第07話 光る花を君に-4
焦りに駆られながら、カナは地面に倒れているアイの体に手をかざして必死に治癒を施していた。その間ジフはせめてもの時間稼ぎにアルズと交戦を続ける。しかしアルズにとってはまるで赤子と戯れるも同然のようで、彼自身は一歩も動かず氷の刃に相手をさせている。
「うっ……ぐ……、カナ……俺はもう大丈夫だから……」
「アイ……! でも……」
カナの治癒を受けていたアイが意識を取り戻す。短く呻きながら手をついて起き上がった。それに気付いたアルズは数本の氷の刃を集結させて巨大な刃を作り出し、ほんの少し振りかざしただけで吹雪の烈波を放つ。正面から受けたジフが木の葉のように吹き飛ばされた。
「ジフ!!」
遠く後方に庇われていたアイ達のもとにジフが落下し、花畑に転がる。まるで三人と一匹があっさり一纏めにされたようだ。
アルズの氷の刃は再び無数に分裂し、彼の背後で輪をなしてくるくると回っている。
「数が多いから吹雪で眠らせようかなぁ……ちょっと凍っちゃうかもしれないけど、怪我せず綺麗なままにできるから」
彼の意思を表すように、刃の輪がさらに広がり一斉に切先をアイ達に向ける。三人と一匹の中で、警鐘を鳴らす本能と、間に合わないだろうという絶望に近い理性が全身に張り詰める。
アルズが口元に浮かべた笑みを合図にするように、無数の氷が発射された。
衝撃によって、大規模な閃光と氷の粉塵が花畑に広がる。
煙が晴れる――よりも先に、アルズの笑みは微かな戸惑いに変わる。
煙の向こうに現れた、大鎌を持つ人影――
ヨータが、アイ達とアルズの間に立っていた。
大鎌を構えるヨータの眼前で、紋章を中心に展開された光の障壁。それが全ての氷を喰い止めていた。その力の名を知っているアルズが苦々しく呟く。
「……聖障……」
そして、ヨータが大鎌を振りかぶると、放たれた閃光が巨大な弧を描いて氷を一斉に押し返す。放った氷が自分に向かってきたアルズは咄嗟に氷の壁を出現させ、またしても派手にぶつかり合う。
アイもまた、目の前に現れたヨータと聖障に目を奪われる。
アイがこの世界に出現した時、誰よりも早くアイを連れ去るためにヨータが聖障を使い、二人だけの空間で全てが始まった。
これがその、本物の聖障。リオウが語ったことは本当だったのだ。
「ヨータ……なんで……!」
「こんなザマで……なんでもクソもあっかよ!」
息を切らしながらヨータは肩越しに振り返る。その姿を目にしたアイとジフが、倒れているわけにはいかないと奮起し、力を振り絞って立ち上がる。
「み……みんな……」
「お前ら大丈夫かよぉ~!?」
苦しんでいたアイと、傷だらけのジフ、そして病み上がりのヨータ。三人とも本来なら戦うべきではない憔悴した状態だ。
「まだ……戦える……!」
「せめて活路を拓くまでは……!」
アイが剣を、ジフが槍を実体化させ、握り締めたそれを構えてヨータの左右に並び立つ。
引いていく煙を煩わしそうに受け流すアルズが、険しい目つきで訝る。
「……誰も彼もそんな体で……どうしてまたそんな力を……」
アイ達にはアルズの表情は見えていないだろう。しかしその顔は忌々しげというよりも、何かを危惧しているような感情が滲んでいる。
「加減してるわけにはいかないか……」
氷の翼でアルズは宙に浮き上がり、その羽ばたきで激しさを増した吹雪が無数の氷の礫を放つ。咄嗟にジフが槍を翻して地面に突き刺し、結界を展開させた。
礫を凌いだのも束の間、空中を飛び立つアルズの吹雪が一直線に駆け抜けてアイ達を翻弄し、縦横無尽に飛翔する翼によって散り散りに吹き飛ばされる。
手も足も出ない。誰にも追いつけぬ上空で翼を止めたアルズが悠然と花畑を見下ろす。
