第12話 名前のない朝-1
大星座キンディ・ソレント=ハーレンの誕生祭当日。
控えの部屋で純白の衣装を着せられたキンディスは、赤いベルベットの広々としたソファーに一人で座っている。彼の前には、同じく正装の青いドレスの上から鎧を着て、今日は髪を下ろしているユーリアが膝をついてキンディスの衣装を細かく整えていた。
キンディスの衣装は貴族の優美な燕尾とも、聖職者の神聖な礼服にも見える、高潔な白に黒の差し色と金の縁が施された丈の長いジャケット。同様に白いスラックスを履いた足を椅子の上でぶらつかせている。
「よし、とりあえずはこれで終わり。式が始まるまで汚さないでよ」
ユーリアが両手で白い生地をピンと伸ばし、ついでのようにキンディスの腰を叩く。
「ちゃんとかっこいいじゃない」
膝をついたままキンディスを見上げ、素直な褒め言葉と共に、青の髪飾りと三日月のイヤリングで彩られた笑みを見せるユーリアと正面から目が合い、思わず顔を赤くしながら咄嗟に視線を逸らす。
「お前こそそんな……スカートなんて着て、いつもみたいに大股で歩けんのかよ」
「なに~? お姉さんの正装はちょっと刺激が強かったか~?」
「お、おい!! 言ったそばからやめろって!!」
照れ隠しであることを見透かしたユーリアが、両腕を広げてヘッドロックまがいの形でキンディスの頭を捕まえ、強引に抱き寄せた。慎ましさの欠片もなくじゃれ合っている二人のもとに、別の席で衣装合わせをしていたカナが駆け寄る。
「キンディス! ユーリア! わたしもドレスできた!」
カナは純白のフリルのスカートをぱたぱたとひらめかせてはしゃいでいる。ユーリアはキンディスを解放したかと思えば、目を輝かせながら今度はカナを抱きしめた。
「カナ~!! 本物の天使みたいでかわいい~!!」
「ユーリアも今日はすごくきれい!」
「天使見たことあんのかよ……」
カナは舞台には出ず、観衆から離れた特別な席で修道院長達の保護下で聖誕祭を鑑賞する。やがて部屋の外に控えていたシスター達が迎えに訪れ、カナが部屋を出る際にくるりと振り返る。
「キンディス、聖誕祭頑張ってね!」
「うん。ありがとな、カナ」
キンディスがカナの前にしゃがみ、にっと笑いながら彼女の頭を撫でた。カナを見送りユーリアと二人きりになると、ふとキンディスがあることを思い出す。
「そういえば誕生日プレゼントなんだけど、なんとなく決まりそう」
「あら、そうなの? もっとじっくり考えていいのに」
「これ以外他にないってやつを思い出したんだよ! 式が終わって落ち着いたらちゃんと話すから」
「そう、わかった。今は式に集中しなさい」
いつになく真面目に式に備えるキンディスを見て、それほど熱心にプレゼントのことを考えているのかと感じたユーリアはそれ以上追及しなかった。そのままテーブルに置いてある護衛用の弓矢の手入れを始める。
予定の時刻まで別々の椅子に座っているが、ずっと傍についてくれているユーリアの後ろ姿を、キンディスはひっそりと目で追う。
――昨夜、この塔の羅針盤を通して見た、外の世界のいろんな景色。
あれらの景色を、ユーリアや、カナと一緒に、自分の目で見て回りたい。
今はそれだけがキンディスの望む、何よりもの誕生日プレゼントなのだ。
* * *
舞台に立つ時間が迫ったキンディスは、ユーリアと共に聖誕祭の会場となる大聖堂に繋がる裏口へ向かう。すでに道の脇には煌びやかなオブジェの数々が立ち並び、白い礼服を着た修道院の者達がせわしなく準備を進めていた。
「キンディス様!」
その一角で、自分の背丈よりもずっと高さのある花をセッティングしていたフィルシュがキンディスに気づき、呼びかける。
「キンディス様、今日はお誕生日おめでとうございます! キンディス様の聖誕祭のために、会場中の花とアクアリウムを綺麗に手入れしましたので!」
普段は大人しいフィルシュも、今日という日はやけに張り切っている。
「今日までずっとお前らが準備してくれたんだよな……ありがとな、フィルシュ」
そしてキンディスも日頃の態度からは予想外に、真摯にフィルシュに礼を告げる。まともに返事がもらえるとは思っていなかったのか、フィルシュは暫し呆然とした後に体を震わせながらペコペコとお辞儀をする。
「この子、修道院で私たちがやるみたいな誕生日会に憧れてたみたいだから」
「お前余計なこと言うんじゃねぇよ!」
「今日は他でもないキンディス様のための日ですから! 全力でお祝いします!!」
思い思いにはしゃぐ子供達の様子を、周囲の大人達は呆れながらも微笑ましく見守っていた。
そしてついに、会場の壇上に立って進行を務める司祭の招集の声が響き、キンディスは舞台袖のカーテンからスポットライトの下へと踏み出す。
