第10話 消せない焔、翼となりて-3
目を覚ましたカナの視界に映り込んだのは、青みを帯びた暗い天井。
広い聖堂のような空間の祭壇の上、まるで捧げられた供物のように寝台の上に仰向けに横たわっていた。
不意に自分の上に影が落ち――上からアルズに覗き込まれ、カナはひゅっと息を呑む。
「残念だったね、アイは自分の意志で来てくれないってさ」
何気ない挨拶でもするように笑みを浮かべているが、そのアイスブルーの目はひどく空虚だ。
「でもよかったじゃない。先にキンディスが待っててくれてるんだから。君だって早くキンディスに会いたいでしょ?」
アルズにそう問われても、カナは恐怖で何も喋ることができない。
「キンディスに会いたいよね?」
アルズはカナの目を覗き込んで同じ言葉を繰り返し、答えを促す。
「……アイって……アイに何したの……ヨータがいなくなったのもアンタのせいなの!?」
「あれ? アイの心配してるの? それともアイと同じ目に遭いたくないだけ? そうだよね。アイにあんなこと言ってたんだから」
敵意を向けて詰問するカナに、アルズは彼女自身の行いを突きつけた。アルズを責められるどころか、アイを追い詰めた同類だとでも言いたげに。カナは再び返す言葉を失う。
「――でも君がアイをどう思っていようと、きっとリオウ達は……救世主と女神を崇めるこのビテルギューズの人間は、いずれ救いを求めて君とアイの〝二人〟に縋ってくる」
もはやカナと言葉を交わすつもりもなく、アルズは彼女に語り続ける。
「僕達と一緒に来てくれれば、君にもアイにもそんなもの背負わせたりしない。
僕達はそのために君達と友達になりに来たんだ。
そうすれば君が誰と一緒にいたいのかも、君自身で選ぶことができるんだよ」
「……違う……違うの……」
アイをそんな風に言わないで――胸の奥でひりつく言葉を、カナは口に出すことができない。彼を傷つけて拒絶したのは、他ならぬ自分自身なのだから。
「――だから一つだけ……僕達に君の力を貸して欲しいんだ。
僕達の大事な人を救い出せれば、きっと君のためにもなる。
本来、君は誰と一緒にいたかったのか……誰と一緒にいるべきなのか……君の中に流れる血脈が知ってるはずなんだ」
薄く笑みを浮かべていたアルズの目が大きく開き、金色に光った。
「女神チェリシアローズの血族の末裔、神性の一族……カーナリア・エンシエル」
アルズが口にした名前――カナの本当の名前に、彼女の血に宿る何かがドクンと鼓動する。
彼女自身が記憶を失い、それを知るヨータしか呼ぶことのなくなった名前。ヨータがいなくなった以上、もう誰も、自分さえも知るはずのない名前。彼はそれでいいと言ってくれた。〝もう思い出さなくてもいいんだ。怖いのも痛いのも寂しいのも、今の俺達には必要ないから〟と。。
そのはずなのに――瞳を金色に光らせるアルズの声にもまた、何か宿っているかのように、カナの体が応えようとしているのか。彼女の胸元――鎖骨の下に焼けるような痛みが走り、光を発しながら刻印が浮かび上がってくる。胸元を押さえ、体を巡る得体の知れない力に耐えているが、アルズは淡々と、しかしぎらついた執着を宿して喋り続ける。
「君は知っているはずなんだ……チェリシアローズが誰のために世界を救ったのかを……その身を課して歌を捧げたのかを……誰と結ばれるはずだったのかを……!」
見下ろしてくるアルズの目が光るほど、カナの体が声を発しようとする。聞いたことのない言葉を、歌を紡ごうとしている。カナがどんなに拒もうと、涙が流れようと、彼女の意志に関係なく体の中に宿る力がアルズに応えようとしている。
「その歌を今……僕達のために……僕達の〝父さん〟のために……!!」
唇を閉じることすらもできず、成す術もなくカナの喉から求められた声が差し出されようとしている。
その時。
燃え滾る紅炎の球体が激しく火花を散らしながら突如飛来し、紺碧の闇に落ちる聖堂を金色に照らしながら一直線にアルズへと衝突する。弾き飛ばされたアルズの体が壁に叩きつけられ、翻った紅炎が聖堂の中央で飛散する。
その場所に立っているのは――右手に剣を構え、左腕にカナを抱き寄せる、深紅の瞳に強い光を宿した少年。
――アイだった。
「……アイ……!?」
彼の姿を視認したカナとアルズがそれぞれ驚愕する。アルズは壁に手をついて体で立ち上がりながら、アイの変化を目の当たりにする。
「どうやって……そんな力を……何もしたくないって言ったじゃないか」
「俺一人ならずっとあのままだった。でももう一人じゃないんだ。
俺が諦めてちゃみんなで助かれない……みんなでここから生き延びて、帰らなきゃいけないんだ」
「そうだぞ!お前なんかに負けてたまるかってんだ!」
アイと共に現れたガリュマが、前足を踏み締めて臨戦態勢を見せる。
「そんな騙し騙しの希望に縋って僕から逃げられるっていうのかい……今まで一度も僕に勝てなかったのに、これ以上僕と戦うことに何の意味があるんだ」
「……そうだ……俺がちゃんと力を使えなかったせいで……ヨータはいなくなった……でも、
そうまでしてヨータが俺達を守ってくれたのは――
――俺にこの力を残すためだったんだ!!」
先程までの無気力にただ嘆いていたアイとは明確に違う。アルズの言葉に惑わされず、はっきりと言い返す。
「信じるっていうのは神頼みや他人任せでどうにかなるのを待つことじゃない……自分が出した答えに迷わないことだ!