瞬間。黄色い直線の電光石火が一瞬だけ宙を駆け、それが消えた先――アルズの背後で、黄金色の光の翼を広げたヨータが姿を現し、振り下ろした大鎌から閃光を放つ。すぐにアルズが振り返るも僅かに遅く、氷の盾で防御する動きが十分な隙を生んだ。さらに反対側の背後に瞬間移動したヨータが今度は直接切り掛かり、ギリギリで反応したアルズの氷の刃と競り合いになる。
「飛べるのがお前だけだと思うなよ!」
「いいのかい……そんな体で羽目を外して」
「うるせぇ!!」
相殺する形で爆ぜた衝撃波によって、互いに後方へ弾き飛ばされる。
その飛距離を計算していたかの如く、不意にアルズの眼下から氷の刃が飛んでくる。直前でかわすも、次々に氷の刃が射出され至近距離で破裂する。地上からジフが狙撃しているのだ。照準を定めるスコープ型の魔法陣を眼前に展開し、放っていた。
空中を飛翔して回避するアルズを、無数の氷が追尾する。引き離そうと後ろの距離を確認した矢先、前に向き直れば進行方向からも氷が飛来し、挟み撃ちされる。一度その場で翼に包まれたアルズは、煩わしそうに広げた翼から禍々しい黒の烈波を放って氷を爆散させる。
冷気を帯びた煙を翼で振り払う。が、その時には足元から視界を焦がす熱が迫っていた。
「当たれえええええええ!!」
アイの剣の切先には巨大な紅炎の球が燃え盛っていた。張り上げた声と共に上空のアルズに向かって振りかぶり、衝撃波を漲らせながら直撃した。氷と炎がぶつかり合い、空中で大規模な爆発が起こる。
空中の煙の塊からアルズが落下する。辛うじて両足で地面を踏み締め、よろけながらもまだ膝をつかない。
アイの火力。ヨータの速度。ジフの経験と計算。アルズに及ばぬそれぞれの力も、最も発揮される瞬間を見極め連携することでアルズに喰らいついていた。しかし、誰か一人でも動けなくなればそれも瓦解してしまう。
「《さんざめく払暁》!!」
アイが剣を振りかざし、彼を中心に灼熱の熱波の輪が迸る。アルズが瞬時に氷の壁を張るが呆気なく破壊され、破片ごとその身にぶつかる。直後、ジフの巨大な氷塊が地面から突き出しアルズの体は空高く打ち上げられる。
そして再び上空でヨータが姿を現し、両手で振り上げた大鎌に力を込め、鋭い孤月状の刃が黄金色の光を放つ。背中の黄金色の翼から光の粒子が激しく噴射し、アルズに向かって急降下していく。
「《王莽の刻針》!!」
落下の勢いの中で身を翻し、大鎌が輪を描く。大気の摩擦を伴ってさらに巨大化した眩い閃光の輪が振り下ろされた。それは宙に浮遊するアルズの体もろとも、凄まじい威力で地面へと叩きつけられた。地が割れそうなほどの衝撃が起き、一筋に刻まれた痕から光が立つ。
絶え間なく吹き荒れる花畑の白い花びらが、土煙に乗って舞う。白乳色の空がようやく静けさを取り戻す。ジフは肩で呼吸をしながら槍を突き刺した地面に結界を展開し、アイとカナ達の足元まで広げる。
「《空間転》――」
しかし、彼の詠唱を遮って、突如煙を突き破るように巨大な氷の結晶が飛び出した。
バキバキ、と硝子が軋む音が響き、弾けるように広がった氷の翼によって、一瞬で粉々に砕け散る。地面に叩きつけた翼の先端を、獣の爪の如く地面に食い込ませた。
その場所から瞬く間に氷が広がり、花畑は氷像に作り替えられ、みるみると伸び上がっていく。やがて数本の樹木となって氷の葉を茂らせ、中心部に残っている氷塊が最後に弾け飛ぶ。
「――満足したかい」
氷の破片が舞う中で、アルズがゆらりと立ち上がる。その体は傷一つなく、人形のようにあらぬ方向を向いた手足の関節をゴキリと動かし、体を強引に〝人〟の形に戻した。
氷で支配した花畑に囲まれる彼を、アイ達と上空のヨータはただ絶句しながら見ていることしかできなかった。本能で確信する。これがアルズの、コキュートスの名を冠する氷人形達の長たる証。
アルズの周りに煌めきが輪を成して、一瞬だけ光った。煌めきが消えた刹那、それは目で捉えきれぬ速さで上空のヨータに直撃し、空で爆発の閃光と氷雪の煙が弾けた。
