそこだ。摂理を超えて光となること。……つまり、その先の辿り着いた場所で起こることに関しては私の与り知らぬ所だ。たとえ連れて行った先がどんな場所であろうと、な』

「んなことはわかってんだよ! それでも行かなきゃ……こんな滅茶苦茶な状況を何も変えられない!」

『……答えは決しているか。私の姿が見えているならそれも確かなのだろう』


 彼らの会話を見ていたユーリアが、咄嗟にキンディスの肩に手を掛ける。


「待ってキンディス、アンタが行くなら……私も行く」

「えっ、でも……あんな得体の知れない怪物がいるような場所だぞ」

「だったらなおさら、ここに戻ってくるまで誰がアンタとカナを守るの。私言ったでしょ……アンタが大星座の役目を果たす時は、必ず私も一緒にいるって」

「……わかった。一緒に頼む、ユーリア」


 二人が互いの決意を確かめ合うと、静かに待っていたキュロイトが言う。


『良いのだな。何が起ころうとあとは其方達次第だ』


 キュロイトの忠告にキンディスが頷く。するとキュロイトが頭を下ろしてキンディスの前に額を差し出す。両手でそっとキュロイトに触れたキンディスも、白い毛並みの上に自身の額を重ねた。

 やがて彼らの足元から光の輪が輝き出し、閃光を伴って生まれた旋風が二人と一匹を包み込み込んだ。




* * *



 暗転した目蓋の裏で光が広がり、羅針盤のビジョンが映し出される。

 この羅針塔の最上階にある羅針盤の制御機関室。巨大な歯車の前に置かれた寝台の上に、カナが横たえられていた。


 ビジョンが消えた直後、光の輪からキュロイトの背に乗せられたキンディスとユーリアが飛び出す。着地したキュロイトから降りた二人は、この場所に自分の足で立っていることに驚いていた。


「……場所が変わってる……まさかビジョンが見えるどころか、瞬間移動したのか!?」

「ここは……羅針塔の上の階?」

 ユーリアが周囲を見回して様子を確認する。



 明かりのない暗闇に包まれた時計塔の上部の廊下。しかし漆黒に染まる壁の至る所に、溶岩のような……あるいは銀河の星雲とでも言うべきか、ぎらぎらと蠢く禍々しい光が道を照らし出していた。見馴れた風景を得体の知れないものが侵食する歪な悪夢を見ているようだった。


「なんだかまるで……本で読んだ『煉獄』の中みたい……ここにカナがいるの?」

「ビジョンで見えたのは……一番上の制御機関室。今の俺の力じゃここまでが限界だったのかも」

「わかった。すぐそこも同然ね」



 大精霊がいるとは言え、こんな場所を子供二人だけで突破できるだろうか。二人の中の不安は拭いきれなかったが、決して口には出さず決意を固める言葉に変える。ユーリアは前もって装備していた弓を手にしながら言った。


「キンディス。もしここを進んでる時、人間……もしくはそれに似た見た目の何かがいたら、アンタは身を守ることに専念して。トドメは私が刺す」

「でもそれじゃお前は……」


 キンディスがユーリアの表情を伺う。同じタイミングでこちらに振り返った彼女と視線が重なった。ユーリアはキンディスの不安を見抜いたかのように、勝ち気な笑みを見せた。


「忘れたの? 私はアクイエイアに来る前は森の猟師の娘として暮らしてたのよ」


 この状況で命を殺めることに躊躇いはない。「何なら滅多に武器を握ったことのない大人より、今でも護衛の鍛錬を続けている自分の方が慣れているかもしれない」と得意げに豪語するユーリアを見て、キンディスもまた呆れつつも頼もしく思う笑みを浮かべる。


「油断すんじゃねぇぞ」


 意を決したキンディスは、改めて進行方向へ向き直る。


「俺だって……護身術の稽古をみっちりつけられてんだ」


 キンディスは右手を前にかざして魔力を込めると、その手に光が集い金色の大鎌が実体化した。今まで稽古で使っていたものよりしっかりとした造形の、巨大な羅針の先から光の刃が伸びた、初めて見る武器だった。

 実体化した大星座の力の一部を、キンディスは両手で握り締めた。



 二人が進む廊下には、影の力を帯びた異形の魔物が蔓延っていた。会場に現れた山羊に似た獣や、影そのものの不安定な形の手足で徘徊している怪物。本当にアークレイアが自分達の知っている場所ではなくなったことを痛感しながらも、キュロイトの援護を得て武器を駆りながら階段を駆け上がっていく。




