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第08話 その手の温度-3 ◆

 アイは繰り返しヨータの名を呼びながら、無我夢中で森の中を走り続ける。

 しばらく木々の奥へと進んでいると、右手の輝石がほのかな熱を帯び始めた。何かに反応している。それが同じく輝石を持つヨータであると願い、信じてさらに足を走らせる。

 そして、木々の影が少し開けた時、その向こうに人影を――

 ――しゃがみ込んでいるヨータを見つけた。


「ヨータ!!」


 発見したヨータは、崩れ落ちたようにその場にうずくまり、頭を抱えていた。駆け付けたアイはすぐにしゃがんで彼の顔を覗き込む。


「ヨータ! 大丈夫か! ヨータ!!」


 影が落ちるヨータの顔はひどく苦しんでいた。少しだけ視線がこちらに向いたのを確かに捉える。


「俺も、カナもジフもガリュマも、みんな無事だよ! ヨータは誰も傷付けてない! だから誰もヨータを傷付けないし責めたりしない! リオウも、キュロイトも! 大丈夫だから!!」


 アイはヨータの反応があるまで、必死に呼びかけ続ける。

 知ってか知らずか、今のヨータが一番に望む言葉だった。今も、博物館の時も、最初からずっと、共に旅をするアイはいつもそうだ。

 だからヨータは、アイにずっと一緒にいてほしかった。


「………………」


 ヨータは身を守るようにしていた両手を解いて、恐る恐る顔を上げる。

 砂埃と草木と傷にまみれたアイがそこにいる。逃げたとてそれは変わらない。だが、そんな姿でもアイは目があったヨータを見て瞳を輝かせ、安堵の笑顔を灯す。


「……アイ……」



 炎の柱でアイを見つけたあの日から。

 リオウにアイを託せるチャンスは何度もあったはずだ。なのに。

 それでもなお、ヨータの孤独を埋めるために、アイを振り回し続けた。

 アイが、リオウが、みんなが、自分のために必死になってくれている。

 今の自分が感じているのは、本当に罪悪感だけなのか?


 きっとアイはこの先もヨータを満たしてくれるだろう。そのたびにこんなにも傷だらけになってしまうなら――



 ヨータは一度、深く目を閉じた。再びまぶたを開くと、恐怖と罪悪感に染まっていたヨータの瞳が、少しずつ穏やかさを取り戻す。


「……俺は……」

「ヨータ……俺がわかるか……?」

「ああ……」


 ようやく会話が通じたヨータに、アイの目頭が熱くなる。二人はゆっくり立ち上がり、ヨータがアイを強く抱きしめた。


「……アイ……ごめん……」

「大丈夫だよ」


 涙混じりのヨータの声がすぐ傍で聞こえる。アイは大丈夫と繰り返す。


「リオウもずっとヨータのこと探してる。カナだって、何度もヨータを助けに行こうとしてたんだ。キュロイトも、ジフ達も協力してくれた。みんなヨータのこと待ってる。一緒に帰ろう」

