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第11話 彼が生まれる日-1

 朝。エスペル教団南支部の寄宿舎。

 ささやかな日差しがカーテンから透き通り、窓際の白いベッドに光を落とす。布団からアイが顔を出し、覚めきっていない目をしばたかせて伸びをした。上に乗って丸まっていたガリュマがつられてあくびをする。


「むニャァ……おはよぉアイぃ~」

「ん、おはよ」


 もぞもぞと動いているガリュマの小さな体をアイが両手で抱え上げて引き寄せ、首に巻いている布――アイが持っていたネクタイを結び直す。この場所へ生還するために共に力を覚醒させた、相棒の証だ。



 岬に出現した古塔での戦いから、二週間ほどになる。

 ヨータはまだ見つかっていない。

 リオウは何も促すことなく、アイ達が休まる環境を提供してくれた。帰還して丸一半日は泥のように眠り、その後も数日はたまに顔を合わせながらも何をしようとも思えず各々部屋で休んでいたが、最近のアイは支部の資料室から本を借りてビテルギューズ大陸についてぼんやりと眺めていた。

 ヨータが運び屋の仕事でカナと共に巡っていたといういろんな場所。自分と彼との思い出は少ないが、彼がいた証は沢山ある。そんなことを思いながら各地の資料や写真を見ていると、ある考えに至った。


 ――ヨータとカナの故郷。

 以前リオウから、二人が生まれ持った力を狙うコキュートスに故郷を破壊されたと聞いた。そのせいで人が住める場所ではなくなり、リオウに保護され匿われる形で彼らは故郷を去ったと。

 今も足を踏み入れるような所ではないらしいが、場所時自体は残っているのだとしたら。あるいは、二人と同じく別の地へ散った同郷の者がどこかにいるとしたら。ヨータ達がどんな風にその場所で過ごしていたのかを知れるのではないか。

 それがヨータを見つけることに繋がるのかはわからない。ただ――アイが前に進むための一歩を踏み出せるなら。




「――ってわけで、なんか手掛かりとかってないかな」


 部屋を出たアイはジフを通してリオウのいる執務室へと通してもらい、デスクで書類仕事をしていたリオウを訪ねた。ジフもその場に同席している。

 リオウはまだ傷が響いているようで、普段着込んでいる制服もシャツの上にジャケットを羽織るだけにしており、シャツの隙間からは包帯が覗いている。本来なら仕事もしばらく休むべきなのだが、リオウの性格的にはほどよく仕事をしている方が気持ちが落ち着くのか、「小一時間書類を整理するだけでも」と言っているらしい。

 すっかり今まで通りの調子に戻ったアイが落ち着きのない手振りを付けて提案する様子を見て、リオウはしかめた顔を隠すかのように額に片手を当て、やがて答える。


「……あの場所は本当に危険です。その足で直接近づくのはよした方がいいでしょう。ですからもう一つの方……彼の同郷の方であれば、君に紹介できそうな方がいます。まずは向こうの返事次第になりますが」

「えっ、もうすでに知り合いなの!?」


 アイの想像を優に上回る速さでリオウは話を進める。



「彼……キンディスとカナくんを保護した後、その地から別の場所へ逃げおおせた人々の安否を確認して回り、中にはそういった者同士で集って行動している人達もいました。以来その縁で土地に教団の支援を配備したり、時折連絡を取り合っている人もいます」


 語られた経緯は、彼の教団支部の司教としての実績は伊達ではないことを明示している。リオウはさらに告げる。


「念押ししますが、大星座である君になら紹介できる人達です。私との繋がりも基本的には私的なものなので、できる限り教団にも他言しないでください。彼らはあまり正体を知られたがりません。……ヨータがそうだったように」


 リオウの忠告は、最後の一言で理解するには十分だった。目的のデリケートさを悟ったのか難しい顔をしているアイに、リオウは少し声を和らげた。


「君も大丈夫ですか、アイくん。今は何も急ぐことはありません。無理せず時間をかけて休んでいいんですよ」


 空元気だと思われただろうか。アイ自身も内心否定しきれなかったが、表情を明るく切り替えて答えた。


「……うん、わかってる。自分で何かやりたくなったうちに動くのが一番良いと思うんだ」




 三日もすればリオウの手配が行き渡り、アイ達自身の身支度も整いつつあった。朝、リオウの部屋で改めて道順や諸注意の確認を受けたアイとジフは、支部本館から寄宿舎へ戻る玄関口の広い階段を降りる。