俺の手には確かにこの輝石がある! お前を倒してみんなで生きて帰るための力が!!」
アイは断言し、アルズに示すように握り締めた右手には、真紅の輝石が煌めいた。
「アルズ……お前だけは……絶対に俺が倒す!! 俺はヨータと、《救世主》と同じ――『大星座』だ!!」
声を張り上げて叫んだ瞬間、彼の体から眩い光が爆発し、聖堂全体に協力な烈波が吹き荒れる。
アイが掲げた右手。その小指には、指輪の如き刻印が光る。アイの指を焼き切りそうなほど鮮烈なその光すら、己の力に変えるように、アイはさらに叫ぶ。
「うあああああああああああ!! 《Ill Salvatore》!!!」
アイが神語を口にした瞬間、凄まじい衝撃波が迸った。再び彼とガリュマを包んだ紅炎の球体が宙に浮かび上がると、燃え盛る炎の激しさを増しながら太陽の如く強い光を放ち続ける。
紅炎から流星の如き紅蓮の閃光が炎の流線を纏って放たれる。紅炎の円をなぞるように舞い、そして正面から飛び込んでいく。ぶつかり合ったそれらは、一つになった。
空中で弾けた炎の中から、赤い光の翼を広げ、白と金の装束を纏い、剣を手に握ったアイが飛翔する。
そして彼の元から地面に降り立ったもう一つの存在。逞しく大きな体の四足獣が威風堂々とした深紅のたてがみをなびかせ、頭上の冠には炎が揺らめく。その背には飛竜の翼を広げる。力強く地面を踏み締めた竜獅子の姿だった。
それは正しく、エスペル教団に掲げられた『明星の救世主』の肖像画の生き写し。大星座の力を纏ったアイだった。装束の造形に見られる差異は、その力がアイ自身のものになった証だろう。
その光景を目にするカナとアルズの脳裏でさらに重なるのは――金色の翼を解放し、純白の一角獣を従えた、かつてのヨータの姿。
アイは完全に『大星座』の力を覚醒させたのだ。
この場に降臨したのは大星座だけではない。緋色の竜獅子を前に、アルズも驚愕を露わにする。
「五大精霊の……焔獅子座のガリュマダロン……!?」
五大精霊――救世主と契約を結び、《影》を倒すための力を与えた五体の大精霊。そのうちの一体が今、目の前に顕現している。炎に照らされた緋色の体毛を見るに、あれがガリュマの真の姿なのか。
しかしガリュマダロンはその後、己の御身と共にその力を星座に変えたのだ。現存している竜獅子に大精霊の力はないはずだった。
今ここで、正真正銘の大星座となったアイと契約を結んだことで、ガリュマの遺伝子に眠る先祖ガリュマダロンの力が目覚めたのであろうか。
「これでもう今までの俺達とは違うぞ!!」
力強く宣言したガリュマダロンが獅子の咆哮を上げ、熱波が迸る。
「それなら今度こそ……ここで、全員!! 二度と戦わなくていいようにしてあげるさ!!」
アルズは叫び、背に巨大な氷の翼を展開して相対する。直後アイのいる空中へと飛び上がった。
急速にアイのもとへ迫り、その羽ばたきさえも強力な冷気となって氷雪が波及する。カナの前に飛び出したガリュマダロンが咆哮を上げ、自分達を中心に広がったドーム状の熱波が氷雪を蒸発させた。
アイが翼を羽ばたかせ、自らアルズへと向かっていく。アイの剣とアルズの氷の刃がぶつかり合い、火花を散らせて互いを弾いた。アルズが瞬時に身を翻してアイを捉える。が、それはアイも同じだった。あらゆる方向から幾度も衝突しては刃で切り合う。
数度目の衝突、弾き返されそうになるのを、アイの羽ばたきが押し切った。
「うおおおお!!」
空中を直進するアイが剣を振り上げてアルズを斬り込つける。対するアルズのカウンターを、アイのキックが相殺し、氷の先端が砕けた。後方に吹き飛ばされるアルズが奥歯を噛み締める。
「反応は同じはずなのに……!!」
攻撃の瞬間を逃してはいない。だが、その時互いに与える威力と衝撃に差が出始めている。アイの方が上回っている。
アイの翼が、完全にアイの一部になっている。かつてヨータが〝速さ〟を誇っていたのなら――アイのそれは〝パワー〟にあった。
