第10話 消せない焔、翼となりて-4
アイ達が転移したのは、塔の外側ーー塔の入り口と岬の崖を繋ぐ橋の目の前だった。アイが地面に着地すると、彼の大星座の装束が元の服に戻る。
頭上からは崩壊が進む塔の瓦礫が雨のように降ってくる。塔と地続きになっている橋も、塔の激しい揺れに巻き込まれて大きな振動を起こしていた。
「今は……ここまでが限界だ」
「早く橋を渡り切らないと……橋ごと壊れちゃう……!」
力を使い果たしてよろけるジフをカナが支えながら、崩壊の景色に怯える。
「お前ら! 俺の背中に乗れ!」
「行けるか!? ガリュマ!」
竜獅子の巨体――ガリュマダロンが前に躍り出て、翼を下ろしてアイ達に促す。一刻を争う彼らは急いでガリュマダロンの背中に乗り込む。
「飛んでると空の鉄屑に当たっちまう。一気に走って突っ切るぞ! しっかり掴まれ!!」
背中の三人がしっかりとガリュマダロンの体に掴まり、獰猛な獣の足が力強く地面を蹴った。突風のように大気を割いて橋の上を疾走し、アイ達のコントロールで降ってくる瓦礫をかわす。その間にも、彼らの背後にあった橋の煉瓦はあっけなく崩れて海に落ちていく。
橋の崩壊に追いつかれたその時、僅かに残っている足元を蹴って、ガリュマダロンが飛び上がる。海に吸い込まれていく煉瓦とは反対に、飛翔するガリュマダロンの冠の炎が空で弧を描く。ドシン、と向こう側の地面に着地した四足が、強い衝撃を伴って摩擦した。
砂埃が止み、なんとか橋の向こうの岬まで渡り切った。アイ達がガリュマダロンの背中から降りると、ガリュマダロンの体が光り出し、いつもの小動物の大きさに戻る。「りゅう~……」と疲れ切った声で鳴きながら地面にへばった。
彼らが振り返ると、橋もろとも崩壊する塔が眼下の海に崩れ落ちていく。
残骸を全て呑み込んで荒れ狂っていた海の波も、ほどなくして静まり返る。
つい先ほどまで命懸けで戦っていた塔は、まるで何事もなかったように跡形もなく消滅した。
「……あと少し遅かったら、海の底で生き埋めだったな」
淡々とジフが呟き、アイ達は呆然と海を見つめ続けている。遮るものがなくなった水平線には朝陽が登り、淡い緋色と浅葱色が、溶け合う夜明けの空が広がる。
三人と一匹、全員で生き延びたのだ。
ジフとカナ、そして眠るガリュマを抱いて歩くアイが、岬の入口へと戻っていく。そして、雑木林を抜けて花畑に辿り着く。
つい数時間前、ジフと、そしてヨータと共に、アルズと戦った最初で最後の場所。その時にはまだ、確かにヨータはいた。だが再びここに訪れた今、彼はいない。
反芻と実感が交互に押し寄せ、胸が詰まるアイの足取りがひどく重くなる。
……それでも生きると決めたのだ。
「……さっきの崖から、落ちたんだ、ヨータが」
不意に声を発したアイの方にカナとジフが振り向き、三人は足を止める。
「ヨータは……〝自分の瞬間移動でなんとかできる〟って言ってた……けど……」
せっかく生きて帰れることに安堵していたのに、台無しにしてしまったかもしれない。けれど今言わなければ、次また決心をつけられるのが、いつになるかわからない。
「ヨータの手を……掴んだのに……引き上げられれば助かったのに……
俺の力じゃ……持ち上げられなくて……」
アイの声が、次第に振るえて上擦る。それでも全てを話そうと語り続ける。
「絶対に助けるって言ったのに……結局、俺のせいで……ヨータを助けられなくて……本当に……ごめん……」
これで許してもらえるとは思っていない。だが言わないままでいる方が、ここにいる全員にとってもっと辛いだろう。アイがゆっくり頭を下げたのは、彼の苦しみの重さのせいにも見えた。
そんなアイの前に、花々の間を辿ってカナが歩み寄る。