 ――行き先は、エルトキナ港湾。西の海に面した船の出入りが盛んな水の都で、アイ達も船に乗って海を渡って行く。

 黒い手すりを伝って階段を下りるアイの後ろで、ジフがぼやいた。


「そこそこでかい船のチケットをすぐに押さえるとは、リオウの情報網と職権乱用は底知れんな。自力で山脈を上り下りするよりはずっと有り難いが」

「いやぁ~、これからもちゃんとジフがついてきてくれるのは安心したなぁ~」

「ふねってなんだりゅ?」


 頭にガリュマを乗せて調子の良いことを言うアイに、ジフは何か訂正したそうな目をするが、そのまま続ける。


「異常現象の報告自体は無くならないが、都市部では報告例が少ない。人が多いと住人同士の見張りや治安維持も手厚いからな。それにここしばらくは……コキュートスが直接動いている気配もない。まだお前一人では到底行かせられんが、今回はリオウに教えられたルートで行けば大事は起きないだろ」

「……こないだのあれで、一応アルズ達を倒せたかな」

「それは俺からは断言できないが」


 釘を刺しているように見えて彼なりに安心させているのか、ジフも普段通りの冷静で理知的な様子に戻っていた。


「それに……その……こないだのお前の怪我も……」

「もう治った」

「えっ……えっ!? 治っ……!?」

「とっくに傷も消えた」


 自責の滲む声でアイが切り出したが、言い終わる前に返ってきた答えに、アイは思わずジフの方を二度見する。


 アイの言うこの間。コキュートスのカイルが襲いかかってきた際、ジフが胴体を斬られ、倒れた彼から大量の血が流れ出すのを、アイは嫌というほど鮮明に覚えている。こうして無事に生きているのは言葉に尽くせぬほど喜ばしいのだが、だとしても――

 一生残ってもおかしくない裂傷だったはずだ。それがものの数週間で回復するばかりか、完全に消えているとは。

 アイの元の世界とこのビテルギューズ大陸では肉体治癒のメカニズムが違うのか、あるいは度々耳にしているジフの体の頑丈さの賜物なのか。


 唖然と口を開けて目を白黒させているアイとは対照的に、ジフは淡々と言う。


「あれくらいのこと、任務で人命救助の現場に駆り出されたら、いくらでも起こり得ることだ。いちいち気にするな。俺は気にしていない」

「う……うん……」


 あの時、あのような状況に至る原因の一端は、アイにもあった。だが、ジフからの言葉はそれで終わりだった。

 その言葉通りアイに引き摺らせないためか、定かではないが、今度はジフの方から問う。


「カナには言ったのか、今回のこと」

「まあ……行ってみようと思うってことは伝えといたよ。……一緒に行こうとまでは言わなかったけど……」


 アイは階段を下り終えてた所で、足元を見るように少し俯く。



 ――『カナもお前と同じで記憶がないんだよ』

 かつてのヨータやリオウの言葉から察するに、カナは故郷を失ったショックでそれ以前の記憶が無くなってしまったのだという。何より、ヨータがいなくなって一番心に傷を負っているのは、ずっと彼と一緒に生きてきたカナだ。彼女にはもっとたくさんの時間が必要だろう。

 そんな時に、彼女の故郷でもある場所を探るために一緒に来てくれというのは、あまりに酷なことではないのか。良心の叱責を拭いきれなかったアイは、彼女を連れ出す勇気が出せなかった。


「……〝ちゃんとここに帰ってくる〟って言っといたから……」


 手すりを握る手に力を籠めるアイの背中を、ジフは何も言わずに見ていた。そんな彼らの前方から近づいてくる人影に気づき、アイは顔を上げる。



 そこに立っていたのは、息を切らせて走ってきたカナだった。



「アイ……わたしも……わたしも行く!!」


 驚きのあまりアイとジフはしばし言葉を失っていた。


「……カナ……でもお前、大丈夫なのか」

「一人で……何もせずに待ってるだけだと……いつまでたっても立ち上がれなくなりそうだから……それに、アルズ達が私を狙ってたなら……私自身がもっと自分のことを知った方がいいと思って……それなら今行くのが一番だから」