何が起こったのかもわからぬまま、アイ達は空の白い煙を目にして唖然とする。その間にもアルズは次の攻撃を放とうとしていた。背中の翼の羽ばたきで暴風を起こし、吹き荒れる氷雪を巻き込んで瞬く間に広げていく。暴風はもはや異空間と化し、呑み込んだ者達を外界から完全に遮断してしまった。
暴風の中に取り込まれてしまったアイ達。アルズの更なる猛威が迫っていることを本能で察知したジフが、再びカナとガリュマの足元に結界を展開する。
「アイ! 奴の攻撃が来る! できる限り威力を削るぞ!!」
「わかった!」
指示を飛ばしたジフと共に、アイは武器の剣に力を込める。暴風の中心――アルズの背後には、禍々しく蠢く黒い渦がスパークのような激しい光を走らせていた。
「《緋龍斬刀》!!」
「《海槍の奔流》!!」
アイとジフが振り絞った力を込めて攻撃を放つ。それとほぼ同時、アルズの右腕が上がり、唇が開く。
「《沈黙の月》」
アイの熱波とジフの水流が、アルズの黒い吹雪とぶつかり合う。踏ん張っているアイ達の足が地面を摩擦し少しずつ後退させられる。二人がかりでさえ今にも押し通されそうだ。だが――そうなるわけにはいかない。
「うおおおおおおおおおお!!」
アイは声を上げながら、右手の輝石に力を求めた。それに応えるようにアイの体から光の輪が波及する。熱波の炎がさらに燃え上がり吹雪を蒸発させ、次第にアイの足が前進する。
しかし、ジフは目の先の異変に気づく。吹雪に接触する武器の先端が霜に染まり、急速に凍りついて侵食を進めていた。ジフは咄嗟にアイの方へ振り向き叫ぶ。
「アイ!! 武器を離せ! 伏せろ!!」
突然の要求にアイは戸惑うが、ジフの切迫した表情を目にし、即座に彼と同時に握っていた武器を放り投げた。そのたった一呼吸後、宙に投げ出された武器が丸ごと凍りつき、二人が伏せる間も与えず目の前で爆発した。
張り裂けるような冷気と氷雪、衝撃波が破裂し、一瞬にして白が全てを飲み込んだ。
結界の内側に守られていたカナとガリュマが地面にへたれ込んでいた。
もしジフが気づかなければ、アイとジフは粉々に爆発した武器と運命を共にしていただろう。それを回避してなお、彼らは爆発の衝撃をその身に受けて後方に吹き飛ばされ、地面に打ち捨てられるように転がっている。倒れ伏す二人の体のいたる所を白い霜が覆っていた。
辺り一帯に広がる光景にカナは言葉を失う。前方に漂う冷気の向こうから、人影が――アルズが近づいて来きたことに気付き、ひゅっと息を呑んだ。しかし、恐怖で足が震えて立ち上がれない。ガリュマがカナの前に飛び出して必死に威嚇の唸り声を上げる。
「さあ行こうか、一緒に」
ただ歩くだけですぐそこまで迫るアルズ。彼が右手を伸ばした――その時。
一瞬宙に直線の光が走る。次の瞬間、姿を現したヨータが大鎌を振りかぶって攻撃を放ち、アルズを吹っ飛ばす。
「ヨータ!!」
「こいつらに……触んじゃねぇ……!!」
抗戦を続けるヨータに、カナとガリュマが驚く。だが彼の全身も傷だらけで、息も絶え絶えの状態だ。
ヨータの姿を見たカナの表情が、安堵と不安でない混ぜになる。そんな彼女を見透かすように、ヨータが振り向いた。
「カナ」
彼は笑っていた。陽光のようなその笑みを映すカナの瞳にも、僅かな光が差す。
「あいつらと一緒にいれば……お前はもう大丈夫だ。アイ達を信じろ」
「……ヨータ……」
そう告げたヨータは何かを悟り、そして受け入れたような、名残を言葉にしたような声だった。ヨータはガリュマの方にも顔を向ける。
「ガリュマ、カナと……アイ達を頼む」
「ヨータぁ!」
ガリュマはヨータのもとまで駆け寄ろうとするが、その前に向き直ってしまう。右手に持つ大鎌を翻し、両手で握ったそれを前に突き出して聖障の紋章を出現させた。
押し返されたアルズは踵を地面に摩擦させながら踏みとどまり、攻撃を受け止めた翼を振り払う。