 そして辿り着いた最上階。制御機関室の扉を二人同時に攻撃を放って破壊し、中へと踏み込んだ。

 昨夜キンディスが見たのと変わらず、黄金の巨大な歯車と周囲のパーツがゆっくりと回り続けている。……変わらないのはそれだけでなく――



 白い髪と服の青年――キンディスと共にここに訪れた彼が、カナを寝かせた寝台の前に立っていた。



 彼の姿を視認したキンディスは驚愕する。対して青年は緩慢に振り返り、入り口に立つ二人の方へ顔を見せる。


「昨日教えたこと、ちゃんと実践したんだね。偉いじゃないか」


 青年のライトブルーの瞳が、惨劇に巻き込まれたとは思えぬほど穏やかなーーそれでいてどこか冷たい――笑みを浮かべていた。


「教えたって何だよ……なんでお前が今ここにいるんだ」

「アンタ一体何者……昨日ってどういうこと」

「その子に昨日の夜ここへ案内してもらったんだよ。名前も知らない人についていっちゃダメじゃないか……キンディス」


 言いながら、青年は名乗っていないはずのキンディスの名を一方的に呼んだ。黙っていたことをあっさりと明かされ、反射的に自分を見るユーリアに、キンディスは口を噤む。


「おかげでしっかり準備ができたし、素晴らしいほど計画通りに進んだよ」

「準備って……お前あの時羅針盤に何かしたのか!? 計画って何なんだよ!!」

「〝やった〟のは君だろ」



 不可解な言葉を並べる青年にキンディスが声を荒げるが、彼は冷淡に言い捨てた。キンディスは理解に苦しみながらもその言葉の意味を考え――そして理解してしまった。

 ーーこの羅針盤を通して、キンディスは都市の外に広がる景色を見た。そのためにキンディスの魔力を羅針盤に注ぎ込んだ。確かにあの時、先に羅針盤に接触したのはキンディスだった。


「……………」


 言葉を失うキンディスを見て、彼が理解したのを悟った青年が続ける。


「あの時君が羅針盤に注いだ魔力が、聖誕祭の舞台で披露する魔力に反応するようにしたんだよ。凄かっただろう? あの爆発」


 彼の仕組みが、キンディスによって繋がってしまった。キンディスの顔はみるみる蒼ざめていく。


「あれを起因に煉獄の火口と繋げたんだよ。その出口からこれだけたくさんの煉獄の異形が出てきたんだ」


 そして、影の気配を感知した聖障が最大限の力を振るい、結果として都市を破壊した。青年が淡々と告げた真実に、キンディスの口から震えた声がこぼれる。


「……俺の……せい…?」



「騙したのか……俺を……!!」

「君の望みだってちゃんと叶えてあげたじゃないか。等価交換だよ、これは」

「等価……!?」


 外の景色が見たい――そんな些細な興味と、都市の崩壊が等価だと言うのか。青年から吐き捨てられた信じ難い言葉にキンディスは絶句する。


「……逆に言えば、こうまでしないと君に自由を与えないような場所なんだよ、ここは。壊れて当然じゃないか。だから景色だけじゃなくて……本当に君を自由にするために僕はここに来たんだ」


 青年の口からアークレイアを蔑む言葉が止まらない。キュロイトが無言で前に歩み出て、立ち尽くしているキンディスを庇うように立つ。


「この子だって、ここで人々の欲望を浴び続けるくらいなら、連れ出してあげるべきなんだ。僕達にとってもこの子が絶対に必要だから。……怪我をさせてしまったのは不本意だけど」


 肩越しに背後のカナを見遣る青年は、キンディス達には見えないながらも痛ましげな表情を滲ませる。そしてもはや何も隠すつもりもなくなったのか、向き直った彼の顔つきは堂々としていた。


「――僕はアルズ。いや……アラストル。君達をここから解放するために来たんだ」


 青年――アルズの瞳には、敵に向ける悪意と表裏一体の、強い信念が宿っていた。



「何 勝手なこと言ってんのよ!!」


 アルズの語りを遮る怒号。その声は、ユーリアだった。


「あんたにキンディスの……この子達の何がわかるって言うのよ!! 大して知りもしないあんたなんかにわかるなら、私達だって、この子達にとって一番良い生き方をとっくに理解してあげられたわよ!!」