 カナは肩で息をしながら一生懸命に意志を伝える。彼女の気丈さに、アイは余計に胸が締め付けられる。


「今はそんなに頑張らなくていいのに……」

「今はアイ達といるのが一番安心できるの! 第一それを言うならアイの方でしょ! わたしがちゃんとアイのこと見てないと!」


 カナに思わぬ反論をされて面食らうアイに、ジフが愉快そうな目で呆れている。


「みんな一緒の方がまとめて子守しやすいじぇ!」


 ガリュマが意気揚々と宣い、アイの頭から飛び降りる。カナのもとに歩み寄りもふもふの体毛を擦り寄せる彼をカナが抱き上げた。そこでアイがふと思い出す。


「あっ、でも一緒に行くなら船のチケットがないと――」

「さっきリオウに聞いたらチケットくれたから、大丈夫!」

「抜かりなさすぎだろあいつ……」


 カナが得意げに取り出したチケットを見て、ジフは畏怖の念をこぼした。



 教団南支部から少し離れた、海を臨む港町。船着場から客船が出航する。

 チケットで船に乗り込んだアイ達三人と一匹は、甲板の手すりに並び立ち、一面に広がる青い空と海にはしゃいでいた。

 彼らの周囲にも一般の観光客からセレブまで、乗客で賑わっている。子供だけで乗るには少々贅沢すぎる気もする、豪華な大きさの船だ。


「水の上に浮かんでりゅぞ!!」

「うっかり落ちんなよ、お前」


 ガリュマがアイの頭からおっかなびっくりに覗き込んでいる。アイの隣でそんなガリュマを見て笑ったカナは再び海の方を見つめ、手すりを握る両手に力が籠った。


「……ヨータとも、何度か船に乗ったんだ」


 陽の光を受けて煌めく青に思いを馳せる。そんなカナの呟きに、アイはどきりと一瞬胸が痛んで彼女の方を見た。


「だからこれからはアイ達にも、ヨータが見てきた景色を沢山見てほしいなって」


 同じようにカナもこちらに振り向き、向かい合ったアイに笑顔を見せた。その笑顔に、心配に思っていたアイの胸も和らぎ、温かくなっていく。

 またカナの笑顔が見れた。その笑顔を自分に向けてくれた。アイの心にも陽が差したようだった。


「……うん」


 アイは顔を綻ばせてカナに頷いた。そんな彼らの様子を、カナとは反対側のアイの隣に立つジフが見ていた。一安心と言いたげに小さく息を吐く。


「……サギリとラスティに土産でも買っておくか」


 それぞれ少し軽くなった心に潮風が吹く。




* * *




 時計が午後を回った頃、目的地に船が停まりアイ達は下船した。

 降り立ったのは、エルトキナ港湾。船着場周辺だけでなく、都市の中の方まで水路が巡り、各所に掛かった橋の下で人々を乗せたゴンドラが行き交う。

 ビテルギューズ大陸の玄関口と称される、貿易と物流の船が集まる水の都であった。

 アイは実際にその地に立って、かつてヨータが何気なく呟いていたことを思い出した。


 ――『そうだな……行くとしたら……エルトキナ港湾にでも行こうかな……』


 ヨータは、この場所に来ようとしていたのか。



 空と水の青、建物の白、人々が思い思いに飾る植物やオブジェの洒落た彩りが連なる港町を歩く。

 商業都市マルトクラッセも大陸各地から集まった様々な種族の人々がいたが、この地は水の都というだけあって、ウィーネ族という水棲生物の遺伝子を持つ種族が主だっているようだ。アイとカナとガリュマが街の風景にあちこち目移りしていると、最後尾を歩くジフに「田舎者くさいからやめろ」と言われた。

 観光もほどほどに、リオウに渡された地図を頼りに、港町のはずれから丘の高台へと続く坂道を登っていく。道沿いの柵の向こうに広がる海と並行しながら、やがて今回目指していた場所に辿り着いた。