聖堂を囲うが如く、四方にブルー、パープル、オレンジ、グリーンののサイケデリックな閃光が立ち昇る。氷、電気、音波、木葉。閃光の中からジュディエ達氷人形の四体が現れた。
四体は力を纏ったまま、アルズに仇なすアイ達に向かって飛び掛かる。熱波のドームにカナを擁したまま、駆け出したガリュマダロンが迎え撃つ。
「アルズ!!」
「今助けます!!」
カイルとアルテノーラの呼び声に、アルズが反応する。空中を旋回するアルズをアイが追う。だが、地面から突き出した氷塊が真上にいたアイに直撃する。
「ぐああっ」
氷塊が接触した下半身が同化されるように凍り付き、アイの身動きを封じた。
カイル達がガリュマダロンを振り切り、氷塊の頂きに向かって一斉に四色の攻撃が放たれる。その全てがアイに被弾する――その直前。
突如、アイを囲うように地面から四本の水柱が噴出し、攻撃を受け止めるのと同時に氷結して粉々に砕け散る。
そしてアイを捕らえていた氷塊が砕かれ、降り注ぐ氷の破片の下に立ち上がる影――
手に握る槍で氷塊を貫いた、ジフが姿を現した。
「ジフ!! 無事だったのか!」
「当たり前だ! お前達を教団に連れ戻すまで、こんな所で死んでも死にきれるか!」
ジフは振り返り様にアイに応える。
「いきなり俺の体に強い魔力が流れ込んできたかと思えば……お前のその力が俺とのリンクにまで波及してきたのか」
そして、アイの姿とその変化を認めた。
「アイ! ジフ! 俺に合わせろ!!」
ガリュマダロンが呼び掛けると、二人の右手の魔力リンクが光出す。互いの魔力がリンクを通じて一つになったのを感じ取った二人は、新たな力を直感する。
今度はアイがアルズを惹きつけながら空中を旋回し、翼から噴き出す炎の尾が天を舞う。同時に地面ではジフがガリュマダロンと共に氷人形達を牽制しながら、掲げた槍から水流を放ち螺旋状に宙を走る。アイの火の粉をジフの水流が纏い、織り合う二色の線が、聖堂の中心で飛び上がったガリュマダロンに飛び込んでいく。
「《獅子蒼炎》!!」
二人の声が重なり、ガリュマダロンの体から激しい青い炎が放出した。炎は聖堂中を眩く照らしながら無数の青い獅子となって縦横無尽に駆け巡り、氷人形達を蹂躙した。
空中で青い炎を振り払ったアルズが右手を伸ばし、地面に倒れている砕けた氷人形達を、黒い渦に飲み込ませて撤退させる。
「このっ……戯れを!!」
アルズは一番高い場所まで急上昇し、氷の翼を大きく広げる。一対の翼が輪のようになり、その中心に力を集わせた。
「《沈黙の月》!!」
翼から放たれた、《影》の力を纏った猛吹雪が聖堂中に吹き荒れる。
アイはその身の大星座の力で、ジフは氷の防壁で耐えるが、それも長くはもたない。あらゆる物質を蝕む影が着実にアイ達の力を削り、白い霜が侵食し始める。
熱波のドームに守られているカナもその光景を目にしていた。このままではあの時と――花畑の時と同じになってしまう。 みんなが再起して戦っているのに、自分だけまた何もしないで見ているままなのか。
「わたしにも何か……何か……!!」
カナは必死に考え、求める。その時、体を巡る血がドクンと強く脈動した。アルズによって強制的に目覚めそうになった、あの力。体が声を発しようとしている。
だが今は彼女自身がそれを望み、求めている。その声で発すべきだとわかる言葉が、脳裏に綴られていく。
――神語。多くの神語の羅列が、詩のように一遍に束ねられている。命を、星の力を込めて神語を発する術――それが歌。
カナの胸元に再び刻印が浮かび上がる。それを自分の一部と受け入れ、力を引き出したカナは、大きく息を吸い込んだ。
黒い猛吹雪の中で、カナの歌声が響き渡る。その歌には彼女の浄化の力が宿っている。氷雪を溶かす陽射しのように、荒れ狂う影の力に染み渡り、少しずつ鎮めていく。