 ユーリアは震える拳を強く握り締め、前のめりになりながらその表情に怒りを剥き出しにする。


「少なくともそれを決めるのはあんたじゃなくて……キンディス自身でしょ!! あんたの勝手な都合をキンディスのせいにするな!!」

「……ユーリア……」


 愕然としていたあまりキンディスは何も言えずにいたが、そんなキンディスのために怒りを露わにするユーリアの叫びが、その言葉が、手放しかけていたキンディスの心を引き戻した。



「会場を……アークレイアを破壊した影の力があんたの仕業なら、一体どうやって侵入したって言うのよ。ここには聖障の結界があって影の力は決して入れないはずよ」


 ユーリアの剣幕に、表情を無にして黙っていたアルズだったが、訝る彼女に詰問され再び口を開く。


「……最初は、不運にも都市の外に出てきた普通の住人に……少し話を聞いたんだ。そしたらその人の家族が探しに来る。だからお願いしたんだよ。「君達が住む場所のルールを決めている人を教えて。そしたら帰してあげる」って。本当なら影を植え付けた方が早いんだけど、入れないから直接聞いてもらうしかなかったんだよね」


 他愛ない話でもするように、不穏さの感じない言葉を連ねて自供するアルズ。だが。


「それでちゃんと教えてくれだんだ。「ここの決まりを決めてるのは修道院の人達だ」って。「だったらその人達に助けを求めてみなよ」って言ったら、本当に修道院に駆け込んでくれて。後は外の異変を探りに来た人達に僕達も入れるようにしてもらったんだよ」


 それらの言葉が、実際どのようにして行われていたのか。柔らかい語り故に、キンディスとユーリアにも想像できてしまった。


「でも都市ごと崩壊した今……誰がどんな目に遭ったかなんて大した違いはないよ」


 言葉以上の意味も、感じるものもない。アルズは淡々と吐き捨てた。会場の崩壊を目にしたキンディスの壮絶な悲しみすらあっけなく切り捨てられたようで、頭の中で怒りの熱が駆け巡った。



「お前……お前ぇええええええ!!」

「キンディス!!」


 ユーリアの制止も聞かず、激昂の叫びを上げて走り出したキンディスが、大鎌で斬り掛かる。アルズは避けも構えもせず、右腕でそれを受け止めた。


 そのまま受け流すように弾かれたキンディスは、それでも緩みなくスイングして大鎌を振り下ろし続ける。何度防がれようと止まらぬ攻撃は彼の激情そのものだった。


「カナを返せ!!」


 一歩また一歩と後退するアルズとぶつかり合う硬く鋭い音が何度も響く。しかし悉く受け止めては流される。

 アルズの腕を甲手のように氷が覆っていた。砕けては生成する速度が速すぎてアルズ本人に攻撃が通らない。後退しているのにその足取りはステップでも踏んでいるかのように迷いがない。

 ――むしろ引き付けられている。



 そう気づいた時には、キンディスはアルズの懐に踏み込んでいた。防御に徹していたアルズが一瞬笑みを見せる。振り上げた足で思い切り蹴り付け、ギリギリでキンディスが大鎌で受け止める。


「っ……!!」

 それとほぼ同時に、アルズの背中から巨大な氷の翼が広がった。光りながらひと度はためくと、打撃の如き強烈な吹雪の塊がキンディスに直撃し、あっけなく吹き飛ばした。


「ぐぁあっ!!」


 床に落下したキンディスの体が石ころのように転がる。ユーリアがキンディスのもとへ駆け寄る。



「この……!!」


 咄嗟にユーリアが躍り出て弓矢を放った。真っ直ぐに飛んだ矢がアルズの前に張られた氷の盾にぶつかり、爆発する。

 広がった冷気の煙の中、その頭上から、空の星の如き数多の光の点が輝き、光の矢となって一斉にアルズに射出される。アルズは翼を傘にして降り注ぐ攻撃を防いだが、翼を退けた視界の先には自然元素の風で跳躍したユーリアが迫っていた。彼女と入れ替わるようにキンディスの前に立つキュロイトが、自分達を囲うように光のドームを展開している。