「……アイのせいじゃないよ」
カナのその一言が、雲の隙間から光が差すように、アイの中に響いた。おもむろに顔を上げたアイと、カナの視線が重なる。
「アイがそんな簡単に諦めるわけないって……一番辛いのは最後まで助けようとしたアイだって……考えればわかるはずなのに……。
守ってもらってばっかりの私が……あんな酷いこと言って……本当に……」
真っ直ぐにアイと向き合って、カナは伝えるべき言葉を精一杯に紡ぐ。
「本当に……ごめんなさい……!」
赤らんだ瞳から涙が溢れないように、ぐっと堪えながら、カナは真っ直ぐにアイを見つめて伝えた。今、カナが感じている胸の痛みは、きっと本来アイのものだから。
カナの言葉を聞いたアイは一度深く息を吸い、前に歩み出て彼女との距離をさらに縮める。そしてガリュマを抱えている手と反対の左手をカナの背中に回し、そっと抱き寄せた。
アイの痛みも、カナの痛みも、比べられるものではない。
互いの痛みを理解し合い、一度は閉ざした心が再び通じ合った彼らは、同じ痛みに触れて静かに涙を流す。
そんな二人を花畑に吹く風が柔らかく凪いでいるのを、ジフは何も言わずに見つめていた。
ふと背後から近づいてくる足音に気づいたジフが、そちらの方へ振り返る。
「……リオウ」
「皆さん……よく無事で、戻ってきてくれましたね」
三人と一匹の姿を見たリオウの表情が、安堵で和らぐ。彼本人は手当てを受けて間もない状態なのであろう、整っていない制服の隙間から包帯を露わにして、体を引きずるようにして立っている。
「皆さんを保護する責任がある私が、最後まで何もできず……本当に申し訳ありません」
真っ先に謝罪を口しながら、視線を落とすオウの顔はひどく悲痛だった。ヨータのことがあった矢先で、アイ達が南支部からいなくなったと知った時、彼はどれだけ胸を痛めただろうか。それを悟ったアイが歩み出て言った。
「リオウは教団にいれば安全だって言ってたのに、いつも勝手なことしてたのは俺達だし……リオウだって、ヨータを……必死に助けようとしてくれた」
アイに掛けられた言葉で顔を上げたリオウと、彼を見上げるアイが向き合う。
「――俺、大星座の力が使えるようになったんだ。
これからはコキュートスに襲われて誰かを巻き込まないように、この力を正しく使えるように……ちゃんとリオウの言うこと聞くから」
「……わかりました。でも今は……安全な場所で休んでください。体も心も、ちゃんと治るまでたくさん時間が必要です」
リオウはそれ以上は語らず、今のアイ達に必要なことを慮って促す。
リオウが先導する方へジフが進み、アイに背を押されたカナも歩き出す。
アイも彼らの後に続こうとした――ほんの数分の間。
来た道を振り返り、もう一度だけ、最後にヨータと話した場所の方角を見つめる。
数時間前にリオウが言っていた通り、彼はまだ生きているのか、そうでないのかはわからない。アイ自身、あの谷底をこの目で見ていた絶望はいまだ拭えず、生きていてほしいと強く願うからこそ、今はわからないままでいたかった。
今のアイにそれを確かめる術はなく、答えの出せない問いを考えている限り、あの場所で立ち止まったままになるだろう。
――ヨータ。
俺は前に進むよ。
だから……いつかまた会おうな。
例えそれがどんな形になろうとも。
彼の真実まで、自分の足で辿り着くと決めたのだ。
後ろから吹いた風に舞い上がった花びらが、朝焼けの空に飛んでいくのを、アイは静かに見送っていた。そして肩に顔を埋めて眠っているガリュマを抱え直し、踵を返して歩き出す。
空に登った太陽が、岬の向こうにある教団南支部を――彼らの帰る場所を照らしていた。
――10 消せない焔、翼となりて




