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第09話 雨-1

 アルズを退け、致命傷を負い流血に汚れながらも捜索を再開したリオウ。

 森を抜けた先の谷の崖際に辿り着き、一人座り込んでいるアイを発見する。

 目の前には海から伸びた巨大な塔が、うなだれているアイを見下すようにそびえ立っている。



「……アイくん」


 小さな背中に呼び掛けると、アイの肩がびくりと震えた。それでもアイは振り向かず、リオウが静かに歩み寄る。

 すると地面に、溶ける気配のない氷の破片が落ちていることに気づいた。

 ――それで全てを悟ってしまった。



 リオウは感情を強く噛み潰し、アイの横で膝をついてそっと彼の肩に触れた。

 アイは俯いたまま小刻みに震え出し、呼吸が不安定になる。リオウの、他人の顔を見るのを恐れているようだった。


「大丈夫、そのままで」



 リオウはそう言って、互いの顔を見ないまま、伸ばした腕の中にアイを抱き込んだ。

 黄金色の魔力が宿るリオウの右手の温度がアイの背中に伝わり、それが〝彼〟の温度にひどく似ていて、アイの胸が張り裂けそうになる。

 リオウの胸に覆われたアイの呼吸に、やがて小さい嗚咽が混ざり始めた。




* * *




 岬の麓では、先に戻ったカナとジフが、空の異常現象に応じて駆けつけた教団に保護されていた。二人のもとに、弱々しい足取りで歩くアイをリオウが支えながら帰還する。


「アイ!! 戻って――」


 彼らに気づいたカナがすぐに駆け寄ってくる。だが、血まみれのリオウの姿と、打ちひしがれているアイの壮絶な表情を目にし、ジフと共に絶句する。


「アイ……ヨータは……?」


 恐る恐るカナにそう問われ、またしてもアイの肩がびくりと跳ねるのが、支えているリオウの両手に伝わる。


「何があったの?」


 カナは尋ねるが、アイは小さく震えたまま何も言わず、瞬きもせずに下を向いている。


「ねぇアイ、ちゃんと教えてよ……あの後どうなったの? ヨータは?」


 答えられるのはアイだけだ。しかし声の出し方を忘れてしまったかのように、心許なく喉と唇が震えるだけで言葉が出てこない。



「なんとか言ってよ!!」

「カナ、やめろ!」


 痺れを切らして声を荒げるカナを、見かねたジフが制止する。


「……ご……ごめん……本当にごめん……」


 ようやく、アイが声を発した。風に掻き消えそうなか細い声だった。その様子だけで、何が起きたかを察することができた。

 ……カナが納得できるものではなかったが。


「……〝絶対に一緒に戻ってくる〟って……約束するって、アイが自分でそう言ったんじゃない……だから信じて先に戻ったのに……」


 約束。アイは確かにカナに約束した。だから彼女を残して一人で追いかけることを許されたのだ。それと引き換えにヨータが戻ってくるならと、カナは自分の想いを呑み込んで二人を待っていた。


「力を貸してくれって……アイがそう言うから……わたしも頑張ってヨータの黒影病を抑えたのに……」


 非力な自分でも全力を尽くせば、あともう少しでヨータを救えるはずだった。カナがヨータを叱咤したせいで、彼が再び戦うことを選び、あんなに傷と苦しみを負ってしまったのだと思ったから。その目前で、自分が彼を追うことを許されなかった。


