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第09話 雨-2

 ジフが南支部に帰着し待機室に入ると、先に待っていたサギリとラスティが出迎える。傷と泥にまみれて疲弊しきったジフを見た二人は思わず言葉を詰まらせる。


「ジフ兄……」

「お前……大丈夫かよ」


 どう見ても大丈夫ではない。どんな過酷な任務を課されても自分を律して切り替えが早かったジフがこんな顔をしているのは、長年のチームメイトである二人にとっても滅多にないことだった。ジフからしても、二人の様子を見るに何があったのかは大体聞いているのだろう。

 任務を達成できなかった。その過程で一人犠牲になってしまった。自ら二人を説得して名乗り出た、ジフ自身の結果。ラスティ達はそれを責めることも笑うこともしないだろうが、事実として伝わっていることがどうしようもなく耐え難かった。


「とりあえず一旦休めよ。報告は落ち着いてからでも……」

「き、傷の手当てしないと」


 ラスティとサギリは近くのソファにジフを座らせる。とにかく今は任務のことから離れさせようとした、その時。待機室の扉が開き、固い靴音が近づいてくるのに気づいた。その方へ顔を向けた二人はさらに驚く。



 現れたのは、黒い制服が血まみれになって、腹部には大きな傷を露わにしている上官――リオウだった。

 応急処置の跡も見当たらず裂けた服から傷口を曝け出し、とうに失血多量になってもおかしくない状態で、体が重そうに歩いてくる彼を唖然と見つめる。


「ジフ、アイくんは」


 リオウに呼び掛けられたジフは俯いたまま沈黙している。まるで先ほどのアイのようだ。そのアイの姿がどこにも見えず、ラスティとサギリが知っている様子もない。リオウはまさかと思いさらに問う。


「……連れて帰らなかったんですか」

「あいつ本人に帰る気がないから」

「彼を一人で放り出したらどうなるかわかるでしょう」

「だったらお前が自分で行けよ」


 互いに責任を追及して口論になるうち、ジフの口から怒りの篭った唸るような声が吐き出される。普段の彼ではあまり見られない様相に、隣に座っていたサギリがびくりと肩を強張らせた。

 精神的な限界がきていることはリオウにも理解できた。しかしジフが優秀な部下である故に、現実を直視させようとする。



「このままだと……さらに被害者が増えるかもしれないんですよ」



「今のジフに言うことじゃないだろ」


 二人の間に、ラスティが割って入った。


「こいつが優秀だって言われてるのは、今まで任された任務の中じゃ一度も死傷者を出さなかったらだろ」


 思考を見透かすかのようなラスティの指摘に、リオウは思わず押し黙る。


「ニンゲンだか大星座だかわけわかんねぇやつの世話までいきなり丸投げされても、ジフはちゃんとやってきただろ。それがこんなことになって……ジフがどう思ってるのかくらい育ての親ならわかんねぇのかよ」


 そしてラスティはソファから立ち上がり、リオウに向かう。


「いなくなったのがお前の知り合いだからって、そんなに大事なことなら頼み方ってもんがあるだろ。これ以上ただの私情をジフの任務にするのはやめろよ」


 正面からはっきりと告げられ、リオウは返す言葉がなくなった。どれだけ教義や秩序を引き合いに出そうと、今のリオウの焦りは個人的な感情から来るものでしかない。こんなにも焦っているのは、探している対象がヨータだから。

 ラスティ達の目に映る自分を自覚し、はっとした顔のリオウは思わず視線を落として目を背けた。


「……すみません……本当に……君の言う通りです……」

「こんな状況で、今はみんな正気じゃないんだよ。お前もそんな……重症でほっつき歩いて……医務室でちょっとは頭冷やせよ」


 ラスティの目から見ても、血まみれで歩き回っている今のリオウは明らかに異様な状態だった。ラスティはそれで引き下がったが、まだ子供である彼らに慮られていることに、リオウは自分の不甲斐なさで打ちのめされる。

 言われたことに従い、リオウはもう一度「……すみません」と告げて静かに踵を返し、部屋を去っていった。



 ラスティは一度大きなため息を吐いた後、再びどかりとソファーに座った。彼と隣り合うジフが俯いたまま言う。


「……悪い……お前は関係なかったのに」

「別に俺が上官に口答えするのは今に始まったことじゃねぇし」


 リオウへの不信感をはっきりと言葉にしたラスティに、ジフはほんの少しだけ胸が軽くなるが、ジフの失意はいまだ深かった。相当弱っている彼の姿を見ていられず、ラスティにも歯痒さが募り出す。


「リオウは誤魔化そうとしてるけど、それにしたって何もかも異常が起こりすぎてんだよ」


 待機していたとはいえ、彼とサギリもジフが行っていた任務について随時報告を受けている。アイの出現を境に通常起こり得ないことが立て続けに起こっており、リオウはそれらが起こることを事前に知りながら計画を立てていた。世界も、リオウも、あらゆるうねりがアイを中心に起きている。


「やっぱりあいつが来たからこの世界を滅茶苦茶にしてんじゃねぇのか」

「……それは――」



 ――それは違うと。アイのせいではないと。反射的にジフの喉元まで出かかっている。

 ここまで数度コキュートスと直接対峙し、奴らの所業をその目で見てきたジフは知っている。

 アイの自暴自棄を受け止めきれなかったが、彼が被害を顧みずに誰かを傷つけるようなことは一度もなかった。今回だって、こんな事態にしたのは花畑に強襲して全てを滅茶苦茶にした男――アルズなのだ。


 悔しかったのは、リオウが何も教えてくれないからか? アイが大星座であるというだけで、自分の静止を聞いてもらえなかったからか? 彼らを責めたところで、あるいはそれらが違ったとして、上手くいったのか?

 突然現れ記憶を失ったアイには、行使できるものなど何ももっていない。そして頼れる者もいない。……いや、それがヨータだったのだ。そして恐らく目の前で悲惨なことが起こった。

 教団に拾われる前の自分やラスティ達孤児と同じだ。また誰かがそんな思いをする前に喰い止めるために、ジフは兵士になった。

 勝たなければいけない相手は他の誰でもなく、アルズだ。それを果たせなかったから、こうなってしまった。


 先程アイに言われた言葉を、今度はラスティの口から聞き、ジフは改めて自分の心境を自覚した。

 だが、アイが言った時に否定できなかった自分に反論する資格があるのだろうか。


 ――『このままだと……さらに被害者が増えるかもしれないんですよ』

 リオウの言葉を反芻する。アイはまだ南支部に帰ってきていない。自分があの場に置いてきたから。コキュートスが、アルズがこのままアイを放置しておくだろうか。

 任務の結果は変えられないとしても、これから起こり得ることにまだ間に合うなら――

 ラスティとサギリが寄り添う中、ジフは膝の上で握った右手に、もう片方の手を重ねた。

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