「《白銀の瞬き(クライス・アイス)!!》

「《閃風の群星プレイオネ・サフォナーダ》!!」


 アルズの翼から放たれた無数の氷と、走るユーリアから連続で放たれた弓矢の束が空中でぶつかり合い、降り注ぐ氷の破片が乱反射する。その中をユーリアが止まることなく突き進んでいく。

 目前まで迫った彼女が魔力を込めて射った矢を、アルズが正面から氷で防ぐが、相殺の爆発で噴き上がった冷気の煙が消えた先、すでにユーリアも姿を消していた。

 アルズが気づくよりも速く、彼の背後に回ったユーリアがナイフを握り締めて斬りかかる。



 ――その直前。彼女の背中を、鈍く深い音が貫いた。



 ユーリアのさらに背後から、大きな氷の切っ先が放たれていた。――数本の氷を空中に残したまま、まるで一発で十分だとでも言うように――。

 彼女の口からは悲鳴の代わりに鮮血が飛び出る。その光景が視界に飛び込んできたキンディスが、目を見開いて悲痛に叫ぶ。


「ユーリア!!」

 アルズが一歩も振り返ることなく腕をひと払いすると、吹雪の突風でユーリアは後方に吹き飛ばされ、キュロイトが直ちに彼女のもとへ駆ける。だが追い討ちをかけるように、攻撃の流れ弾を喰らった羅針の機関装置が崩壊し、彼女達の上に落下した。



「そんな……ユーリア!!」


 キンディスはユーリアの名を叫びながら起き上がろうとするが、気を取られているうちに接近していたアルズに蹴り飛ばされる。再び地面に転がされ、そのままキンディスを跨いで膝をついたアルズが首を掴み、仰向けに地面に押さえ付ける。

 そして首を掴んだままの手から、キンディスの体に激しく迸る影の力を流し込んだ。

「うわぁあああああああああ!!」

 電流の如き黒く禍々しい力がキンディスの体内に駆け巡る。それがキンディス自身の魔力と結合し、火種が酸素を得て燃え上がるように新たな熱が生まれ、全身に広がっていく。


「こんなにすぐ影が活性化するなんて……この反応の強さこそが君の負の感情の大きさなんだよ……この場所で何年も閉じ込められていたせいで……!!」


 響くキンディスの悲鳴を間近で聞くアルズは痛ましそうな表情を見せる。しかしその感情は今目の前で苦しんでいるキンディスではなく、アルズの個人的な嫌悪に向けられていた。


「君のこの激情と影が完全に一体化すれば……それが君の命の強さになる……! 僕達の新しい世界では何にも抑圧されずに、君の自由に生きられるんだ!!」


 悪意でも敵意でもなく、アルズはキンディスを蹂躙する苦痛を善きものとして注ぎ続ける。それこそまるで瀕死の体を前にして、必死必死に酸素や血液を送り込むように。他の誰でもないアルズ自身がキンディスを痛めつけているというのに。


「うあ……ぐっ…ああ……」


 キンディスの意識が朦朧とする。早くユーリアを助けないと、ユーリアが。カナも、都市の人々も、早く助けなければいけないのに。ユーリアや修道院の大人達が必死に抗っているのに、自分ばかりが何もできずにアルズの手に掛かっている。

 何が大星座だ。



 瞼の裏がゆっくりと闇に落ちていく。頭の奥底で子供達の歌が聞こえてくる。明かりを消した部屋で修道院の子供達が、誰かの誕生日会で歌う歌。その中には幼いユーリアやフィルシュ、シスター達もいる。

 彼女達の背後で、離れた席からキンディスはそれを見つめていた。

 数本の蝋燭が灯ったケーキ。それが置かれたテーブルを囲んで、幼いユーリア達は無邪気に笑って歌っている。キンディスがあの輪に入れたことはない。

 俺は大星座なのに。

 大星座とそうでない子供達にの間には、決して交わることのない隔たりがあった。終わらない歌。入れない輪。誰もがケーキに夢中になって振り返らない子供達。いつまで、いつまでこれが続くんだ。

 そんな景色も、一本ずつ吹き消される蝋燭と共に闇の帷が落ちてくる。ああやっと終わるのか。やっと解放されるのだ。この場所から――



 ……本当にそうだったか?

 ユーリアは今どうなっている? 生誕祭が始まる前にフィルシュはなんと言ってくれた? シスター達は正装の礼服を着た自分を見てどんな顔をしていた?