 アイ達が前にしているのは、白い石造りの美しい宮殿――ペイルシー宮殿。

 ここに、リオウに紹介された人物……ヨータの同郷の者がいる。胸の重い緊張をなんとか呑み込み、アイはカナ達と共に玄関へ続く階段を登る。

 建物の中にも水路が巡っており、外から差す光と影に水紋を反射させながら、安らかなせせらぎが静かに響いている。白い大理石の床やインテリア、それらに寄り添う緑、柱の彫刻など、広がる光景は神秘と清廉そのものであった。

 案内された大広間へ進めば、部屋の中心には、ジオラマの神殿の如き巨大な噴水が佇んでいた。頂から水を流す球体のアクアリウムはさながら小さな惑星のようで、正に人工の泉である。憩いの湖の山荘にもあった噴水。あれもウィーネ族の技術で作られたものだと思い出す。

 噴水の水を受け止める水槽の前に、一人の男性が立っていた。



「……初めまして」


 少しウェーブの掛かった短いブロンドの髪。同じ色のまつ毛から覗く翡翠色の垂れ目。その目元に薄く見える掘りが、大人の落ち着いた雰囲気を漂わせる。そして、彼の両耳は魚のひれの形をしていた。ウィーネ族だ。


「フィルシュ・イオンラートと申します。この噴水を管理している施術師です。あなたがアイくんですね。お話はリオウさんから聞いています」


 低すぎず、だが深みのある大人の男性の声。噴水の近くまで歩いてきたアイ達に、彼――フィルシュが挨拶をする。

 施術士という肩書きは、彼の具体的な職業が治療であることを指す。

 ウィーネ族の能力で水を操り、怪我の治療や精神の安定などの医療行為を施す。その水を用いる機器として、目の前の噴水のような装置から、水そのものの性質の管理まで行っている。それらを踏まえて施術師と言うのだと、リオウから事前に聞いたことを思い出す。


「はい。よろしくお願いします、フィルシュさん」

「こちらこそ、わざわざお越し下さってありがとうございます。そちらがジフくんで、そちらがガリュマくん、そちらが……」


 フィルシュは視線を移しながらアイに同行している子供達――と、彼らの足元の魔獣の仔ども――を事前の紹介と照らし合わせる。最後に彼がカナの方を見た時、一瞬言葉が詰まった。


「……カナさん、ですね」

「は、はい……」


 恐らくフィルシュは、故郷でのカナを、そして今の彼女に当時の記憶がないことを知っている。やはりカナは彼のことを知らない。


「長くなると思いますので、どうぞこちらで楽にしてください」



 フィルシュに促され、アイ達は噴水の傍らにあるソファに腰を下ろす。側にあるテーブルには子供用のマンダロッソアイスティーが出されている。生地とクッションに心地良く沈み、周囲の水音も相まって、こんな状況ながら最後までちゃんと聞いていられるか不安になった。すでにガリュマはソファの上で気持ち良さそうに丸まっている。


「今回のご用件は、彼の……キンディス様についてですね」

「……はい」


 正しく確認のために、フィルシュはあえてその名を出したのだろう。彼、ヨータは――キンディスは《明星の救世主》と同じ大星座だ。彼がまだキンディスと名乗っていた頃の同郷であれば、様を付けて呼ぶのが正しいのだろう。アイは頷く。


「リオウさんから伺いました。あなた達ならこの話をしても大丈夫だろうと。何よりあなた達に知ってもらうことが、キンディス様のご本望でしょう……と」


 フィルシュは目を伏せ、一度息を吐いて記憶と心の整理をする。


「これは我々の故郷アークレイアが……一つの都市が崩壊して、多くの人が巻き込まれた日の話です。私自身の目で見たこと、そしてリオウさんが彼を匿っている間、知ったことになります。……彼ご本人が、リオウさんに伝えたことも含めて」


 これから聞くのは、明るい思い出話ではないだろう。そうわかっていて自分達の方から彼を訪ねたのだ。アイ達は襟を正すようにフィルシュを待つ。

 そしてフィルシュは語り始めた。

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