その変化の中で最初に動いたのは、吹雪に耐えていたガリュマダロンだった。大精霊もまた、物質の根源を司る。その力が影の侵蝕に抗い、物質そのものを活性化させる。
「グォオオオオオオオ!!」
ガリュマダロンは全身に炎を纏い地面を蹴って飛び上がり、向かい風を打ち破る。吹雪の外側にいたアルズの前に火炎放射が迫り、その中から飛び出したガリュマダロンの突進によって、天井に叩きつけられた。
降り注ぐ炎が黒い猛吹雪を蒸発させ、視界が再び光を取り戻す。
カナは脳裏に神語が綴られる限り必死に歌い続ける。アイとジフにも、カナの歌とガリュマダロンの力が届いていた。それぞれ天井を見上げ、体勢を戻したアルズを捉える。
ジフが魔力リンクの光る右手を握り締め、アイのいる天に向かって突き上げる。
「アイ!! 全部使え!!」
そして、天井に飛翔していたガリュマダロンが己の体を赤いエネルギーの光に変え、アイの体へと宿っていった。
アイとアルズが互いに翼を広げ、一直線に宙を斬って正面から刃をぶつけ合う。空中で赤と青の閃光が幾度と衝突し、やがて激しい鍔迫り合いの拮抗が続く。後退を許さぬ二人の叫びが重なる。
「うおおおおおおおあああ!!」
カナの歌がもたらす浄化の力と、リンクから送られてくるジフの魔力、ガリュマダロンの加護、そしてアイ自身の揺るぎない想いが一つに収束する。
アイの翼からバーニアの如く猛き炎が噴き出し、力が上回ったアイの剣が、競り合っていたアルズの氷の刃をついに打ち砕いた。
アルズは反動で体勢を崩し、アイが瞬時に構え直した剣で彼の体を貫く。
そしてアルズの腹部に刺さったままの剣を通して、解放できる最大限の『大星座』の力を込注ぎ込んだ。
「ぐああああああああああ!!」
「喰らえええええええええ!!」
アイが剣から撃ち込んだ紅炎の火球がアルズもろとも吹っ飛んでいき、祭壇の壁に激突して大規模な爆発を起こした。全てを焼き尽くすほどの爆炎と閃光が聖堂一帯に広がっていった。
あらゆる音を掻き消す衝撃波。
光がやんだ後、再び暗い紺碧に戻った聖堂に静寂だけが残った。アイは地面に降り立つ。
煙が晴れた先で、抉れた壁にのめり込んだアルズの体がどさりと地面に落ちる。
うつ伏せに倒れている彼の体中に、氷の断面が露出し、再び動き出す気配は完全になくなっていた。。
――この男にトドメを刺さないといけない。そう直感したアイは今一度剣を強く握り、横たわっているアルズに迫る。
だが、それを阻むように突如アイとアルズの間で光が爆ぜる。
そしてその場所から、激しい飛沫のうねりを纏う水流の柱が現れた。
それはまるで、アイが出現させる炎の柱のように。
頭上から飛沫が降り注ぐと、水柱の中から水塊の球体が膨張していき、やがて宙に浮遊する巨大な海獣のシルエットを成した。水塊に呑み込まれたアルズの体が、誰かの両腕で抱き上げられるように水の中で浮かび上がる。
アイ達がその光景に驚愕していると、さらに海獣の前に何者かの影が着地した。立ち上がったその人物は――鮮烈な蒼色の長い髪に、紺と黒の貴族のようなコートを着た、左手に剣を持つ男。ベリアルだった。
彼が何者か知らないアイ達が呆然としている間にも、ベリアルは鞘から剣を抜くと、躊躇いなく地面に突き刺し、その一突きで地面が抉れ岩塊が飛び出す。
海獣がそれに続くように全身から膨大な水流を放出し、聖堂全体を襲う大津波によって、塔そのものが大きな揺れを起こし始める。
「こいつら……ここをぶっ壊す気かよ!?」
「俺達を塔ごと抹消するつもりか……!」
アイとジフが彼らの意図に気づくも、すでに建物の崩落が始まり、壁や天井から瓦礫が落ちてくる。アルズ達の姿も見失い、急速に事態が悪化する中、ジフが咄嗟に槍を地面に突き立て足元に魔法陣を展開する。
「転移魔術だ! 陣の中に入れ!」
彼の呼びかけにカナとガリュマダロン、そしてアイが光る魔法陣の中に駆け込む。天井が落下してくる直前、ジフが三人と一体分を転移させる魔力を消費し、魔法陣の光が彼らを包み込んだ。