普段は聖歌隊の賛歌に使われている、劇場の舞台にも似た広大な礼拝堂の壇上。頭上から差す光の中へ踏み入れたキンディスの視界いっぱいに、色とりどりのドレスや礼装が花園の如く会場中に咲き誇る。初めて目にする数の多くの人々が、熱い眼差しを真っ直ぐ注いる。
舞台の上に光を纏って現れた純白の衣装と太陽の御髪少年ーー正に今を生きている大星座の姿に、観衆は割れんばかりの拍手と歓声を上げた。心が激しく煌き弾ける音。歓喜に満ち溢れた人々の表情。
目に映るこの光景こそが『祝福』なのだと、キンディスの胸の中で生まれた実感が熱く込み上げる。
説教台から歩み寄る司祭がキンディスの傍に傅く。
「我らが故郷の象徴たる羅針の光を宿せし星よ。光颯座の大精霊キュロイトの要を為す大星座よ。汝、その黄金の羅針の輝きをもって、星なき夜に迷える我らに、往くべき道を指し示し導き賜え。汝がこの世に降り立った命の輝きに、我らの魂の限り祝福を捧げる」
司祭が粛々と祈りの言葉を紡ぎ、キンディスの眼前に右手を差し伸べる。
「汝、キンディ・ソレント=ハーレン。己の宿す星と一つになることを認めるならば、天よりもたらされし神語を唱え賜え」
司祭が促すと、キンディスは彼の手に自分の右手を重ね、唇を開いた。
「……神輝星装 《I'll Salvatore》――!」
神語を詠唱し、自身が大星座であることを認証したキンディスの体から、黄金色の光が迸る。
iII Salvatore――まるで神の降臨を目の当たりにしたかの如く、観衆はさらなる感動に沸き立ち、大星座の称を復唱する。中には感嘆の涙を流す者もいた。舞台袖のカーテン越しに見守るユーリア、上層の特別席から見下ろすカナ、客席後ろの入り口に控えて舞台を見つめるフィルシュ。それぞれ離れた場所から見ている彼女達も、光を放つキンディスに目を奪われていた。
そっと手を下ろして後ろに下がる司祭が、次の一節を読み上げる。
「汝、我らアークレイアの信徒達に、星の輝きを示し賜え」
それに従うキンディスは、天井の照明から差す光を受け止めるように両腕を広げる。体の中心から腕へ、腕から手のひらへ、手のひらから指先へ。己の中の大星座の力を外へと解放し、首筋に宿した黄金色の輝石がほんの少し熱を帯びる。
やがて彼の頭上に光の球体が出現し、閃光を伴って少しずつ大きさを増していく。
――ここまでは、滞りなく日々こなしてきた予行演習通り。
「汝、形を得た光を以って、我らに星の恵みの雨を降らせ賜え」
司祭が告げたように、後はこの球体が爆ぜて会場に光の雨を降らせるだけ。日々教えられた通りに、キンディスは指先に力を込め――
膨張した光の球体が、想定を遥かに超える大規模な爆発を起こし、甚大な威力をもって舞台を爆破した。
それは決して星の雨などではなく。耳をつんざくような爆発の音と、目を焼き尽くすほどの光が会場中に走った。爆風を受けたキンディスは舞台下に吹き飛ばされる。
「キンディス!!」
同様に舞台袖で爆風に煽られたユーリアが直ちに舞台から飛び降り、キンディスのもとへ駆けつける。舞台上の壁や、天井、豪勢なオブジェの一部は焼け焦げた瓦礫に成り果て、舞台に倒れたままの司祭に落下する寸前に修道士達が救助する。
何が起こったのか誰一人理解できぬまま、球体の残滓らしき小さな光が宙に浮いたまま、バチバチとスパークしている。一瞬で黒い霧の渦に変化すると、スパークは激しさを増して渦が蠢き出す。鮮烈な明滅を繰り返した後、一閃の雷が舞台に落ちた。
そこには、この神聖な場所とは相容れぬ大きな影――黒く巨大な四肢とツノを以った山羊のような怪物――異形の魔物が、ぬらりと二足で立ち上がった。
地響きのような魔物の咆哮と共に、観衆の呆然としていた顔は恐怖に、先ほどまでの歓声は悲鳴に変わり、会場を覆い尽くした。
異変が起きたのは会場の羅針塔だけではなかった。
アークレイアのあらゆる場所で黒い渦が出現し、異形を召喚する。獰猛な獣のようなものから、もはや生き物とも言えぬものまで、影を纏ったおぞましい怪物達が次々に暴れ出す。
本来ならば聖障によって絶対に侵入を許されない者達。その異常を感知した聖障の力が強まり、都市の上空に閃光が生まれては異形とその周囲を巻き込んで爆散した。
都市の人々や建物を襲う影の異形。異形を殲滅する聖障の閃光。互いを滅ぼすために増え続けてはぶつかり合い、舞台となってしまった都市は崩壊していく。影と聖光、拮抗し絡み合う二つの力は決して一つに交わらず、破壊の力を放ち続ける。
聖域と謳われた地を襲う突然の悲劇に、アークレイアの人々はただ逃げ惑うことしかできなかった。