「そうかい……じゃあ、君から終わらせようか」
体から黒く禍々しいエネルギーを放出し、広げた翼を羽ばたかせると一直線に飛び立ち距離を詰める。
弾丸の如きスピードで迫りながら氷の刃を突き出すアルズを、ヨータの聖障が正面から喰い止める。衝突の火花と衝撃波が激しく吹き荒れる。
「うおおおおおおおおおおあああ!!」
大鎌を構える両手に力を込め、聖障の紋章がさらに光を増す。背中の黄金色の翼から光の粒子を噴出して受けとめる力を増強する。光と影の凄まじい力がぶつかり合っている。
――が、いかに《影》を阻む聖壁でも、先に限界を迎えるのはヨータの体の方だった。
アルズが燃え上がる《影》のエネルギーを右手に纏い、握りしめた拳を振り上げる。そして、聖障を殴つりけた。瞬間、拳を受けた場所から聖壁に亀裂が走る。硝子が砕ける音を響かせて、あっけなくバラバラに砕け散った。
聖障の受けた威力がヨータの体に流れ込み、想像を絶する痛みに目を見開いて体が仰け反る。降り注ぐ光の破片の中、ヨータは膝から地面に崩れ落ちた。
だが、倒れ込むギリギリの所で大鎌の柄を地面に突き刺し、握り締めて上体を持ち堪える。
どれだけ呼吸しても意識が朦朧とし、視界が霞んで今にも暗転しそうになる。必死に耐えているヨータの目の前にはアルズが立っていた。
アルズは項垂れているヨータの髪を掴んで無理矢理上を向かせた。アルズの目がアイスブルーに光り、それを映したヨータの目が支配を受けて金色に光出す。
「うあっ……ああ……」
ほどなくして、今度こそヨータは気絶した。アルズの手を振りほどこうと掴んでいた両手が力なく垂れ下がる。倒れる彼の体をアルズの右腕が受け止め、そのまま肩に担ぎ上げる。その光景を目にしたカナがはっと気づいた。
「ま……待って!!」
這うように手をついてなんとか立ち上がったカナが、もつれる足で追いかける。だが、アルズの足元から噴き出た黒い渦が、彼に担がれたヨータごと飲み込んだ。カナが伸ばした手は、渦が消えた後の何もない地面に滑り込んだ。
「カナぁ!」
倒れ込んで草花と砂にまみれたカナのもとにガリュマが駆け付ける。アイとジフはいまだ地に伏したまま目覚める気配はない。
カナはただ呆然と、ついさっきまでヨータがいたはずの地面の砂に手のひらを重ねていた。
* * *
幾らかの時間が過ぎた。
今日もリオウがヨータの寝ていた部屋に訪れる。扉をノックした後、ゆっくりと開く。
「もう起きてる? 体調の方はだいぶ――」
言い終えるよりも前に、部屋の中の光景を見たリオウは言葉を失った。
ヨータが寝ていたはずのベッドはもぬけの殻になっていた。
しかし部屋から抜け出した様子はない。〝消えた〟と形容するのがより正しい。彼ならそれが可能だと知っている。だが今はそうする理由がない……はずだった。事実この数日間は、強制的な軟禁のような真似はせずとも、彼はずっとここにいた。
けれど、また彼は姿を消した。
目の前の光景と、記憶の中の数年前の光景が交互に重なる。どんなに目を見開いても彼の姿はない。
……いや。あの時だって理由はあった。他ならぬ自分が原因だったのだから。だとすれば、今また彼がこうするほどの理由が発生したのかのかもしれない。
考えれば至れるはずだ。だが、目が眩むようなフラッシュバックで頭が締め付けられるように痛い。それでも右手で顔を覆いながら必死に思考する。
……今朝、アイ達が外に出たいと許可を取りに来た。聖国の遺産があるから安全だという場所……この南支部の裏の郊外の……岬の……
不意に、思考が淀むリオウに痺れを切らしたかのように、窓を叩く小さな硬い音が聞こえた。はっと現実に引き戻されたリオウが顔を上げる。
窓の外には、小柄なコウモリの魔獣が羽ばたきながらこちらを見つめていた。
――07 光る花を君に