 僅かに残った意識で、キンディスは己の目で見た記憶を確かめようとする。そんな意識さえ、最後の蝋燭の火のように呆気なく吹き消さた。



 ――その時。

 最奥の壁に佇む羅針盤の歯車に、光の粒が集い始める。球体となって眩しさが強まっていくそれは、やがて砂時計のように、寝台に横たわるカナの上に降り注ぐ。

 そして光の粒が溶け込んでいくカナの体から、一際強い波動の輪が迸った。



 脈動のように繰り返し広がっていく波動が、アルズとキンディスの体を貫く。光の力に当てられたアルズは支えを失ったかのようにがくりと膝から崩れ落ち、片手で胸を押さえながら辛うじて地面に手をつく。


「っ……なんだ、この光……」


 一方、カナの光に呼応するかのように、波動を受けたキンディスの体からも強大な光が弾け、アルズの体を吹き飛ばした。

 弾けた光の中から、さらに全てを焦がすほどの眩い光の柱が出現する。



 柱の中で少年の影がゆっくりと舞い上がっていく。

 そして光の柱から姿を現したのは、金色の光の翼を背に広げたキンディスだった。



「……これが……大星座の力……」


 キンディスは、全身に聖光元素の力が駆け巡るのを感じる。カナから受けた光の波動。初めて目の当たりにしたはずのそれは、無性に懐かしい温かさを感じた。生まれて間もない頃に抱擁された温度が蘇ってくるようだった。

 ……いや、似ているものならちゃんと知っている。たとえ狭い箱庭でも、修道院の人々から与えられた愛情と笑顔は、こんなふうに暖かかったのだ。


 光の実態は――聖障の中枢に眠る神性の力。だがそれ以上に、ずっと見守っていた誰かが、今こそキンディスに呼びかけるような感覚を感じる。

 誰かに想われている、ただそれだけで自分の中に生まれる温度が、力となって全身に満ちていく。


「アークレイアを……俺達の居場所を……滅茶苦茶にしたお前を、絶対許さねぇ!!」


 瞳に太陽の如き光を取り戻したキンディスは、空中から姿を消した。



 キンディスが来る――直感したアルズは体勢を立て直す。キンディスは音も立てずに、ネオンのように鮮明な光の線の残像を伴ってアルズの背後に現れた。キンディスが振り下ろした大鎌をアルズが氷で受け止め、踏み留まるアルズの足が地面を摩擦する。

 直後、再びキンディスが背後に現れた。アルズは咄嗟に氷の翼を広げ、突風で振り払いながら空中に飛翔する。

 そして間髪を入れずに放射線状に無数の氷を放つ。キンディスが光の線だけを残してコマ送りのように消えては現れ、氷の隙間を縫って接近し、振り下ろした大鎌から三日月状の大きな閃光を繰り出す。アルズが咄嗟に展開した氷の盾が、粉々に砕けて飛散する。


「速い……!!」


 キンディスの俊敏性が、尋常でないほど上がっている。一瞬も経たぬ間に狙った場所まで移動する、もはや瞬間移動と言える現象であった。大精霊キュロイトの駿馬そのものと言える力をその身に宿しているのか。

 衝撃で互いに弾き飛ばされ、上空で間合いが生まれる。先に次の動作に移ったのはアルズだった。――が、不意に背中の翼に攻撃を喰らい構えを崩す。


「ぐっ……!」



 振り返ると翼に突き刺さった緑に光る矢の残滓が見えた。狙撃されたのだ。――ユーリアが再び動いている。それもただの矢ではなかった。


「何だ……この力は……!」

 アルズの体内の《影》の力が弱まっている。カナから波及した光と、たった今喰らった矢から、強力な聖光元素に体を侵されていた。これほどまでに《影》に効果を及ぼすのは、大精霊でもなければそう起こり得ない。


「お前だけは絶対にここで倒す!!」


 斬り掛かるキンディスを再び氷の刃で防ぐ。しかし思うように力を出せない体では、押し留めているので精一杯になりつつある。



 アルズが身動きを封じられたその時、キンディスの背後で、瓦礫からキュロイトがユーリアを背に乗せて飛び出した。着地した蹄が地面を重く踏み締める。


「キンディス!!」

『受け取れ!』


 キュロイトの強力な魔力を、ユーリアが構えている弓矢に込める。切先に小さな太陽を宿したが如く、集う光が眩く輝く。そしてユーリアはキンディスに矢を放った。矢は一直線に宙を切り、背中からキンディスを貫き――一体化した。