「……うん……」


 子供をあやすみたいに、アイは手のひらでヨータの背中を押さえてもう一度優しく言い聞かせる。


「……アイ、ありがとな」

「戻ってきてくれてありがとう、ヨータ」


 互いの意志がはっきりとあることを確認し合うように、二人は同じ言葉を交わす。



 そんな二人の気付かない、背後の木々の影。

 樹木の後ろからその様子を覗く人影があった。

 ――重症と遅効性の術を負ったまま、執念を宿した目をしている、アルズ。

 彼は口元に薄くえみを浮かべ、その場所から鋭い氷の刃を放った。



 ギリギリで気付いたヨータが咄嗟にアイを腕の中に庇いながら回避する。


「何だ……!?」

「氷……? アラストル……!?」


 木に深く突き刺さった氷塊を目にし、ヨータが勘付く。また木々の闇の向こうで、一瞬何かが光ったのを見逃さなかった。


「アイ! 逃げるぞ!!」


 ヨータがアイの手を引いて、二人で走り出す。それがわかっていたかのように、何度も氷の刃が放たれる。二人は追いつかれぬようただ走り続けることしかできない。



 やがて木々を抜け、目の前には断崖絶壁の深い谷底、岬の終わりの崖が現れた。

 ここまで誘導され、追い詰められたことを理解する。ヨータは瞬間移動を発動しようと、その行き先を直ちに選び出そうとする。

 その時、今度は別の方向――アイの死角から、アルズがアイスブルーの目を光らせる。アイを狙って氷が迫る。


「――アイ!!」


 アイ本人が気付くよりも先に、ヨータが腕を伸ばしてアイを突き飛ばした。直後、ヨータの右肩に氷の刃が突き刺さる。

 その勢いのまま、ヨータの体が崖の向こう――地面のない宙に投げ出されていく。



「ヨータ!!」


 アイは急いでヨータの右手を掴んだ。アイの上半身が崖から乗り出し、アイの手に繋がれたヨータの体が宙吊りになる。


「アイ!! 早く逃げないと次が来るぞ!!」

「そんなことできるかよ!!」


 互いに叫ぶ。重力に引っ張られ、繋いでいる手が熱くなる。それはやがて腕から肩にまで及び、激痛が二人を襲う。


「アイ!! もうやめろ!! 手を離せ!!」

「嫌だ!! 絶対に嫌だ!!」


 ヨータが訴えてなお、アイは手を掴み続ける。もうこれ以上は意味がないだろう。無駄に苦しんだ挙句最悪の結果になるだけだ。



 ――何故、こんなにアイが苦しんでいる。

 ずっと一緒にいてほしいと思った。それが続いて欲しいと思った。

 だから、こんなことがこれからもずっと続くのか?

 それとも、それが終わる時でさえ、アイを一緒に連れていくのか?

 本当に自分は、そんなことを望んでいたのか?


 都合の良い時だけ甘えていたリオウも、今ここにはいない。

 ヨータ自身が決めなければいけない。 

 これはヨータが始めた、ヨータ自身のわがままでしかないのだから――



 もう、解放してやらないといけない。



「アイ! 聞け!!」


 ヨータの叫びが響き、アイははっと彼を見る。


「俺の力が何だったのか忘れたのかよ。俺は大星座だぞ! このぐらい俺一人ならどうにかできる」


 こんな状況で強気な主張をされ、アイは戸惑っている。それでもヨータはアイに呼びかけ続ける。


「何度も言ってんだろ、お前には俺がこの程度でくたばるような奴に見えんのかよ」


 傲慢な自信に溢れた不敵な笑みの、アイのよく知るヨータがそこにいた。

 またこんな風になって戻ってきて欲しいと、ずっと願っていた。それが今、確かにアイの目に映っている。


 ヨータ言う通り、彼の瞬間移動の力なら地面に落下するまでに別の場所へ転移できるかもしれない。

 ……だが、ついさっきまでヨータは自制の効かない状態ででたらめに力を消耗していた。そうでなくとも病み上がりで弱りきっている。そして、右肩に氷が突き刺さった。

 アイは手を離す勇気が出せない。もし、ヨータの言っていることが本当なら、アイも一度一緒に落ちれば二人で転移できるのではないか。

 少なくとも、ヨータ一人が落ちることはなくなる。


「だ……だったら俺も――」

「お前はまだ助かる」


 震えるアイの言葉を、ヨータ芯の通ったの声が遮った。


「だからカナ達の所に帰るまでしっかりしろ!!」

 ヨータの声が届いているなら、アイはまだ動ける。それを確かめるように、そして迷う隙を与えぬように、強く訴える。


 アイはまだ迷っている。だがアイの表情は少しずつ、ヨータが今やるべきだと言わんとすることを理解しつつあった。


「忘れんなよ、お前はこの俺様が認めてやった自慢の相棒だぞ」


 アイの顔を見て、ヨータは安心したように少し笑った。こんなものは気休めにもならないだろう。それでもヨータは、ただアイに伝えたかった。その言葉が今も、これからもアイの背中を押せるように。


「リオウに会ったら、伝えてくれ……ずっと俺に優しくしてくれて、ありがとうって」

「え……」

「アイ……お前と出会えて……俺はまた誰かを信じることができた……だから……」


 強かだったヨータの瞳が、次第に安らかに和らいでいく。

 脳裏にもう一度、先程思い出した白橡色(アッシュベージュ)の髪の少女が浮かぶ。

 だが、再び映った傷だらけの彼女の顔は、翡翠色の瞳で微笑んでいた。右耳の三日月のピアスが、彼女の笑みを照らすように小さく光っていた。


 ――ああ、やっとわかったよ、ユーリア。


 限界なのか、安堵なのか、力が抜けていく体でなんとか真っ直ぐにアイを見上げた。


「……カナを……頼んだぞ」

「……ヨータ……!!」


 滑り落ちるも同然に、先に手を離したのはヨータの方だった。

 宙に放り出されたヨータはアイを見つめながら、太陽を眩しがるような目で笑みを浮かべる。

 彼の左耳の三日月のイヤリングが揺れ、僅かな陽射しを受けて一瞬だけ光った。

 その表情が、アイの目に焼き付いた。



挿絵(By みてみん)



 そしてヨータは、瞬く間に谷底の闇に消えていった。




 アイがどんなに見つめても眼下の谷底は暗いままだった。

 ヨータの体温が残る右手を風が掠め、軽くなった腕をもう片方の手で引き上げ、崖に座り込んだアイは右手を抱き込むようにうずくまる。


「…………」


 何が起こったのかわからない。何が起きたか信じたくない。

 目と口を呆然と開いたまま、言葉にならない断片的な声が零れ落ちる。



 灰色の空に、喉が張り裂けるようなアイの慟哭が響いた。


 ――08 その手の温度

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