「わたしも行きかったのに……絶対に助けるって……アイだけ一人で追いかけて……それなのに……結局ヨータがいなくなって……」


 溢れ出した感情が止まらなくなり、カナの心はついに決壊する。



「――なんで自分だけ戻って来てるのよ!!」



 彼女の叫びがアイの心臓を貫き、息が止まるほどの胸の痛みが襲った。

 苦しくなり、乾いた呼吸しかできなくなって、視界が現実と記憶の明滅を繰り返す。

 その表情を、軽蔑という感情を知っている。



 ――『言い訳をするな!!』



 アイの脳裏に、度々思い出していた青年の――“兄”の声が響く。さらに何人かの人影……失望した顔の大人に見下ろされる光景がおぼろげに浮かび上がる。



 誰かの期待を、信頼を裏切るのは初めてではないと――己の記憶に告げられている。

 そして今度は、アイが自ら約束を交わしたカナを裏切ったのだ。



「……………」


 意味もなく開いたアイの口からは、けれども言葉にならない声しか出ない。そうしている間にも、限界になったカナは泣き出してしまった。


「……彼女は私が支部まで送ります。ジフはアイくんを」


 泣きじゃくるカナを、リオウが自分の方に引き寄せ彼女の背中をさする。リオウが呼び寄せた教団の女性兵士に支えられ、その場から離れて行ってしまった。



「……アイ……」


 ジフがアイの方を見ると、それと同時にリオウの支えを失ったアイがその場に崩れ落ちた。

 慌てて駆け寄ったジフもアイの傍に膝をつく。


「すでにリオウが教団にヨータの捜索をさせている。探し続ければもしかしたら――」

「……落ちたんだよ……」


 ずっと喋れずにいたアイが、不意に呟くような小さな声で言葉を発した。


「岬の谷に落ちたんだよヨータは。あんな高さで生きてるわけない」


 零れ落ちる砂の如くアイの口からあっさりと告げられ、ジフは言葉を失った。二人の間にどうしようもない沈黙が流れるが、カナほど声を荒げないジフの様子に、アイは〝いつも通りの〟冷静さを感じた。

 ――『感情に流されるな!!』

 アルズに敗れた後、連れ去られたヨータを追おうとするアイに異を呈したジフの言葉が、脳内で反響する。


「感情に流されたせいだって言いたいのかよ」

「え……?」


 彼から言い放たれた言葉にジフはただ唖然と困惑する。アイの声とは思えぬほど低い声でいきなり自分に問われ、今までにない衝撃を受けている。だが座り込んだままうなだれている今のアイにはジフの表情に気付く余裕もなかった。



「お前はこういうことに慣れてるから、やっぱりあの時お前が正しかったって……それともこうなるまでの全部、俺がこの世界に来たせいだって思ってんのかよ!!」

「そんなこと言ってないだろ」


 堰を切ったようにアイの自暴自棄は止まらない。それはジフが口にした言葉ではない。――今この場においては。

 しかし彼と出会った時から、この世界にとってアイがどう認識されているのかを度々突きつけてきたこと、何よりこうなる直前にジフの口から言い放ったことを、この状況でジフ自身が気づく由もない。


「話は後でちゃんと聞く。ひとまず今は戻るぞ」


 ジフはどうにか戸惑いを堪えながらやや強引にアイの腕を掴んで立ち上がる。それでもアイは力を出す気配すらなく、ただジフが虚しく腕を引っ張っている。


「立て!!」


 ジフの怒声が灰色の空に響く。それでもアイは項垂れたままぴくりとも動かない。ついにジフの中でも張りつめていた糸が切れ、諦めに反転する。


「……今まで何度リオウに聞いても、お前が大星座だからとしか答えなかった……それでもここまでお前とリオウの言う通りにしてやった。でもこれ以上付き合ってられない」


 ジフは掴んでいたアイの腕を乱暴に放した。



「じゃあ好きにしろよ。大星座なんだろ、お前」


 この岬に来てから――こんな結果になるまで、度々アイが自分で口にしていた言葉。最後にそう吐き捨て、ジフは背を向けると一度も振り返ることなく教団支部の方へ去って行った。

 待機していた教団の兵士達もすっかり別の場所の捜査に向かってしまい、灰色の景色に覆われた草原にいまだ立ち上がれないアイだけが取り残される。



 数時間前まで、ヨータを助けるためにみんなで協力していたのに。

 ヨータがいなくなった瞬間、あっと言う間にみんな自分から離れてしまった。

 自分がヨータを助けられなかったから。

 何を間違えた? どうすれば助けられた? ジフとリオウに止められ、カナには危険だと判断する思考力はあった。けれど常に自分の選択を押し通した。どこで誰の言ったことに従えばこうはならなかったんだ?

 そもそも自分は何故、自分ならできると思ったのか? 《明星の救世主》と、ヨータと同じ大星座の輝石が、自分にもあったから。それでも役立たなかったじゃないか。



 考えてみれば、誰もアイに頼んだわけではなかったのに。今までずっとヨータが助けてくれたから、ヨータが〝相棒〟と言ってくれたから。何より自分がヨータを助けたかったから。勝手にヨータみたいになろうとして、結局できなかった。

 たとえ大星座の力があろうと、アイはヨータではない。アイではダメなのだ。

 今のアイには、それ以上考えることができなかった。



「……アイ……」


 ただ一匹、彼らの決裂を見ていることしかできなかったガリュマが、心配そうな顔でアイのもとへ歩み寄る。

 乾き切った目を見開いて項垂れているアイの頭上、立ち込める暗雲から冷たい雨粒が落ちてくる。たちまち降りしきる雨に無防備に打たれても、アイは草原に座り込んだままだった。

 そんな彼にガリュマは小さな体で寄り添い、同じく雨に濡れながらも柔らかい毛皮をアイの膝に押し当てていた。

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