「うぉおおおおおおおおお!!」


 アルズと競り合っていたキンディスの大鎌にさらなる力が込められる。そしてついにアルズの氷の盾が砕けた。粉砕の衝撃を受けたアルズの構えが解ける。キンディスは大鎌の柄をバトンの如く回転させ、鮮烈な光を放ちながら振り下ろした刃がアルズに叩き込まれた。床を抉る勢いでアルズの体が墜落する。



 土煙の向こうに倒れたアルズの姿を、空中からキンディスが捉える。キンディスは両手で大鎌を握り締め、頭上に掲げた。刃に煌々と光が集っていく。大鎌を伝って、キンディスの全身に光が満ちた。


「《王莽の刻針トワイライト・フォール》!!」


 叫びと共に翼を羽ばたかせ、急降下の勢いに乗って宙返りする。光の軌道が円を描き、太陽の如き輝く球体となってアルズに向かって落下する。


「クソッ……!!」


 上半身を起こし、迫る光球にギリギリで反応したアルズ。しかし立ち上がる時間は残っていない。座り込んだまま両手を地面に叩きつける。

 地面からアルズの周囲に黒くぎらついたエネルギーが立ち上り、光球と激しくぶつかり合う。少しずつ強まる光球の力が、やがて黒いエネルギーを押し切った。

 着弾した地面で爆発が起こる。エネルギーは瞬く間に蒸発し、激しい衝撃波と眩い光の波が駆け巡った。



 光が止むと、そこにアルズの姿はなかった。

 空中に残っているキンディスが肩で息をしながら、何もない抉れた床を見つめる。


「……あいつは……」

「倒したの……?」


 地面のユーリアも同じく周囲の様子を伺う。


『……わからん。だが気配は完全に消えた。あの男はもう、ここには――この都市にはいない』


 キュロイトが静かにたてがみを靡かせ、大気中の魔力を感じ取る。キンディスは地面に降り立つと翼が消失し、ユーリアもキュロイトの背中から降りる。


『あの娘も命は無事だ』

 そう言ってキュロイトが視線で示した先を、キンディスとユーリアも追う。

 ――寝台に寝かせられたままのカナだ。



「カナ!!」


 キンディスとユーリアが衝動的に走り出し、カナのもとへ向かう。キンディスが呼びかけるが、カナは目を開かない。ユーリアが腕の中にカナを抱き起こすと、小さな寝息と心音が聞こえた。


『大きな怪我を負って憔悴している。回復するまでしばらく眠りが必要だ』


 後をついてきたキュロイトが言う。カナの本来白い羽が生えていた場所――右耳を覆う金色の髪が、乾いた血にまみれている。キンディスとユーリアは悲痛に顔を歪めた。


「……カナ……ごめん……」


 悔しさでやりきれないキンディスが、震えた声を漏らした。

 彼らの間からキュロイトが顔を覗かせる。首を伸ばし、瞼でカナの体に触れる。


『……一度に強いショックを受けたことで、苦しまずにすぐ気絶したようだ』


 その言葉はキンディスを気遣ってのことだろうか。キュロイトはカナに触れている部分から魔力を流し込み、彼女の体が光に包まれる。


『じきに目を覚ますだろう』



『最初に言ったが、この地の聖光元素が大きく崩れた影響で私の力も大幅に弱まってしまった。再びこの地の元素を元に戻すには、なおさら時間と魔力をかけなければならない。大精霊である以上、私はそれに徹しなければいけない。今の力では、お前達を帰してやれるのも……初めに出会った元の場所までだ』


 安全な場所へも、見知った人々が逃げた先へも、連れて行ってやることはできない。キュロイトはそう言いたいのだろう。キンディスとユーリアは互いに顔を見合わせた後、キンディスが答える。


「……ああ、わかった」


 キュロイトが開けた方へ向き直り、足元に光の輪を発生させる。

 キンディスが彼の背に乗り、ユーリアが抱き上げたカナを受け止めると、最後にユーリアも背中へと乗ってカナを抱える。

 キュロイトが天へと首を上げ、たてがみをなびかせると、輪から光が立ち上り彼らを包んだ。

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